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第三章 現代編

第59話 ─ ソリチュードスタンディング ─…ある男の独白

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 しかしここは何処なのだろうか。
 だが当時の俺は、まだせいぜい別の国・別の土地に飛ばされたぐらいの感覚でしか無かった。

 木の実を食べた俺は、いくつかを魔物の元へ持っていった。
 この時は、敵とはいえ唯一の見知った存在だから、状況が知りたいからだと言い訳していた。

「食べる物が見つかったよ。ありがとう」

「礼など不要だ。大した事ではない」

 だからだろうか。
 討伐相手だったはずのこの魔物に、当たり前のように礼を尽くした事に、何も疑問を感じなかった。

 俺は持ってきた木の実を剣で幾つかに切り分け、魔物の口元に持っていく。

「食えよ。全然足りないだろうけどな」

「……頂こう。かたじけない」

 切り分けた木の実を魔物の口の中へ放り込む。
 先ほど剣で切り分けた時に、わずかに手に切り傷が出来たのに気付かないまま。

「貴殿、手に傷がついておるではないか。血の味が混じっておったぞ。魔物の相手によっては血の味で凶暴化する者も居る。気をつけられよ」

「本当だ。悪い事したな」

儂の事そちらは気にせずとも良い。……ところで、だ」

 魔物の声色が少し変わった。

「血を舐めて分かったが、貴殿、何か変わった能力ちからを持っているな?」

「はぁ?」

 何を藪から棒に言い出すのか、この魔物は。
 エルフの出来損ないだぞ、俺は。

「何を言い出すかと思えば。変わった能力どころか魔法すら使えない、魔力無しでボンクラの落ちこぼれだぜ、俺は。
 出来損ないの俺を、村の連中は魔物の餌にしたぐらいだからな」

 自虐に顔を歪めて笑うと肩を竦めた。
 だが魔物は真剣な声音を変えずに、俺に続ける。

「ならば村の連中がボンクラなのだ。貴殿は気付いていないようだが、貴殿には力が有る。そう、わしのような存在を使役しうる能力ちからを……な」

 どこからか小鳥が飛んできて、この魔物の身体に止まる。魔物は身動きひとつしない。
 何故だか俺にはその光景が、ひどく神聖な場面であるかのように映った。

「貴殿自身が気付いておらぬなら、先だっての戦いで使わぬのも道理か。何か能力の発現を阻害する因子があったのやも知れぬな」

 少し気まずくなってきた。
 目の前の魔物が、人類ヒトよりも遥かに上位の存在に思えてきたからだ。

「……お前は、一体なんなんだ?」

「さて……何と言われても。遥かな昔にあの地を守れと、上位の大いなる存在に命じられただけの下僕故にな。
 何でも世界滅亡の危機に勇者が現れ、あの遺跡の奥で滅亡を防ぐ力の一端いったんを得る事ができると言われておった」

「おいおい、もしかして俺やミトラがその勇者とか言わないよな? リッシュさん達なら、まぁ分かるけど」

「馬鹿を言うな。勇者が儂の前に現れたのは、もう二百年以上も前のことよ」

「二百年!? 終わったのに二百年もあそこで守り続けていたのか!?」

「大いなる存在からのめいが、解除されなかったからな」

「それがさっきの、あの場所を守れなくなって云々うんぬんってヤツか」

しかり。その大いなる存在も、勇者が世界を救ったらしい時を境に、存在を感じなくなった。だがそれでも、儂はめいには忠実である事が誇りだ。……誇りだった」

 そして再び魔物の声音が変わる。
 目を向けると、魔物の問いかける視線。
 何故だか今度は、親に疑問をぶつける子供のように感じた。

「ところでその……ミトラとかリッシュとやらは、誰だ?」

「ああ、すまん。リッシュさんは俺が一緒に戦っていた人で、俺の恩人さ。他に一緒だった人達も返しきれない恩を受けた。
 俺の、本当の意味での兄貴・姉貴達だ」

 ここで一瞬恥ずかしさでためらった後、付け加える。
 どうせこの魔物しかいないのだ。
 照れたところで仕方ない。

「あと、捻くれて歪みかけていた俺を救ってくれた、大事なひとがいる。俺の嫁……お前さんに分かり易く言えば、つがいだ。フェットチーネって言うんだ。
 俺にとって最高の相手さ」

「ふむ、惚気のろけをそこまで堂々と言えたなら立派なものだ」

「ありがとよ」

 嫌味を感じない、素直な称賛。
 それ故に俺も素直に礼を返せた。

「……もしかして、ミトラとやらは……あの不意打ちで、貴殿達を巻き込み火球を撃ってきた、あの下卑たエルフの男か?」

「そうだ。俺の……血を分けた弟だ。あんな弟でも、俺は兄として振舞わなければならない……」

「弟……? ふむ」

 魔物のその反応に、俺は訝しげに尋ねる。

「なんだ? どうした」

「いや……兄弟の割には、あまり魂が似ておらぬな、と思うてな。時々おるのだ、その身に宿す魂が妙に似つかわしく無い者が」

「弟のミトラは俺とは逆に、生まれながらに莫大な魔力を持っているエルフのエリートだ。そのせいだろう?」

「いや、そういう程度の問題では無い。こう……全くの別人が宿っているような……」

魔物は目を細めた。何かを思い出そうとして。

「そう……そうだ。そういった者達は例外なく異能の力を持って、妙なカリスマを発揮していたな。大抵は異性の仲間を引き連れていた。そうだ、勇者もそのたぐいだったな」

「何だと!?」

 それじゃ、ミトラそのものじゃないか!

