11 / 99
おやゆび姫
それからの日々
しおりを挟む一気に流れ込んできた署名式を終え王太子妃にされたアンネリーゼの記憶。
アンネリーゼには進みだしたこの道の先が明るく照らされているとは思えなかった。いつか不適格者の烙印を捺され城を出る時が訪れるかも知れない。そんな悲痛な覚悟を胸に抱きながら、それでもアンネリーゼは必死に走り続けた。
「それからだ。リセの持っていた類稀な才能が発揮され始めたのは」
「才能?」
「あぁ。どんな努力をも厭わないという才能だ」
両親はどこに出しても恥ずかしくない淑女にという教育方針ではあったものの、まさか王室にとは考えもしていなかった。貴族令嬢として申し分なかったアンネリーゼも妃としては知識も振る舞いも不十分で、待ち受けていたのは厳しいお妃教育。元々アンネリーゼは一つ一つじっくりと考え納得しながら習得していくタイプで、取り敢えず何でも丸暗記して手っ取り早く済ませるのは苦手だった。どんなことにも人一倍の時間が必要であるにもかかわらずアンネリーゼは着々と力を付けていった。お妃に選ばれた責任がアンネリーゼに立派な王太子妃にならなければという使命感を芽生えさせ、ひたむきに努力を重ねさせたのだ。
大いに自覚していた利発さに欠ける気性は努力だけで補えるものではない。だからこそアンネリーゼは相手の話に真摯に耳を傾け、疑問が生まれれば質問をし感銘を受けたら笑顔で褒め称える。せめて今自分にできる精一杯をと努めての行動だったけれど、これはむしろアンネリーゼの欠点を補うばかりか相手に好感を抱かせるようになった。
「有能な王太子妃、そんな評価を受けるようになるまでに一年と掛からなかった」
「そう、私は認められた。選ばれるべくして選ばれたのだ、そんなことまで言われたわ。どんなに足掻いているのかも知らずにね……でも、私は決して地位にしがみつく為に頑張ったんじゃない……」
フワフワと浮かんでくる記憶の断片が次々と吸い込まれていく。けれども……
「私は……私は何の為にそんなに頑張ったのかしら……?」
アンネリーゼを駆り立てたもの。それはきっと義務や責任だけではない。不思議なことに一番大切なはずのそれが何なのかが彼女の記憶の何処にも見当たらないのだ。
「わからない。リセが本当に王太子妃で居続けたかったのかも定かじゃない。けれどもリセは立ち止まろうとも休もうともせずどこまでも上を目指そうとしていて、いつか力尽きて壊れてしまいそうで心配で堪らなかった。俺の後ろに隠れてばかりいたリセのどこにこんな強さがあったのかと、驚かされるばかりで……それに……」
兄さまは俯いてぐっと握った拳を睨み付けてから顔を上げ、悲しそうに私を見つめながら言った。
「こんな強さが無ければリセが苦しむこともなかったのにって……」
「でもね兄さま、辛いことばかりじゃなくてやり甲斐や手応えを覚え幸せを感じる瞬間でもあったのよ。だから王太子妃としての自覚が芽生えたし、もっと力を付けたいと思ったわ」
慰問に行った孤児院で作った花冠を見て輝かせた子ども達の顔。視察先で出迎えてくれた人々の歓声。大規模な火災で壊滅状態になった村に駆け付けた時には妃殿下の励ましに応えるためにきっと立ち上がる、被災者達はそう言って涙を流してくれた。そんな記憶が私の中に溶け込む度に少しずつ私はアンネリーゼと重なっていく。そしてアンネリーゼへの他人としての同情は急速に自分自身の感情に切り替わっていった。
私は……アンネリーゼは大きな切なさを抱えていた。それが何故かは分からないけれど、その切なさは胸の奥に深い傷を負わせドクドクと血を流し絶え間ない痛みを生んでいる。
「ねぇ兄さま?不思議だと思わない?」
「…………」
私に向けられた兄さまの目は直ぐにスッと逸らされた。
「私、リードのことを何にも思い出せないの。顔も声も何もかも、図書館で隣に座っていた15歳のリードしか。私が心の奥に閉じ込めてしまったのはリードなんでしょう?私達の結婚は……」
そこまでが精一杯だった。夫の裏切りに傷付きその上不倫相手に憎まれて殺された前世の私。それなのにアンネリーゼとして生まれ変わった私は、たった14歳で強引に始められた結婚で夫になったリードを忘れてしまいたいほどに傷ついていたのだろうか?
「リセには何の非もないんだよ」
そう?本当にそうなの?でも裏切られた私は責められたのよ?全部、全部私がいけないんだって、悪いのは私なんだって……
「リードはね、署名式の翌朝オードバルに向かったんだ」
オードバル……一つの国を隔てた先にある大国で兄さまが留学していたのもオードバルの首都にあるアカデミーだ。
「リードもオードバルのアカデミーに?」
「そうだ。結婚したとは言っても二人は離ればなれで過ごさなければならなかった」
「でも……」
私は必死に記憶を手繰った。会うことは叶わなくても夫婦ならば手紙のやり取りくらいはあったはず。でもどれだけ探しても断片すらも見つからない。
「リセ。兄さまはお前を取り戻したいんだ」
「?離婚を……して欲しいってこと?」
「いや……」
兄さまは繋ぎ止めようとするみたいに私の手をぎゅっと握った。
「お前が飛ばされた、違う世界からだ」
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる