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第10章 後日談 終わりの始まり
(90)百年後の世界を巡る旅(2)
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一番緊張したのは、ノースロップ侯爵家にお邪魔した時だ。普通虎人族は、特別に長命な種族ではない。侯爵も使用人も代替わりし、俺たちを知る者はもはや当主と一握りの生き残りのみ。
ナイジェルは既に除籍された身、もとより虎人族の特徴はなく、今となっては角もない。そして俺は淫魔だ。現当主ノエル様は、俺たちを正式に賓客として迎えようとしたが、ナイジェルも俺も遠慮することにした。現在俺たちが通されているのは、侯爵邸の執務室。あくまで私的な謁見という体裁で。
「兄上。よくぞご無事でお戻りになりました」
「ノエルも息災で何よりだ」
白虎の血を色濃く受け継いだノエル・ノースロップ侯。歳の頃は既にナイスミドルといった感じで、嫡男は王都のタウンハウスで執務をこなし、孫も学園を卒業してその補佐に当たっている。間もなく爵位を引き継ぐところだそうだ。そんな彼が、学園を出てからさほど容貌の変わらないナイジェルを兄と呼んでいるのが、奇妙に映る。
口数の少ない兄弟はそれきり黙り込んでしまい、執務室に静寂が訪れる。いつもなら無言に耐えられずに無駄口を叩いてしまう俺だが、今日ばかりは口を挟める気がしない。彼のことは、ほんの小さな頃から知っている。あの後も何度か王都のノースロップ邸に招かれ、その度にナイジェルの後ろにそそくさと隠れてしまう、幼気な子虎。最初に出会った時に余程気持ち悪かったのか、それとも大好きなナイジェルを取られたと思ったのか。俺はずっと彼に避けられ続けた。そして、因子が消えたという知らせを受けて、真っ先に面会を求められたのだ。
「兄を解放してください」
学園生にして、既に次期ノースロップ侯の顔をしていた彼。知力体力ともに恵まれた資質を持ちながら、常に努力と修練を欠かさず、堂々たる主席を守っていたそうだ。まるでナイジェルと同じ。俺なんかとは違う、ちゃんとした家の、ちゃんとしたお坊ちゃんだ。彼らは愛情深い。ナイジェルだって、彼らを大事に思ってる。今度こそナイジェルを諦めて、ちゃんと返さなきゃ。そう思っていたのに。
「———ごめんね」
ナイジェルと俺に向けた、何とも言えない表情。彼は自分の言ったことを心から悔いている。彼の言ったことが引き金になって、ナイジェルが失われ、俺が獣になるところだったと知って。彼が悪いわけじゃないのに。
「俺が、ちゃんと諦められなかったから…」
「メイナード様」
「ごめんなさい…」
ああ。人前で泣くなんて、俺はとんだみそっかすだ。だけど、どうやって謝ったらいいのか。あの小さな白い虎の子が、百年も自分を責めて、ナイジェルのことを待ってたなんて。でもそんな姿を見ても、俺はナイジェルを諦められない。駄目な男だ。ナイジェルに肩を抱かれて涙腺が崩壊し、俺はみっともなく号泣した。
一方前ノースロップ侯は、ナイジェルの母上の故郷の海辺に別荘を建て、隠居していた。
「はっはぁ。やっと起きよったか。どれ、鈍ってないか、一丁揉んでやろう」
「ヒッ!」
そして百十年前とほぼ同じ結果を辿った。なぜなのか。
ナサニエル様は相変わらずだ。かつてのナイジェルと同じ、茶色がかった赤髪が白髪に変わったくらい。御年百七十歳。霊獣白虎と赤虎の血を引き、ソロの武者修行でレベル三百を超えた猛者だ。普通の虎人族よりずっと長命で、今でも若々しくあらせられる。というか、初めて会った時、彼は六十歳だったんだ。パーシーより二十も若かったんだな。
ここは辺境。強いて言えば竜人族の領地だが、険しい山岳地帯に隔てられ、人が住める場所は限られている。こんな辺鄙な場所に、翼人の隊商を招き入れて悠々自適な隠居生活を送っていられるのは、さすが侯爵家ならではだ。
彼は、世捨て人として行く当てのなくなった俺たちを、「ここに住めばいい」と迎え入れてくれた。
「ここには煩わしい人の目もない。思う存分組み手が出来るぞ!」
「組み手は結構ですから!」
「暇を持て余しているのか、父上」
使用人の皆さんも歓迎ムードだし、まあ、いっか。
しかし、彼がここに居を置いた本当の目的は明らかだった。夕暮れになると、彼は篝火を焚いたコテージの前で晩酌をするのが日課だ。白い砂浜、碧く昏い海。水平線に沈んで行く夕日に、遠く視線を投げる。そして同じ目で、ナイジェルを見ている。
