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高橋松園

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蝙蝠

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 コンクリートを作る際に混ぜ合わせる砂袋の山の前を通り過ぎようとした時に、頭上で何かが動く気配がした。

そっと、上を見上げると、向かい側に販売用の梯子が掛けられている壁が見えた。その壁と並行に建物の構造に沿って横に通された鉄筋があった。

その鉄筋には、更に構造上の強度を上げる為、鉄の筋交いがクロスに嵌っていた。そこに、何か、がブラ下って動いているのが見える。

それも、1つではなく、横並びに、いくつかの固体が巨大な蝙蝠のようにブラ下っている。

薄暗い天井を、目を凝らしてじっと見つめていると、それは徐々に姿を現した。それらは、巨大な蝙蝠のように見えたが、人であった。

そこには、頭に黄色いヘルメットを被った人間が、筋交いに足を掛けてブラ下っていた。昼とはいえ、電気の付いていない倉庫の天井は暗くて見え難い。目が暗さになれて来るまで、何が行なわれているのか、はっきりと分からなかったが、よく、よく、目を凝らして、その動きを観察する。

黄色いヘルメットを被った人影は、筋交いに足を掛け、繰り返し同じ動作をしていた。彼らは、天井や壁の修理などをしているのではなく、鉄筋の壁の筋交いに足をかけてブラ下り、後ろに倒れては、起き上がるという動作を繰り返している。

繰り返される動き、起き上がっては、後ろに倒れ、また、起き上がっては、後ろに倒れる。

彼らは何をしているのか、あの動きは・・・腹筋だ。

彼らは、腹筋運動をしているのだ。

こんな所にブラ下がって、彼らは腹筋をしている。彼らから漏れる、低い、唸るような吐息が、静かに倉庫に広がり聞こえて来る。

何という危険なことをしているのか、僕は、驚きで動けなくなり、その動きを凝視して見続けた。

彼らは何故、こんな所で、こんなことをしているのか。理由はどうあれ、店の店員にこのことを伝えないといけない。誰か部外者が危険な遊びを店でしているに違いない。

今すぐにでもこの危険な遊びを止めさせなくては、このことを誰かに伝えなければ、と思った。しかし、この場で、彼らに、声を掛けて、彼らが声に驚き、万が一にも足を滑らせ落ちたら、それは、それで、大変なことになる。やはり、店員に知らせるほうが先だ。

僕は、このことを伝えられるような店員はいるか、辺りを見回した。しかし、誰もそこには居ない。誰一人、店員の姿は無かった。

僕は、店員を探して隣の建物に行ってみようと思った。僕は、急いで、目の前にある自動ドアを通り抜け、資材館の中に入った。

資材館の中は、さっき来た時より、人で賑わっていた。何人か茶色の制服を着た店員が歩く姿を見かけた。

その内の何人かはお客と話をしている。誰か話しをしていない手の開いた店員は居ないか辺りを見渡すが、暇そうにしている店員の姿はない。

僕は来る途中に見かけたプロカウンターにいた店員を思い出す。プロカウンターに行けば誰か居る、と思い歩き出すと、その時、掛け声のような歌声が聞こえてきた。

「しーじゅう、ごじゅうは、はなたれ、こぞう」、「はい」、「しーじゅう、ごじゅうは、はなたれ、こぞう」「あっそー れ」「しーじゅう、ごじゅうは、はなたれ、こぞう」と聞こえ、目の前に広がる木材の板の間から、数人の男たちが、木材の板を運び出す姿が見える。

彼らは数枚重ねられた板の端を各々、肩の上に乗せ四人で持ち、板を乗せた反対側の開いた手で鼻糞をほじくってはかけ声を掛け、かけ声を繰り返し、かけ合いながら手前の通路に板を移動させ積み直す作業をしていた。

それは、僕には異様な光景に思える。四人は、板の端を肩の上に乗せ、一斉に、腰を落とし、スクワットをすると、立ち上がり、「しーじゅう、ごじゅうは、はなたれ、こぞう」と言うかけ声と共に鼻糞をほじくりながら前進する。そうやって少しずつ、一歩、進むとスクワット繰り返し板を運んでいた。

