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二次試験初日
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年が開けた。
冬休みももう終わり、先日センター試験が終わったところだった。
残すところは、二月に行われる二次試験。
センター試験は自己採点したところ、とりあえずは基準点を上回りそうだった。
けど、浮かれている場合などではない。
二次試験に備え、僕はひたすら勉強をしていた。
一月三十日。日曜日。朝から机に向き合って、最後の全力を出すための準備をしている。
試験までは残り二週間程度。
取り寄せた過去問を必死に研究し、どんな問題が出るのかの傾向を改めて確認している。
過去十年分の問題。中々膨大な量だが、時間をかけてでも調べる価値はある。
解いて、答えあわせをして、どうしてそうなるのかをじっくり考える。
問題は解けることは解けた。でも、本番でそれが通用するかはわからない。
緊張のあまり、実力を上手く発揮できないかもしれない。問題を前にした瞬間、頭が真っ白になって固まって、何もできなくなるかもしれない。
判断系統に割り込んでくる、「緊張」という敵。それを抑制するため、リカバリーを効くようにするため、幾度もこうして問題と向き合っている。
瑠璃葉さんは、どんな風にこの焦心と戦っていたのだろう。
慣れ? リラックス? 彼女に訊けば、分かるだろうか。
忙しいかもしれないが、何か参考になるかもしれないと、ラインを起動して通話を掛ける。
数秒ほど着信音がなった後、彼女の声が聞こえて来た。
「もしもし! 真一さんですね!」
「お忙しいなかすみません。ちょっとお訊きしたいことがあるんですが、今大丈夫ですか?」
朗らかな声が返ってくる。僕の声を聞けて、嬉しいと言うように。
「今大丈夫ですよ! 何でも訊いてください!」
問題なさそうだということを確認すると、僕は少し深く息を吸う。
恥ずかしがるような質問ではない。単なる助言を求めるだけだ。
「瑠璃葉さんが受験の時、挫折しそうだったり落ち着かない気持ちをどうやって静めていましたか?」
「うーん、そうだなぁ」と少し悩むような声がスマホの向こうから聞こえて来る。
暫しの間の後、考えが纏まったようで、彼女が口を開いた。
「まず第一に、自分を信じること。今までの努力はしっかり反映されるはずです。自分のこれまでの苦難や艱難を耐えてきた成果が、きっと実を結んでくれる。そう、自分に言い聞かせるんです」
「自分を、信じる。ですか」
「そうです。『自分にならできて当然だ』……そう考えてみてください。ハッタリでもいいから、自分にそう暗示すること。私も今までの努力を振りかえって、準備に準備を重ねたんだから問題ないと言い聞かせました」
自分を信じる……か。
単純だけど、案外効くものなのかもしれない。
「もう一つ。支えになってくれた、大切な人のことを考えること。親でも先生でも、真一さんをサポートしてくれた人はいっぱいいますよね。あなただけの力ではない。他の人の力も信じて、最後の試験に臨んでください。ごめんなさい。プレッシャーを感じさせてしまったかもしれない。説教臭いかもしれない。でも、真一さんと支えてくれた人の力があれば、きっと合格を勝ち取れます」
「瑠璃葉さんも、支えになってくれた人のことを考えていたんですか?」
興味があって、訊いてみる。
やっぱり、親なのかな。
「そうです。私も考えていました。親、恩師の先生。学校の友達。……でも、一番強く想っていたのは、誰のことだと思います?」
もしかして。
「そう、荻野真一さん。あなたです。真一さんがいたから、私は合格して今大学生活を謳歌しているんだと思います。セックスでストレスを発散するのも効いたのかもしれませんけど、あなたのひた向きな態度が、私を考えてくれるあなたの想いが、私を導いてくれた」
「……」
「真一さん。私はあなたに、『私のことを考えて受験に臨め』とは言いません。あなたには出会って一年と少ししか経っていない女の子よりも、両親とかのもっと繋がりの深い人に対し祈って欲しい。……でも」