「まったく…この年になって、ノーラと再会するとはな」
水で割った火酒一口で酔い潰れたナイジェルは、ビーチチェアの上で気持ち良さそうに眠っている。元々、ナサニエル様から受け継いだのは見事な赤毛のみで、しなやかな肉体と高い魔力、繊細な美貌を湛えた男だった。一度滅び、術式を逆行させて再構成した肉体は、完全なサイレンのもの。違うのは性別だけで、彼は亡き母上に生き写しなのだそうだ。
彼は大まかな事の顛末を知っていた。そして、その発端がノエルの申し出だったことも。弟の一言で、兄が失われ、大厄災を引き起こす手前だったなんて、ナサニエル様はきっと心を痛めていたに違いない。もちろん俺だって、ナイジェルに別れを告げるまでは心が張り裂けそうだったし、ナイジェルが失われそうになって狂ってしまいそうだった。しかし百年もの間、俺たちを元に戻すためにあらゆる手段を尽くしてくれたのはオスカーだったし、その間オスカーが時間を止めてくれていたおかげで、俺としてはちょっと長く眠ったかなってくらい。
「ごめんなさい。俺、ちゃんと出来なくて」
酒が入ったせいか、ここでも涙腺が緩みそうになる。駄目だ。
「いいんだ。こいつらは、契った奴としか番えねぇ」
ナサニエル様は、ナイジェルの髪を柔らかく撫でながら言った。
「俺は間違った。そして失った。だがお前さんは、失わなくて良かった」
「———ごめんなさい…」
結局、俺の涙腺は崩壊した。かつて俺が初めてナサニエル様に会ったのは、ナイジェルが俺を伴侶として紹介するため。あの時俺は、確かにナイジェルを幸せにするって決めたはずなのに。他の男と関係を結びながら、いつも別れる別れないと彼を振り回し、俺は甘えっぱなしで。本当に失いそうになって初めて、もうどう頑張ったって諦められないんだって、初めて自覚するなんて。俺は馬鹿だ。ナイジェルも、ナイジェルを大事に思う人たちのことも、傷つけてしまった。
しかし。俯いてみっともなく泣き始めた俺を、ナサニエル様は太い腕で包み、しっかりと抱擁した。
「勘違いするな。お前さんはナイジェルの連れ、倅の連れは俺の息子だ」
その後俺は、子供のようにわあわあと泣いた。こうして人に抱かれて泣くのは、マーサ以外では初めてだったかも知れない。メレディスは確かに俺の父親だが、ナサニエル様は違った意味で父だった。
その日から、俺はナサニエル様を義父上と呼ぶようになった。
ナイジェルは既に除籍された身、もとより虎人族の特徴はなく、今となっては角もない。そして俺は淫魔だ。現当主ノエル様は、俺たちを正式に賓客として迎えようとしたが、ナイジェルも俺も遠慮することにした。現在俺たちが通されているのは、侯爵邸の執務室。あくまで私的な謁見という体裁で。
「兄上。よくぞご無事でお戻りになりました」
「ノエルも息災で何よりだ」
白虎の血を色濃く受け継いだノエル・ノースロップ侯。歳の頃は既にナイスミドルといった感じで、嫡男は王都のタウンハウスで執務をこなし、孫も学園を卒業してその補佐に当たっている。間もなく爵位を引き継ぐところだそうだ。そんな彼が、学園を出てからさほど容貌の変わらないナイジェルを兄と呼んでいるのが、奇妙に映る。
口数の少ない兄弟はそれきり黙り込んでしまい、執務室に静寂が訪れる。いつもなら無言に耐えられずに無駄口を叩いてしまう俺だが、今日ばかりは口を挟める気がしない。彼のことは、ほんの小さな頃から知っている。あの後も何度か王都のノースロップ邸に招かれ、その度にナイジェルの後ろにそそくさと隠れてしまう、幼気な子虎。最初に出会った時に余程気持ち悪かったのか、それとも大好きなナイジェルを取られたと思ったのか。俺はずっと彼に避けられ続けた。そして、因子が消えたという知らせを受けて、真っ先に面会を求められたのだ。
「兄を解放してください」
学園生にして、既に次期ノースロップ侯の顔をしていた彼。知力体力ともに恵まれた資質を持ちながら、常に努力と修練を欠かさず、堂々たる主席を守っていたそうだ。まるでナイジェルと同じ。俺なんかとは違う、ちゃんとした家の、ちゃんとしたお坊ちゃんだ。彼らは愛情深い。ナイジェルだって、彼らを大事に思ってる。今度こそナイジェルを諦めて、ちゃんと返さなきゃ。そう思っていたのに。
「———ごめんね」
ナイジェルと俺に向けた、何とも言えない表情。彼は自分の言ったことを心から悔いている。彼の言ったことが引き金になって、ナイジェルが失われ、俺が獣になるところだったと知って。彼が悪いわけじゃないのに。
