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第4章 仕官編

(29)二度目の謁見

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「お前、どうしたんだ。様子がおかしいぞ」

 食堂でぼんやりと夕飯を摂っていると、ナイジェルがやって来た。

「ああ、いや。半年ニートしてたんで、体がびっくりしてるだけだ」

「ニート?」

「引きこもりってヤツだよ」

 曖昧に笑ってやり過ごす。

 朝もそうだが、彼は自分の分も取って来て、向かいの席を陣取った。官舎に戻れば、もっとちゃんとした食事が摂れるはずだ。わざわざ一般席まで来て、下級官吏かんりと同じものを食べなくたっていいのに。

「お前には、明日辞令が出る」

 ナイジェルがぼそりと呟く。

「ああ、そうなんだ」

「王太子殿下には気を付けろ」

 そう言って、手早く食事を済ませると、さっさと帰って行った。

 家に帰っても、呆然として、何もやる気が起きない。ああ、もう終わりなんだなっていう、空虚な喪失感。みじかかったな。色々と。

 いや、全てが元通りに戻るだけだ。ちょうど明日は辞令が出ることだし、拝命する前に辞意を伝えよう。全てが良いタイミングだった。俺は当初の計画通り、人間界を目指し、月曜日と満月の日には、この部屋に帰って来る。やるべきことははっきりしている。なら、その通りに淡々とやるだけだ。

 ああ、こんな夜を一人で過ごすのは、少し辛すぎる。左手を見ると、二つの指輪が冷たくキラリと光っている。昨日のメレディスの温もりを思い出す。逢いたい。でも、会ってはいけない。窓からは、下弦の月が黙って俺を見下ろしていた。



 翌朝、早速王太子殿下に呼び出しを受けた。昨日ナイジェルに聞いていたので、俺は昨日よりは貴族らしい礼服で出勤した。謁見の間でひざまずくのは二度目。補佐官から、辞令の内容が読み下される。身分、簡単な雇用条件、職務の内容など。

なんじ、ここに誓約を」

 本来は、ここで彼の前にこうべを垂れ、決まり通りの口上でもって拝命するんだけど。

「…謹んで、辞退いたします」

 場は騒然となった。この場に立ち会った騎士や文官は多くはないが、このような場で辞令を拒否するなど、前代未聞の無礼な振る舞いである。首を刎ねられても文句は言えない。

「まあ、お前たち。彼にも事情があるのだろう。下がっていろ」

「ですが殿下」

「下がっていろと言ったのだ」

 彼らが不服そうに部屋から立ち去る音が聞こえる。そして静寂が訪れた。



「メイナード。君、ナイジェルと何かあった?」

 不気味だ。この王太子は、一体何をどこまで知っているのだろう。初めて謁見した時、彼を鑑定しようとして弾かれた。スキルを弾かれたのは、彼が初めてだ。今日も。

「ああ、残念だけど、君のスキルは通らないよ。警戒はもっともだけど、僕は君を悪いようにするつもりはない」

 コツ、コツと、足音が近づいてくる。

「君、相当出来る子だね。昨日一昨日きのうおとといと与えた課題、完璧だった。魔力インクで書いたところもちゃんと判読していたし、膨大な計算を正確にこなして、こちらの間違いまで指摘してあった」

 ———ああ、ナイジェルの言っていたことは本当だった。あの二人は王太子の子飼いで、俺を試していたんだ。

「そうだね。淫魔の君が、メレディスの後を継ぐわけには行かないよね。だから学園では道化を演じていた、といったところかな」

 この辺りの誤解は、ナイジェルの推論と同じだ。全てを完璧に見通せるということではないということか。いや、半月前の淫夢から全てが変わったなど、普通想像もつかないだろう。

「君、そう急いで王都を離れなくていいんだよ。僕ならどうとでもしてあげられる。ナイジェルと一緒にいたいならその通りにしてあげるし、そうじゃなければ別々のところに配置することもできる」

 何が言いたいんだ、この男は。

「僕はね、君の恋を応援してあげたいと思っているんだ」

「!」

「ふふ。分かりやすいね、君」

 駄目だ。動揺するな。

「そして君が恋に疲れたら、逃げる場所も用意してあげる。どう?」

 冷や汗が止まらない。本当にこの男、一体どこまで…

「まあ、辞令は一旦保留にしておくよ。来週のこの時間、改めて返事を聞かせてね」

 彼は俺の肩にポンと手を置いて、去って行った。



 その日は一日、仕事にならなかった。いや、言われたことは淡々とこなしていたのだが、これは全て俺を試すための…いや、試験は終わったのか。ともかく、俺に仕事を運んでくる二人と王太子が、俺をどうするつもりなのか、気味が悪くて仕方ない。

 ランチの時間、ナイジェルに例の半個室へ誘われ、

「お前、辞令を断ったのか」

 と問いただされた。確かに俺を王太子に推挙したのは彼だし、俺の上司でもあるから、彼の耳に入るのは当然だ。

「ごめん。顔を潰すようなことをして。どうしても、胡散臭うさんくさかったから」

「俺の顔とか、そういうのはどうでもいい。何を言われたんだ。顔が真っ青だ」

「いや、特に。なんか色々探りを入れられてたみたいで」

「まあ、王宮に勤めるって、そういう部分があるからな…」

「一週間考えてみろって言われた」

「仕事が終わったら、俺のところに来い」

「ありがとう。いや、金曜日に行っていいかな」

「分かった」

 彼はそれだけ言うと、さっさと食事を片付けて、去って行った。彼の顔をまともに見られない。自分の立っているこの地面が、本当はとても薄い氷で出来ていて、その下は底のない泥沼だった、みたいな感覚。俺は一体、どこに逃げれば良いのだろう。
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