瑠璃葉さんは一旦そこで、言葉を切る。
何か、僕に本当に伝えたいことがあるというように。ここから話すことを、強調したいというように。
「……でも、それでも私のことを一番に考えてくれるなら、本音を言うと、素直に私は嬉しいです。私があなたにとって大切な人間になれているというのなら、こんなに嬉しいことは無い」
瑠璃葉さんは、僕のことを考えながら試験を受けた。僕にも、同じように自分のことを考えてほしい。そう思っている。
でも、彼女は今謙遜していた。
恋人ではあるけれど、たまにしか会えなかった人よりも、あなたにはもっと関係の深い人間を胸に刻んで欲しい、と。
確かに、彼女とは物理的にはあまり出会う機会はなかった。
別々の学校だったし、瑠璃葉さんが東京に行った後、さらに出会える頻度は少なくなった。
けど。
けれど、僕は。
口を開き、声帯を働かせる。
彼女に自分の考えを、強く伝えるかのように。
「僕は貴女のことを心に縫い付けて試験に臨みます。瑠璃葉さんがいたから、僕の人生に活気が付いた。瑠璃葉さんがいたから、受験勉強に身が入った。貴女への憧憬の気持ちがあったから。他の誰でもない。第一順位は、貴女しかありえない」
「……」
貴女が導いてくれた。手を引いてくれた。勉強を共にしてくれた。セックスで僕のことを抱擁してくれた。
「瑠璃葉さんは、僕を支えにしながら受験をしてくれた。なら、僕もそうします。いや、貴女がほかの人のことを考えていたとしても、僕はそうしていると思います。瑠璃葉さんが、好きだから」
貴女は僕の友達だ。僕の先輩だ。僕の恋人だ。僕の師だ。そして、未来には僕の伴侶になるかもしれないと約束している人だ。
君しか見えない……というのは言いすぎだが、もしも誰か一人を選べるのだとしたら、牧本瑠璃葉という女性しかありえない。
瑠璃葉さんはしばらくの間、黙っていた。
永遠にも思える沈黙。でも嫌な間ではなくて、僕も彼女も、僕が言った言葉をかみ締めている、反芻しているという時間。
やがて、彼女が口を開く。
軽い吐息と共に、その言葉が紡がれる。
「……ありがとうございます。嬉しいです。真一さんにとっても、私がかけがえの無い存在であるのなら、それを受け入れます。……でも、私に惚けすぎて試験問題が疎かになるなんてことは無いようにしてくださいね?」
クスリと笑い声がした。
僕もそれに釣られて笑う。どこかしんみりとした空気が、少し和らぐ。
「きっと真一さんなら、合格できます。ちゃんと入学できた私が教えたんですから、保障しますよ? 万が一駄目だったら、私を恨んでください。私の実力不足だったということですから」
「いえ。これは僕の戦いですから。瑠璃葉さんを恨んだりしません。……合格して見せますよ。きっと」
「私も、真一さんならできるって確信してます。今までの成果をぶつければ、大丈夫」
彼女の口調は本気だった。柔らかい声音だが、その根の部分には確かな意思が感じ取れる。
力強い、太鼓の音のように背筋をピンと伸ばされる。そんな声。
「そろそろ勉強に戻ります。……瑠璃葉さん。ありがとう」
「応援してますからね? きっと、私のところに来てください。本当の後輩になってください。待ってますから」
通話が終わった。
名残惜しいものを感じつつ、僕は学習に戻る。
彼女の想いを、僕に付き添ってくれた彼女の時間を無駄にしないためにも、僕は最後の仕上げに取り掛かる。
傾向を真剣に見極める。
問題の製作者が、どんな傾向で出題してくるのかを推理する。
その内、ある法則があることに僕は気が付いた。
過去十年の問題。
幾度か同じ問題や、殆ど内容や答えの差異が無い問題が出題されていることに気がついた。
四年周期で、全体で見れば数問ではあるが、ほぼ同じといって差し支えの無い内容が出題されている。
もう一つ。世界史の範囲は、五年周期で「ギリシャ・ヘレニズム世界の展開」を主題として問題が作られているということだ。
……少しだけ、合格への門がその僅かな隙間を開いてくれたように思えた。
行ける。
根拠は無いけど、そんな気持ちが僕の心に湧いてきた。
