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15,約束
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風呂で身体を清めた僕たちは、ホテルから出て駅から電車に乗る。
時刻は十時に差し掛かるかという時間だった。
一時間程、ホテルにいたことになる。
駅から電車に乗る。電車は思ったよりは空いていた。花火からの帰宅ラッシュの時間帯からずれたからだろう。
電車に揺られる間、僕らは適当な会話をしていたと思う。
花火綺麗だったねとか。カキ氷が美味しかったとか、そういう類の会話。
もうすぐ別れることの話は、一切話題に上がらなかった。
やがて僕らの住む街の駅に付くと、改札を通って駅前まで出てくる。
「ふぅ……着いたね」
白石さんが息を吐きながら言う。
少々疲れ気味の様子だった。花火会場を歩き回ったのもあるけど、やっぱり性行為で体力を使ったからだろう。
僕も疲れていた。早く帰って寝たいところだ。
……ところだったのだけど、僕はそうしないことにした。
「ねえ。白石さん。家の前まで送り届けようか」
「え。何? 急に紳士的になって」
「僕はいつでも優しいけど」
「ゴム無しで挿入してるって嘘でからかってきた人が優しい……?」
「あー……ごめん。根に持つよね」
「一生覚えてるから。そうだなぁ……大学行って君もその時いたら、このことを脅迫材料にして顎で使おうっと。君への仕返し」
「ホント済みませんでした」
「で、どうして私を送り届けてくれるって考えになったの?」
「……大切な女の子に何かあったらいけないから。プールの時、女の子を一人きりにしちゃ駄目だってことを強く学ばされたし」
そう告げると、彼女は満更嫌でもなさそうな顔をする。
「送り狼でもするのかと思った。……なーんてね。君は本気で人を陥れようとか、そういうことはしない人だったね」
「ああ、うん。紳士的に送り届けるつもり」
「ありがと。でも、家の中には入れないからね?」
「しないって」
「じゃ、私をエスコートして。家の場所は覚えてるよね?」
「うん。ちゃんと記憶してる」
「そう。じゃ、行こうか」
***
東京の下町の住宅街を僕らは歩く。
辺りは闇夜に包まれて、街灯や家々の明かりが街路に投げかけられていた。
「手、繋がない?」
そう言ってから僕は白石さんに手を伸ばす。「嫌だ」と返されることも予想していたのだけど、案外彼女は素直に僕の手を握ってくれた。
白石さんの手は小さくて、温かくて、微かに湿っていた。
男性の無骨さとは完全に無縁の、きめ細かくて、しなやかで、透き通っているかのような皮膚。
何となく緊張する。平静さを装っている白石さんも内心は緊張しているようだった。
「自分から提案しておいて難だけど……なんか……こういう純情っぽいのは駄目だ」
「お互いだいぶ汚れちゃったしね。誰かさんのせいで」
「まあ、そうなんだけどね」
「風紀委員を男の欲望に染めちゃった責任、取ってよね?」
「……幸せにするよ」
「未成年の妊娠っていう最大級の風紀の乱れを風紀委員にさせかけておいてよく言う」
「ごめん。ホントに。……あのさ、お互いさ。今よりもっと大人になって、それでその頃でも一緒だったら……」
「そしたら?」
「……結婚したい。それが僕の責任の取り方だ」
「けっ……!?」
暗がりに差し込む明かりの中、白石さんの頬が微かに赤くなったのが分かった。
握った手には汗が滲んで、その湿り気がぴったりと張り付く。
「倉部くんホントそういうとこあると思うよ」
「ああ、うん……いきなりすぎたよね」
「高校生で結婚の約束しちゃうなんてね。将来枕に顔埋めて後悔する奴だ」
「あー……うん。今のは聞かなかったことにして欲しい」
「駄目。忘れないから。……まあ、もしも将来本当に一緒にいたら、してあげてもいいよ」
「え。ホントに?」
「今はまだ高校生の幼い恋の段階だから、完全には約束出来ない。でも、前借しておいてあげる。将来私たちが自立してる頃に親しかったら、その時はよろしくお願いします」
白石さんはかしこまった様子で僕に言った。
「……本当に僕なんかでいいの? 責任取るために結婚したいってのは僕の勝手な言い分だから、白石さんが真面目に捉える必要は無いよ」
