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おやゆび姫

それからの日々

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 一気に流れ込んできた署名式を終え王太子妃にされたアンネリーゼの記憶。

 アンネリーゼには進みだしたこの道の先が明るく照らされているとは思えなかった。いつか不適格者の烙印を捺され城を出る時が訪れるかも知れない。そんな悲痛な覚悟を胸に抱きながら、それでもアンネリーゼは必死に走り続けた。

 「それからだ。リセの持っていた類稀な才能が発揮され始めたのは」
 「才能?」
 「あぁ。どんな努力をも厭わないという才能だ」

 両親はどこに出しても恥ずかしくない淑女にという教育方針ではあったものの、まさか王室にとは考えもしていなかった。貴族令嬢として申し分なかったアンネリーゼも妃としては知識も振る舞いも不十分で、待ち受けていたのは厳しいお妃教育。元々アンネリーゼは一つ一つじっくりと考え納得しながら習得していくタイプで、取り敢えず何でも丸暗記して手っ取り早く済ませるのは苦手だった。どんなことにも人一倍の時間が必要であるにもかかわらずアンネリーゼは着々と力を付けていった。お妃に選ばれた責任がアンネリーゼに立派な王太子妃にならなければという使命感を芽生えさせ、ひたむきに努力を重ねさせたのだ。

 大いに自覚していた利発さに欠ける気性は努力だけで補えるものではない。だからこそアンネリーゼは相手の話に真摯に耳を傾け、疑問が生まれれば質問をし感銘を受けたら笑顔で褒め称える。せめて今自分にできる精一杯をと努めての行動だったけれど、これはむしろアンネリーゼの欠点を補うばかりか相手に好感を抱かせるようになった。

 「有能な王太子妃、そんな評価を受けるようになるまでに一年と掛からなかった」
 「そう、私は認められた。選ばれるべくして選ばれたのだ、そんなことまで言われたわ。どんなに足掻いているのかも知らずにね……でも、私は決して地位にしがみつく為に頑張ったんじゃない……」

 フワフワと浮かんでくる記憶の断片が次々と吸い込まれていく。けれども……

 「私は……私は何の為にそんなに頑張ったのかしら……?」

 アンネリーゼを駆り立てたもの。それはきっと義務や責任だけではない。不思議なことに一番大切なはずのそれが何なのかが彼女の記憶の何処にも見当たらないのだ。

 「わからない。リセが本当に王太子妃で居続けたかったのかも定かじゃない。けれどもリセは立ち止まろうとも休もうともせずどこまでも上を目指そうとしていて、いつか力尽きて壊れてしまいそうで心配で堪らなかった。俺の後ろに隠れてばかりいたリセのどこにこんな強さがあったのかと、驚かされるばかりで……それに……」

 兄さまは俯いてぐっと握った拳を睨み付けてから顔を上げ、悲しそうに私を見つめながら言った。

 「こんな強さが無ければリセが苦しむこともなかったのにって……」
 「でもね兄さま、辛いことばかりじゃなくてやり甲斐や手応えを覚え幸せを感じる瞬間でもあったのよ。だから王太子妃としての自覚が芽生えたし、もっと力を付けたいと思ったわ」

 慰問に行った孤児院で作った花冠を見て輝かせた子ども達の顔。視察先で出迎えてくれた人々の歓声。大規模な火災で壊滅状態になった村に駆け付けた時には妃殿下の励ましに応えるためにきっと立ち上がる、被災者達はそう言って涙を流してくれた。そんな記憶が私の中に溶け込む度に少しずつ私はアンネリーゼと重なっていく。そしてアンネリーゼへの他人としての同情は急速に自分自身の感情に切り替わっていった。

 私は……アンネリーゼは大きな切なさを抱えていた。それが何故かは分からないけれど、その切なさは胸の奥に深い傷を負わせドクドクと血を流し絶え間ない痛みを生んでいる。

 「ねぇ兄さま?不思議だと思わない?」
 「…………」
  
 私に向けられた兄さまの目は直ぐにスッと逸らされた。

 「私、リードのことを何にも思い出せないの。顔も声も何もかも、図書館で隣に座っていた15歳のリードしか。私が心の奥に閉じ込めてしまったのはリードなんでしょう?私達の結婚は……」

 そこまでが精一杯だった。夫の裏切りに傷付きその上不倫相手に憎まれて殺された前世の私。それなのにアンネリーゼとして生まれ変わった私は、たった14歳で強引に始められた結婚で夫になったリードを忘れてしまいたいほどに傷ついていたのだろうか?
 
 「リセには何の非もないんだよ」

 そう?本当にそうなの?でも裏切られた私は責められたのよ?全部、全部私がいけないんだって、悪いのは私なんだって……

 「リードはね、署名式の翌朝オードバルに向かったんだ」
 
 オードバル……一つの国を隔てた先にある大国で兄さまが留学していたのもオードバルの首都にあるアカデミーだ。

 「リードもオードバルのアカデミーに?」
 「そうだ。結婚したとは言っても二人は離ればなれで過ごさなければならなかった」
 「でも……」

 私は必死に記憶を手繰った。会うことは叶わなくても夫婦ならば手紙のやり取りくらいはあったはず。でもどれだけ探しても断片すらも見つからない。

 「リセ。兄さまはお前を取り戻したいんだ」
 「?離婚を……して欲しいってこと?」
 「いや……」

 兄さまは繋ぎ止めようとするみたいに私の手をぎゅっと握った。

 「お前が飛ばされた、違う世界からだ」

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 


 
 
 
 
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