***
試験当日。
東京まで電車を乗り継いで、大学へと向かう。
受付を済ませ、試験会場の指定された座席に腰掛けると、必要なものだけを机の上に並べた。
スマホは電源を切って、鞄の中にしっかりと仕舞う。
周囲を見渡してみるが、見知った人間は誰も居なかった。皆、知らない人ばかり。
ここの人たちの誰かが僕の同級生になるのか、それとも二度と会うことは無いのか、それは分からない。
皆、僕と同じように今日まで闘いぬいてきたはずだ。全員に合格して欲しい。僕も含めて。
でも、それは起こらない。
受験は、戦争だから。蹴落とす……という言い方は適切ではないかもしれないけど、誰かが合格圏内に入れば、その分だけ溢れる人がいる。
僕は、勝つ。
不安だけど。足が震えそうになるけれど。
でも、彼女を頭に思い描くと、勇気が湧いてくる。
いっそ泣きそうになるほど冷たい風の中を僕は歩かされているけれど、瑠璃葉さんが勇気付けてくれているような気がした。
その内試験官が教室に入ってきて、入試に臨む前の注意事項を述べる。
それを聴いた後、用紙が配られた。試験時間になったら開くこと……というような文章が、表紙に印字されている。
既に、戦いは始まっている。
その時を、会場にいる全員が固唾を飲んで待っている。
そして、時間になった。
「それでは、問題を開いて開始してください」
「火蓋が切って落とされた。」→ 「火蓋が切られた。」または「幕が切って落とされた」のどちらか。
僕たち全員は言われた通りにする。
筆記具を持って、問題を読み始める。
きっと、大丈夫。瑠璃葉さんが、僕には付いているから。
午後五時。
一日目の日程が全て終了した。
正直、疲れている。予約していたホテルに向かおう。
手ごたえはぼちぼちと言ったところだった。
自信が無くてある程度勘で解いたものはあるが、後半の得点配分が高めの問題は何とかなったと思う。
今日は休んで、明日に備えるとしよう。
ホテルの近隣で止まってくれるバスに乗り込み、手ごろな座席に座る。
スマホの電源を付け、ラインを起動する。緑色の画面が表示された後、僕は瑠璃葉さんとのトークを開いた。
「一日目、終わりました」
十秒ほどで既読が付く。
終わるのを待っていてくれる彼女の姿を想像し、僕は少し嬉しくなった。
「お疲れ様です! どうでしたか?」
「それなりにできた……と言ったところです。これで合格できるのかは分からないですけど……」
「自分を信じてくださいよ。真一さんなら、きっと大丈夫。私も信じていますから」
「そうですね。明日も頑張ります」
試験は二日間行われる。
明日が最終日だ。
「今の内に真一さんに訊いておきますね。明日の試験が終わったら、私の家に来られます?」
「ええ。帰るのは次の日にして、東京観光でもしようかなと考えてましたけど、行けますよ」
瑠璃葉さんの家に遊びに行くのは何となく頭では考えていたけれど、今の時期から卒論の準備をしているらしく、忙しいかなと思って声を掛けられなかった。
多忙そうなのに大丈夫なのかなと思ったが、会いたい気持ちはあるし、ここは彼女の好意を受け入れるべきだろう。
「今まで頑張ったご褒美、あげようかなと思います。合格発表はまだだけど、その前祝ということで」
「エッチ……ですか?」
「ご名答。でもいつもやってることだから、お祝いにはならないかな」
「いや、嬉しいです。楽しみが増えました」
「ならよかったです。ごめんなさい。自分の体を使うことしか思いつかなくて」
「いいんです。男にとっては、最上級のご褒美ですから」
そろそろバスが目的地に着く頃だ。
「あっ、そういえば真一さん。エッチ以外にも、いいもの用意してるんです。楽しみにしててくださいね」
「いいもの、ですか。まあ、楽しみにしておきます」
そんな返事をしている内に、バスが止まる。
僕はスマホを仕舞い、バスから降りた。
「やっぱり冷えるな……」
二月の冬の東京は寒い。日本なら殆どの場所が寒い気がするが、夕刻でビル街が影になり、そのせいで体感温度がより冷えて感じる。
僕は首に巻いたマフラーをより深く巻きながら、ホテルの方向へと歩き始めた。
