上 下
55 / 88
水編/水に沈む過去

55.告白、そして

しおりを挟む
 視矢くんたちが事務所に戻って来たのは、私より二時間程後。無傷ながらナイはぐったりした顔で、「疲れた」と言って早々に来さんと入れ替わった。視矢くんの方は傷を負い、シャツの腹部が血で赤黒く汚れていた。

「あの野郎、何がかすり傷だ! テキトーに言いやがって」
「確かに、この前と比べればそうかもしれない」

 来さんの手を借りてソファまで連れて行かれた視矢くんは、腹立たし気にクッションにダイブした。
 ソウさんいわく、かすり傷とのことだったけど、とても軽傷ではなさそうだ。

「待ってて。すぐ手当てを……」
「いや、私がやる。小夜は休んでいてくれ」

 棚の上に手を伸ばす私の頭を越えて、来さんが先に救急箱を取り上げた。

「来にやってもらうよ。そこそこ、キワどい場所だしさ」

 視矢くんはそんな風に茶化し、遠回しに私を拒む。これまで傷を診せてくれた事は一度もなく、ビヤを呼ぶ目的以外で私を血に触れさせたがらない。
 仕方なく私はソファから離れ、服を脱ぐ彼から視線を外した。

「小夜の方こそ、疲れたろ。ありがとな」
「ソウさんに任せっきりで、私は何もしてないよ」

 手当を受けつつ視矢くんが労ってくれる。その言葉が心苦しい。
 破魔の力で鬼門を閉ざしたと言っても、ソウさんの助けがあったからこそ。私一人ではどうにもならなかった。
 今も私は蚊帳の外。邪神に立ち向かうことはおろか、視矢くんの傷の手当をすることさえできない。

「小夜……?」

 救急箱を片付けようとして来さんが立ち上がり、気遣わしげに名を呼ぶ。普段はあまり悲観的に考える方ではないのに、私はすっかり気持ちが落ち込んでいた。
 何でもない、と笑おうとして声が詰まり、代わりにぽたりと涙がこぼれ落ちる。慌てて隠そうとしたものの、間に合わなかった。

「……そういや、牛乳切らしてんだ。来、悪いけど買ってきてくれっか。コンビニでいい」
「分かった」

 唐突な視矢くんの注文にも文句を言わず、来さんはコートを手にして外へ出て行った。事務所のドアが閉まったのを確認し、視矢くんはソファに座り直し手招きする。

「こっち来て、小夜」

 私は目元を拭いおずおずと隣に腰を下ろした。
 上着だけ肩に羽織った視矢くんの上半身は、胸から下腹部にかけて広範囲に包帯が巻かれている。

「……言っておこうと思う。隠さないで話すって、約束したからさ」

 悲し気な、そして優し気な表情で、そう前置きした。良い内容でないことは明らかで、嫌な予感に心臓が大きく脈打つ。

「薄々勘づいてると思うけど、俺は、普通の体じゃない。怪我の治りが極端に早いし……」

 視矢くんはわずかに躊躇い、そこで言葉を切った。

「歳を取らないんだ。三十年前からずっと」
「三十、年」

 覚悟していたはずなのに、頭から冷水を浴びせられたような気がした。私は冷たくなった指先をぎゅっと握って俯いた。

「不老不死なの……?」
「不死じゃねえな。不死身とは違う」

 静かな告白に、また視界が滲みそうになる。彼はなぜ今その秘密を打ち明けたのだろう。
 聞き返す勇気はなく、私は膝の上の自分の両手だけを見つめ続けた。

「俺の血を飲んだ人間がビヤを呼べるのは知ってるだろ。俺と関係が深くなれば、人ではいられなくなる。この意味、分かるか」
「……分からない」

 私が首を横に振ると、視矢くんの小さな吐息が聞こえた。

「つまり、情を交わしたら、バケモノになるってこと」

 告げられて、視矢くんが距離を置く理由がやっと理解できた。普通の人間同士のように、共に生きることは叶わない。気持ちを寄せれば、相手は傷付く。そうならないための配慮なのだと。

「ここにいる限り、今回みたいな危険もある。事務所を辞めるのが、最善だ」

 ひどく穏やかな口調で残酷な提案をする。
 視矢くんが自分の話をしたのは、私が二人のもとを去るきっかけにしようとしたに違いなく、だからこそ返す言葉が見つからなかった。

 私自身、危険は覚悟の上で事務所で働くと決めたのだし、仕事を辞めたいなんて考えていない。
 もちろん、突き付けられた事実はショックだった。ちゃんと受け止められず、混乱してる。でもそれより、視矢くんが私を遠ざけようとしていることが辛い。

「ただ、もし俺が――」

 何かを言い掛け、視矢くんが私の方へ手を伸ばす。ちょうどそのタイミングで玄関のドアが開く音がして、彼の手は行き場を失い宙を彷徨った。

「……えらく早ぇな、来」
「ナイが遠隔移動をした」
「買い物ぐらいで、力使ってんなよ」

 これみよがしに、視矢くんは大きく深い溜息をついた。買い物袋を下げた来さんは、抗議の声に耳を貸さずキッチンへ向かう。
 先程何を言おうとしたのか、聞きたかったけど、もうそういう雰囲気じゃない。キッチンへ向かって視矢くんが「はちみつ入り」と叫ぶと、「分かっている」と抑揚のない声が返された。

 ほどなく甘い香りが漂い、三人分のはちみつ入りのホットミルクがテーブルの上に置かれた。すぐさま手を伸ばす視矢くんに冷めた目を向け、来さんがマグカップを渡してくれる。

「どうぞ」
「あ、ありがとう」

 私はマグカップを両手で持ち、ぎこちなく笑みを作る。どう振舞えばいいか、切り替えがうまくいかなかった。

「大丈夫か、小夜?」
「近い。離れろ」

 至近距離で顔を覗き込む来さんに、すかさず横にいる視矢くんが木刀を突き入れた。もう片方の手に、ホットミルクのマグカップを持ったまま。
 眼前を遮る木刀を手で上に押し退け、来さんは淡々と同居人をたしなめる。

「室内で得物を振り回すのは、感心しない」
「仕方ねえだろ。体動かすと、痛ぇんだよ」
「明日はノルウェーなんだが」
「明日には治ってる」

 二人の会話を聞いて、私は目を瞬かせた。ノルウェーとは、どういうことなのか。
 唖然とする私に、来さんが、明日から数日間TFC本部へ出張に行くと説明してくれた。TFCからの命令らしい。あまりに急すぎて、ただ驚く。やっと今日、漆戸良公園の鬼門の件が一段落したばかりなのに。

「週末には帰国するけど。金曜日の小夜の誕生パーティー、ダメになっちまった。悪ぃ」

 視矢くんが両掌をぱんと合わせ、謝罪の言葉を口にする。
 もっと他に言いたいことも聞きたいこともあるのに、私は、気にしないで、と笑って見せるしかできなかった。

 すべてが目まぐるしく移り変わっていき、感情だけ置いてきぼりにされる。無意識に俯きがちになっていると、膝の上にぽんと新書版サイズの四角い包みが載せられた。包みはリボンが掛けられ、綺麗にラッピングされている。

「誕生日おめでとう、小夜」
「二十歳、おめでとさん」

 びっくりして顔を上げれば、来さんと視矢くんが明るい笑顔で祝ってくれた。

「プレゼントだ、私と視矢からの。前倒しで申し訳ない」

 開けてみるよう促され、丁寧に包装紙をはがす。中身はアンティーク調の写真立てで、私と視矢くんと来さんの三人が写った写真が飾られていた。
 写真は私が事務所に入社したての頃、記念にと皆で撮ったものだ。

「ありがとう……、大切にする」

 なんとかそれだけ声に出して、私は二人からの贈り物をぎゅっと抱き締めた。
 再びこみ上げてくる涙を必死に堪える。嬉しいとの同じくらい寂しかった。祝われているというのに、別れを告げられているのではないかと錯覚してしまう。

 私は泣き顔を誤魔化そうと、マグカップに口を付けまだ温かいホットミルクを流し込む。甘く優しい香りも、いつも程に気持ちを和ませてはくれなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい
ファンタジー
 メソポタミア辺りのオリエント神話がモチーフの、ダークな異能バトルものローファンタジーです。以下あらすじ  超能力を持つ男子高校生、鎮神は独自の信仰を持つ二ツ河島へ連れて来られて自身のの父方が二ツ河島の信仰を統べる一族であったことを知らされる。そして鎮神は、異母姉(兄?)にあたる両性具有の美形、宇津僚真祈に結婚を迫られて島に拘束される。  同時期に、島と関わりがある赤い瞳の青年、赤松深夜美は、二ツ河島の信仰に興味を持ったと言って宇津僚家のハウスキーパーとして住み込みで働き始める。しかし彼も能力を秘めており、暗躍を始める。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クトゥルフ神話TRPG オリジナルシナリオ制作

柳川歩城
ファンタジー
クトゥルフ神話TRPG のオリジナルシナリオを作るところです。人神など他の小説(もちろん自分で作ったもの)にも関わってくるので、小説の投稿具合を見て公開します。 シナリオが公開された場合矢印の先に一週間顔文字を置きます。  →(o´・ω・`o)

龍帝皇女の護衛役

右島 芒
ファンタジー
最年少で『特技武官』になった少年「兵頭勇吾」は学園に通いながらある任務に就いていた。 それは一人の少女を護る事。しかしただの護衛任務ではなかった。

処理中です...