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合格発表日
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柔らかな、心地の良い光が、車窓の外から電車内部に注いでいた。
三月に入ったとは言え、まだ寒いこの時期。
ガラス越しに見える外の景色には、マフラーや手袋を身に付けた人たちが目立った。
電車の中は暖房が効いていて暖かい。心地良い揺れと、その暖気のお陰で僕は眠い……訳では無かった。
緊張が、背中に貼りついているかのような感覚。腹の底がジワジワと鈍い痛みに襲われているかのよう。
そう。今日は大学の合格発表日。
僕の努力が報われたのか、そうでないのかが分かる日。
僕は幾つかの電車を乗り継いで、ここ東京の渋谷にまで来ていた。
合格発表は、大学で行われる。電話で問い合わせても結果は教えてもらえるのだが、僕は直接見に行く方を選んだ。
瑠璃葉さんも、そうだったように。
瑠璃葉さんのご両親に挨拶に行く時も緊張したが、正直その倍近く憂えていた。
もしかしたら、駄目なのかも。
いや、しかし上手く解けたとは思う。
悲観的な考えになるのは早すぎる。けれど、最悪の事態をどうしても想定してしまって、心の底が仄暗い気持ちに染まる。
そんなことを思い煩っているうちに、電車が止まった。
渋谷に着いたことを告げると同時に、閉まっていた扉が開かれる。
駄目だったら、その時に考えれば良い。
そう一応は割り切って、僕は下車した。
駅の構内を歩き、改札を通って東口から出てくる。
寒い。やはり、冬はまだ去ってはいないらしい。僕は着ているコートを、締め付けるようにしてしっかりと襟を正して歩き出す。
やはりというべきか、学生らしき人は多かった。
僕はバスに乗り込み、適当な座席に座る。ぼんやりと外を眺めてくつろいでいる風を装っていたが、内心は気が気でなかった。
バスが動き出す。運命の時が、場所が、近づいていく感覚。
絶対に、今年の内に合格する。そして、瑠璃葉さんと生活する。
憂慮こそあるけれど、その想いを胸に、僕は目的地へと運ばれていった。
***
大学に着いた。
料金を支払って、他の受験生たちと共に僕は下車する。
皆の表情を見ると、やはり緊張やら心配といった表情が出ている人が多いように見えた。
平静な顔の人も結構いるが、たぶん憂患を押し殺しているのだと思う。
自分の今後が、下手すれば人生が決まるかもしれないのだ。当然の感情だろう。
ゆっくりと僕は大学へと入っていく。皆も、同じ方向へと歩いていく。
合格しても、そうでないとしても、電話で直接瑠璃葉さんと両親に伝えることになっている。
吉報を届けられるのか、そうでないのか。僕にもまだ、それは分からない。
やがて、大勢の人が集まっているのが見えてきた。
大学中央の広場。巨大なベニヤ板に合格者の番号が記された大きな張り紙が、人々の黒い頭部の上にちらりと見えている。
あそこだ。
僕は歩いて近づいていく。一歩も走ることは無く。
試験が終わった時、「どんな結果でも満足だ」というような達観したことを思っていた。
でも、やはりいざこうしてその運命の日を迎えると、運命の場所を訪れると、心の中に冷たい風が吹く。
瑠璃葉さんも、こんな気持ちだったのかな。
人ごみの周りには、歓喜の声を上げている者や、電話で誰かと通話している者がいる。
僕も喜びたい。勝ちたい。
自分のためだけの問題ではない。瑠璃葉さんのためでもあるんだ。
ここまで支えてくれた、彼女のためにも僕は。
人々の最後列にまで辿り着く。ここからでは、発表の小さな記載の数々は良く見えない。
「ちょっとすみません」と言いながら、前の人らに軽く退いて貰って前の方にまで行く。
ここなら見えるという場所まで来て、僕は張り紙をしっかりと見た。
僕の受験番号は「13752」だ。
この番号を探さなくてはいけない。絶対にあるはずだ。
数字を確認し、その付近の番号をしっかりと確認していく。
無い。これも違う。これもだ。
膨大な合格者の番号。これだけあればどこかに自分の物があるだろうとはふと思ったが、所々数字が飛んでいる場所があり、それの意味するものをよく理解させられる。
あるはずだ。きっと。
見落としが無いように、しっかりと何度も同じところを確認していく。
「っ……!」
自分の受験番号が記された紙と、目に付いたその番号を見比べる。
「13752」
同じ。寸分違わず、全く同じ文字。