明日、瑠璃葉さんとまた会える。試験が終わった僕をどう迎えてくれるのかなと思いつつ、アスファルト
冬休みももう終わり、先日センター試験が終わったところだった。
残すところは、二月に行われる二次試験。
センター試験は自己採点したところ、とりあえずは基準点を上回りそうだった。
けど、浮かれている場合などではない。
二次試験に備え、僕はひたすら勉強をしていた。
一月三十日。日曜日。朝から机に向き合って、最後の全力を出すための準備をしている。
試験までは残り二週間程度。
取り寄せた過去問を必死に研究し、どんな問題が出るのかの傾向を改めて確認している。
過去十年分の問題。中々膨大な量だが、時間をかけてでも調べる価値はある。
解いて、答えあわせをして、どうしてそうなるのかをじっくり考える。
問題は解けることは解けた。でも、本番でそれが通用するかはわからない。
緊張のあまり、実力を上手く発揮できないかもしれない。問題を前にした瞬間、頭が真っ白になって固まって、何もできなくなるかもしれない。
判断系統に割り込んでくる、「緊張」という敵。それを抑制するため、リカバリーを効くようにするため、幾度もこうして問題と向き合っている。
瑠璃葉さんは、どんな風にこの焦心と戦っていたのだろう。
慣れ? リラックス? 彼女に訊けば、分かるだろうか。
忙しいかもしれないが、何か参考になるかもしれないと、ラインを起動して通話を掛ける。
数秒ほど着信音がなった後、彼女の声が聞こえて来た。
「もしもし! 真一さんですね!」
「お忙しいなかすみません。ちょっとお訊きしたいことがあるんですが、今大丈夫ですか?」
朗らかな声が返ってくる。僕の声を聞けて、嬉しいと言うように。
「今大丈夫ですよ! 何でも訊いてください!」
問題なさそうだということを確認すると、僕は少し深く息を吸う。
恥ずかしがるような質問ではない。単なる助言を求めるだけだ。
「瑠璃葉さんが受験の時、挫折しそうだったり落ち着かない気持ちをどうやって静めていましたか?」
「うーん、そうだなぁ」と少し悩むような声がスマホの向こうから聞こえて来る。
暫しの間の後、考えが纏まったようで、彼女が口を開いた。
「まず第一に、自分を信じること。今までの努力はしっかり反映されるはずです。自分のこれまでの苦難や艱難を耐えてきた成果が、きっと実を結んでくれる。そう、自分に言い聞かせるんです」
「自分を、信じる。ですか」
「そうです。『自分にならできて当然だ』……そう考えてみてください。ハッタリでもいいから、自分にそう暗示すること。私も今までの努力を振りかえって、準備に準備を重ねたんだから問題ないと言い聞かせました」
自分を信じる……か。
単純だけど、案外効くものなのかもしれない。
「もう一つ。支えになってくれた、大切な人のことを考えること。親でも先生でも、真一さんをサポートしてくれた人はいっぱいいますよね。あなただけの力ではない。他の人の力も信じて、最後の試験に臨んでください。ごめんなさい。プレッシャーを感じさせてしまったかもしれない。説教臭いかもしれない。でも、真一さんと支えてくれた人の力があれば、きっと合格を勝ち取れます」
「瑠璃葉さんも、支えになってくれた人のことを考えていたんですか?」
興味があって、訊いてみる。
やっぱり、親なのかな。
「そうです。私も考えていました。親、恩師の先生。学校の友達。……でも、一番強く想っていたのは、誰のことだと思います?」
もしかして。
「そう、荻野真一さん。あなたです。真一さんがいたから、私は合格して今大学生活を謳歌しているんだと思います。セックスでストレスを発散するのも効いたのかもしれませんけど、あなたのひた向きな態度が、私を考えてくれるあなたの想いが、私を導いてくれた」
「……」
「真一さん。私はあなたに、『私のことを考えて受験に臨め』とは言いません。あなたには出会って一年と少ししか経っていない女の子よりも、両親とかのもっと繋がりの深い人に対し祈って欲しい。……でも」
瑠璃葉さんは一旦そこで、言葉を切る。
