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さんどめの春

またね

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 ただただ凄まじい一日だった。2ヶ月振りに外に出られたと思ったら競馬場の直線級に疾走する馬に乗せられ(実際は暴れん坊な将軍の白い馬くらいなんだろうけれど脳内イメージは正にアレだったのよ)縄梯子を登るやら隠し通路を歩かされるやら。息も絶え絶えな状態でベットに投げられてキスマークを付けられるし、セクハラ伯爵の前で渾身の演技をし騎士の皆さんに誤解され、「純潔の乙女宣言」の挙げ句カイルにも他の騎士にも逃げられた。


 身体も心も疲れ果て限界だったのだと思う。手足が冷えきってしまったような感覚があり怠くて堪らなくなったのでゆっくり湯浴みをしたのだけれど、温まるどころか寒くて仕方がない。震えが治まった頃には予想通り高熱が出ていた。ラーナに薬湯を飲まされたが殆ど吐いてしまい、慌てて呼ばれた医師は難しい顔で考え込んでいた。


 「熱は数日で下がるでしょう。但し根本的な原因は薬を飲んでゆっくり休めば良くなるような単純なものでは無い。精神的に追い詰められ身体が悲鳴をあげているのです。食べ物を受付なくなられたのもそのせいです。残念ながらこの状況が変わらぬ限り根本的な回復は望めないかと。しかしそれが叶わぬとなれば……」


 本当は辛くて目を開ける事もままならなかっただけなのだが、眠っていると思い込んでいる医師は小声ながらもはっきりとアルに告げていた。

 「昼間はあれ程に……まるで王都にいた頃のお転婆娘に戻ったかのようだったのに……」
 「心と身体、両方に残った力を掻き集め奮い立たせそのように振る舞われたのでしょう」

 二人はしばらく黙っていたが、やがて医師が躊躇いながら口を開いた。


 「どうだろう?いっそ姫様にいずれ生きて帰すと仰っては?」


 アルは医師の言葉に乾いた声で力なく笑った。


 「姫はきっと喜ぶ。そう、喜んで見せるんだ。全部見抜いた上でね。そういう人だ」

 「益々姫様の苦痛を増すばかり……か」


 医師は私の脈を取りそっとシーツの上に戻すと立ち上がった。


 「もう、姫様の前に姿を見せるのはお止めなさいませ。姫様にとって王子から案じられるのがいかに残酷か……いずれご自分に何が起こるのかわかっているのなら尚更です。姫様を帰すおつもりが無いのならば、王子の労りは姫様の心を突き刺す刃物に他ならぬのですよ」


 医師は『では失礼』と言って出て行き、入れ違いに入って来たラーナが自分に任せて休むようにと声を掛けた。でもアルは断ったようだ。時折意識が遠退きハッと気付けば必ずアルは隣にいたから。そして何時しか朝の光が伏せている銀色の髪を照らしていた。


 「アル起きて。風邪をひくわ」


 力が入らず蚊の鳴くような声だったけれど驚いたことにアルは飛び起きた。一晩中起きていてとうとううつらうつらしたところだったのかも……。目の下の隈が痛々しい。


 「私なら大丈夫だからもう休んでちょうだい」

 「まだ熱が下がりきっていませんよ。ラーナが来るまではここにいます」


 アルはクッションを積み上げて私を寄り掛からせると水が入ったグラスを手渡してくれた。ちゃんと受けとったはずなのにグラスはツルンと手から逃げて行く。アルが手を添えていたから落とさずに済んだけれど。

 ありがとうと言いながら顔を上げるとアルが哀しそうに私を見下ろしていた。今度こそしっかりとグラスを手に持ち一口一口ゆっくりと水を飲むのを確認するように見つめ、もう飲めないと首を振ると手を伸ばしてグラスを受け取った。


 窓の外には湖が見えている。今日は真鴨はいないようだ。クッションに身体を預け埋まりながら、柔らかな光に輝く湖面を見つめた。


 ガリウス伯……随分と口の軽い男だった。お陰で自分が何に使われるのか何となく把握できた。


 私はピピリアルーナ姫の生まれ変わり。シルセウス王家の生き残りである王子に捜し当てられ恋に落ち、共に力を合わせてシルセウスを再興しようと誓い合う。しかしシルセウスを制圧したセティルストリアの王子が横恋慕し、やがて強引に正妃に迎えようとする。結婚式の最中私を奪還するが、再びセティルストリアに連れ去られた私はシルセウスに忠誠を誓い正妃になることを拒否し怒りを買って殺される。