「落ち着かれよ。儂の元に来た者のうち、その勇者以外は、貴殿の弟のように下卑た者どもばかりであった」

「……」

「そうか、儂の魔法障壁を当たり前のように通り抜けたのは、そのせいか。今となっては、分かったところでどうしようもないが」

 俺は魔物のその言葉に、たしなめ半分励ます。

「らしくないな。あの地を守護することに誇りがあるんだろ? ここがどこの国か分からんが、何とか戻れば守護役を続けられるんじゃないか?」

「何を言っておる、この地は文字通りの別世界ぞ? 元の世界に戻る手立てなぞ有るわけがなかろう」

「どういう……ことだ?」

「どうもこうも無い、言葉通りだ。この地は時間も空間も、次元すらも遠く離れた見知らぬ世界だということだ。そもそも魔素が無かろう?」

 その魔物の言葉に、俺は足元がぐにゃりと歪んだ気がした。

「……俺は……俺は、魔法が使えない……」

「魔法が使えなかろうと感じる筈だ。身体に入れる空気に、肌に感じる風に、全てに何かが足りないと。何かが違うと」

「嘘だ……」

 だが、心の何処かでは分かっていた。
 しかし愚かな俺は、それから目を背けていた。認めるのが恐ろしかった。
 たった一人でこの世界に放り出された、孤独な存在になってしまったのだと。

 魔物は俺を憐む目で見てきた。

「いずれ分かる事だが、今はまだ受け入れられんか。まあ良い。とりあえずそれは置いておけ。貴殿の目で確かめるが良かろう」

 そう俺に告げて、魔物は目を閉じる。
 しばらく反応が無いので、話す力もいよいよ尽きてきているのかと思った。
 思った時に、再び魔物は口を開く。

「最後に提案がある」

「なんだ」

「先ほど話した貴殿の能力……あれで儂を取り込んでくれぬか。儂が貴殿の最初の下僕になるという事だ」

「いや……そう言われても俺は能力の使い方が分からないんだが……」

「ならば色々と試してみるが良い。失敗しても、儂はどうせこのま死ぬだけだ」

 急転直下、えらい事になってしまった。
 魔物の身体に手を置いて、一気に途方に暮れてしまった。
 悩んでいる俺に、魔物は声を掛ける。

「そういえば、まだ儂の名前を名乗っていなかったな。儂の名は£〇∩⊆〻◎∩≡という」

「何だって!?」

「おおすまぬ、貴殿の世界の言葉では聞き取れぬか」

 そう言って、再び魔物は沈黙。
 しかしすぐに口を開いた。

「そうよな、この地の言葉に訳すならば、ロングモーン。長き唸りロングモーンだ」

 その時、俺の手から脳裏に稲妻が走ったような気がした。
 この感覚……以前にもどこかで味わった気がする。魔物……いや、ロングモーンの言葉通りなら、生まれ持った能力だからか?
 直感的に、主従関係が結ばれた事を理解する。

「おお、どうやらいきなり当たりのようだ。貴殿、察しが良いのか運が良いのか」

 そう俺に言うロングモーンの身体が薄れ始めた。
 話し相手が消える事に、咄嗟とっさに恐怖した俺はロングモーンに叫ぶ。

「おい!?」

「心配は要らぬ。儂が貴殿と契約を結んだので、下僕が居るべき場に行くだけであろう。ふふふ」

 最後にもう一度俺を見つめてロングモーンは語りかける。

「良いか、もう一度言うぞ。貴殿は気付いていなかったようだが、貴殿には力がある。いつか能力の使い方に気付いて、儂に再び会えるのを待っておる」

 そう言って片目を閉じ、俺を見るロングモーン。
 俺はロングモーンが消える前に、必死に叫んだ。

「待て! 下僕だなんて自分で言うな! 仲間だ……下僕じゃない、俺とお前の関係は仲間だ!!」

「仲間、か。良かろう、貴殿がそう望むのならば。ふふふ……今後ともよろしく、な」

 その言葉を俺に語ったのを最後に、姿が消えたロングモーン。
 俺は、ヤツに掛けるべき言葉を見つける事が出来ず、その場にただ立ち尽くす。


 ロングモーンの身体に止まっていた小鳥が、羽ばたいて青空に飛んで行った。
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