何か、僕に本当に伝えたいことがあるというように。ここから話すことを、強調したいというように。
「……でも、それでも私のことを一番に考えてくれるなら、本音を言うと、素直に私は嬉しいです。私があなたにとって大切な人間になれているというのなら、こんなに嬉しいことは無い」
瑠璃葉さんは、僕のことを考えながら試験を受けた。僕にも、同じように自分のことを考えてほしい。そう思っている。
でも、彼女は今謙遜していた。
恋人ではあるけれど、たまにしか会えなかった人よりも、あなたにはもっと関係の深い人間を胸に刻んで欲しい、と。
確かに、彼女とは物理的にはあまり出会う機会はなかった。
別々の学校だったし、瑠璃葉さんが東京に行った後、さらに出会える頻度は少なくなった。
けど。
けれど、僕は。
口を開き、声帯を働かせる。
彼女に自分の考えを、強く伝えるかのように。
「僕は貴女のことを心に縫い付けて試験に臨みます。瑠璃葉さんがいたから、僕の人生に活気が付いた。瑠璃葉さんがいたから、受験勉強に身が入った。貴女への憧憬の気持ちがあったから。他の誰でもない。第一順位は、貴女しかありえない」
「……」
貴女が導いてくれた。手を引いてくれた。勉強を共にしてくれた。セックスで僕のことを抱擁してくれた。
「瑠璃葉さんは、僕を支えにしながら受験をしてくれた。なら、僕もそうします。いや、貴女がほかの人のことを考えていたとしても、僕はそうしていると思います。瑠璃葉さんが、好きだから」
貴女は僕の友達だ。僕の先輩だ。僕の恋人だ。僕の師だ。そして、未来には僕の伴侶になるかもしれないと約束している人だ。
君しか見えない……というのは言いすぎだが、もしも誰か一人を選べるのだとしたら、牧本瑠璃葉という女性しかありえない。
瑠璃葉さんはしばらくの間、黙っていた。
永遠にも思える沈黙。でも嫌な間ではなくて、僕も彼女も、僕が言った言葉をかみ締めている、反芻しているという時間。
やがて、彼女が口を開く。
軽い吐息と共に、その言葉が紡がれる。
「……ありがとうございます。嬉しいです。真一さんにとっても、私がかけがえの無い存在であるのなら、それを受け入れます。……でも、私に惚けすぎて試験問題が疎かになるなんてことは無いようにしてくださいね?」
クスリと笑い声がした。
僕もそれに釣られて笑う。どこかしんみりとした空気が、少し和らぐ。
「きっと真一さんなら、合格できます。ちゃんと入学できた私が教えたんですから、保障しますよ? 万が一駄目だったら、私を恨んでください。私の実力不足だったということですから」
「いえ。これは僕の戦いですから。瑠璃葉さんを恨んだりしません。……合格して見せますよ。きっと」
「私も、真一さんならできるって確信してます。今までの成果をぶつければ、大丈夫」
彼女の口調は本気だった。柔らかい声音だが、その根の部分には確かな意思が感じ取れる。
力強い、太鼓の音のように背筋をピンと伸ばされる。そんな声。
「そろそろ勉強に戻ります。……瑠璃葉さん。ありがとう」
「応援してますからね? きっと、私のところに来てください。本当の後輩になってください。待ってますから」
通話が終わった。
名残惜しいものを感じつつ、僕は学習に戻る。
彼女の想いを、僕に付き添ってくれた彼女の時間を無駄にしないためにも、僕は最後の仕上げに取り掛かる。
傾向を真剣に見極める。
問題の製作者が、どんな傾向で出題してくるのかを推理する。
その内、ある法則があることに僕は気が付いた。
過去十年の問題。
幾度か同じ問題や、殆ど内容や答えの差異が無い問題が出題されていることに気がついた。
四年周期で、全体で見れば数問ではあるが、ほぼ同じといって差し支えの無い内容が出題されている。
もう一つ。世界史の範囲は、五年周期で「ギリシャ・ヘレニズム世界の展開」を主題として問題が作られているということだ。
……少しだけ、合格への門がその僅かな隙間を開いてくれたように思えた。
行ける。
根拠は無いけど、そんな気持ちが僕の心に湧いてきた。
***
試験当日。
東京まで電車を乗り継いで、大学へと向かう。
