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第4章 仕官編

(22)王宮へ

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 さて、のんびりしてもいられない。俺は来週から王宮に仕官することが決まっている。今日は金曜日。仕官にあたってどんな準備が必要なのか、何も知らない。誰かに訊こうにも、ナイジェルくらいしか伝手つてがない。そして俺は、彼の連絡先すら知らなかった。

 仕方ない。気が進まないが、王宮まで出向くことにしよう。返す返すも、マーサが衣服を一式作り直してくれてよかった。先日はいささかラフな格好でそのまま連れて行かれて失敗したが、礼服ならば失礼に当たらないだろう。

 今回は徒歩で出向いたため、最初の門から延々と身分を証明することになった。しかし全ての門で、俺は指輪を見せただけで通行を許された。そして一様に、王太子宮を目指すように告げられる。ナイジェルだろうか、それとも王太子殿下だろうか。根回しがえげつない。



 やがて先日馬車で運ばれた最深部の検問所で身分の確認を受けると、その場で待機するように指示され、間もなくナイジェルがやって来た。

「お前、一昨日と昨日、どこに行っていた」

「どこって、実家とか」

「マガリッジ領まで?」

 しまった。俺が領まで一気に跳べることが分かったら、偽装の意味がない。

「休み休み、だよ。それより、来週からどうやって出仕したらいいのか、どこで聞けばいいんだ?」

「ついて来い」

 彼は前回と同じく、すたすたと進んで行く。慌てて後を追いかける。今回は、あの謁見室より手前の棟に案内された。彼は扉の一つに無造作に手を掛けると、

「ここが俺たちの執務室」

 中には机が四台。下級官吏かんりと思われる者が二名、執務に当たっていた。うち一人は、俺が王都で最初にナイジェルに捕まった時に、後ろで控えていたヤツだ。うう、こんなところで同僚になるとは。

「来週から世話になる。メイナード・マガリッジだ。よろしく頼む」

 つい学園時代の癖で、ぺこりと頭を下げそうになる。彼らは恐縮して、臣下の礼を取るかどうか迷っている。「ああ、堅苦しいのは苦手だから、よしてくれ」と声を掛けると、ほっとした様子で頭を下げ、また執務に戻った。

「挨拶などいいのに」

「そうは行くかよ」

 後は、ロッカールームに食堂など。食堂は地味に有り難いな。それから、彼らの着用しているサーコートは貸与たいよ。普段は私服で勤務してもいいが、要人が出張でばって来たり、俺が見つかった時のように外に用事がある時なんかは、着替える必要がある。勤務が始まってから採寸され、作られるようだ。

「それから、これ」

 彼に渡されたのは、小さな徽章きしょう。これに魔力登録をして、身分証明に使う。今回渡されたのは、部署ごとに与えられた予備。こちらもまた仕官後、正式に作られるらしい。嬉しいのは、これを持っていると、転移スキルを持つ者は転移許可ゾーンで転移が可能になるらしい。よかった。いざとなったら転移で逃げようと思っていたが、知らずに転移を使っていたら、お尋ね者になるところだった。そしてこれで、転移で通勤ができる。ナイス。

 てか俺、早々にクビになって人間界に行くつもりなんだけど。何だか着々と、外堀が埋められている感じがしなくもない。まあ、いくら制服や身分証が作られたとて、無能ならば問答無用で解雇されることだろう。

 そういえば、先日服を一式作り直してもらったとはいえ、しばらく王宮に通うとなると、洗い替えが心許ない。俺が不在の間、タウンハウスからは人が派遣されて、掃除や洗濯はやってくれるみたいだが、王宮に出入り出来るほどの礼服はこれしかない。俺はナイジェルに、どこか仕立て屋を紹介してくれるように頼んだ。

「じゃあ、こっち」

 彼はまた、すたすたと歩き出した。おい、俺は店を教えてくれるだけでいいんだって。お前仕事はいいのかよ。しかし当人は、「俺はお前の教育係。これが俺の仕事」そう言って、振り返りもしない。本当かよ。彼は王宮の馬車を使って、俺を伴って、そのまま王都に繰り出した。

 馬車の中では、相変わらずの恋人繋ぎ。「ちょっと…」と離そうとするが、「だってお前、手を離したら転移して逃げるだろ」とのこと。はっ、その発想はなかった…!今更愕然とする俺を見て、ナイジェルは溜め息をついていた。