それがどういう意味を持っているのか、その実感が水を流すように染み入ってくる。
「やっ……」
思わず叫びたくなった。けれど、必死にその衝動を堪える。
流石にこの中でいきなり声を出したら、恥ずかしいから。
自分の心の内にのみ歓喜の叫びは留めておく。
ひしめく受験者の波から何とか出てくると、僕は深呼吸をしてスマホを取り出す。
両親に先に報告すべきか、瑠璃葉さんにすべきか。
悩んだけれど、僕は瑠璃葉さんに掛けることにした。
ラインから通話を呼び出し、瑠璃葉さんに掛けようとする。
通話開始のボタンを押そうと思ったのだが、少し彼女に悪戯をしたい気持ちが湧いてきた。
「去年の仕返し」と行って見よう。
深呼吸をして、気持ちを整えてから画面をタップする。
何秒かの間を置いてから、彼女の声が聞こえて来た。
「真一さん! 待ってたんですよ! どう……だったんですかっ?」
「……」
「真一さん?」
嫌な沈黙をぶつけてみる。不合格を匂わせる、そんな不穏な間。
「……もしかして、駄目、だったんですか?」
「……まあ、運命って奴ですね」
そんなぁと、悲しそうな声が聞こえて来る。
そろそろ可愛そうになってきたので、ネタばらしをしようと思った時だった。
「あのっ、真一さん。もしも駄目だったら、いえっ合格しても、お話しようと思っていたことがあるんです」
「え、何ですか?」
「バレンタインデーの時、私たち、エッチしましたよね……」
それがどうしたというのだろう。
疑問符が頭の中に湧く中、瑠璃葉さんは言葉を続ける。
「その……どうやら隙間から漏れていたのかもしれませんけど、その……生理が来なくて」
「え……」
「気になって妊娠検査薬を使ったら、ええと……陽性で」
何ですって。
「え、は? ……え?」
「しっかり私の身体、仕留められちゃいました……パパとママに、なっちゃいましたね……」
頭の中が真っ白になる。
ポリネシアン・セックスで、事後も性器を抜かずに挿入したままにしていた。そのせいなのか。
どうするんだ。彼女を孕ませてしまった。
いや、腹を括るしか無い。まずは彼女を安心させなくてはいけない。
「……責任は取ります」
「ありがとうございます。……おめでたかぁ。合格祝いもやらないといけませんねっ!」
「そう……ですね」
……あれ?
何で彼女が合格のことを知っているんだ? 失敗を匂わせておいたのに。
「……真一さん。もう、気づいたんじゃないですか?」
「え、何を。……え?」
まさか。
「妊娠ってのは嘘ですよ。ちゃんとゴムは避妊してくれました」
「え……ええ……」
へなへなと、足元から崩れ落ちる。
その様子を見たどこかの受験生が、「あいつ、落ちたんだな」と言うような視線を送ってきたが、どうでも良かった。
「な、何で合格のことを知ってるんですか」
「真一さんが黙ってた時、『これ、私が去年やったのと同じだ』って思ったんです。からかいに来てるんだな~と思って、からかい返してみました」
瑠璃葉さんには、全てお見通しらしい。
やっぱり、彼女には勝てる気がしない。彼女の母親は「女は経験を積むと無敵になる」と言っていたけど、瑠璃葉さんは僕に対してはもう無敵な気がした。
「真一さん。合格できたんですね。本当におめでとうございます」
先ほどまでのふざけた調子とは正反対の、真面目そうな声音になる。
気を取り直し、僕も瑠璃葉さんにはっきりと返事をした。
「ええ。瑠璃葉さんのご指導と、ご助力のお陰です。……本当に、ありがとうございました」
「一緒に、大学に通いましょうね。先輩として、あなたの恋人として、いっぱいサポートしてあげられたらいいなと思います」
「僕も、瑠璃葉さんを全力で補助します。持ちつ持たれつですね」
「ご両親には合格、もうお知らせしました? したのなら、今日はもう町に帰ってゆっくりと休んだほうがいいです」
「これから両親には電話します。本当に今まで、ありがとうございました。いえ、これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ。……同棲したら、これまで以上にいっぱいエッチしてくださいねっ」
そう言って、あちらから通話を切ってしまった。
合格、か。
瑠璃葉さんも、自分のことのように喜んでくれた。
そのことがたまらなく嬉しくて、からかってしまった自分を恥じる。
まあ、全て見抜かれていて、強烈なカウンターを喰らってしまったが。
でもいつか、本当に瑠璃葉さんが身篭る日が来るかも知れない。
