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さんどめの春
叶えて欲しい我が侭が
しおりを挟む駆け込んで来た騎士達が興奮して喚き散らしているグラントリーを私から引き離した。そして酸欠でボーッとしている私はどうやら抱き起こされているらしい。
「何をする!手荒なことはしないという約束ではないか!」
……煩い。
耳元で叫ぶんじゃない!どいつもこいつも私の周りは煩い男だらけだ。
「黙れ、その女が生意気なのが悪い!」
負けじと喚くグラントリーも煩いが、それよりもあっさりとキレるなんて、あんたってバカなの?
グラントリーは床に散らばった髪を掻き集め、目を釣り上げて私を睨むと踵を返して出て行った。
あれ、どうするんだろう?
普通は綺麗に束になっている物なのに毛糸玉みたいに丸めちゃってたけれど、一本一本自分で揃えるのかしら?まさかね!
想像したら可笑しくてクフクフと笑いが止まらなくなる。
「何が可笑しいのです。殺されかけたというのに!」
だから煩いのよ、アル!耳元で大声を出さないの!
私は身体を捩ってみた。打ち付けた痛みはあるけれどちゃんと動かせそうだ。運良く厚手のラグの上に飛ばされたので助かった。ただ打たれた頬は火傷のように熱くひりついてジンジンと痛む。誰かじゃないけれど、顔なんて殴られたのは初めてだよ。
まぁいい、兎に角煩いアルをどうにかしよう。
「アルが知っての通り、私とっても負けず嫌いなの」
「だからといって……」
「それよりもね、わかったわ。どうして殴られる時には歯を食いしばるのか」
鬼軍曹が言うあの言葉、何気なく聞いていたけれど咄嗟に思い出せて良かった。唇からは血が流れているけれど、お口の中は無事でした。口内炎になると痛いものね。
「話を逸らさないで下さい。わざと煽ったのですか?」
「一度くらい自分の手を汚してみれば良いのよ。誰かを傷付けたら自分も傷付くって漸くわかったんじゃないの?今頃手がジンジンしているでしょうから」
言い終わると同時にギュッと抱きすくめられた。私の肩に顔を埋めたアルは微かに震えている。あの長身の男に馬乗りになって首を絞められているところを見たんだもの、もしかしたら当事者の私よりも衝撃を受けたのかも知れない。
「アルくん、離して。皆さんがびっくりされていますよ」
「彼等が驚いているのは貴女が襲われていたからです!」
わかった、わかったから耳元で大声を出すんじゃない!
腕を回してアルの背中を撫でながら『ごめんなさい』と囁くとアルは大きな溜息をついて身体を離した……迄は良いのだが、何故か額をコツンと付けて覗き込んできた。
「お転婆も程々にしてください。息が止まるかと思いましたよ」
アルの黒い瞳は初めて私を見上げたあの夜のように潤んでいた。そうか、今でもまだ貴方は傷付けられた私を見てこんなにも心を痛めてくれるのね。
でも貴方は嬉しそうに笑っていたポメラニアンみたいなアルじゃなくなる事を選んだ。私を見つめている瞳はあの夜と変わらないのに、いつか貴方は目的の為に私を殺す。
--それならば私には最後に一つだけ叶えて欲しい我が儘があるの。
私は目を閉じて冷たい両手で胸をギュッと押さえた。鼓動を抑えるように、そして声が震えぬようにと。
「もうしないわ。約束する。だから……アルも私のお願いを聞いて」
そしてゆっくりとアルの耳元に顔を寄せ、静かに囁きかけた。
「貴方達が私を殺すと言うのなら、私はアルの手で殺されたい」
「…………」
アルは息を呑み身体を強張らせた。私の肩に掛けられた両手は小刻みに震えている。けれども……アルはしっかりと頷いてくれた。
「誰にも委ねたりしません。必ずこの手で貴方を」
そう言って私の手を取り指先に口付け、抵抗する間もなく私を抱き上げてカウチまで運び座らせると、クッションを重ねて寄りかかれるように整えてくれた。
そして最後にほんの少しの間だけ切なそうに私を見て部屋を後にした。
アルに続いて騎士達も出て行く。カイルだけが私の側に来て膝を付いた。
「どこがお痛みですか?」
「頬と唇。それから右肘を打ったみたい。でも大した怪我では無いのでご心配いりません。飛ばされたのがラグの上でしたし、私、受け身に関して天賦の才があったらしいです」
ほっぺが痛くて難しいが精一杯の笑顔で答えるとカイルは俯き首を振った。
「若い女性が髪を切られ顔を殴られているのです。そのように気丈に振る舞われなくとも……ともかくラーナを呼びましょう」
そう言って立ち上がったカイルだったが、もうその背後には青ざめた顔のラーナが駆け込んできていた。この先の大騒ぎが手に取るように予想が付いて思わず引き攣った笑いを浮かべると、気の毒そうに私を見ているカイルと目が合った。
カイルはわざとらしく咳ばらいしてラーナに手当を頼んで出て行ってしまう。カイルは気まずいと咳ばらいで誤魔化すのが癖なのか、なんて思っているうちに予想通りのラーナの大騒ぎが始まった。
身体ごと張り飛ばされる強さで叩かれただけあって、頬はしっかり腫れていた。ラーナは泣きながら濡らしたタオルを当て頬を冷やしてくれた。
馬乗りになられてからアル達が来るまで結構時間が掛かったように感じていたが、実際は叩かれた音に慌てて踏み込んだので僅かの間だったそうだ。だから痣が残っていたのは手首だけ。二人揃って握っただけで痣になるなんて、あの兄弟はどんな握力をしているんたか。まぁ首の痣だと生々しいので良しとしよう。
だって命の危険に直結するそんな痣を残していたらラーナはどんなに驚くか。ほっときゃ伸びる髪の毛にもショックをこんなに受けているのに。
「あんなに美しい御髪になんて酷いことを。お可愛そうな姫様」
私の頭を抱え込んでラーナはおいおい泣いている。ラーナさんや、正直言うと貴女のボリューミーなお胸に押し付けられた私のほっぺが悲鳴を上げているのです。空気を読んで我慢はしますけれどね。
それに髪に関しては完璧に冤罪だけど、とてもとても、自分で切ったとは言えないわね……。
腰までは無いけれど背中を覆うほど伸びていた髪は肩下の長さになった。前世だったらこれでもロングヘアーなんだけれど、ラーナの嘆きは止まらない。バラバラになった毛先を切り揃えながらずっと啜り泣いているので、軽くなってさっぱりしたと言ったら『お労しい』と号泣されてしまった。失敗しちゃったわ……。
昨日初めて会った私をこんなにも案じてくれる。ラーナは凄く優しい人。だからラーナにはこれから私がどうなるか知らされていないはずだ。きっと優しいラーナには耐えられないから。
いつか私を殺したアルをラーナはどんな目で見るのだろう?せめて貴女はその優しさで、傷付いたアルの心を包んであげて欲しいという願いを、ラーナはわかってくれるだろうか?
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