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番外編 インキュバスの能力を得た俺が、現実世界で気持ちいい人生を送る話

(18)白石琉海(2)

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今回は、琉海視点の回想です

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 小さい頃の記憶は、ほとんどない。ただ周りで大人たちがずっと喧嘩していたのを、うっすらと覚えている。俺は笑っても泣いても怒られた。俺に許されたのは、本を読んで静かにしていることだけ。そのうち、父親も母親もいなくなり、俺は祖父母の家に預けられた。

 祖母はぶっきらぼうだけど優しい人だった。俺はちょっと「ここにいてもいいのかな」という感覚を覚えた。だがしばらくすると、彼女は体調を崩して入院してしまった。基本俺を無きものとして扱う祖父との生活が上手く行くはずもなく、俺は間もなく叔母の家に預けられた。

 叔母の家ではまた、息を潜めて生活する日々が始まった。それはそうだ。俺は完全に厄介者のお荷物で、彼らにとっては疎ましい存在でしかなかった。俺には、与えられた部屋で物音を立てずに本を読むしか選択肢がなかった。だけど従兄弟と比べて勉強が出来ると更に疎まれた。それでも、小学校卒業まで家に置いてくれたのは、感謝している。中学校からは中高一貫の全寮制の男子校での生活が始まった。

 寮生活は快適だった。もう誰にも気兼ねせず、本を読んだり勉強をすることができる。確かにいじめや嫌がらせはあったが、俺と同じように読書や勉強が好きなヤツもいて、俺は初めて友達というものに恵まれた。そもそも全寮制に放り込まれる子供というのは、ほとんどが家庭に何らかの事情を抱えた者ばかりだ。それは、進学したくて奨学金が欲しいという前向きなものから、俺のように養育する身寄りがいないというようなもの、中にはもっと深刻なものまで。何かしら事情を抱えた者同士、奇妙な連帯感があった。

 そんな中、俺に親密に接するようになったのが、カズだ。彼も複雑な家庭に生まれ、この学校に放り込まれたクチだが、彼は俺と違い、人の懐に入るのが上手いヤツだった。俺はあっという間に距離を詰められ、彼の友人グループに取り込まれ、気がついたら親友になっていた。彼には散々「表情筋が死んでる」と言われ、よく笑顔を作るように練習させられた。自分では程々に愛想笑いをたしなんでいると思っていた俺は少々面食らったが、次第に彼らの表情や行動パターンを学習し、「それらしく」振る舞えるようになった。

 彼から影響を受けたものがもう一つ。人数が足りないからと、バスケ部に誘われた。それまで特に運動をしたことはなかったが、無心に身体を動かしていると、意外と楽しかった。勉強と同じで、余計なことを考える余裕がなくなるのがいい。俺は誘ってくれたカズや部活仲間に貢献したくて、熱心に練習を重ねた。体格に恵まれている方ではないが、それなりのポジションで、それなりの成績を挙げられるようになった。

 全寮制の男子校という閉鎖的な空間では、当たり前のように同性同士の恋愛が存在していた。俺はそれまで、恋愛というものにピンと来なかったのだが、ここに来て自分の性癖が同性に向いているのだと自覚した。カズと特別な関係になったのは、中三の頃だったか。彼の視線が、他のヤツに向けるものと少し違っていたのは、しばらく前から気付いていた。彼は俺が男に抱かれたい性癖を持っていることを見抜いていた。最初はそういった目で見られることに戸惑いはあったが、いつも人の輪の中心にいる彼が、俺だけを求めていることに、心が湧き立った。どこに行っても厄介者で、誰からも必要とされず、やっと誰からも疎まれない場所で膝を抱えていた俺に、初めて居場所を与えられた気がした。彼とするのはものすごく痛かったが、それさえ飲み込めば、彼は俺に不器用に愛を囁き、側に置いてくれる。俺は彼のものになることで、初めて存在を許された。

 腕枕の中で繰り返し聞かされた彼の夢は、有名な大学に進学して、バスケで活躍して、本場に渡ること。だからお前も同じ大学を受験しろよな、と言ってくれた時、本当に嬉しかった。ここを出てからも、俺は彼の側にいていいんだって。今思えば、彼の夢は荒唐無稽というか、途方もなく遠大な夢ではあったが、俺はそんな夢を熱っぽく語る彼に、ひどく憧れていた。俺には何もなかったから。ただ、彼の夢について行こうと、奨学金が得られる大学を探したり、その枠に入れるように、ひたすら勉強した。そして無事に、帝都大に滑り込んだ。

