アガダ 齋藤さんのこと

高橋松園

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「精神科医 前田昭雄の昼休み 守平の手記を読む」

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  精神科医の前田昭雄は午前中の問診を四件終え、昼休憩を過ごして居た。少し息抜きがしたいと思い、新潟港警察署の伊藤警部補に手渡された二冊のノートを持ち、売店でパンとカフェラテを買い屋上に上った。前田は、伊藤警部補が病院に来るまでに少しでもこのノートに目を通して置く必要があると思った。

 伊藤警部補が手渡した二冊のノートの内、一冊は、B5サイズくらいの青いノートに書かれていた。内容は明星山みょうじょうやま付近にある小滝村で民宿を代々営んでいる佐藤 守平(さとう やへい)さんが書いたものだと言っていた。守平さんは既に他界しており、このノートは息子の守さんから預かったものだそうだ。息子の守さんは、お父さんの守平さんが亡くなるまで、このノートの存在をしらなかったということだ。このノートには、守平さんの祖父が小滝村に昔から言い伝えられている話を口頭で語った内容と、守平さんの父親から効いたことを綴ったノートという事だ。そして、もう一つ、同じくB5サイズの皮のカバーが付いた手帳は守平さんの民宿に泊まった、新潟大学の地質学者の藤原 太郎氏の手帳だった。この藤原 太郎という学者は、佐藤さんの民宿に宿泊した時に、明星山から滑脱して亡くなっており、この時に忘れて行ったノートだろうということだ。今回の事件とどう関係があるというのだろうか・・・。今回の事件と言っても、何一つ詳しくは分からないが、とにかく事前情報として目を通し始めた。前田は最初に、小滝村の守平さんのノートを開いた。


「1976千九百七十六年十一月十五日
 
祖父の守一(もりいち)が亡くなって、一か月が経つ。この一か月の間、祖父が残した言葉を書きとどめるべきかずっと迷っていたが、やはり書き残すことにする。祖父が話した我が家に伝わる、この村の話は、あまりに不可解で、また、子供じみた物語のようで、ただの妄想話にも思えるが、それが祖父の遺言ならばやはり無碍にすることはできない。上手く書き残す自信がないので、祖父が話したままを覚えている限り書こうと思う。祖父は、この話をする時に、祖父の守一(もりいち)から話を聞いたら、父の守矢(もりや)からも話を聞くようにと言っていた。父の守矢もやはり、父、守矢の祖父からも祖父が他界する前に、これに関係する何かしらの話を聞いているはずだと言っていた。そして、聞いた話は、自分の子供には話さず、時期が来たら、佐藤家の民宿を守っていく孫に自分が話した内容だけを話すようにと言った。つまり、私は祖父の守一から話を聞いた後に、父の守矢から話を聞き、その後、祖父から聞いた話をまだ見ぬ、私の孫に伝える義務があるということらしい。孫に伝える話が、祖父から聞いた話だけなら、わざわざ、父から話を聞く必要もないように思えたが、そのことについては祖父には問わなかった。それから、祖父は、私の息子の守には、守から教えて欲しいと言われない無い限り、決して祖父が話したことを話してはいけないと言った。私は祖父が他界した後、この言いつけを守り、父の守矢からも話を聞いた。その話も、ここに書き留めようと思う。祖父は聞いた話は決して文章にしてはいけないと言っていた。口頭で代々、受け継がれるものらしい。でも、私は覚えていられる自信がない。そして、父もやはりノートに書き写していたようで、決してノートを見せてくれることは無かったが、私に話すときは、所々、ノートを見ながら話した。なので、私もノートに留めておくことにする。

祖父の守一は亡くなる十日前に、まるで自分の死期を分っていたかのように、突然、私を呼び、佐藤家に伝わる、この村のあらましを話し始めた。祖父の守一は、千八百八十一年、この村で生まれた。小滝村は祖父の守一が八歳の頃の千八百八十九年、明治二十二年、新潟県西頚城郡小滝村として発足した。しかし、千九百五十四年、昭和二十九年糸魚川市として消滅した。初め話の内容はごく普通に、現実的な話と違いがない村の話だった。そして、佐藤家に昔から伝わる話になった。以下は、祖父の守一が語った言葉である。

「佐藤家は気が付いたころから、長い年月、ずっとこの地に住んでいる。我々が佐藤という名字をもらったのは、明治維新以降のことだ。その昔、このあたり、一帯を佐藤家が納めていたが、その佐藤家のお世話になっていたものを佐藤一族と言い、そして、佐藤の姓をもらい受けたと聞いている。私がこれから話す話は、その佐藤家に関わりのある者の中で、代々、話されて来た話と我らのご先祖様の夢枕に立った不思議な人物から聞いた話だ。それから、この話は、書き留めてはいけない。私の話を聞いたら、お前の父親の守矢からも話を聞くように。そして、時期が来たら後を継ぐ孫に、私が話したことだけを孫に伝えて欲しい。」と祖父の守一は言った。

 そして、続けて「遠い昔、この地に緑色に輝く大きな星が落ちた。その星は地中深く潜り地上から見えなくなった。それから長い、長い歳月が過ぎた。大昔、我らの祖先にあたる男が山道を歩いていた。山道を歩き、とてもの喉が渇いた男は水がこんこんと流れている場所を見つけた。男が水を飲んでいると、大きな岩の間から得体のしれないものが顔を覗かせた。その者は、大きな体で、緑色の鱗のような皮膚をしていた。男は慌ててそこから逃げ出し、家に帰った。その晩、男は夢を見た。夢の中に昼間見た恐ろしい緑色の鱗のような皮膚を纏った者が現れ『自分を見たことを人に話してはいけないよ。話したらお前の命はないからな』と言われ目が覚めた。それから、三か月、毎晩のように、得体のしれない緑色の鱗を纏ったものが夢に現れ、夜な夜な不思議な話を聞かせた。そして、その緑色の鱗を纏ったものは『私はこの地を守るためにここに来た。この地に眠る緑色の石はこの地の守り神だ。掘り起こし、手放してはいけない。近いうちに、ここを神が通る。起こることを見届けなさい。一目見れば、神の存在はお前にもわかる。お前の死期が近づいたら、私が話したことを跡継ぎで血縁の孫にだけ話なしなさい。家系が続くなら、話を聞いた孫は、孫の父親、つまり、お前の子供からも話を聞きそれを次に繋ぎなさい。しかし、決して文字に残してはいけない。約束を守らなければ、家は途絶える。』と言い残し、それ以降、夢に現れなくなった。男は、恐ろしくてたまらなかったが、今一度、その存在を確かめようと緑色の鱗のような皮膚をしたものに会った湧水が流れる場所に様子を見に行った。すると今度は、羽織物を纏い白塗りの顔に大きな目をした、大きな女がその場所の岩陰から姿を現した。そして、男を見ると、慌てるでもなく、どこかに向かって歩いて行ってしまった。男は後を付けようと思ったが、大きな女の歩く歩幅はとても大きく、また、早く、あっという間に、女の姿を見失ってしまった。男は、白塗りの顔をした大女は、あの緑色の鱗のような皮膚をしていたものに違いないと思った。私は、その緑色の鱗をした大女は、今でいうなら、河童なのではないかと思う。河童の噂は昔からよく聞いていた。川や沼や海に住み、怪力で馬や牛を水中に引きずり込むらしい。猿が苦手で死ぬ時には臭いおならをする。好物は人間で、人間の肛門から尻子玉という内臓を抜いて食べると言われ、恐れられている。背丈は小さく、私の膝丈くらいのものや胸丈くらいしかなく小柄で頭のてっぺんが禿げているか、皿が乗っており体はぬめぬめしている。背中に甲羅を乗せているものもいるらしい。ご先祖様が言い残した話に出て来る得体の知れない緑色の鱗を纏ったものの背丈は大きいが、私は、大河童だったのだと思う。」と祖父の守一は言った。

