アガダ 齋藤さんのこと

高橋松園

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「中条第二病院 精神科病棟」

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 中条第二病院に着いたのは、午後二時を過ぎた頃だった。岡田と中西は、さっそく、病院の正面入り口にある駐車場に車を止めた。「ようやく、着きましたね。」中西は言った。「ああ。思ったより早かったな。さすがだな、中西」と岡田が言うと「いやぁ。青信号のおかげですよ」と中西は、嬉しそうに笑った。 
 目の前の病院は名前が新しくなったと聞いたが、全体的に古い印象だった。外壁は新しく塗り替えられたのか、綺麗だったが、建物の建築様式は古い昭和を思わせた。道路と平行に広い駐車場があり、その奥に、三階建ての建物があった。建物の中央に正面の入り口がある。敷地内にエル字型に二棟の建物が見えた。右手の建造物は三階建てで、窓には鉄格子と網がされている。ここが、精神科病棟だと岡田は思った。エル字型の内側にあたる部分には、一階の平屋風の建物もあった。岡田と中西は、正面入り口から足早に建物の中に入った。中に入ると、目の前に、会計と受付をする場所があった。齋藤 世末子が、この病院に通院していた頃の関係者は、現在、居ないかもしれないが、当時、働いていた医師の事なら何か聞き出せるかもしれないと岡田は思った。もしかしたら、その医師から、齋藤 世末子にたどり着けるかもしれないと・・・。岡田は受付に居た二十代くらいの女性に声を掛けた。

「すみません。私、こういうものです。」と言い、警察手帳を見せた。中西も続いて見せた。

受付の女性は「はい。」と少し驚いた顔をして「どういったご用件でしょうか」と返事した。

「以前、こちらに通院していた方の事を知りたいのですが、随分前のことで、記録も残っていないかもしれません。それで、当時、働いていた先生と連絡が取りたいのですが、教えていただくことはできますか」と岡田は訊いた。

その女性は、困惑した顔をして「私では判断できかねます。婦長を読んで参りますので、少々お待ちいただけますか」と答え、奥の事務室に行ってしまった。

岡田と中西が、受付の前で、待っていると、奥から六十代間近と思われる、貫禄のある女性が出てきた。

「私たちは、新潟港警察署の岡田とこちらは中西と言います。」と岡田と中西は改めて手帳を出し、その女性に見せた。女性は「どういったご用件でしょうか」と聞いた。岡田は、先の女性にも言ったように「以前、こちらに通院していた患者さんのことでお聞きしたいことがあります。この病院で確認が取れればよいのですが、随分と昔の事なので、もし、確認が取れないようでしたら、当時、この病院で働いていた精神科の先生と直接、会ってお話したいのですが、先生の居場所をお伺いすることはできますか」と再度、聞いた。

「どのくらい、前の記録ですか?」とその婦長さんは訊いた。

「多分、初めに通院したのは五十年くらい前で、その後、十年くらいは通院したのではないかと思うので、四十年くらい前でしょうか・・・」岡田は答えた。

「それは、古い・・・当病院の一般的な症状のカルテの保存は十年です。精神科の場合は二十年くらい保存しますが、先生が転院した場合は、先生について行かれることもあるので、患者さんの記録は残りません。」と答えた。

「そうですか、やはり、そうですよね。では、六十年代から八十年代くらいの間に、この病院で働いていた精神科の先生と連絡を取ることはできますでしょうか」と岡田は聞いた。

「はい。それは、可能ですよ。何かがあった時に連絡ができるように記録は残すことになっていますので、少し、お待ち頂けますか。」と婦長。

「はい。お手数をおかけしますが、お願いします。」と岡田は言い、中西と二人で病院の待合室の椅子に腰かけた。病院と言えば、活気があるものだが、午後ということもあり、また、この病院は、精神科が主な科の病院だからか、受付左側の歯科の前の椅子に数名が座っているだけで、人影も少なく、静まり返っていた。

しばらくして、婦長がファイルを手に持ち、戻って来た。そして「お待たせしました。」と言い、婦長はファイルをペラペラっとめくりながら「九十年代に入る前までの先生は6人いらしゃいました。」と言い「精神科という特殊な信頼関係が必要な科ですと、お医者様の出入りはそんなに多くは無いのです。」と言った。