受付を済ませ、試験会場の指定された座席に腰掛けると、必要なものだけを机の上に並べた。
スマホは電源を切って、鞄の中にしっかりと仕舞う。
周囲を見渡してみるが、見知った人間は誰も居なかった。皆、知らない人ばかり。
ここの人たちの誰かが僕の同級生になるのか、それとも二度と会うことは無いのか、それは分からない。
皆、僕と同じように今日まで闘いぬいてきたはずだ。全員に合格して欲しい。僕も含めて。
でも、それは起こらない。
受験は、戦争だから。蹴落とす……という言い方は適切ではないかもしれないけど、誰かが合格圏内に入れば、その分だけ溢れる人がいる。
僕は、勝つ。
不安だけど。足が震えそうになるけれど。
でも、彼女を頭に思い描くと、勇気が湧いてくる。
いっそ泣きそうになるほど冷たい風の中を僕は歩かされているけれど、瑠璃葉さんが勇気付けてくれているような気がした。
その内試験官が教室に入ってきて、入試に臨む前の注意事項を述べる。
それを聴いた後、用紙が配られた。試験時間になったら開くこと……というような文章が、表紙に印字されている。
既に、戦いは始まっている。
その時を、会場にいる全員が固唾を飲んで待っている。
そして、時間になった。
「それでは、問題を開いて開始してください」
「火蓋が切って落とされた。」→ 「火蓋が切られた。」または「幕が切って落とされた」のどちらか。
僕たち全員は言われた通りにする。
筆記具を持って、問題を読み始める。
きっと、大丈夫。瑠璃葉さんが、僕には付いているから。
午後五時。
一日目の日程が全て終了した。
正直、疲れている。予約していたホテルに向かおう。
手ごたえはぼちぼちと言ったところだった。
自信が無くてある程度勘で解いたものはあるが、後半の得点配分が高めの問題は何とかなったと思う。
今日は休んで、明日に備えるとしよう。
ホテルの近隣で止まってくれるバスに乗り込み、手ごろな座席に座る。
スマホの電源を付け、ラインを起動する。緑色の画面が表示された後、僕は瑠璃葉さんとのトークを開いた。
「一日目、終わりました」
十秒ほどで既読が付く。
終わるのを待っていてくれる彼女の姿を想像し、僕は少し嬉しくなった。
「お疲れ様です! どうでしたか?」
「それなりにできた……と言ったところです。これで合格できるのかは分からないですけど……」
「自分を信じてくださいよ。真一さんなら、きっと大丈夫。私も信じていますから」
「そうですね。明日も頑張ります」
試験は二日間行われる。
明日が最終日だ。
「今の内に真一さんに訊いておきますね。明日の試験が終わったら、私の家に来られます?」
「ええ。帰るのは次の日にして、東京観光でもしようかなと考えてましたけど、行けますよ」
瑠璃葉さんの家に遊びに行くのは何となく頭では考えていたけれど、今の時期から卒論の準備をしているらしく、忙しいかなと思って声を掛けられなかった。
多忙そうなのに大丈夫なのかなと思ったが、会いたい気持ちはあるし、ここは彼女の好意を受け入れるべきだろう。
「今まで頑張ったご褒美、あげようかなと思います。合格発表はまだだけど、その前祝ということで」
「エッチ……ですか?」
「ご名答。でもいつもやってることだから、お祝いにはならないかな」
「いや、嬉しいです。楽しみが増えました」
「ならよかったです。ごめんなさい。自分の体を使うことしか思いつかなくて」
「いいんです。男にとっては、最上級のご褒美ですから」
そろそろバスが目的地に着く頃だ。
「あっ、そういえば真一さん。エッチ以外にも、いいもの用意してるんです。楽しみにしててくださいね」
「いいもの、ですか。まあ、楽しみにしておきます」
そんな返事をしている内に、バスが止まる。
僕はスマホを仕舞い、バスから降りた。
「やっぱり冷えるな……」
二月の冬の東京は寒い。日本なら殆どの場所が寒い気がするが、夕刻でビル街が影になり、そのせいで体感温度がより冷えて感じる。
僕は首に巻いたマフラーをより深く巻きながら、ホテルの方向へと歩き始めた。
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