 やがて馬車は、一軒の立派な仕立て屋の前で停まった。ナイジェルは、馬車を操る騎士に、今日は直帰する旨を伝え、王宮へ帰らせた。

 仕立て屋に入ると、店員はすぐにナイジェルを認識し、高級そうな部屋に通された。さすがノースロップ侯爵家の御用達。彼が部下の服を作りたいと言うと、店内の針子ではなく、中から上等な服を着た男が出て来て、直々に俺の採寸をするということになった。

 ナイジェルは応接セットで待たされ、俺は奥の小部屋で採寸に応じる。男は俺を頭のてっぺんからつま先まで、無遠慮に値踏みするような視線を投げ寄越した。そして、俺を必要以上にべたべたと撫で回しながら、メジャーを滑らせる。

「ところでお客様、礼服と共に、下着などに興味はございませんか?」

 一通りの採寸を終えると、男は黒いトランクを取り出した。中には卑猥な下着が並んでいた。黒い革でできたものから、辛うじてそこが隠れるようになっているだけのもの、穴が空いているもの、ほとんど紐だけのようなものまで。ああ、そうか。王太子殿下も言っていたが、この男も、俺を彼の愛人だと邪推しているのだ。

「結構だ」

 俺はまだ何か言いたげな男を制して、手早く服を着ると、部屋を出た。

「もう終わったのか」

 ナイジェルは、俺が意外に早く出て来たことに驚いていたが、

「ああ、俺にはちょっと敷居が高いみたいだから、また今度でいいかな」

 彼の顔を潰すようで申し訳ないが、明日にでもまた帰領して、あっちで追加で服を仕立ててもらおう。ナイジェルも何かを察して、店員が引き止めるのも構わず、一緒に店を出て来た。



 もう昼だということで、その辺りで飯にすることにした。今日は宮仕えのかしこまった服を着ているので、ナイジェルにチョイスを任せる。いや、そういう言い方をすると、いかにも食通なようだが、正直俺は王都の店のことなど何も知らない。

「さっき、何があった?」

 彼に案内されたのは、落ち着いた老舗のレストラン。俺の想定と桁が違うところだ。彼によると、ここは「手頃」で、しかも個室に諜報対策が施されているらしい。さすが一流貴族。

 俺は、仕立て屋であったことを遠回しに伝えたが、彼が「潰すか」などと物騒なことを言うもんだから、なだめておいた。あっちは俺に気を効かせたつもりだったのだ。俺に、よりナイジェルの寵愛を得るために、ちょっと手助けしてやろうっていう。

「まあ、仕方ないよ。お前が俺みたいな冴えない淫魔を連れて来たら、目的はそれくらいしか」

「お前、自分で鏡見たことあるのか?」

 ああそうか。今の俺は、魔力や角こそ隠蔽しているが、我ながら外見は結構なもんだ。まだ容姿の変化と、長年のセルフイメージが噛み合っていない。しかし、なら余計、俺は愛人にしか見えないだろう。実際、王太子殿下にもそう言われたしな。

「そう、お前。何で俺のこと、王太子殿下に推挙したんだよ?」

「そうでもしないとお前、王都から逃げるだろ」

「は?」

 たったそれだけの理由で?

淫魔おまえには転移がある。一度逃したら、俺にはもう、二度と捕まえられない」

 切ない表情かおをして、ナイジェルが目を逸らす。ちょ、こういうの弱いんだけど…

「それだけどさあ。俺だってちょくちょく帰って、お前の相手くらいしてやろうって考えてたんだぜ?」

「やっぱり、人間界から王都に簡単に帰れるんだな」

 しまった。

「ずっと何かおかしいって思ってた。お前は俺に、媚の一つも売らないで、いつも俺のことを避けて。裏では俺のことを馬鹿にしながら下手したてに出るヤツばっかりで反吐が出たけど、お前だけは…」

「えっ」

「偽装してたんだな。今も。じゃないと、辻褄が合わない」

「いや、違っ」

 本当に違うんだ。いや、偽装はしているが、偽装を始めたのは、ほんの最近のことで…

「ならなおさら、絶対に手放すわけにはいかない」

「だから、誤解…」

「諦めない」

 切なく潤んだ瞳を、こちらに向けてくる。やめろ、その乙女しゅう。彼の目には、偽装して俺しか見えない隷属れいぞく紋が浮かんでいる。そう、これは魅了スキルの賜物たまものだ。決して彼が俺を好いているわけではない。

 ああもう、いくら俺が淫魔だからって、こういう経験値はさっぱりなんだよ…!
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