「それから、しばらくして、男は、海に漁に出た。すると、西の方から大きなワニが海から川を上っている姿を目にした。ワニは背中に、鳥の頭を頭に乗せ額に菊のご紋のような印を付け背中に羽をもったものを乗せていた。男はワニの後を追いかけた。すると、突如、目の前で山が崩落し土砂が川を埋めワニは川を上ることが出来なくなった。しかし、大きなワニは土砂の上をよじ登り再び川を上り始めた。すると、山は再び崩落し川を堰き止めた。川の上流には緑色の鱗を纏った大きな女の一族が住んでいるらしかった。この一族が住んでいる場所には隠し切れないほどの金があり、その場所は暗闇でも光り輝いていた。緑色の鱗の肌の上に白塗りをした大女は背中に不思議なものを乗せた大きなワニに連れ去られた。しばらくして、緑色の鱗のような肌に白塗りをした大女はワニから逃れて戻って来た。追っては必要に、この大女を追いかけた。大女は見つからないように池の中に隠れた。女を追ってきたワニは口から火を噴いた。大女は火で焼かれないように池に深く潜った。それから、二度とこの池から顔を出すことはなかった。この池は深いところで、色々な池や湖に繋がっていると噂されていた。この地域一帯に住む、水神となり各地に現れているとも言われた。ワニが背中に背負っていたものと神社の祭事で舞う鶏冠をかぶった稚児と関係があると私は思う。」と祖父の守一は言った。

 「ある日の夕方、見事な松が生る山に大きな黒い鳥が現れた。その大きな黒い鳥がその山に降り立った。夜になり辺り一面が暗くなると、山の岩肌が青く光り始めた。そして岩肌に青く光る文字が浮かび上がった。大きな黒い鳥は夜の闇にまぎれていたが、確かにそこに居た。そして、光の文字が消えると同時に姿を消した。この光景を目にした日の夜、夢枕に緑色の鱗の皮膚をした大女が再び現れ、この大きな黒い鳥は死者の使いで、この山は境界石であると言った。この山を通して死者の魂をあの世に送っているのだ、とも言った。そして、生者の使いは隼で、結界が張られた東にある守りの地の山にある。山々は連なり宇宙にある北斗七星と繋がり、この地が裂けないように結界を張っている。この山は、手毬のように、この地を糸で結ぶ始まりと終わりの点であり、龍神様の通り道である。私は、この光景をまだ見たことがないが、黒い鳥が降り立った山は明星山の事で隼がいる山は八木ヶ鼻ではないかと思う。自分で地図を広げ北斗七星と照らし合わせて思ったのだが、立山、明星山、春日山、米山、八海山、矢筈岳、弥彦山は北斗七星の星の位置と同じだ。それから、明星山、米山、八木ヶ鼻、白山、大日岳、飯豊山を結ぶ直線は手毬の始まりであり終わりの地で、この直線はどこか、大切な場所に繋がるように思う。日本の山や海には沢山の大蛇が居た。皆に恐れられた大蛇は、四国の剣山の大蛇や尖閣諸島を回遊している尖閣の大蛇、鳥海山の夫婦大蛇がいた。この大女はこれらの大蛇がこの地に流れ込み大暴れしないよう、この地を守っていた。大女はこの地の守り神であった。」と祖父の守一は言った。

前田はノートに目を走らせながら、なるほど、民間信仰か神話のような昔話と河童の話、星の話に守一さんの考えが述べられている、と思った。その後もノートには、ごく、どこにでもありそうな地元を絡めた昔話が延々と書かれていた。じっくり読むのは後にしようと、前田は速読を始めた。そして、守平さんの父親の守矢さんの話まで来て目を止めた。

「父、守矢の話。『これから話す話は、この地に伝わる伝説の姫、奴奈川姫の話である。青海(おうみ)町黒姫山の東麓に福来口(ふくがくち)という大鍾乳洞がある。ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織り洞穴から流れ出る川でその布をさらしていた。それで、この川を布川(ぬのかわ)と言った。布川の場所は諸説あるが確定していない。私は田海川の事だと思っている。話を続けると、この福来口から二里ばかりの所に「船庭の池」がある。これは姫の船遊をされた所だという。又今井村字今村との境に東姥(ひがしうば)が懐(ふところ)「西姥が懐」という地がある。ここは姫の乳母の住んだ所だという。能生谷(のうだに)村大字島道(しまみち)字滝の下に、岩井口(いわいぐち)という水がこんこんと流れ出る所がある。人々は奴奈川姫の産所であるといっている。奴奈川姫は色黒くあまり美しくなかったが、大国主命に選ばれ能登の国へ渡った。しかし、うまくいかず、再び戻って来た。はじめ黒姫山の麓にかくれ住んだが、使いの者が姫を追った。姫は更にのがれて根知谷に行き、山つたいに平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびた。姫は、此稚子ヶ池のほとりの広い茅(かや)原の中に姿を隠した。姫を追っている使いの者は、その茅原に火をつけ、姫を焼け出そうとしたが、姫は再び姿を見せなかった。その為、使いの者は、そこに姫の御霊を祭った。西海村字平牛(ひらうし)の経ヶ峰には、太古には奴奈川姫の一族が住み村の形をしていたと言われている。その峰の頂には神に捧(ささ)げた金幣(きんぺい)が埋められてあり、毎夜光を放っていたので沖の漁師の標(しるし)となったと言われいる。
 
