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第9章 後日談 メイナードの恋人たち

(74)※ 水曜日の恋人

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 仕事を終えて向かったのは、オスカーの書斎。彼は別に後宮と王宮内に自室を持っているが、この書斎にはいろんな思い入れがある。彼と過ごす夜は、何となくこの部屋になった。王太子宮の謁見室の奥。彼のお気に入りの本だけが並んだ書棚に、上質なデスクと椅子。そして俺が一時翻訳に使っていた、侍従用のデスク。ソファーセットとローテーブル。書棚の反対側の壁には、仮眠用の長椅子。そして奥に扉があり、扉の向こうはベッドルーム。水回りもある。本当に仕事が立て込んだ時に、ここで全て生活が完結出来るように作られたものらしい。

 テーブルの上には珍しく酒が並び、オスカーは既にほろ酔いだ。彼も俺も、キュアースキルを持っているので、酔いを醒まそうと思えばいつでも醒ますことが出来るのだが、ストレスの多い仕事をしている彼のことだ。敢えて酔いたい時もあるのだろう。彼に勧められるまま、ご相伴しょうばんあずかる。酒に強いわけでも詳しいわけでもない俺でも分かる。すごく高いヤツだ。酒精は強いはずなのに、軽くてまろやかな口当たりで、スルスルと喉を滑り落ちて行く。一日の疲れがふわりと溶けて行くようだ。

「君とこんな風に、お酒が飲めるようになるなんてね」

 オスカーは、毒気のない笑顔を浮かべ、こてんと頭を肩に預けてくる。いつも通りに見えるが、金色の瞳が少し潤んでいるので、見た目よりも酔っているのかもしれない。いつも饒舌な彼が、今日は口数が少ない。無理に話を向ける雰囲気でもない。沈黙に負けて強い酒を飲み進めると、早々に酔い潰れてしまいそうだ。手持ち無沙汰の俺は、彼を抱き寄せて、肩から滑り落ちる彼の美しい髪を撫でる。それは正解だったようで、彼は目を細めて頬を擦り寄せる。

「…五歳の頃だったかな。竜人族の郷から、初めて父に連れられて、王宮に来て。その時に、彼と引き合わされたんだ」

 グラスの中の氷が、カランと音を立てる。

「綺麗な紅玉ルビーの瞳に、あっという間に虜になって。一週間くらいだったかな。ずっとべったりくっついて。あの時、『僕のお嫁さんになって』って言ったんだ。そしたら『私は男です』って返されたんだよね。でも僕はずっと、嫌だ嫌だって駄々を捏ねて」

 遠い目をしながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



✳︎✳︎✳︎



 しかし、オスカーとメレディスが引き合わされたのは、メレディスが討伐監視対象だったからだ。オスカーは、竜人族の郷に帰ってからそれを知らされて、荒れた。それから、学園での生活が始まるまで、ずっと魔物を狩って過ごしてた。自分が一番強くなって、誰にも負けないくらいになれば、父に代わって魔王になれる。そうすれば、誰にも彼を討伐なんかさせない。彼も僕のことを好きになってくれるだろう。そう思っていた。

 学園で彼と再会した時、メレディスはオスカーの事を覚えていなかった。討伐監視対象のメレディスは、他にも何人もの諸侯や子息と顔合わせがあったためだ。そして困ったことに、彼は幼い頃よりずっと魅力的で、オスカーの心を捉えて離さなかった。しかも彼は、オスカーよりもずっと強かった。

 王都に出て、オスカーは諸々の事情を知ることになる。マガリッジを監視する仕組み。王宮の上部組織。なぜ父親はいつも自分を顧みず、竜人の郷にも王宮にも姿を見せないのか。摂政政治は大いに腐敗し、宮中も内政も混乱していた。オスカーは王宮の中で着々と力を蓄え、半世紀かけて、ついに王太子の座を勝ち取り、宮中を掌握し、諸侯を従えて国内を平定した。しかしその頃には既に、メレディスには妻がいて、非常に仲睦まじいと評判だった。

 王宮を掌握したとて、所詮楽園ザイオン傀儡かいらいに過ぎない。父オズワルドもオスカーも、それぞれの目的のために雌伏の時を過ごした。父は妻を求めて。オスカーはメレディスの討伐を阻止するために。

 その間、メレディスは子を儲け、妻を失い、後妻を迎え、次子を生した。そして彼の命の期限が迫っていた。彼を護るには何もかもが間に合わなかった。王宮親派のプレイステッドの協力を取り付け、ノースロップを抱き込もうとしていたところ。そこに現れたのが、メイナードだった。

