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第10章 後日談 終わりの始まり

(86)深い水底で

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 深い水底で、俺は微睡まどろんでいた。

 ナイジェル、どこ。どうして消えたの。何で笑っていたの。

 ナイジェルの母上は、父上のノースロップ侯爵の前で泡となって消えたという。ナイジェルもまた、心臓の魔力炉コアから碧い炎が拡がって、その身体は静かに虚空に溶けて行った。泡のように儚く。

 最初はちょっとした悪戯のつもりだった。いつも上から目線で嫌味な男。俺がレベルアップした途端、今度は俺を娼婦のように好き勝手して。だから返り討ちにして、ギャフンと言わせてやりたかったんだ。犯して魅了して、コテンパンにして。

 だけど本当は、分かっていたんだ。彼は自分の境遇を跳ね返すために、幼い頃から努力を惜しまなかった。彼には支えてくれる温かい家族がいたが、俺にだってマーサはいてくれた。いつまでも言い訳ばかりして卑屈な俺と、こつこつと力を蓄えて逆境を跳ね返したナイジェル。彼我ひがの差は、それだけだ。俺が彼に抱いていた感情は、逆恨み。

「貴族としての矜持や誇りはないのか」

 彼が俺に対してくどくどと垂れて来た嫌味は、全て図星だったのだから。

 魅了にやられて、俺に惚れちゃって。馬鹿な男だ。美しく優秀な彼に言い寄る女は後を絶たず、彼さえ望めば何でも叶っただろう。混血の彼は、子をすわけには行かないと言っていたが、彼なら自力で爵位を得るくらい、どうってことなかったはずだ。

 そして、彼よりもっと馬鹿なのは俺だ。いたずらに手を出して、仮初の関係を結んでいるうちに、本気になって。俺を一途に愛してくれるナイジェルに悪いと思いつつ、他の恋人の誘惑にも抗えず。何度も別れ話を切り出しては、強く抱き止められて。俺は本気で悩んでたつもりだったけど、ずっと甘えてたんだ。

 彼がごくたまに見せる、花が綻ぶような優しい笑顔。それは、彼の歳の離れた弟妹に対して、常に向けられていた。半分しか血が繋がっていなくても、彼らには温かい絆があって、俺にはそれを奪う権利なんてなかった。

「兄を解放してください」

 硬い表情のノエルから放たれた、拒絶の言葉。当然だ。俺は呪われたマガリッジ、そして浄化と称して散々男の精を受けた、浅ましい淫魔。

 ナイジェル、何で俺だったの。俺じゃなければ、きっとずっと幸せだったのに。



 あの時オスカーは、ナイジェルを水晶の棺に閉じ込め、俺と一緒に王宮へ跳んだ。

「心配しないで、必ず助けるから」

 そう言って微笑んで、改めて俺も一緒に棺に閉じ込めた。

 俺に出来ることは、自壊して霧散していくナイジェルを繋ぎ止めるため、ありったけの魔力を注ぎ続けることだけ。だけど、今の俺には何の感覚もない。何も見えず、何も聞こえず、何も感じず、ただ闇雲に、腕の中のナイジェルに向けて。果たして本当に、彼が腕の中にいるのかも分からない。もしかしたら、もうとっくに消え去ってしまったのかも。だけど、今の俺はオスカーを信じるしかない。彼ならきっと、俺のことを助けてくれる。ナイジェルも。

 オスカー、ごめん。ひどく我儘な願いだと分かってる。彼の限りない慈愛に、どっぷりと甘えている自覚はある。そして、こうして俺が棺で眠っている間、メレディスを支えてくれているのもきっと彼だろう。

 メレディス。俺が生涯をかけて支え、満たし、最期は穏やかに導いてあげる。そう約束したのに。目の前でナイジェルが消え去りそうになって、無我夢中でオスカーに縋って、メレディスのことを気遣う余裕はなかった。俺は無力だ。レベルだけ上がって、ずっと慢心して、でも彼を支えるどころか、約束を守ることすらできなかった。

 パーシー、ラフィ、ロッド。彼らには、別れすら告げられなかった。俺は何も言わずに王宮を去るつもりで、彼らと顔を合わせることもなくて。感謝の言葉くらい、伝えておくべきだった。俺は自己憐憫と感傷でいっぱいいっぱいで、みんなのことを考える余裕なんかなかった。そしてナイジェルに別れを告げて、このざまだ。

 俺は一体、いつまでこうして人に迷惑ばかり掛けているんだろう。一人暗がりで、いつ終わるとも知れない長い夢を見て。この夢が終わったら、俺は一体どうなるんだろう。もし目覚めて、腕の中にナイジェルがいなかったら、俺は正気でいられるだろうか。いや、オスカーは俺との約束を違えるような男じゃない。しかしナイジェルが戻って来た時、俺は一体どうすればいいんだろう。



 そんな俺の身体を、時折温かい魔力が撫でる。爽やかな風の魔力、熱い炎の魔力、柔らかな光の魔力、大らかな土の魔力。時折聞こえる、俺の名前を呼ぶ声。何で俺のことを呼んでるの。俺はみんなに迷惑を掛けるだけの、出来損ないのみそっかすで…誰も俺のことなんか要らない、何の役にも立たないのに。

 でも、そうだ、帰らなきゃ。今度こそちゃんとお礼とお別れを言って、今度こそちゃんと…
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