8 / 135
第2章 王都編
(7)王都へ
しおりを挟む
翌朝、俺は早速旅支度を始めた。支度といっても、旅に持ち出せるものなどそう持っていない。最低限の衣服と、生活用品、文房具。それらはトランク1つで簡単に収まった。あとは学園時代に着ていたローブと外套。先日、マーサが服を一式新調してくれて、助かった。以前の服は、着られないこともないが、体型が変わってしまい、あまりにも似合わない。
「坊っちゃま…本当に、行かれるのですか」
「ああ。父上にお会いして、いつまでもここでくすぶっていてはいけないと分かったからさ」
「もう少し旅の用意を整えられてからでは…」
「ありがとう、ミア。出発を引き延ばすと、離れ難くなるからね。まあ、ちょくちょく帰って来るよ」
俺と別れを惜しんでくれる二人に、挨拶を交わす。後は執事頭にだけ声を掛け、ひっそりと家を出た。父も、他の使用人も、誰も俺を見送ろうなんて者はいない。俺にはこれくらいで、ちょうどいい。
行き先は、とりあえず王都に。王都のタウンハウスには、義母が住んでいるので頼れないだろう。執事頭が用意した金貨を使って、王都で改めて旅装を整え、人間界を目指すことにする。
王都までの移動は、転移で一瞬だった。分かっていたことだが、本当に王都まで飛ぶ力がついたことに、ちょっと感動を覚える。転移スキルは、一度行ったところなら、どこへでもジャンプできる。人間界への足掛かりを掴んだら、無理せず転移を繰り返し、少しずつ行動範囲を広げて行こう。
まずは適当な宿を探す。庶民用の安宿は、角や衣服からパッと見貴族と分かる俺が泊まるのは、危険だ。かといって、貴族御用達の宿では高すぎる。結果、木っ端貴族の役人が出張で泊まる、適当な宿を確保した。執事から渡された資金は、金貨三百枚。夢の中の世界に換算すると、およそ三百万円。しかし、ここから遠い人間界までの路銀や、その間の生活費も賄う必要がある。無駄遣いはできない。
何だかんだ、俺も領都と王都、しかも屋敷周辺や貴族学園など、限られた狭い範囲の世界しか知らない。まずは王立図書館に出かけて、情報の収集に当たること。そしてしばらく市井に留まって、庶民の生活や常識を身につけた方がいいだろう。人間界の街や庶民の生活は、俺たち魔人のそれと大して変わらないと聞いたことがあるからだ。
俺は大きな荷物を部屋に置いて、貴重品だけ持って図書館に出かける。さすが王都だけあって、魔眼を人物だけに設定していても、ものすごい情報量が飛び込んでくる。中には、スリ、詐欺師、殺人犯などが平然と歩いていたり、この世のものではないもの、状態異常の者、そして人間族なんかも紛れ込んでいる。俺の鑑定が通るということは、俺の方がレベルが高いということでもあるのだが、元より淫魔は戦闘に適した種族ではない。トラブルに巻き込まれないよう、用心して歩くだけだ。
図書館では、入場料を支払って入館する。本の貸し出しはない。俺は治癒師を装って人間界に潜伏する予定なので、薬草学や植物学なんかの本を読み漁り、必要な箇所をノートに書き写して行く。まるであの世界で、図書館で受験勉強をしていた時のようだ。あちらの俺も、やむを得ない理由で勉学に励んでいたが、こちらの俺は、これからの身の安全と生活がかかっている。真剣に書き取りをしているうちに、昼もとうに過ぎていた。少し根を詰め過ぎたみたいだ。今日はこのくらいにして、外に出て、遅い昼食を摂ることにする。
王都を散策するのは久しぶりだ。こんな俺でも、学園時代には学友と呼べる者がいた。彼らは下級貴族で、俺と同じく成績が奮わずパッとしない者同士、それでも楽しくやっていたものだ。彼らと巡った屋台が、今でも広場に店を出している。彼らはそれぞれ下級官吏になったり、同家格の家に婿入りしたり、兄の継いだ家で補佐をしたりしているようだ。引きこもっているだけの俺は、彼らに伝える近況もなく、手紙すら返していないが、またいつか拠点が定まったら、連絡してみようと思う。彼らのことを思い出しながら一人食べるホットドッグは、少し味気なかった。
さて、ぐずぐずしていても始まらない。これから少し街を歩いて、宿に帰って、今日書き写したことを復習しよう。自慰行為も兼ねながら。ああ、それではまるで、夢の中の俺と同じじゃないか。クスリと思い出し笑いをしながら、俺は大通りを急いだ。
