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第11章 後日談 もう一つの復活劇

(94)溟渤界

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今回はオスカー視点です

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 メイナードとナイジェルが眠りについて十年。僕の研究はようやく軌道に乗り始めた。

 最初は全て手探りだった。王宮の禁書を全て読み漁り、天使族の拠点「楽園ザイオン」も隅から隅まで調べ上げ。この辺りで何かの取っ掛かりが掴めるんじゃないかと踏んでいたのだが、状況は捗々はかばかしくなかった。結果を焦った僕は、何度も倒れながら古文書の収集と術式の解読に心血を注いだ。しかし結局、僕の研究が進んだのは周囲のお陰だ。

 僕は王太子の座を降り、第二王子オーウェンに交代。彼は竜人族の族長の家系、魔王たる父上の養子であり、また次期マガリッジ伯メルヴィンの監視討伐役だ。現在のところ、真祖の因子は再びメイナードに顕現しているとはいえ、メレディスとメルヴィンにも発現しないとは限らない。僕がいつたおれても、既に次代は彼が引き継ぐ準備が整っている。そして王宮の運営自体は、現リース子爵ことラファエルが取り仕切ってくれている。

 王宮の結界や二人の棺の維持は、母上率いる天使族が当たった。「楽園」のトップが祈りの「核」となり、腹心の司祭が聖龍の世話に追われている現在、天使族たちは自在に楽園を出入りし、多くが母上に臣従している。結果、これまでよりずっと高度な結界維持が可能となって、僕は自由に世界を飛び回ることが出来るようになった。

 行き詰まった僕の研究に突破口をもたらしたのは、父上だ。彼は母上を楽園から連れ出そうと、その手段と力を求めて世界中を旅して回っていた。魔人界を超えて精霊界、人間界、その先までも。彼のコネクションから、僕はエルフや人間、そのほかあらゆる種族が保持する術式研究の手引きを受けた。



 僕の人生は、長らく孤独で厳しいものだった。世の中は支配する側と支配される側に分かれていて、僕は生まれ落ちた瞬間から「罪の証」の烙印と、当代マガリッジを討って死ぬ運命を定められていた。僕はその運命に必死に抗った。支配される側から、支配する側へ。決して弱みを見せず、力を蓄え、王宮を掌握し。父上と共に楽園の隙を狙いつつ、メレディスを庇護するためにあらゆる手を尽くして。

 期せずしてメイナードと出会い、メレディスへの恋が叶わなかった僕は、何が何でも彼を手に入れようとした。隙を突き、餌を与え、庇護下に入るよう画策し、靡かないなら強引に手折る。今なら分かる。僕が彼らへ与えようとしていた愛とは、支配に過ぎなかった。

 メイナードに支配権を奪われ、組み敷かれ、弱い部分も醜い部分も全て暴かれ———だけど彼は、そんな僕を笑って受け止め、二人で甘々と溶け合った。彼が教えてくれた。僕たちは所詮本能の生き物に過ぎず、人生とはもっと甘く官能的なものだと。彼に赦され、自分を赦し受け入れることで、僕はやっと自分を閉じ込めている鳥籠から抜け出すことができた。

 僕が今こうして、周囲の手を借りて術式の解明に没頭できるのも、遠因にはメイナードからの愛がある。



 あらゆる文献を紐解いて分かったことは、結局海洋神の術式は海洋神の領域、溟渤めいぼつ界に直接赴く以外、解明は不可能だということだ。僕は精霊界で水精と契約を交わし、海洋神の眷属との渡りをつけてもらった。そして精霊界のゲートから溟渤めいぼつ界に招かれ、そこで本格的な研究が始まった。

 海底神殿は不思議な場所だ。周囲ではサイレンやトライトゥンが自由に泳ぎ回っているというのに、僕は地上と同じように、海底の砂を踏みしめている。息苦しさもないし、水圧もない。そのくせ翼を出して飛ぼうとすると、水の抵抗を感じる。