「だから『将来一緒だったら』ってことなんでしょ。その時期になっても幻滅とかせずに付き合ってるってことは、本当に相性がよくて特別な存在なんだってことだと思うから。腐れ縁かもしれないけどね」
「……そうだよね。その時が来たら、よろしくお願いします」
「うん。待ってるから。……それにしても、結婚とか言い出した時の倉部くんの顔、面白かったなぁ。見たことないほど真剣だった」
「いや、その……」
「『結婚したい。それが僕の責任の取り方だ』……なーんて恥ずかしい台詞よく言えるね」
白石さんは芝居がかった表情と言い方で僕をからかう。
無性に自分の髪をくしゃくしゃにしたくなった。今思えば、相当恥ずかしいこと言ったよな。
「その部分だけ忘れてください。お願いします」
「さっきも言ったけど、絶対に忘れないから。子供が出来たら言いふらしてやろうっと。楽しみだなぁ」
「子供……って。僕らの?」
「君と私のかもしれないし、別の誰かかもね。『ねえ聞いてよ。昔付き合ってた男の子にこんなこと言われたのよ?』……とか教えるつもり」
「本当に恥ずかしいから止めてくれ……お願いします……」
「私と結ばれれば止められるかもね。まあ、結婚しても結局私を止められなくて直に聞いてダメージ増すかもしれないけど」
「……白石さん……ホント意地悪だね」
「ゴム無しって嘘付いた仕返し。君も相当意地の悪い人なんだから、お互い様」
そんなことを話しているうちに、白石さんの家の前に着く。
「……着いちゃったね」
と、白石さん。先ほどまでの楽しそうな顔とは打って変わって、寂しげな表情を僕に向ける。
「倉部くん。今日はホントに楽しかったよ。送ってくれたのも嬉しかった。ありがとね」
「うん。またいつか」
「そうだね。ま、極端に遠い場所に引き離されるわけじゃないんだし、お互い時間がある時に会おうよ。ラインも削除しないから、そこで会話してもいいし」
「だね。その時は勉強教えて欲しい」
「教えてあげてもいいけど、勉強の習慣付けないと駄目だからね? じゃないと私の志望校に合格するのは厳しいから。倉部くんは頭悪くないんだから、後一年半みっちりやれば行けるはず」
「何とかやってみるよ。白石さんも油断しないで」
「もちろん。私も合格してみせるから。追いついてきてね?」
僕は強く頷いた。物理的にも人間的にも、彼女の傍に立つに相応しい人になりたいから。
「じゃ、お別れかな。倉部くんも、気をつけて帰ってね」
「そうする。……じゃあね」
「うん。またね」
白石さんは僕から手を放し、名残惜しそうに家に入っていった。
掌に、彼女の柔らかい感触が蟠っている。
寂しいな。と僕は思った。
でも、僕の努力次第でまた一緒にいられるのだと思うと、心に勇気が湧いてきた。
***
夏休みが終わり、学校が始まる。
教室に白石さんの姿は無く、あの厳しさを帯びた声音が聞こえて来ることも無くなった。
あの成績優秀の、鋭さを持った風紀委員が転校したことはしばらくの間話題になっていたけど、やがて日常はそれを忘却へと導いていく。僕以外は。
僕は白石さんと連絡を取る理由も、手段も持っていた。
ラインや電話で時々彼女と話し、勉強を教えてもらった。
転校先では白石さんは楽しくやっているらしい。友達も出来たと教えてくれた。
『女の子の友達だから、心配しなくて大丈夫だよ』
『いや、心配してない』
『その声、焦ってるのが伝わってくるよ』
『ホントに焦らなかったって』
『後、ちゃんと生理来たから安心して』
『あー……それは安心した』
気がついたのだけど、白石さんは僕と付き合う前より明るくて、棘が小さくなった気がする。
向こうの学校では、言葉で切りつけるような指導はしていないらしかった。
僕の影響なのだろう。僕と交流している内に、段々丸くなっていったのだと思う。
仮に転校していなくとも、もしかしたらこの学校でも次第に慕われていったのかもしれない。
白石さんとは時間を調整して時々出会った。
都内のカフェとか、ちょっとしたレストランで再会して会話や勉強を楽しむ。
彼女に良い所を見せたいから。彼女と同じ大学へ行きたいから。
そんなやや幼稚な、けれども強い原動力で、僕は学んでいた。
僕の成績は、どんどん上がっていった。
『もう私が教える必要無いんじゃないの?』