 今ではもう現実に目を向けているシルセウスの民の愛国心を取り戻すには、対極にあるお伽話が効果的なのだろう。私への哀れみと王子への同情、そして繰り返された歴史が加味され民衆の心を動かす梃になる。だがそれは、まるで藁にも縋るような僅かな可能性に賭けるしかない現状の現れだ。


 「ね、アル……死んじゃイヤよ?……私恐いの……貴方達がしている事は危険過ぎるわ」


 アル達とグラントリー、そしてガリウス伯。彼らが協力し合っているのはあくまでも利用できるからだ。お互いが疑り合い信頼などない。だからガリウス伯は万が一に備えて私兵達を引き連れてここに来た。それは騎士達も同じ事。ほんの些細なきっかけで何が起こるかわからない危険を孕んでいるのだ。

 そして不要となれば迷わず切り捨てる。いや、むしろ自分に有利な風が吹いた時点で切り捨てようと、機会を伺っているに違いない。


 「大丈夫、心配はいりません。そんな事より少しでも体力を戻しましょう。それでも縄梯子を上る脚さばきは流石でしたけれどね。皆見惚れていましたよ。貴女のお転婆に手を焼いたのも納得だとね」

 「私の事はどうでもいい」


 振り向いた私とアルの視線が絡み合う。アルは動揺を隠せずに唇を震わせていた。


 「貴方達が目指すものに一点の曇もないというのなら私は何も言わない。道具として使えば良いのよ。私は17の歳からそうやって自分を押し殺して生きてきたのだもの。私はね……私は本当に無気力で情けない人間なの」

 「違う!貴女はそんな人じゃない」

 「見たくないだけなの、誰かが苦しむのをね。私が我慢さえすれば済むのならその方が気楽。それだけよ。だから自分を大切にしなさいだなんてお小言を言われるんだわ」


 私は再び窓の外に視線を泳がせた。膝の上に乗せていた手をアルが両手でそっと包んでくれたが、もう視線は戻さなかった。


 「私ね、このまま力尽きる日も遠くないと思うの。きっとグラントリーが目論んだ時期よりも早いはず。その時が来たらラーナに知らせて貰うわ。抜け殻の私になら刃物を向ける辛さも少なくなるでしょう?それで貴方達の目的は果たせる。だからそれまで……もう来ないで。これ以上アルが苦しむのは見たくない」

 「……」


 黙って私を抱きしめたアルは嗚咽を漏らしていた。私は小さな子どもを宥めるようにその頭をそっと撫でた。


 「あのね、私、先週19になったの」

 「……え?」

 「誕生日のプレゼントが欲しいの」


 アルは腕を解き私の顔を覗き込んだ。すっかり忘れていたのだろう。思ってもみなかった事を言われかなり驚いた様子だが、それでもにこりと笑って頷いてくれた。


 「喜んで。何がお望みですか?」

 「……薬」


 『何故……』という言葉と共にアルの笑顔は一瞬にして凍り付いた。


 「私にもどうしても耐えられない事があるのよ」
 「何があっても決して貴女をガリウスになど渡しません!!」
 「でもね、アル。英雄はピピリアルーナ姫を守り抜けなかったわ」  

 否定できない事実を突き付けられたアルは黙って項垂れた。

 「もしも、もしもよ?私が一人で立ち向かわなければならないのなら、その時の為に持っていたいの。黙って言いなりにはなりたくない。悪あがきでも何でも構わないから抵抗する術が欲しいの。だからお願い。必ず仕留められる薬を……ね、アル」


 アルは言葉を探すように何度が口を開きかけたが、俯いて左右に首を振ると顔を上げた。


 「わかりました」


 そう言って立ち上がったアルは伸ばした両手で私の頬を包み顔を近付けると額に唇を寄せた。そして視線を交わすことなく背を向けてあるき出した。


 「またね、アル。大好きよ」


 ドアを開け、出て行こうとするアルにそう言うと、アルは一瞬だけ振り向いて背中を向けたまま立ち止まった。


 「わたしは……愛していますよ。誰よりも貴女を」


 『……へ?』と思わず漏らした私に向き直ることなくアルは続けた。


 「そうだろうなとは思っていました。絶対に想われている自覚が無いと。とにかく貴女、とんでもなく鈍感ですから」


 アルは足早にドアの向こうへと消えて行った。
 そして私達の心を隔てるかのように重い音を響かせてドアは固く閉じられ、それ以降、アルがここに姿を現すことは二度となかった。


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