 さらに不思議なのは、衣服も肌も濡れずにさらさらしているのに、紙とインクは駄目なことだ。ここでは石板に鉄筆のような硬いペンが利用されていて、そもそも伝承や記録の保管はもっぱら「歌」に頼っている。

 彼らの「歌」は、音波であり魔力波であり、言語であると同時に、そこに記憶と感情も含まれている。僕が「術式」として解明しようとしたアプローチは、根本から間違っていた。水精から伝授された簡単な言語で、最低限のコミュニケーションは図れたとはいえ、僕は神殿に通い詰めて本格的に彼らの言語、すなわち「歌」の習得に乗り出した。

 「歌」は、一見すると独特の節回しを持った「詠唱チャント」のようだ。しかし実際は、「調律チューニング」の感覚に近い。自らのコアの振動数に合わせ、魔素を乗せて共鳴させる。音波や旋律は、その副産物でしかない。尾骶、胎、鳩尾、肺、喉、眉間、そして頭頂。身体が一本の楽器のように振動し、僕はエネルギーの「通り道チャネル」に徹する。この感覚は、魔術スキルの行使と似ている。

 まず初めに理屈があって理論があり、術式を組み立てて発動する、それが魔術だと思っていた僕は、それが全く逆だったことを理解した。最初から「ある」ものを簡略化して記号化し、再現性を持たせたものが「術式」だったのだ。

 「歌」の習得には、思った以上の時間を費やした。地上で他種族の言語を学習するのとは訳が違う。側から見れば、ほとんど瞑想と見分けがつかなかっただろう。記号、音、身振りや手振りではなくて、感覚が全て。音の揺らぎ、魔素の揺らぎ、思考や感情の揺らぎをダイレクトに肌で読み取る。そしてそれらを全身で共鳴させ、震わせて表現する。言語習得というより、修練といった表現が相応しい。



 ようやく「歌」を習得したと思った時には、十年の歳月が流れていた。

 この頃には、僕はもうサイレンやトライトゥンたちと自在にコミュニケーションが取れるようになっていた。彼らは思ったよりもおしゃべりで、地上の眷属について興味津々に訊いてくる。僕らが海の眷属や他の種族への憧れを禁じ得ないように、彼らもまた僕らの存在が不可思議で心惹かれるのだ。

 棺の中から流れる微かな旋律を読み取れるようになったのも、この頃。メイナードへの狂おしい恋心、そして彼のために破滅を選ぶ凄まじい愛が込められているのが分かる。悔しい。そして羨ましい。僕だって、彼を想う気持ちは負けていないはずだ。だけど、僕には全てを捨てて消え去るという選択はできない。冷たい棺の中で、彼に抱きしめられ、彼の全てを独占するナイジェル。ずるいじゃないか———

 僕が神殿で「歌」を習得する理由、そしてナイジェルの「歌」を理解したサイレンたちは、ついに彼らの秘伝を伝授してくれた。彼らのスキル「呪歌じゅか」を打ち消す、「再生の歌」。これでナイジェルが歌う「滅びの歌」を相殺すれば、滅びの過程を逆再生できると。

 しかし問題は、逆再生だけではなかった。

 「歌」の流れを反転することは出来る。しかし、反転する前に失われたものは、元には戻せない。ナイジェルは肉体を失い、エーテル体を残すのみ。彼を再びこの世のものとして受肉させるには、海洋神の「恩寵」が必要なのだと。

『神に「恩寵」を乞うためには、神殿の最奥にて「神事」を捧げなければならない』

 トライトゥンの神官は、僕にそう告げた。彼の言う「神事」という言霊には、記憶が込められている。すなわち、僕がこれから取るべき行動についての。

 「神事」は独りで執り行うことは出来ない。同じ「記憶」と「思い」、「感情」を持つ者の協力が必要だ。そしてそれには、心当たりがある。

 僕は、彼らを神殿にいざなうことに決めた。
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