白石さんが転校して何ヶ月目かの頃、僕はそう言われた。
僕の成績は、かつての白石さんと同じ程度にまで上がっていた。
時刻は十時に差し掛かるかという時間だった。
一時間程、ホテルにいたことになる。
駅から電車に乗る。電車は思ったよりは空いていた。花火からの帰宅ラッシュの時間帯からずれたからだろう。
電車に揺られる間、僕らは適当な会話をしていたと思う。
花火綺麗だったねとか。カキ氷が美味しかったとか、そういう類の会話。
もうすぐ別れることの話は、一切話題に上がらなかった。
やがて僕らの住む街の駅に付くと、改札を通って駅前まで出てくる。
「ふぅ……着いたね」
白石さんが息を吐きながら言う。
少々疲れ気味の様子だった。花火会場を歩き回ったのもあるけど、やっぱり性行為で体力を使ったからだろう。
僕も疲れていた。早く帰って寝たいところだ。
……ところだったのだけど、僕はそうしないことにした。
「ねえ。白石さん。家の前まで送り届けようか」
「え。何? 急に紳士的になって」
「僕はいつでも優しいけど」
「ゴム無しで挿入してるって嘘でからかってきた人が優しい……?」
「あー……ごめん。根に持つよね」
「一生覚えてるから。そうだなぁ……大学行って君もその時いたら、このことを脅迫材料にして顎で使おうっと。君への仕返し」
「ホント済みませんでした」
「で、どうして私を送り届けてくれるって考えになったの?」
「……大切な女の子に何かあったらいけないから。プールの時、女の子を一人きりにしちゃ駄目だってことを強く学ばされたし」
そう告げると、彼女は満更嫌でもなさそうな顔をする。
「送り狼でもするのかと思った。……なーんてね。君は本気で人を陥れようとか、そういうことはしない人だったね」
「ああ、うん。紳士的に送り届けるつもり」
「ありがと。でも、家の中には入れないからね?」
「しないって」
「じゃ、私をエスコートして。家の場所は覚えてるよね?」
「うん。ちゃんと記憶してる」
「そう。じゃ、行こうか」
***
東京の下町の住宅街を僕らは歩く。
辺りは闇夜に包まれて、街灯や家々の明かりが街路に投げかけられていた。
「手、繋がない?」
そう言ってから僕は白石さんに手を伸ばす。「嫌だ」と返されることも予想していたのだけど、案外彼女は素直に僕の手を握ってくれた。
白石さんの手は小さくて、温かくて、微かに湿っていた。
男性の無骨さとは完全に無縁の、きめ細かくて、しなやかで、透き通っているかのような皮膚。
何となく緊張する。平静さを装っている白石さんも内心は緊張しているようだった。
「自分から提案しておいて難だけど……なんか……こういう純情っぽいのは駄目だ」
「お互いだいぶ汚れちゃったしね。誰かさんのせいで」
「まあ、そうなんだけどね」
「風紀委員を男の欲望に染めちゃった責任、取ってよね?」
「……幸せにするよ」
「未成年の妊娠っていう最大級の風紀の乱れを風紀委員にさせかけておいてよく言う」
「ごめん。ホントに。……あのさ、お互いさ。今よりもっと大人になって、それでその頃でも一緒だったら……」
「そしたら?」
「……結婚したい。それが僕の責任の取り方だ」
「けっ……!?」
暗がりに差し込む明かりの中、白石さんの頬が微かに赤くなったのが分かった。
握った手には汗が滲んで、その湿り気がぴったりと張り付く。
「倉部くんホントそういうとこあると思うよ」
「ああ、うん……いきなりすぎたよね」
「高校生で結婚の約束しちゃうなんてね。将来枕に顔埋めて後悔する奴だ」
「あー……うん。今のは聞かなかったことにして欲しい」
「駄目。忘れないから。……まあ、もしも将来本当に一緒にいたら、してあげてもいいよ」
「え。ホントに?」
「今はまだ高校生の幼い恋の段階だから、完全には約束出来ない。でも、前借しておいてあげる。将来私たちが自立してる頃に親しかったら、その時はよろしくお願いします」
白石さんはかしこまった様子で僕に言った。
「……本当に僕なんかでいいの? 責任取るために結婚したいってのは僕の勝手な言い分だから、白石さんが真面目に捉える必要は無いよ」
「だから『将来一緒だったら』ってことなんでしょ。その時期になっても幻滅とかせずに付き合ってるってことは、本当に相性がよくて特別な存在なんだってことだと思うから。腐れ縁かもしれないけどね」