俺が立ち寄ったのは、大通りから一本入った庶民向けの衣料品店。人間界に潜り込むなら、庶民の衣服も必要だろう。庶民用の服は、ほとんどが着古された古着だが、中には状態の良いものや、仕立ての良いものもある。いかにも庶民ぽく、しかし自分の体にぴったりと合い、そして俺の美しさを損なわないもの。こういった店でそれを見つけるのは至難の業だが、宝探しをするようで楽しい。魔眼にいくつか候補が引っかかる。荷物になるので、旅立ちの直前に購入しようと思う。俺は満足して店を出た。
ところがその時。
「おい。お前、メイナードだな」
背後から、不躾な声が飛んできた。
振り返ると、そこには立派なサーコートに身を包んだ騎士が立っていた。俺が王都で最も会いたくなかった男、ナイジェル・ノースロップ。名門ノースロップ侯爵家の長男だ。何故俺の事が分かったのだろう。学生時代から着ていた外套のせいだろうか。
俺は咄嗟に跪き、臣下の礼を取った。
「ノースロップ閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「おい…何だそれは!」
天下の往来で、いきなり騎士が一般人を跪かせている。外聞が悪いのはあちらだ。
「非礼がございましたら、伏してお詫び申し上げます」
「やめろ!一体何のつもりだ!」
「何のつもりとおっしゃいましても…」
そうだ。ここは学園ではなく、俺たちはもう同級生でも何でもない。彼は侯爵家子息、俺は伯爵の倅だ。身分差は歴然。往来で声を掛けられたら、俺にはこう対応するしか選択肢がない。そもそも彼は、俺たちの代の首席。落ちこぼれの俺たちを、常に散々貶め嘲ってきたが、そんな俺に一体何の用があるのか。そして、そんな学園時代のような子供じみた関係が、今でも通用すると思っていたのだろうか。
しばらく言葉を失っていた彼に対して、跪き首を垂れたまま、目も合わせず。用がないなら退散させてもらう。
「御用向き無きようでしたら、御前失礼いたします」
「待て!」
何を待つ必要があるのか。彼は後ろに控えていた騎士に何やら指示を出すと、
「立て。ついて来い」
俺に居丈高に命令し、振り返りもせずにさっさと歩き出した。
「坊っちゃま…本当に、行かれるのですか」
「ああ。父上にお会いして、いつまでもここでくすぶっていてはいけないと分かったからさ」
「もう少し旅の用意を整えられてからでは…」
「ありがとう、ミア。出発を引き延ばすと、離れ難くなるからね。まあ、ちょくちょく帰って来るよ」
俺と別れを惜しんでくれる二人に、挨拶を交わす。後は執事頭にだけ声を掛け、ひっそりと家を出た。父も、他の使用人も、誰も俺を見送ろうなんて者はいない。俺にはこれくらいで、ちょうどいい。
行き先は、とりあえず王都に。王都のタウンハウスには、義母が住んでいるので頼れないだろう。執事頭が用意した金貨を使って、王都で改めて旅装を整え、人間界を目指すことにする。
王都までの移動は、転移で一瞬だった。分かっていたことだが、本当に王都まで飛ぶ力がついたことに、ちょっと感動を覚える。転移スキルは、一度行ったところなら、どこへでもジャンプできる。人間界への足掛かりを掴んだら、無理せず転移を繰り返し、少しずつ行動範囲を広げて行こう。
まずは適当な宿を探す。庶民用の安宿は、角や衣服からパッと見貴族と分かる俺が泊まるのは、危険だ。かといって、貴族御用達の宿では高すぎる。結果、木っ端貴族の役人が出張で泊まる、適当な宿を確保した。執事から渡された資金は、金貨三百枚。夢の中の世界に換算すると、およそ三百万円。しかし、ここから遠い人間界までの路銀や、その間の生活費も賄う必要がある。無駄遣いはできない。
何だかんだ、俺も領都と王都、しかも屋敷周辺や貴族学園など、限られた狭い範囲の世界しか知らない。まずは王立図書館に出かけて、情報の収集に当たること。そしてしばらく市井に留まって、庶民の生活や常識を身につけた方がいいだろう。人間界の街や庶民の生活は、俺たち魔人のそれと大して変わらないと聞いたことがあるからだ。