何故、あんな運び方をするのか、フォークリフトで運べば良いものを、わざわざ、四人で、スクワットをしながら、時間をかけて運び出している。彼らの行動は僕には理解できない。彼らは「しーじゅう、ごじゅうは、はなたれ、こぞう」と言うかけ声と共に、歩調を合わせて歩いては鼻糞をほじくり、スクワット四回した。そして、歩いてはスクワットを四回するという動作を繰り返しながら、前方に進む。

何をしているのか、彼らのしている事は謎だらけだった。僕は、彼らの行動が気になったが、それより、先に見た蝙蝠のような危険人物達のことを通報しなければと思った。そして、急ぎ、プロカウンターへ向かった。

山積みにされた養生シートと壁に立てかけられた塩ビパイプの間を通り抜けると、目の前に外に繋がる大きな扉が見え、その左手脇にレジが乗ったカウンターが現れる。プロカウンターだ。

カウンターの中には、大きな白いマスクをした女性が立っていた。女性はやはり、茶色いエプロンにベージュシャツを着ている。ここの店員だ。

僕は「あの、すみません、外の倉庫の壁に人がブラ下がっています。鉄筋に足を掛けて腹筋をしているようなのです、危険なので止めさせた方が良いと思い、お知らせに来ました。」と伝えた。

店員の女性は目を右斜め上に逸らせながら、何か考えているような素振りを見せた。

「それはー」と女性が言いかけた時に、僕の背後から、「あのー お客様― どうかしましたか。」と声を掛けてくる者が居た。

振り返ると、そこには園芸館に居た、フクロウに似た小太りの黒縁眼鏡をかけた鈴木氏だった。

僕は、「先ほどは、どうも」と軽く会釈をし、続けざまに「今、資材館に来る途中、倉庫の壁にブラ下っている人を見つけました。不審者が危険な遊びをしているようなので、お知らせしようと思いまして・・・」と言った。

フクロウに似た小太りの黒縁眼鏡をかけた鈴木氏は「先ほどのお客様でしたか。ここで再びお会いするとは、ご縁があるのですね。」と意味ありげな表情を浮かべ、「倉庫でブラ下っている人・・あぁー あれですか、よく、お気づきになりましたね。しかしながら、あれについては、ほっといて下さい。オッオー」とフクロウのように目を大きく見開き、笑顔で答えた。

「資材館に来ようと思い、歩いていたら、あの下を通り過ぎる時に、壁面で動く変な物体が目に留まりまして・・・よく見たら、黄色いヘルメットをかぶった人間だったのです。これはどういうことか、危険だ、と思ったのです。あんなことをしていて大丈夫なのですか、もし、落っこちでもしたら、危ないじゃないですか、彼らは何をしているのですか。」と、僕は疑問に思い更に訊いた。

「スウィ 彼らは当社のボルダリングチームの連中です。壁に取り付けられた展示品を使ってボルダリングを楽しんでいるのですよ。そして、ついでに、鉄筋に足を掛けて腹筋を鍛えています。彼らの自慢はシックスパットなもので。オッオー」と鈴木氏は平然と言った。

僕は、フクロウに似た小太りの黒縁眼鏡をかけた鈴木氏が何事も無いように答えるのを聞いて不思議に思った。

「貴方は、えっと、鈴木さんですね。鈴木さんは、その光景を変だと思わないのですか、スタッフが勤務中に壁にぶらさがって腹筋を鍛える姿を見て、何とも思わないのでしょうか。注意などしないのですか。」と訊いた。

フクロウに似た黒縁眼鏡の小太りの鈴木氏は不思議そうな顔をして僕を見つめた。鈴木氏は、黒縁眼鏡の右側の縁を少し持ち上げて「先ほども、申し上げましたが、なぜ、私が、彼らのすることに口を挟まなければならないのでしょうか。彼らが落ちて怪我をしようがしまいが彼らの問題です。それに他人事に口を挟むほど野暮な人間じゃないつもりです。ああいった動きも彼らにとって必要だから行っていることでしょうし、彼らが何をしようと彼らの勝手ではないでしょうか。彼らの人生ですからね。オッオー」と返事した。

僕はその言葉に驚いた。そして、「ここは職場で、皆さんは仕事をしているのでは無いですか」と訊くと、鈴木氏は、「ほぉー、お客様、先ほどもお話しさせて頂きましたが、随分と、この店に対して熱心ですね。この店に本当に感心がおありになる。ここで言う仕事とは自分にとって正しいことをすることが仕事であると申し上げましたよね。オッオー ところで、お客様は・・」。

鈴木氏は僕の首に掛けられた数字の番号を見つめると「スウィ 69番様と申し上げたら良いのか・・・出来ましたらお名前をお伺い出来るとありがたいのでございますが、お教えいただけますか。オッオー」と訊く。

「私は安倍と申します。今、時計の電池交換を待っているのです。」と答える。

「スウィ では、安倍様とお呼び致します。安倍様は、最近、当社の株をお買いになりましたね。それから、先ほどは、どこに所属するか、まだ、お決まりでないのに、培養土の積み込み作業で上腕クラブに参加され、ご協力頂きました。よって、特別ではございますが、ここでの正しさとは何かについて、先ほどのお話しに追加で、少しだけご説明させて頂きます。先ほども少し、お話しいたしましたが・・」と、答えると同時に、鈴木氏のポケットが激しく揺れて携帯の呼び出し音が鳴り出した。

鈴木氏はあわてて、胸ポケットから携帯を取り出し、申し訳なさそうに僕をちらりと見てから、電話に出た。「スウィ はい、もしもし、鈴木でございます。はい、えぇえ、その件は・・・わかりました。直ぐにそちらに伺います。オッオー」と言い終わると、携帯を切り、僕に向かって「すみません、急な用事が入りました。どうぞ先ほどの件は、ご心配なさらないで下さい。オッオー」と言った。

僕は何事か急用が入ったのだなと思ったが、また、話しが長くならなくて済むと少し安心して、特に何も言わず、頷いた。

鈴木氏は、僕が頷いたのを確認すると、僕に向かって軽く頭を下げ、後ろに数歩後ずさりし、背後にある塩ビパイプの部材が陳列されている棚とネジが陳列されている棚の間に吸い込まれるように消えて行った。

僕は、どうしてフクロウに似た黒縁眼鏡の小太りの鈴木氏が、自分がこの会社の株を最近購入したことを知っているのか疑問に思った。

丁度、数年前に米国の大統領が代わり、その為に僕の持っている株価が上がった。この会社の株は地元でも優良企業で、PBRの数値が一割を割っている。以前から目を付けていたが、中々、値段との折り合いが付かず購入していなかった。そこに、米国の大統領交代による株価の変動が起こり、米国と繋がりの強いこの会社の株が一時的に下がった。僕はそこに目を付けて、持ち株で上昇した分を売却し、その利益で、下がっていた、ここの株を買った。

しかし、なぜ、今しがた出会ったばかりのフクロウに似た黒縁眼鏡の少し小太りの鈴木氏は、自分がこの会社の株を保有していることを知っているのか、それも、最近、買ったことを・・・個人情報なのに、それが露呈されているとはどういうことか、と不安に思った。

それから、上腕クラブとはなんなのか。鈴木氏が言いかけた言葉も引っかかる。しかし、質問しようにも鈴木氏の姿は、既にそこにはなかった。

株のことは後で、証券会社に連絡して、どういうことか調べてもらおうと、考えながら前を見ると、
カウンター越しに立っている、女性店員が、目に留まる。大きな白いマスクをした女性は前髪とマスクの間から覗く大きな目で、僕を一度じっと見つめると、その後、うつむき加減に目を逸らし、それっきり何の反応もしなくなった。

僕は店側に通報したことで義務は果たしたし、心配しなくて良いと言われたのだから、これ以上、ここに居ても意味は無いと思った。株のこと、と言い、気がかりなことはあるが、その場を後にした。

僕は、プロカウンター沿いにペンキ売り場が見える方向に向かって歩く。レンタル工具の貸し出しカウンターを過ぎると、通路の左右には農業資材や農薬を扱う棚が並んでいた。

ホースの切り売りもしているようで、左手側の通路と棚の間に色々なサイズのホースが撒かれて並べられていた。店員の1人が、そのホースの中から一本を長く引っ張り出し、反対側の広い通路まで引きずっていく姿が見えた。

僕は店員が、遠くまでホースを引っ張って行き、何をするのか気になった。その様子を眺めていると、自分が居る通路に対してタテに区切られた陳列棚の向こうにある大きな通路が目に留まった。

その通路を、奇妙な動きで通過していく集団の姿がいる。彼らは重ねられた木の板を持ち、あの奇妙な掛け声と共にスクワットをしながら歩いている。さっき見かけた四人組だ。

何故、スクワットをしながら歩く。やはり、ここは変だ。まずい所にいるようだ。僕は、早く、ここから出なければいけない、という強い衝動に駆られ急ぎ足で前進した。

すると、今度は、別の店員が右手側の壁に並べられた鳥避けのネットを引っ張りながら、通路を交差して行く姿が見えた。彼らは、荷造り紐が並べられている綱の間を通り抜け、先にある広い通路に向かい歩いて行く。

スクワットをしながら重ねた木の板を運ぶ四人組と、ホースを引きずる人は同じ通路に向かって進んでいる。僕は、ホースとネットの大量の注文が入ったのかなと思いながら、その場を通り過ぎ前進する。

前に進むと、左斜め向かいにペイントカウンターが見えて来た。通路の左側にはペンキが並べられ、右側には様々なサイズの筆やペンキを溶く時に使用する入れ物が並べられている。その脇を通り抜け、向かいにある木のスノコと棚が見えたとき、その前を、白いブラウスに黒いタイトスカートを履いた、白く細長い足をした女性が横切って行く姿が見えた。茶色い制服を身にまとった女性しか見慣れていなかったからか、その女性の装いはとっても新鮮に目に映った。

僕は目で彼女を追った。彼女は直ぐに目の前を通過してしまい、右手を遮る棚の方向に消えて行った。僕は、その女性の行き先に興味を持ち、気が付くと、女性の後を追っていた。

彼女は思ったより足が速く、通り過ぎた通路に僕が辿り着いた時には、既に姿を消していた。ここの店員は歩くのが早い。

僕は彼女の後を追った。消えた先の通路は、かなり幅の広い通路で、真っ直ぐ何の障害物もなく開けている。通路の中央には、所々に、荷物が積まれた籠車が置かれている。その通路の正面、突き当りは、この建物に始めに入った時に見た、家具や椅子を販売している場所に繋がっていた。

僕は、そのまま、前に進んで歩いた。途中、右手側には、工具部品やカー用品が並べられている棚が見えた。その反対の左手側には蛍光灯やライトのコーナーがあり、浴槽や浴室に置く化粧台等の展示コーナーがあった。その先は、様々な大きさと色のシステムキッチンが並べられている。

そして、システムキッチンが並べられている前にリフォームカウンターという看板がブラ下っていた。その下にはカウンターテーブルと椅子があり、通路を挟んで右手側にも同じくカウンターが設置されていた。そこには家電カウンターと書かれた看板が出ていた。

家電カウンターには誰も居なかったが、向かいに設置されているリフォームカウンターには、白いブラウスを着た女性が座っている。その女性は、とても清楚な感じで透明感があった。ハっとするほど色白で、ほのかに赤く染まった頬とその風貌から、伊藤若冲の「白鶴図」の鶴を思わせる女性だった。

女性の顔は、顔の中心に、二つの漢数字「二」を横並びにし、その真ん中にアラビア数字の「1」を置き、更にその下に、漢数字の「二」を貼り付けたような顔の作りをしている。

口紅を塗っていないのか、頬紅以外に彩が無い。ペンで書いたような細い一重の目に、細い眉をしている。彼女は無機質な微笑みを口元に浮かべ、薄い唇を少し動かしながら、小さな声で、そっけなく「いらっしゃいませ」と言う。

僕の視線は、彼女の顔から徐々に下に移行する。テーブルを挟んで下に長く延びる足元が見える。足首はキュッと引き締まり、ボーリングのピンをひっくり返したように均整が取れ美しい。その足は、さっき見た、色白の細長い足である。

僕は、もう一度、視線を彼女の顔に向ける。彼女は、額にはめられた肖像画のように、身動きもせず、同じ姿勢でどこか一点を見ているようだった。

僕が女性に話し掛けようとした時、「おい、69番、聞こえているかぁ おいおい、俺だよ オレ」と背後から、不意に声が聞こえた。後ろを振り返ると、家電カウンターと家電製品が陳列されている棚の間に、1人の男性が立っていた。

誰だろう。

僕は戸惑いながら男性の顔を凝視した。
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