僕も彼女も、しっかりと責任を取れる時が来れば。
そう思いつつ、僕は自宅へと連絡した。
三月に入ったとは言え、まだ寒いこの時期。
ガラス越しに見える外の景色には、マフラーや手袋を身に付けた人たちが目立った。
電車の中は暖房が効いていて暖かい。心地良い揺れと、その暖気のお陰で僕は眠い……訳では無かった。
緊張が、背中に貼りついているかのような感覚。腹の底がジワジワと鈍い痛みに襲われているかのよう。
そう。今日は大学の合格発表日。
僕の努力が報われたのか、そうでないのかが分かる日。
僕は幾つかの電車を乗り継いで、ここ東京の渋谷にまで来ていた。
合格発表は、大学で行われる。電話で問い合わせても結果は教えてもらえるのだが、僕は直接見に行く方を選んだ。
瑠璃葉さんも、そうだったように。
瑠璃葉さんのご両親に挨拶に行く時も緊張したが、正直その倍近く憂えていた。
もしかしたら、駄目なのかも。
いや、しかし上手く解けたとは思う。
悲観的な考えになるのは早すぎる。けれど、最悪の事態をどうしても想定してしまって、心の底が仄暗い気持ちに染まる。
そんなことを思い煩っているうちに、電車が止まった。
渋谷に着いたことを告げると同時に、閉まっていた扉が開かれる。
駄目だったら、その時に考えれば良い。
そう一応は割り切って、僕は下車した。
駅の構内を歩き、改札を通って東口から出てくる。
寒い。やはり、冬はまだ去ってはいないらしい。僕は着ているコートを、締め付けるようにしてしっかりと襟を正して歩き出す。
やはりというべきか、学生らしき人は多かった。
僕はバスに乗り込み、適当な座席に座る。ぼんやりと外を眺めてくつろいでいる風を装っていたが、内心は気が気でなかった。
バスが動き出す。運命の時が、場所が、近づいていく感覚。
絶対に、今年の内に合格する。そして、瑠璃葉さんと生活する。
憂慮こそあるけれど、その想いを胸に、僕は目的地へと運ばれていった。
***
大学に着いた。
料金を支払って、他の受験生たちと共に僕は下車する。
皆の表情を見ると、やはり緊張やら心配といった表情が出ている人が多いように見えた。
平静な顔の人も結構いるが、たぶん憂患を押し殺しているのだと思う。
自分の今後が、下手すれば人生が決まるかもしれないのだ。当然の感情だろう。
ゆっくりと僕は大学へと入っていく。皆も、同じ方向へと歩いていく。
合格しても、そうでないとしても、電話で直接瑠璃葉さんと両親に伝えることになっている。
吉報を届けられるのか、そうでないのか。僕にもまだ、それは分からない。
やがて、大勢の人が集まっているのが見えてきた。
大学中央の広場。巨大なベニヤ板に合格者の番号が記された大きな張り紙が、人々の黒い頭部の上にちらりと見えている。
あそこだ。
僕は歩いて近づいていく。一歩も走ることは無く。
試験が終わった時、「どんな結果でも満足だ」というような達観したことを思っていた。
でも、やはりいざこうしてその運命の日を迎えると、運命の場所を訪れると、心の中に冷たい風が吹く。
瑠璃葉さんも、こんな気持ちだったのかな。
人ごみの周りには、歓喜の声を上げている者や、電話で誰かと通話している者がいる。
僕も喜びたい。勝ちたい。
自分のためだけの問題ではない。瑠璃葉さんのためでもあるんだ。
ここまで支えてくれた、彼女のためにも僕は。
人々の最後列にまで辿り着く。ここからでは、発表の小さな記載の数々は良く見えない。
「ちょっとすみません」と言いながら、前の人らに軽く退いて貰って前の方にまで行く。
ここなら見えるという場所まで来て、僕は張り紙をしっかりと見た。
僕の受験番号は「13752」だ。
この番号を探さなくてはいけない。絶対にあるはずだ。
数字を確認し、その付近の番号をしっかりと確認していく。
無い。これも違う。これもだ。
膨大な合格者の番号。これだけあればどこかに自分の物があるだろうとはふと思ったが、所々数字が飛んでいる場所があり、それの意味するものをよく理解させられる。
あるはずだ。きっと。
見落としが無いように、しっかりと何度も同じところを確認していく。
「っ……!」
自分の受験番号が記された紙と、目に付いたその番号を見比べる。
「13752」
同じ。寸分違わず、全く同じ文字。
それがどういう意味を持っているのか、その実感が水を流すように染み入ってくる。
「やっ……」
思わず叫びたくなった。けれど、必死にその衝動を堪える。
流石にこの中でいきなり声を出したら、恥ずかしいから。