「俺が、ちゃんと諦められなかったから…」
「メイナード様」
「ごめんなさい…」
ああ。人前で泣くなんて、俺はとんだみそっかすだ。だけど、どうやって謝ったらいいのか。あの小さな白い虎の子が、百年も自分を責めて、ナイジェルのことを待ってたなんて。でもそんな姿を見ても、俺はナイジェルを諦められない。駄目な男だ。ナイジェルに肩を抱かれて涙腺が崩壊し、俺はみっともなく号泣した。
一方前ノースロップ侯は、ナイジェルの母上の故郷の海辺に別荘を建て、隠居していた。
「はっはぁ。やっと起きよったか。どれ、鈍ってないか、一丁揉んでやろう」
「ヒッ!」
そして百十年前とほぼ同じ結果を辿った。なぜなのか。
ナサニエル様は相変わらずだ。かつてのナイジェルと同じ、茶色がかった赤髪が白髪に変わったくらい。御年百七十歳。霊獣白虎と赤虎の血を引き、ソロの武者修行でレベル三百を超えた猛者だ。普通の虎人族よりずっと長命で、今でも若々しくあらせられる。というか、初めて会った時、彼は六十歳だったんだ。パーシーより二十も若かったんだな。
ここは辺境。強いて言えば竜人族の領地だが、険しい山岳地帯に隔てられ、人が住める場所は限られている。こんな辺鄙な場所に、翼人の隊商を招き入れて悠々自適な隠居生活を送っていられるのは、さすが侯爵家ならではだ。
彼は、世捨て人として行く当てのなくなった俺たちを、「ここに住めばいい」と迎え入れてくれた。
「ここには煩わしい人の目もない。思う存分組み手が出来るぞ!」
「組み手は結構ですから!」
「暇を持て余しているのか、父上」
使用人の皆さんも歓迎ムードだし、まあ、いっか。
しかし、彼がここに居を置いた本当の目的は明らかだった。夕暮れになると、彼は篝火を焚いたコテージの前で晩酌をするのが日課だ。白い砂浜、碧く昏い海。水平線に沈んで行く夕日に、遠く視線を投げる。そして同じ目で、ナイジェルを見ている。
「まったく…この年になって、ノーラと再会するとはな」
水で割った火酒一口で酔い潰れたナイジェルは、ビーチチェアの上で気持ち良さそうに眠っている。元々、ナサニエル様から受け継いだのは見事な赤毛のみで、しなやかな肉体と高い魔力、繊細な美貌を湛えた男だった。一度滅び、術式を逆行させて再構成した肉体は、完全なサイレンのもの。違うのは性別だけで、彼は亡き母上に生き写しなのだそうだ。
彼は大まかな事の顛末を知っていた。そして、その発端がノエルの申し出だったことも。弟の一言で、兄が失われ、大厄災を引き起こす手前だったなんて、ナサニエル様はきっと心を痛めていたに違いない。もちろん俺だって、ナイジェルに別れを告げるまでは心が張り裂けそうだったし、ナイジェルが失われそうになって狂ってしまいそうだった。しかし百年もの間、俺たちを元に戻すためにあらゆる手段を尽くしてくれたのはオスカーだったし、その間オスカーが時間を止めてくれていたおかげで、俺としてはちょっと長く眠ったかなってくらい。
「ごめんなさい。俺、ちゃんと出来なくて」
酒が入ったせいか、ここでも涙腺が緩みそうになる。駄目だ。
「いいんだ。こいつらは、契った奴としか番えねぇ」
ナサニエル様は、ナイジェルの髪を柔らかく撫でながら言った。
「俺は間違った。そして失った。だがお前さんは、失わなくて良かった」
「———ごめんなさい…」
結局、俺の涙腺は崩壊した。かつて俺が初めてナサニエル様に会ったのは、ナイジェルが俺を伴侶として紹介するため。あの時俺は、確かにナイジェルを幸せにするって決めたはずなのに。他の男と関係を結びながら、いつも別れる別れないと彼を振り回し、俺は甘えっぱなしで。本当に失いそうになって初めて、もうどう頑張ったって諦められないんだって、初めて自覚するなんて。俺は馬鹿だ。ナイジェルも、ナイジェルを大事に思う人たちのことも、傷つけてしまった。
しかし。俯いてみっともなく泣き始めた俺を、ナサニエル様は太い腕で包み、しっかりと抱擁した。
「勘違いするな。お前さんはナイジェルの連れ、倅の連れは俺の息子だ」
その後俺は、子供のようにわあわあと泣いた。こうして人に抱かれて泣くのは、マーサ以外では初めてだったかも知れない。メレディスは確かに俺の父親だが、ナサニエル様は違った意味で父だった。
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