「……そうだよね。その時が来たら、よろしくお願いします」
「うん。待ってるから。……それにしても、結婚とか言い出した時の倉部くんの顔、面白かったなぁ。見たことないほど真剣だった」
「いや、その……」
「『結婚したい。それが僕の責任の取り方だ』……なーんて恥ずかしい台詞よく言えるね」
白石さんは芝居がかった表情と言い方で僕をからかう。
無性に自分の髪をくしゃくしゃにしたくなった。今思えば、相当恥ずかしいこと言ったよな。
「その部分だけ忘れてください。お願いします」
「さっきも言ったけど、絶対に忘れないから。子供が出来たら言いふらしてやろうっと。楽しみだなぁ」
「子供……って。僕らの?」
「君と私のかもしれないし、別の誰かかもね。『ねえ聞いてよ。昔付き合ってた男の子にこんなこと言われたのよ?』……とか教えるつもり」
「本当に恥ずかしいから止めてくれ……お願いします……」
「私と結ばれれば止められるかもね。まあ、結婚しても結局私を止められなくて直に聞いてダメージ増すかもしれないけど」
「……白石さん……ホント意地悪だね」
「ゴム無しって嘘付いた仕返し。君も相当意地の悪い人なんだから、お互い様」
そんなことを話しているうちに、白石さんの家の前に着く。
「……着いちゃったね」
と、白石さん。先ほどまでの楽しそうな顔とは打って変わって、寂しげな表情を僕に向ける。
「倉部くん。今日はホントに楽しかったよ。送ってくれたのも嬉しかった。ありがとね」
「うん。またいつか」
「そうだね。ま、極端に遠い場所に引き離されるわけじゃないんだし、お互い時間がある時に会おうよ。ラインも削除しないから、そこで会話してもいいし」
「だね。その時は勉強教えて欲しい」
「教えてあげてもいいけど、勉強の習慣付けないと駄目だからね? じゃないと私の志望校に合格するのは厳しいから。倉部くんは頭悪くないんだから、後一年半みっちりやれば行けるはず」
「何とかやってみるよ。白石さんも油断しないで」
「もちろん。私も合格してみせるから。追いついてきてね?」
僕は強く頷いた。物理的にも人間的にも、彼女の傍に立つに相応しい人になりたいから。
「じゃ、お別れかな。倉部くんも、気をつけて帰ってね」
「そうする。……じゃあね」
「うん。またね」
白石さんは僕から手を放し、名残惜しそうに家に入っていった。
掌に、彼女の柔らかい感触が蟠っている。
寂しいな。と僕は思った。
でも、僕の努力次第でまた一緒にいられるのだと思うと、心に勇気が湧いてきた。
***
夏休みが終わり、学校が始まる。
教室に白石さんの姿は無く、あの厳しさを帯びた声音が聞こえて来ることも無くなった。
あの成績優秀の、鋭さを持った風紀委員が転校したことはしばらくの間話題になっていたけど、やがて日常はそれを忘却へと導いていく。僕以外は。
僕は白石さんと連絡を取る理由も、手段も持っていた。
ラインや電話で時々彼女と話し、勉強を教えてもらった。
転校先では白石さんは楽しくやっているらしい。友達も出来たと教えてくれた。
『女の子の友達だから、心配しなくて大丈夫だよ』
『いや、心配してない』
『その声、焦ってるのが伝わってくるよ』
『ホントに焦らなかったって』
『後、ちゃんと生理来たから安心して』
『あー……それは安心した』
気がついたのだけど、白石さんは僕と付き合う前より明るくて、棘が小さくなった気がする。
向こうの学校では、言葉で切りつけるような指導はしていないらしかった。
僕の影響なのだろう。僕と交流している内に、段々丸くなっていったのだと思う。
仮に転校していなくとも、もしかしたらこの学校でも次第に慕われていったのかもしれない。
白石さんとは時間を調整して時々出会った。
都内のカフェとか、ちょっとしたレストランで再会して会話や勉強を楽しむ。
彼女に良い所を見せたいから。彼女と同じ大学へ行きたいから。
そんなやや幼稚な、けれども強い原動力で、僕は学んでいた。
僕の成績は、どんどん上がっていった。
『もう私が教える必要無いんじゃないの?』
白石さんが転校して何ヶ月目かの頃、僕はそう言われた。
僕の成績は、かつての白石さんと同じ程度にまで上がっていた。
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