 一方カズは、お坊っちゃま大学と言われる私立の名門に進学した。彼の実家は裕福で、彼の望みは、家族愛以外は全て叶えられた。最初俺たちは近くに住んで、お互いの部屋に行き来しつつ、新しい生活を始めた。しかし彼は間もなく、良くない連中とツルみ出した。彼は大学に行かず、バスケも忘れて、連日飲み歩き、女を抱いた。俺たちの関係は次第に破綻して行った。

 ある日、彼の部屋に呼び出された。俺はほんの少しでも彼の側に居たくて、授業も放り出して彼の元へ駆けつけた。するとそこには、彼の他に三人の男が待っていた。カズがスマホを回す中、俺は彼らに輪姦され…それから、その部屋が俺の棲み家となった。

 毎晩知らない男が部屋を訪ねて来て、俺を蹂躙しては、去って行く。カズは時々俺の様子を見に来て気まぐれに俺を抱くが、彼にとって俺は金蔓で、便所で、汚らしいペットだと言った。俺は知らないうちに多額の借金を背負わされ、男好きのする外見に改造され、ただただ大学とヤリ部屋とを往復する日々が続いた。痛いことさえ我慢すれば、カズの側に居られたはずなのに、もうどれだけ痛みに耐えても、彼は帰って来なかった。



 弓月が通りかかったのは、ほんの偶然だった。俺はいつもの通りに彼らに売られ…今回はヤリ部屋じゃなくて、どこか車で連れ去られる途中だった。どこに連れて行かれるのかも分からず、拒否しようとしたところに暴力を振るわれ、間もなく車が到着したら押し込まれるという寸前のところ。弓月はどうやったのか、彼らを沈黙させ、その隙に俺の手を取り、逃してくれた。

 あの時、去り際の彼の服の裾を掴んだことで、俺の運命は大きく変わった。彼は俺を部屋まで送り届け、カズを追い払い、自分の部屋にかくまってくれて。俺は彼に何もしていないのに、彼は俺に居場所を与えてくれた。狭い部屋で一緒に勉強し、同じ食事を食べ、同じ布団で眠って。まるで大学に出て来たばかりの俺とカズのように。ただ授業が同じだっただけの新入生の彼の背中が温かくて、俺はどうしようもなく彼に惹かれてしまった。もしかしたらそれは、彼が言うように、吊り橋効果であったり、単なる依存なのかも知れない。だけど、この人に愛されたい、この人が欲しいと思ったのは、彼が初めてだった。

 半ば俺から迫るようにして、初めて彼に抱かれた時。痛みなんてない、ただただ気持ち良いだけのセックスを、初めて経験した。俺は夢中になってはしたなく彼を求め、彼もそんな俺に応じて、ひたすら快楽を与えられた。あまりの良さに気を失って、翌日まともに足腰が立たないなんて。あれから彼には、ほとんど毎晩抱かれるようになった。後腐れのないセフレ、それが俺の役割。それでも良かった。弓月の側にいられるなら。

 数日後、俺は弓月との待ち合わせに向かう前に、カズたちに拉致された。彼らは大きな組織の末端、一般人が逃げおおせる相手じゃない。いずれこんな日が来ると思っていた。俺は元の場所に戻されるだけだが、どうか弓月だけには迷惑を掛けたくない。そう思っていたのに、彼は間もなく俺のもとに駆けつけてしまった。そしてどうやったのか、俺は知らない部屋に寝かされていて、彼らからは自由になったと告げられた。

 それから間もなく、新しい部屋で彼との生活が始まった。誰からもおびやかされず、ただ彼と学校に行って、帰って、食事を作り、一緒に食べて…そしてセックスして。借金どころか、知らない間に大金を掴まされ、居場所を与えられ、愛されて。一体これは、どういう夢なんだろう。

 だけど、夢はそう長く続かなかった。美しく魅力的な彼を、周囲が放っておくはずがない。彼と歩いていて、常に視線を感じる。男も女も、彼をそういう目で見ている。かつてカズが俺に向けたような。あのたった受講者が三人の授業、その残りの二人、藤川教授も、黒瀬君も。そのうち弓月は、藤川教授と親密になって行った。教授は特定のパートナーを持たず、同性愛者なのではないかと噂をされることがある。そしてゼミの中には、彼の愛人だった学生もいたとか。俺が彼に声を掛けられた時、先輩からは気を付けるように言われたものだ。今度は弓月が教授のターゲットとなったが、彼は教授のことが満更でもないらしい。度々研究室を訪ねては、あれこれ世話を焼いている。弓月、世話を焼くの、好きだもんな…。