 徳川幕府が天下統一をし平和時代への基礎が整えられていた頃、越前の松平忠直は大阪冬の陣での興奮が冷めない虚脱感が空洞になり心の病を起こし実母に恋心を抱いた。しかし、実母から拒絶され自害された忠直の心には実母の残像が離れず、もののけに取りつかれたように実母に酷似した女性を探し求めた。そんな時、実母の顔に瓜二つの顔をした冷たい気品を漂わせた背の高い女の絵を見つけた。松平忠直はその絵の女を呼び寄せ、一国女と名を与え溺愛した。ある日、忠直と一国女が駕籠をつらね散歩に出ると、駕籠の前を身重の農婦が横切ろうとした。当時、大名行列の前を横切ると斬首になるという恐ろしい掟があった。また、妊婦は不浄の物とされていた。一国女がそれに気づき、深い期待感のある表情をすると冷たく乾いた声で『身重である』と言った。『不浄なその醜い腹を切り裂け』と身重の農婦は二枚の角石の上に押さえつけられ、腹を縦に切り裂かれ、血まみれの胎児が引きずりだされた。一国女はらんらんと目を輝かせ切り裂かれた農婦の股間を見入った。一国女の顔は残忍な喜びの色で染まり艶然たる微笑みを浮かべた。それを見ていた忠直は、この一国女の微笑みが見たいために次々と妊婦の腹を引き裂いた。

 その昔、現在の富山や新潟の山間では、祭りの際に村の娘を人身御供にあげる風習があった。怪物に娘を捧げ生贄にする風習である。ある者は大蛇に飲み込まれ、沼の中に引きずり込まれたり、蛇と共に谷に落ちて姿を消したりした。ある者は山に潜む獣の餌になった。また大蛇を飲み込む大きな魚が住んでいると噂される谷もあった。」

 守矢さんの話は地名や人名が語られていることから、一般的に神話や伝説として語られてることを話しているようだった。龍蛇信仰と山と星との繋がりは良くある話だし、生贄の風習も昔話には出て来るものだ。それに、奴奈川姫の話は糸魚川では有名な話・・・。前田はノートをめくり戻した。
やはり、そうだ。守平さんの語った内容に書かれている具体的な地名は明星山など、山々の地名と、神社の祭礼で舞う鶏冠の稚児の話。でも、それは代々、伝えられてきた地名ということではなく、守一さんが思う名前ということだ。しかし、守平さんと守矢さんの話は同じ話を語っているように思える。特に奴奈川姫の話は、類似性がある。これはどういうことか・・・。昔は、奴奈川姫が河童だったとは話題にはできないことだっただろうから、間接的にそれとわかるように語りつないだということなのか・・・。確かに、一国女の嗜好は河童と類似する。一国女と奴奈川姫との繋がり・・・河童ベースのナラティブ(物語)ってことかな。前田はカフェオレを啜りながら思った。それから、孫には「文字にしてはいけない」と告げているが、守矢さんは、守矢さんの祖父から、そう言われていないのかもしれない。守一さんの父親、つまり、守矢さんの祖父について一切書かれていないから、どういう流れなのかがわからないが、この二人の話は、きっと同じ話で、同じ人物の事を語っていて、話が重なり合うようになっているようにも思う・・・。しかし、なぜ、一つ飛びで話を伝え合うのか・・・二つの話で一つの意味になる。意味が理解できるということか。何か意味があるんだろうけど、本題の話を聞けていない以上、これ以上は深堀は出来ないな。と前田は思った。その時、腕時計のアラームが鳴った。そろそろ、医務室に戻らなければいけない時間だ。午後の診察が待っている。前田はノートの内容が気がかりだったが、二冊のノートを手に持つと屋上を後にした。
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