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第4章 仕官編

(28)※ 指輪

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 家に帰って、シャワーを浴びて、一息つく。引きこもりの俺が、一気に社会人デビューしたのだ。大した仕事は何もしていないが、気を張っていたらしい。どっと疲れが押し寄せてきた。身繕いをして、明日に備えてもう寝てしまおう。

 そう思って、浴室から部屋に戻ると、暗い室内に人影があった。

「父上…」

 彼は、四日前にここを訪ねて来た時と同じ姿だった。ただあの日と違い、穏やかな目をしている。ステータスに、飢餓の文字もない。本来はこういう人物なのだろう。俺を見て、何を話しかけていいのか分からない顔をしている。一見無表情に見えるが、だんだん分かるようになってきた。

「お会いしたかった…」

 偽らざる本音だ。ちょっと折れかけていた心を、誰かに支えて欲しかった。彼の髪を掻き上げ、口付ける。彼も戸惑いながら、俺を受け入れ、そっと背中に腕を回す。



「あっ…はぁっ…」

 俺を受け入れて、切なくため息を漏らす。飢餓を満たし、生き残るための行為じゃなくて、純粋に愛し合うためのセックス。妻がいるのに、単に愛欲のために息子に抱かれることに、彼は強い罪悪感を覚えているようだが、そんなものどうだっていいじゃないか。彼には家庭があり、俺はその枠組みの外側にいる。彼の幸せを壊す気はない。ただ、命が尽きるその日まで、彼を満たし続ける。その関係の中に、多少情愛と官能が混じっていても、誰にも咎める権利は無いと思う。

 いや、それは単なる言い訳だ。俺には今、仮初かりそめの恋人がいて、虚構の上に成り立った彼との関係を、早く終わらせなければならない。長年俺をいいように罵倒してきた嫌な奴と、成り行きで寝て、このザマだ。今の俺はひどく不安定で、ちょうど彼にすがりたいと思っていた。我ながら、何て愚かなんだろう。

 そんな脆弱な俺を見透かしてか、彼は俺に腕を伸ばして、優しく包んでくれる。今だけは、この腕の中で安らいでいたい。お互いに抱きしめ合って、優しく口付け合って、繋がり合って、溶け合って。まるでこの世界に、二人だけが取り残されたように。



 夢のような情事が終わっても、俺は彼を帰したくなかった。彼も名残惜しそうにしていたが、転移陣には制限があった。彼が渡って来られるのは、月曜日か、満月のみ。ゲートが開いているのは、夜の間だけなのだという。

「今日はお前に、これを」

 彼が俺に手渡したのは、シンプルな指輪。今俺が身につけている家紋入りの指輪と同じ意匠だが、もう少し繊細な作り。内側には、「Meredith to Muriel」と打刻されていた。聖銀製だから、俺の指に自動的にフィットする。

「何かあったら、それでいつでも私を呼んでくれ」

 あとそれから、ここではどうかメレディスと。そう言って彼は、転移陣の中に消えて行った。

 俺は跳ぼうと思えば、いつでも彼の元に跳べる。そうやって先日帰省したのだから、彼もそれを知っているはずだ。だけど、跳んで来いとは言わない。それが俺たちのルール。そして、確かに指輪を受け取ったが、これで俺が彼を呼ぶことはないだろう。これはミュリエルのためのものだ。きっと手元に置いていても辛いだろうから、俺が預かるだけ。

 俺は、指輪を左手の中指に嵌めた。人差し指にはいつもの指輪があり、多少干渉するが、薬指に付けてはいけない気がした。そして指輪に口付けて、眠った。

 これから月曜日と満月の日は、世界中のどこに居ようと、この部屋に戻って来よう。



 感傷に浸っていても、朝は来る。幻のような一夜だったが、指には指輪が輝いている。そっと口付けて、身支度を済ませて。さあ、今日も一日、何とか乗り越えよう。

 昨日出勤してみて分かった。あっちの世界で言うと、俺は霞ヶ関に働きに出るようなもんだ。要は公務員なわけで、礼服も、そこまで畏まったものでなくていい。動きやすいスーツと、伊達メガネ。手周り品を入れる鞄。さながらビジネスマンだ。一応貴族なので、リクルートスーツよりはドレッシーだけど。レベルも五百を超えたので、通勤スタイルにも関わらず、外見がちょっと浮世離れしてきている。いかん、これ以上地味にしようと思ったら、どうすればいいんだ。

 早めに王宮に転移し、食堂で朝食にありついていると、ナイジェルがやって来た。俺は上級貴族席じゃなくて、一般向けの席に着いていたのだが、彼はわざわざ向かいの席にやって来て、同じものを摂っている。相変わらず無言だ。俺の左手の指輪をちらりと見たが、どちらもマガリッジ家の紋章が付いているのを確認したのか、何も言わなかった。

 仕事の内容は、昨日とそう変わらなかった。そういえば、俺は昨日からこうして出仕しているが、契約書も辞令もまだもらっていない。ただ王太子殿下とナイジェルに「来い」って言われただけだ。試用期間ってヤツかも知れない。あんまり長居する気もないから、その方がいいだろう。サーコートと徽章きしょうが無駄になるくらいか。



 午後、思わぬチャンスが舞い込んだ。ラフィ、つまり愛想の良い方が、俺にとある事案について、図書館で資料を調べてまとめて来て欲しいと。図書館には、いつか探りを入れに行こうと機会を伺っていた。ナイジェルの隷属れいぞく紋を消去する方法。あそこになら、何らかの手がかりがあるんじゃないかと。今こそ彼らに勘付かれずに、堂々と探しに行ける。

 お目当ての資料は、一つの書架しょかにまとめて置いてあったので、簡単に見つけることができた。関連するものを何冊か手に取って、該当箇所を書き写す。書き写したものを、まとめて清書。こないだ薬草学や植物学なんかを市街地の図書館で調べたのと同じだ。あっちの世界の受験勉強、こんなところですこぶる役に立つ。とりあえず、今日の午後だけでは終わりそうにないボリュームなので、ここでは書き写すところまで。

 それよりも、俺が探しているのは、魅了と隷属紋についての本だ。ここには膨大な図書が収蔵されている。魔導関連書、呪術関連書だけでも相当量だ。魔眼を使って、ヒントが眠っていそうな本を、片っ端から手に取って眺めて行く。その時。

「やあ、メイナード。調子はどうかな」

 本に集中していたので、いきなり声を掛けられてギョッとする。王太子殿下。慌てて臣下の礼を取ろうとすると、彼は制止する。

「ここは図書館だよ。そんなに畏まらなくていい。それよりも、君の探している本は、多分ここじゃない」

 一瞬、彼が何を言っているのか分からなかった。

「禁書区域にあるはずだ。こっち」

 そうして彼は、俺の手を取って先導して行く。廊下を出て、奥まった場所にある、もう一つの扉。中の司書に二言三言ふたことみこと告げ、俺を招き入れる。そして笑顔で去って行った。

 呆然とする俺の視界の端に、魔眼に強く訴えかける本が一冊。吸い寄せられるようにページをめくると、そこには魅了について、そして隷属紋について、事細かく記されていた。もちろん、その解除の方法も。

 ———俺の知りたかったことは、呆気なく見つかってしまった。
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