 ある日、彼は「遅くなる」と一言連絡を寄越したまま、帰って来なかった。何かあったんじゃないかと心配したふりで何度か連絡を入れたが、本当は分かっていた。帰って来た彼の身体からは、いつもとは違うボディソープと、タバコの匂い。彼はその晩も俺を優しく抱いたが、俺はもう、彼の側に居られる時間は長くないんだってことを、理解した。

 本当は、セフレでもいいから、彼の側にいたかった。だけど、彼が目の前で藤川教授と親しくしているのを見ると、胸が張り裂けそうだ。彼もまた、カズのように帰って来なくなって…そしたら俺は、どうしたらいいんだろう。そんな時に思い出したのが、交換留学の話。ついこないだまで、俺はヤリ部屋に囲われて、留学なんて夢のまた夢だったが、今なら行ける。また誰からも必要とされない、どこにも居場所がない自分に逆戻りだが、どこでもいいから、弓月と教授のいないところに逃げたかった。

 カズの時には、こんなこと考えなかった。彼が俺のところに戻って来なくなった時、なりふり構わずどこかに逃げたいなんて思わなかった。辛い。怖い。今更弓月のいない場所で、どうやって生きて行けばいいんだろう。でも彼が他の誰かを選ぶのを、セフレとしてずっと見ていなきゃいけないなんて、死んだ方がマシだ。失恋がこんなに辛いなんて、初めて知った。



 しばらくして、弓月は俺が交換留学に応募したことを知った。俺は努めて冷静に、何事もないフリをして、後腐れなく関係を精算するつもりが、後から後から涙が溢れて、自分でもどうしようもなかった。以前は表情筋が死んでいると言われ、自分の感情を表に出すのも苦手な、そもそも感情自体が死んでいた俺が、弓月といると、抑制が効かないくらいに溢れ出す。本当は泣きたくなんかない、困らせたくなんかないのに。ちゃんと最後まで、後腐れのないセフレでいようとしたのに、俺の涙腺はそれを許してくれなかった。弓月も。彼は俺の身体を容赦無く優しく暴き、快楽でグズグズに溶かした後、俺に愛を囁いた。そしてあっという間に留学を決め、一緒に行くことになってしまった。

 彼からは、いろんな秘密を打ち明けられた。特殊な体質、不思議な能力。挙句、俺にも常人離れした能力と、一生かかっても使い切れないような財産が与えられていることも。そして「こっちではセフレ作るけど、許して欲しい」なんて。一体、どう反応すればいいのか。それでも、彼なりに俺を大事にしようとしてくれることは分かる。未だに、なぜ俺なのか、どうしてそんなに大事にしてくれるのか、理解できないんだけど。

「え、だって恋人って、そういうもんなんじゃないの?」

 彼は事も無げにそう言って、言った自分が照れていた。ただ隣にいて、ただ気持ち良くされて、ただ愛されて…それだけでいいなんて、どうしても信じられない。それどころか、

「あっち行ったらさ、結婚しちゃおっか」

 なんて、指輪と一緒にサンフランシスコ市の婚姻証明書の申請用紙を渡される。

「ゆ、指輪…?」

 しばらくは、お揃いのチェーンに通して首に掛けることにしたが、俺は一体どうしたらいいんだろうか。何もかもが夢のようで、やはりどうしても信じられない。



 土曜日、目が覚めると、もう午後になっていた。金曜日はいつも気を失うほど抱かれて、このまま死んでしまえばどれだけ幸せだろうか、と思う。力の入らない身体を起こし、冷蔵庫まで水を取りに行って、弓月が家にいないのに気付く。

 彼は夕方に帰って来た。手には買い出しの品物を提げて、だけど身体からはまたいつもと違うボディソープと、コーヒーの香り。彼が俺を選んでくれているのは分かる。未だに信じられないけど、信じたいと思う。だけど、彼が他の誰かと関係を結んで帰って来ると、どうしても平静ではいられない。俺だけでは、彼を満たしてあげられないのに。

 性欲を満たした彼は、今日も上機嫌で俺を抱く。罪悪感からか、いつもよりも優しく、丁寧に。彼が関係しているのは、藤川教授だけじゃない。黒澤君も、そして他の誰かも。だけどお願いだ。俺から弓月を奪わないで。俺には彼しかいないのだから。
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