岡田は「現在の連絡先を教えていただくことはできますか」と改めて聞いた。

「はい。お教えすることはできますが、決まりがございまして。まずは、私がご本人たちに連絡を取りまして、了承を得られたら、相手からご連絡させて頂くようになりますが宜しいですか」と婦長は言った。

岡田は「すみません。急を要しています。お忙しいとは思いますが、この場で、確認を取って頂くことはできますか」と聞いた。

婦長さんは「今ですか?」と驚いた様子だったが、警察から急を要すると言われれば断るわけにもいかないと思った。「わかりました。では、ちょっと、電話してみますね。でも、五人のうち、三人は亡くなられているので、三人は連絡しなくても良いですか」と婦長は訊いた。

岡田は亡くなった三人の精神科医が何か残している可能性があると直感的に思った。
「すみません。亡くなった方の連絡先も教えてください。もしかしたら、ご家族様が何か知りたいことにつながるものを持っているかもしれません。」と言った。

「わかりました。では、確率が高い、生きているお医者様から連絡しますね。」と言い、婦長は受付のカウンターテーブルの所に行くと、電話をかけ始めた。初めに電話した医師は、当時、一番若い医師で、現在は日赤の精神医療センターで働いている、北川 直哉(きたがわ なおや)という人物だった。婦長はその場で、岡田に電話を替わり、岡田は、その日赤の精神医療センターで働いている北川医師と話をした。しかし、北川医師は齋藤 世末子を知らなかった。二人目の医師は、名前を大磯 健司(おおいそ けんじ)と言い、年齢は七十半ばだった。現在、仕事は隠居し、老人ホームに入居していた。元精神科医の大磯 健司さんは、その場で電話口の岡田と直接話をした。大磯 健司さんは、齋藤 世末子のことを診察はしていなかったが、齋藤 世末子のことを知っていた。大磯さんが言うには、研修医として中条病院に勤務していた時に、自分の研修担当をしていた黒井 武雄(くろかわ たけお)先生が、その齋藤 世末子さんの担当で、何度か診察に立ち会ったことがあると言った。しかし、黒井 武雄先生は十年前に他界していた。それを聞いた岡田は、黒井さんに家族は居ないかと大磯 健司に聞いた。大磯は、黒井 武雄さんと行き来する仲だったようで、黒井さんについて色々と知っていた。黒井さんには、息子さんが一人いて、名前は黒井 誠(くろかわ まこと)さんと言った、遅くに子供を産んだので、現在の年齢は40代くらいで、上越大学で心理学の教授をしているはずだと教えてくれた。岡田は、息子が父親である黒井 武雄さんが残した資料を何か手元に置いているかもしれないと思った。岡田は大磯さんにお礼を言うと電話を切った。

「婦長さん、ありがとうございました。探していた方は黒井 武雄先生でした。もう、お亡くなりになっていますが、息子さんがいるようで、これら、息子さんに会いに行きます。色々とお手間を掛けまして、申し訳なかったです。」と岡田は言い、頭を下げた。

「息子さんの連絡先はご存じなのですか?」と婦長は訊いた。

「いや、直接の電話番号は分からないですが、勤務先がわかったので、これからそこに連絡を入れて、直接会います。こちらから、情報を聞いたわけではないので、中条第二病院に迷惑がかかることは無いので安心してください。」と岡田は言った。

「そうですか。他に何もなければ、私はこれで失礼しますが、宜しいですか」と婦長が訊いた。

「はい。ありがとうございました。」と岡田と中西は挨拶をして、病院を後にした。

「中西、上越に行くぞ。これから上越大学に電話して黒井さんの息子が居るか確認するが、とりあえず、上越に向かってくれ。今日、大学にいなかったら、糸魚川に先に行って、ナカタ海洋漁業で裏を取って、糸魚川で一泊泊まり、明日、帰り道に上越大学に寄ろう」と岡田。

「はい。了解です。上越は糸魚川迄の道のりと同一線上にあるので、今日、上越に居なくても、先に糸魚川に行きましょう。」と中西は返事した。

岡田と中西は二人で駐車場に止めていたレクサスに飛び乗ると、上越に向けて車を走らせた。





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