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第2章 王都編

(7)王都へ

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 翌朝、俺は早速旅支度を始めた。支度といっても、旅に持ち出せるものなどそう持っていない。最低限の衣服と、生活用品、文房具。それらはトランク1つで簡単に収まった。あとは学園時代に着ていたローブと外套マント。先日、マーサが服を一式新調してくれて、助かった。以前の服は、着られないこともないが、体型が変わってしまい、あまりにも似合わない。

「坊っちゃま…本当に、行かれるのですか」

「ああ。父上にお会いして、いつまでもここでくすぶっていてはいけないと分かったからさ」

「もう少し旅の用意を整えられてからでは…」

「ありがとう、ミア。出発を引き延ばすと、離れ難くなるからね。まあ、ちょくちょく帰って来るよ」

 俺と別れを惜しんでくれる二人に、挨拶を交わす。後は執事頭にだけ声を掛け、ひっそりと家を出た。父も、他の使用人も、誰も俺を見送ろうなんて者はいない。俺にはこれくらいで、ちょうどいい。

 行き先は、とりあえず王都に。王都のタウンハウスには、義母が住んでいるので頼れないだろう。執事頭が用意した金貨を使って、王都で改めて旅装を整え、人間界を目指すことにする。



 王都までの移動は、転移で一瞬だった。分かっていたことだが、本当に王都まで飛ぶ力がついたことに、ちょっと感動を覚える。転移スキルは、一度行ったところなら、どこへでもジャンプできる。人間界への足掛かりを掴んだら、無理せず転移を繰り返し、少しずつ行動範囲を広げて行こう。

 まずは適当な宿を探す。庶民用の安宿は、角や衣服からパッと見貴族と分かる俺が泊まるのは、危険だ。かといって、貴族御用達の宿では高すぎる。結果、木っ端貴族の役人が出張で泊まる、適当な宿を確保した。執事から渡された資金は、金貨三百枚。夢の中の世界に換算すると、およそ三百万円。しかし、ここから遠い人間界までの路銀や、その間の生活費も賄う必要がある。無駄遣いはできない。

 何だかんだ、俺も領都と王都、しかも屋敷周辺や貴族学園など、限られた狭い範囲の世界しか知らない。まずは王立図書館に出かけて、情報の収集に当たること。そしてしばらく市井しせいに留まって、庶民の生活や常識を身につけた方がいいだろう。人間界の街や庶民の生活は、俺たち魔人のそれと大して変わらないと聞いたことがあるからだ。

 俺は大きな荷物を部屋に置いて、貴重品だけ持って図書館に出かける。さすが王都だけあって、魔眼を人物だけに設定していても、ものすごい情報量が飛び込んでくる。中には、スリ、詐欺師、殺人犯などが平然と歩いていたり、この世のものではないもの、状態異常の者、そして人間族なんかも紛れ込んでいる。俺の鑑定が通るということは、俺の方がレベルが高いということでもあるのだが、元より淫魔は戦闘に適した種族ではない。トラブルに巻き込まれないよう、用心して歩くだけだ。

 図書館では、入場料を支払って入館する。本の貸し出しはない。俺は治癒師を装って人間界に潜伏する予定なので、薬草学や植物学なんかの本を読み漁り、必要な箇所をノートに書き写して行く。まるであの世界で、図書館で受験勉強をしていた時のようだ。あちらの俺も、やむを得ない理由で勉学に励んでいたが、こちらの俺は、これからの身の安全と生活がかかっている。真剣に書き取りをしているうちに、昼もとうに過ぎていた。少しこんを詰め過ぎたみたいだ。今日はこのくらいにして、外に出て、遅い昼食を摂ることにする。

 王都を散策するのは久しぶりだ。こんな俺でも、学園時代には学友と呼べる者がいた。彼らは下級貴族で、俺と同じく成績が奮わずパッとしない者同士、それでも楽しくやっていたものだ。彼らと巡った屋台が、今でも広場に店を出している。彼らはそれぞれ下級官吏かんりになったり、同家格の家に婿入りしたり、兄の継いだ家で補佐をしたりしているようだ。引きこもっているだけの俺は、彼らに伝える近況もなく、手紙すら返していないが、またいつか拠点が定まったら、連絡してみようと思う。彼らのことを思い出しながら一人食べるホットドッグは、少し味気なかった。

 さて、ぐずぐずしていても始まらない。これから少し街を歩いて、宿に帰って、今日書き写したことを復習しよう。自慰行為も兼ねながら。ああ、それではまるで、夢の中の俺と同じじゃないか。クスリと思い出し笑いをしながら、俺は大通りを急いだ。

 俺が立ち寄ったのは、大通りから一本入った庶民向けの衣料品店。人間界に潜り込むなら、庶民の衣服も必要だろう。庶民用の服は、ほとんどが着古された古着だが、中には状態の良いものや、仕立ての良いものもある。いかにも庶民ぽく、しかし自分の体にぴったりと合い、そして俺の美しさを損なわないもの。こういった店でそれを見つけるのは至難の業だが、宝探しをするようで楽しい。魔眼にいくつか候補が引っかかる。荷物になるので、旅立ちの直前に購入しようと思う。俺は満足して店を出た。

 ところがその時。

「おい。お前、メイナードだな」

 背後から、不躾ぶしつけな声が飛んできた。



 振り返ると、そこには立派なサーコートに身を包んだ騎士が立っていた。俺が王都で最も会いたくなかった男、ナイジェル・ノースロップ。名門ノースロップ侯爵家の長男だ。何故俺の事が分かったのだろう。学生時代から着ていた外套マントのせいだろうか。

 俺は咄嗟にひざまずき、臣下の礼を取った。

「ノースロップ閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「おい…何だそれは!」

 天下の往来で、いきなり騎士が一般人を跪かせている。外聞が悪いのはあちらだ。

「非礼がございましたら、伏してお詫び申し上げます」

「やめろ!一体何のつもりだ!」

「何のつもりとおっしゃいましても…」

 そうだ。ここは学園ではなく、俺たちはもう同級生でも何でもない。彼は侯爵家子息、俺は伯爵のせがれだ。身分差は歴然。往来で声を掛けられたら、俺にはこう対応するしか選択肢がない。そもそも彼は、俺たちの代の首席。落ちこぼれの俺たちを、常に散々おとしあざけってきたが、そんな俺に一体何の用があるのか。そして、そんな学園時代のような子供じみた関係が、今でも通用すると思っていたのだろうか。

 しばらく言葉を失っていた彼に対して、跪きこうべを垂れたまま、目も合わせず。用がないなら退散させてもらう。

「御用向き無きようでしたら、御前失礼いたします」

「待て!」

 何を待つ必要があるのか。彼は後ろに控えていた騎士に何やら指示を出すと、

「立て。ついて来い」

 俺に居丈高いたけだかに命令し、振り返りもせずにさっさと歩き出した。
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