自分の心の内にのみ歓喜の叫びは留めておく。
ひしめく受験者の波から何とか出てくると、僕は深呼吸をしてスマホを取り出す。
両親に先に報告すべきか、瑠璃葉さんにすべきか。
悩んだけれど、僕は瑠璃葉さんに掛けることにした。
ラインから通話を呼び出し、瑠璃葉さんに掛けようとする。
通話開始のボタンを押そうと思ったのだが、少し彼女に悪戯をしたい気持ちが湧いてきた。
「去年の仕返し」と行って見よう。
深呼吸をして、気持ちを整えてから画面をタップする。
何秒かの間を置いてから、彼女の声が聞こえて来た。
「真一さん! 待ってたんですよ! どう……だったんですかっ?」
「……」
「真一さん?」
嫌な沈黙をぶつけてみる。不合格を匂わせる、そんな不穏な間。
「……もしかして、駄目、だったんですか?」
「……まあ、運命って奴ですね」
そんなぁと、悲しそうな声が聞こえて来る。
そろそろ可愛そうになってきたので、ネタばらしをしようと思った時だった。
「あのっ、真一さん。もしも駄目だったら、いえっ合格しても、お話しようと思っていたことがあるんです」
「え、何ですか?」
「バレンタインデーの時、私たち、エッチしましたよね……」
それがどうしたというのだろう。
疑問符が頭の中に湧く中、瑠璃葉さんは言葉を続ける。
「その……どうやら隙間から漏れていたのかもしれませんけど、その……生理が来なくて」
「え……」
「気になって妊娠検査薬を使ったら、ええと……陽性で」
何ですって。
「え、は? ……え?」
「しっかり私の身体、仕留められちゃいました……パパとママに、なっちゃいましたね……」
頭の中が真っ白になる。
ポリネシアン・セックスで、事後も性器を抜かずに挿入したままにしていた。そのせいなのか。
どうするんだ。彼女を孕ませてしまった。
いや、腹を括るしか無い。まずは彼女を安心させなくてはいけない。
「……責任は取ります」
「ありがとうございます。……おめでたかぁ。合格祝いもやらないといけませんねっ!」
「そう……ですね」
……あれ?
何で彼女が合格のことを知っているんだ? 失敗を匂わせておいたのに。
「……真一さん。もう、気づいたんじゃないですか?」
「え、何を。……え?」
まさか。
「妊娠ってのは嘘ですよ。ちゃんとゴムは避妊してくれました」
「え……ええ……」
へなへなと、足元から崩れ落ちる。
その様子を見たどこかの受験生が、「あいつ、落ちたんだな」と言うような視線を送ってきたが、どうでも良かった。
「な、何で合格のことを知ってるんですか」
「真一さんが黙ってた時、『これ、私が去年やったのと同じだ』って思ったんです。からかいに来てるんだな~と思って、からかい返してみました」
瑠璃葉さんには、全てお見通しらしい。
やっぱり、彼女には勝てる気がしない。彼女の母親は「女は経験を積むと無敵になる」と言っていたけど、瑠璃葉さんは僕に対してはもう無敵な気がした。
「真一さん。合格できたんですね。本当におめでとうございます」
先ほどまでのふざけた調子とは正反対の、真面目そうな声音になる。
気を取り直し、僕も瑠璃葉さんにはっきりと返事をした。
「ええ。瑠璃葉さんのご指導と、ご助力のお陰です。……本当に、ありがとうございました」
「一緒に、大学に通いましょうね。先輩として、あなたの恋人として、いっぱいサポートしてあげられたらいいなと思います」
「僕も、瑠璃葉さんを全力で補助します。持ちつ持たれつですね」
「ご両親には合格、もうお知らせしました? したのなら、今日はもう町に帰ってゆっくりと休んだほうがいいです」
「これから両親には電話します。本当に今まで、ありがとうございました。いえ、これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ。……同棲したら、これまで以上にいっぱいエッチしてくださいねっ」
そう言って、あちらから通話を切ってしまった。
合格、か。
瑠璃葉さんも、自分のことのように喜んでくれた。
そのことがたまらなく嬉しくて、からかってしまった自分を恥じる。
まあ、全て見抜かれていて、強烈なカウンターを喰らってしまったが。
でもいつか、本当に瑠璃葉さんが身篭る日が来るかも知れない。
僕も彼女も、しっかりと責任を取れる時が来れば。
そう思いつつ、僕は自宅へと連絡した。
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