 メイナードはメレディスの前妻ミュリエルと瓜二つ。しかしどこかしら、憂いを帯びた瞳がメレディスを彷彿とさせる。当初、ナイジェルからメイナードを推薦された時には、若者のおままごとかと思った。そしてメレディスの子といえば、いずれ身分を保護すべきかとも思い、一応承諾した。しかし一目見て、オスカーはメレディスに出会った時と同じく、激しく恋に落ちた。

 ほんの一週間ほどの差だったのだ。ナイジェルよりも先に出会っていれば、自分を選んでくれたかも知れないのに。オスカーは醜くもがいた。そして手に入らないくらいなら、粉々に壊してしまいたかった。

 しかしメイナードは、彼の欲しかったものを全て彼にもたらした。メレディスの命を繋ぎ、天使族の干渉を退け、母を奪い返し…恐れていた真祖の因子をその身に宿しながら、寵愛を受けることでそれを飼い慣らす。そして、週に一度とはいえ、こうして彼と恋人としての蜜月を過ごすことが出来るなんて。

 オスカーは、それらの全てを言葉に乗せたわけではない。長い睫毛を伏せながら、心の内に秘めた思いを、敢えて曖昧に呟く。メイナードは彼の言葉の全てを理解したわけではないが、彼がどれだけ長い間メレディスを想って孤独に戦って来たか、そして同じくらい強い想いを自分に向けてくれているのかを感じた。

「…君が好きだ。メイナード、僕は君が好きだ…」



✳︎✳︎✳︎



 目元がほんのりと紅い。竜人の父親から受け継いだ屈強な肉体を持ちながら、母親譲りのたおやかな美貌。彼は今、どんな美姫びきよりも美しい。金色の瞳を熱く潤ませ、繰り返し愛をさえずる美しい黒鳥を腕に閉じ込め、瞼、頬、そして唇に口付ける。しばらく舌を絡めながら溶け合っていると、彼は俺の胸に手を伸ばして、巧みに愛撫を始める。

 オスカーは、俺のどんなわがままも聞いてくれる、優しい恋人だ。俺が抱きたいと言えば喜んで身体を預けてくれるが、優雅で清廉な外見とは裏腹に、案外手癖が悪い。気が付けば、俺の身体はすっかりたかぶってしまって、彼は頃合いを見て俺の脇と膝に腕を通し、お姫様抱っこでベッドまで運んで行く。

 ベッドに横たえられるのと同時に、彼が覆い被さって来る。うっとりと潤んだ瞳で、愛おしそうに繰り返されるキスに身を任せる。彼は感情が昂ると、背中から美しい翼を広げて、二人をすっぽりと覆い包む。

「誰にも見せたくないよ、メイナード。ずっとここに閉じ込めておきたいんだ…」

 彼の逞しい腕が、頑丈な檻のようだ。深いキスを交わしながら、どこにも逃げられないような錯覚を覚える。

 彼には審判ジャッジメントというスキルがある。彼が投げかけた質問に対して、相手の反応から、深いところまで情報を読み取ることができる。そんな彼には、隠し事や演技は通用しない。わずかな反応から、俺の感じる場所を的確に探り当てる。あっという間に身体中の性感帯を把握され、ここのところ彼とのセックスは、主導権を握られっ放しだ。甘く優しく、お互いの一番柔らかい部分を温め合うような営みから、次第に熱く溶け合うようなものへ。そして気が付けば、俺の全てが淫らに暴かれ、激しい痴態を晒しながら喘ぎ狂っている。

「あ、そこっ…!」

「ふふ。メイナードは、そんなところで感じちゃうんだ。可愛いね…」

 両手首を頭上でまとめて縫い付けられ、抵抗も身動きもできない。情熱的な前戯ですっかり敏感になってしまった身体は、わずかな刺激で面白いほど快楽を拾う。耳の後ろ、髪、鎖骨の上、肋骨のふち、腹直筋の脇。腸骨の周り。内腿を通って、膝の裏。くるぶし。足の親指。するすると長い指を這わせ、舌でくすぐり、時々カリッと歯を立てる。そして散々焦らされて、彼のものを受け入れた後も、彼の意地の悪いプレイは止まらない。俺の脚を掴んで持ち上げ、結合部を見せつけながら、わざと大きな水音を立てて。緩慢な動きに焦れて、たまらず腰が揺れると、途端に良いところをぐちゃぐちゃと責め立てる。

「ひああ…!!!」

「愛してる…メイナード。可愛い。僕の可愛いメイナード…」

 言葉も視線も蕩けるほど甘く優しい。愛撫も丁寧で心地良い。なのに俺は、延々と焦らされた挙句、彼の腕の中でただ彼の情けを求めて泣き叫んでいる。

「ぎもぢい!ぎもぢいぃ!あ”あ”!オ”ス”カ”ー!オ”ス”ッ!…出じで!出じでぇぇ!」

 何度となく懇願しても聞き入れられず、最後は涙と唾液にまみれて半狂乱で「おねだり」すると、彼はようやく柔らかく微笑み、俺の腰を掴んで、ガツンと奥まで突き入れる。

「よくできました。ご褒美、あげないとね」

 そこからは、激しい陵辱が始まる。屈強な肉体で怒涛の如く突き上げられ、俺の細身の身体は為す術もなくガクガクと揺さぶられる。良いところを良い角度で散々甚振いたぶられ、悲鳴を上げて痙攣するしかない俺。彼の瞳には、だらしなくアヘ顔を晒す俺が映っている。そんな彼は、風に吹かれると散ってしまいそうな、儚い笑顔を湛えている。

「あ”あん!!あ”あん!!イ”ぐ!イ”ぐ!あ”あ”っ!!!」

 何度目かの絶頂で仰け反る俺の中に、彼は鋭く息を吐きながら射精した。彼の精には光の魔力が乗っていて、身体の中から温かく癒される。それは、彼の聖母のような清らかな笑顔に見合ったものだった。



 王宮暮らしになって一番変わったことと言えば、こうしてオスカーと朝まで過ごせるようになったことだ。この王宮には、彼の世界ザ・ワールドのスキルをベースにした巨大な結界が張られ、常に監視の目が張り巡らされているが、母上の王妃オフィーリア様が楽園ザイオンから連れ出され、彼女がその役割を一部肩代わりしてくださるようになった。更に、先日捕らえた天使族の隠密にも隷属れいぞく紋を焼き付け、ローテーションで結界を維持している。これまで長い間、分刻みのスケジュールでおびただしい執務をこなし、結界まで維持してきたオスカーは、やっと時間の余裕が持てるようになった。

 なお、先日のテロで捕らえた天使族たちは、喜んで王宮の仕事に従事した。楽園は皇帝エンペラーのスキルを持つ族長による絶対君主制で、良く言えば平和で安全、悪く言えば何の刺激もない退屈な世界。精鋭のうち何名かは、王宮の監視に当たるが、監視任務は危険で過酷。だが一度監視任務に当たった者は、楽園に帰りたがらないという。しかも今度は、三名で三交代、身の安全を保証された上、結界を維持して監視するだけの簡単なお仕事。なおかつ十分な給金まで与えられて、賑やかで刺激的な王都暮らしをエンジョイ。「これこそ楽園です!」だそうだ。

 ちなみに現在の楽園は、隷属紋を刻まれた若手の戦士たちがラブライフに目覚め、おそらく一年もしないうちにベビーブームが起こりそうだということだ。天使族を鎮圧したつもりが、出生率の上昇を後押しし、人口の減少により存続が危ぶまれていた彼らの命運を救う形になってしまった。ちょっと複雑だ。だが、天使族至上主義なのは一部の権力者だけで、外の世界に出てみたい、もっと自由に暮らしたいという意欲を持つ者は多いらしい。もしかしたらそう遠くない未来、彼らも他種族と同じように、この国の一員となる日が来るかもしれない。なお、長老は赤黒い結界の中で毎日せっせと魔力を搾り取ら…献上し、司祭は赤子に戻った聖龍を、甲斐甲斐しくお世話しているそうだ。

 思考が逸れてしまった。

 こうして温かいベッドの中で微睡まどろんでいると、やがて髪を優しく撫でられていることに気付く。重い瞼を上げれば、俺を見つめる美しい黄玉トパーズ。女神のような美しいかんばせに、限りない慈愛を浮かべて。何度もついばむようなキスを落とされ、ひたすら甘やかされ、「もうずっとここから出たくないな…」なんて思ってしまう。

 ただ、俺が心を掴まれた、あの毒気のない儚い微笑み。彼はあの笑顔のまま、すんごいセックスするんだけど。オスカーに惚れて、大丈夫だったんだろうかと、ふと不安が頭をよぎることも、ないわけではない。しかし、

「大好きだよ、メイナード。愛してる…」

 幸せそうにふわりと抱きしめられ、いつも流されてしまう俺なのだった。
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