俺は大きな荷物を部屋に置いて、貴重品だけ持って図書館に出かける。さすが王都だけあって、魔眼を人物だけに設定していても、ものすごい情報量が飛び込んでくる。中には、スリ、詐欺師、殺人犯などが平然と歩いていたり、この世のものではないもの、状態異常の者、そして人間族なんかも紛れ込んでいる。俺の鑑定が通るということは、俺の方がレベルが高いということでもあるのだが、元より淫魔は戦闘に適した種族ではない。トラブルに巻き込まれないよう、用心して歩くだけだ。
図書館では、入場料を支払って入館する。本の貸し出しはない。俺は治癒師を装って人間界に潜伏する予定なので、薬草学や植物学なんかの本を読み漁り、必要な箇所をノートに書き写して行く。まるであの世界で、図書館で受験勉強をしていた時のようだ。あちらの俺も、やむを得ない理由で勉学に励んでいたが、こちらの俺は、これからの身の安全と生活がかかっている。真剣に書き取りをしているうちに、昼もとうに過ぎていた。少し根を詰め過ぎたみたいだ。今日はこのくらいにして、外に出て、遅い昼食を摂ることにする。
王都を散策するのは久しぶりだ。こんな俺でも、学園時代には学友と呼べる者がいた。彼らは下級貴族で、俺と同じく成績が奮わずパッとしない者同士、それでも楽しくやっていたものだ。彼らと巡った屋台が、今でも広場に店を出している。彼らはそれぞれ下級官吏になったり、同家格の家に婿入りしたり、兄の継いだ家で補佐をしたりしているようだ。引きこもっているだけの俺は、彼らに伝える近況もなく、手紙すら返していないが、またいつか拠点が定まったら、連絡してみようと思う。彼らのことを思い出しながら一人食べるホットドッグは、少し味気なかった。
さて、ぐずぐずしていても始まらない。これから少し街を歩いて、宿に帰って、今日書き写したことを復習しよう。自慰行為も兼ねながら。ああ、それではまるで、夢の中の俺と同じじゃないか。クスリと思い出し笑いをしながら、俺は大通りを急いだ。
俺が立ち寄ったのは、大通りから一本入った庶民向けの衣料品店。人間界に潜り込むなら、庶民の衣服も必要だろう。庶民用の服は、ほとんどが着古された古着だが、中には状態の良いものや、仕立ての良いものもある。いかにも庶民ぽく、しかし自分の体にぴったりと合い、そして俺の美しさを損なわないもの。こういった店でそれを見つけるのは至難の業だが、宝探しをするようで楽しい。魔眼にいくつか候補が引っかかる。荷物になるので、旅立ちの直前に購入しようと思う。俺は満足して店を出た。
ところがその時。
「おい。お前、メイナードだな」
背後から、不躾な声が飛んできた。
振り返ると、そこには立派なサーコートに身を包んだ騎士が立っていた。俺が王都で最も会いたくなかった男、ナイジェル・ノースロップ。名門ノースロップ侯爵家の長男だ。何故俺の事が分かったのだろう。学生時代から着ていた外套のせいだろうか。
俺は咄嗟に跪き、臣下の礼を取った。
「ノースロップ閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「おい…何だそれは!」
天下の往来で、いきなり騎士が一般人を跪かせている。外聞が悪いのはあちらだ。
「非礼がございましたら、伏してお詫び申し上げます」
「やめろ!一体何のつもりだ!」
「何のつもりとおっしゃいましても…」
そうだ。ここは学園ではなく、俺たちはもう同級生でも何でもない。彼は侯爵家子息、俺は伯爵の倅だ。身分差は歴然。往来で声を掛けられたら、俺にはこう対応するしか選択肢がない。そもそも彼は、俺たちの代の首席。落ちこぼれの俺たちを、常に散々貶め嘲ってきたが、そんな俺に一体何の用があるのか。そして、そんな学園時代のような子供じみた関係が、今でも通用すると思っていたのだろうか。
しばらく言葉を失っていた彼に対して、跪き首を垂れたまま、目も合わせず。用がないなら退散させてもらう。
「御用向き無きようでしたら、御前失礼いたします」
「待て!」
何を待つ必要があるのか。彼は後ろに控えていた騎士に何やら指示を出すと、
「立て。ついて来い」
俺に居丈高に命令し、振り返りもせずにさっさと歩き出した。
106
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる