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第8章 後日談 円卓会議編

(62)迷子

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 あれから、俺たちの仕事は相変わらず。別の部署から上がってきた書類を精査して、時々査察ガサいれに赴く。もちろんそれだけじゃない。訓練場で実戦の稽古を積むこともあれば、定期的に魔物討伐の編成に組み込まれ、戦闘力の底上げをしたりする。俺以外の三人が、通常の騎士以上の戦闘力を持つのは、こういったイベントの賜物だ。

 そして時々、要人警護とか街の見回りとかにも駆り出される。どっちかっていうと、ナイジェルなんかは警護される側だと思うのだが、要人に対処するための要人というか。高位の貴族ほど、身分の低い者の指示なんか聞きゃしない。だが仮にも侯爵家の子息に対して、ぞんざいな態度に出られる奴など、そういないということだ。

 ここのところ、王宮の中はちょっとピリピリしている。割と中枢部で働いている俺たちにも詳しい説明は無いんだが、ともかく非常事態に際して警戒レベルを上げる必要があるんだそうだ。こないだ魔王様が帰還されたことと関連があるのだろうか。俺たちも、王都の中を警邏けいらする機会が増えた。

 とはいえ、王都の街自体は相変わらずだ。人々には何も知らされておらず、特に変わった様子もない。今日も通りは賑わい、広場には屋台や出店が出て、みんな楽しそうだ。そしてこういう時に起こるイベントといえば、そう。

「…ぼく。迷子になっちゃったの?」

 見慣れない白い装束を着た小さな子供が、泣きそうな顔できょろきょろしている。俺が声を掛けると、ビクッとして身を縮ませる。服装が男児のものっぽかったので、「ぼく」と声を掛けたけど、女の子だったろうか。

「大丈夫だよ。お兄ちゃんは騎士だから、君に悪いことしないよ。一緒にパパとママを探そうか」

 そう言って手を伸ばすと、おずおずと体を預けてきた。よしよし。後は彼を抱き上げ、魔眼で保護者を探す。



 しばらく歩くと、やがて通りの向こうに、それらしき人物を発見する。一見何の特徴もない、人間族ヒューマンのような地味な外見の男だが、簡易鑑定には「天使族」と出ている。訳ありか。

「あの人じゃないかな」

 その人物に近づくと、彼はすぐに子供を認識した。

「セイリュウ様!」

 …セイリュウ?

 彼はハッとして、言い直す。

「…若様。おはぐれにならないようにと、あれほど」

 何だか耳にしてはヤバそうな単語は聞かなかったことにして、彼に子供を託す。

「ぼく、パパ見つかってよかったね。じゃあね」

 にっこり愛想笑いして、バイバイする。そういえば、改めて子供の簡易鑑定ウィンドウを見てみれば、「聖龍/幼」と出ている。聖龍って何なんだよ、聖龍って。こういうのには関わってはならない。いや、最近の秘密裏の厳戒態勢って、コイツらが原因なんだろうか。

 しかし子供は、俺の服の裾をギュッと掴んで離さない。

「若様」

 男は彼をたしなめるが、彼は泣きそうな瞳で俺をじっと見つめ、

「コレじゃなきゃやだ」

 と駄々をこねる。コレ、って。

「ホラぼく、パパ困ってるよ?」

 俺はにこやかに、彼の手から服の裾を取り戻そうとする。地味男も彼を抱き上げる。だが彼は「やだやだ」と言って、小さな体からは想像もできないような力で抵抗する。挙句の果てに、裾を奪おうとする俺の右手をかじった。

「こら、そんなこと…しちゃ…」

 俺の視界はぐらりと揺らぎ、そのまま暗転した。



 目覚めると、知らない天井が見えた。頭がぼんやりとして働かない。辺りを見回すと、簡素な部屋。まるで教会の治療院のような。それはあながち的外れではなかったようで、俺が身じろぎしたのに気付き、向こうから地味な男がやって来る。

「ああ、気が付かれましたか」

「…あの…ここは…」

「あなたが気を失われたので、私たちの治療院にお連れしました。今は少しぼんやりされると思いますが、間もなくすっきりされますので」

 そう言って、彼に薬湯やくとうを渡された。トロリと甘く、ちょっと変な後味がする。飲み終えるとまた、睡魔が襲って来た。

「ふふ。余計なことは全てお忘れになって、ゆっくりお休みください」

 そんな声が聞こえた気がした。



 もう何回、そんなことがあったろうか。相変わらず頭が働かない。俺は何かの仕事の途中で、どこかに帰らなければならなかった気がする。何も思い出せない。

「あなた様が心配されるようなことは、何もないのです」

 心配、って言われても…。

 男は甲斐甲斐しく俺の世話を焼く。頭ばかりか身体にも力が入らない。ふらつく身体には簡素な衣服が着せられ、定期的に拭き清められる。ふと自分の身体に視線を落とすと、何か見たことのない、金色の線というか、模様が入っている。

「…これ…」

 男は嬉しそうに言った。

「ええ。もう間もなくです。あなたは穢らわしい淫魔から、清らかな花嫁へ生まれ変わるのですよ」

「…花、嫁?」

 誰か結婚でもするんだろうか。

「さあ、明日は泉で御身を清めましょう。きっと聖龍様もお喜びになります」

 セイリュウって、何だ。

「あなたは聖なるつがいに選ばれた、幸運な方だ。これから永遠のときを、幸せに愛されてお過ごしになるのです」

 ———つがい

 俺は何か、大事なことを忘れている気がする。

「…まだ反応が残っていますね。さあ、薬湯をお飲みになって、お休みください」

 俺の、つがい…。



 ある日、俺は街を見下ろす高台にやって来ていた。一面には青々と草が茂り、花が咲き乱れ、心地よい風が吹く。まるでスイスのようだ。———スイスって、何だろう。

 俺は草原に腰を下ろして足を伸ばし、ぼんやりと空を見上げている。どこまでも青い。遠くから鐘の音が聞こえる。街と言っても、集落らしい集落は存在しない。鐘の音がする神殿は立派だが、民家はポツン、ポツンと離れて点在している。なぜならここの住人は皆、立派な白い羽を持っているからだ。なのに、何故か俺だけは、羽を持たない。

 俺の膝の上には、小さな子供が乗っている。彼は時折俺を見上げては、愛らしい笑顔を見せる。アルビノ、って言うんだろうか。肌は透き通るほど白く、髪や目はわずかに金と碧みがかっているのみ。そして、これぞ天使と言わんばかりの美しさ。

 彼が俺の夫なのだという。俺は彼のつがいに選ばれ、彼のしるしが右手に刻まれている。右の手首には、高度な術式が円環となって輝き、ゆるゆると回転している。そしてその一端には光の鎖が繋がれ、その鎖は美しい幼子おさなごの彼が握っている。

「メイナード。ずっと一緒だよ」

 メイナード。誰だろう。俺のことかな。そんな名前だっけ。

 ずっと一緒と言われても、よく分からない。そもそも俺は、なぜこの子供の「花嫁」なのだろう。だがしかし、俺が彼の「もの」になりかけているということは、分かる。手首を巡る円環と同じ紋様が、身体中の至るところに見られる。これが全て覆い尽くした時、多分俺は手首だけではなく、身体の全てが彼の鎖に繋がれるのだろう。

 彼はにこにこと微笑みながら俺に抱きつき、腹の匂いを嗅いでいる。くすぐったい。もうすぐ俺の主人となる男、そして聖なる龍。

 ———俺は…



 その時、神殿の鐘が奇妙な音を立てた。何かが強く衝突したような、この世界に不調和な音。ふと神殿に目を遣ると、何人かの戦士が、侵入者と戦っている。黒い羽を持つ侵入者は、傷だらけになりながら叫んでいる。

「メイナード!いたら返事して…!」

 身体中の血液が、逆流するような感覚。この距離では聞こえるはずもない声が、はっきり聞こえる。なぜなら、俺と彼とは、内側で繋がっているからだ。

「———オスカー…!!」

 俺は、彼の元まで跳んだ。
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