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後日談
奥様は見た!
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✳︎✳︎✳︎
今回はキースの母、カトリーナ視点です。
✳︎✳︎✳︎
私はカトリーナ・ノルト=ケラハー。ケラハー侯爵夫人と呼ばれている。夫はカイル・ケラハー。このキースリー王国の軍部大臣を務める侯爵だ。
出身は北のノルト王国。私は第三王女として生を受け、将来は国防を背負って立つ将軍として祖国に貢献しようとしていた。ところが、我が国を訪問していたカイルに見初められ、力で勝負することとなった。
私は姫将軍と呼ばれる武将であるが、女でもある。私より弱い男に嫁するなど、話にならん。ノルト王国は大陸の北に位置していて、国民は皆体格に恵まれ、、国内には筋骨隆々な屈強な男が溢れているが、揃いも揃って皆、私の剣の前に屈するのだ。その筋肉は飾りか。時折「ご褒美」などと呻き声が聞こえるが、聞かなかったことにする。
カイルは燃えるような赤髪の、細身の青年だった。細身とは言っても、この国の男と比べれば、だが。我が国を訪問していた彼は、多くの男たち同様、私に惚れ込み、決闘を申し出て来た。私に挑む前には、まず私の側近の姫騎士軍団を倒さなければならないが、彼はその難関を、辛くも突破した。何しろ「乙女に剣は向けられない」として、彼女らを傷付けないように立ち回ったのが良い。私は彼と直接対決することにした。
結果から言うと、初めて敗北を喫した。流石キースリー王国の武の要を司る、ケラハーの嫡男だ。だが私は納得していない。あろうことか彼は、対戦中に剣を放り投げ、私の背後を取って振り向かせ、唇を奪ったのだ。
もちろん、戦いの最中に「不意打ちは卑怯だ」などと温い言い訳をするつもりはない。勝負も、私の最も得意な細剣を選んだ。私は完全に、剣技と策略で敗北した。だが、未だに納得が行かない。男なら、正々堂々と勝負するべきだと思う。彼に嫁すことに決めたのは、姫騎士や私をレディとして扱った、その一点のみだ。そこで妥協した。最後まで正々堂々剣術で勝負したら、勝てた戦いだ。今でも悔しさを覚える。
そんなこんなで嫁いで来た私だが、まあ、結婚生活は悪くない。男児二人に恵まれ、香水臭い社交の場に追い立てられることもなく、実質第三騎士団の団長として、姫騎士軍団と共にナイトリー領に君臨する。ここは王国の南東に位置して、魔の森と敵対的隣国に相対する国防の要。相手にとって不足はない。祖国で培った手腕を、存分に発揮してくれよう。私の毎日は充実していた。
充実していたことがもう一つ。何を隠そう、武道と共に私が嗜むのは、恋愛小説。一国の王女として、色恋に現を抜かす訳には行かず、必要とあらば政略として望まない婚姻も覚悟していた。しかし私とて乙女だ。苦難を乗り越え、いつか王子様が迎えに来て結ばれる夢くらい、見ても良いではないか。祖国ノルト王国は、筋肉ばかりで頼りにならない大柄な男ばかり。そういう意味では、カイルはかなり理想に近い男と言えた。細身で王子然とした彼は、実に紳士的。情熱的に愛を囁き、剣の腕も申し分ない。あの勝負だけはどうにも納得が行かないが、彼をおいて他に夫となる男は見つからなかっただろう、とも思う。
だがしかし、現実は厳しい。嫁いで来て分かった。ケラハー家の男共は、皆イカれている。何せ屋敷にはもれなく監禁部屋があり、家宝はミスリルの首輪なのだ。幸いカイルはそれらに手を付けることはなかったが、彼の叔父は、そこに伴侶と二年ほど過ごしたらしい。犯罪だ。今はお二人とも幸せそうだから、無粋な口は挟まないが。
私は二子に恵まれたが、彼らには絶対に同じ轍は踏ませまいと心に誓い、厳しく育てた。
つもりだった。
転機が訪れたのは、次男のキースが伴侶を見つけたという知らせ。何やらこそこそと工作を働いているなと思っていたら、紹介したいから連れ帰る、とのこと。
元から次男は要領が良く、いけ好かない。いや、我が子としての愛はある。だが、夫や兄を手本にして、私の教育的指導を狡賢く回避する狡猾さがある。お相手の子息も、奴に良いように言い包められているのではないか。我が子ながら恐々としつつ出迎えた。
しかし、夕刻の到着だったので良く見えなかったが、キースが連れて来たのは、地味な男子生徒だった。男子。いや、前もってジュール子爵家の三男だとは聞いていた。そして、ケラハーの男は、これと決めたら男でも女でも関係ないのは知っている。現に、例のカイルの叔父のパートナーは男性だった。しかし実際に目の当たりにすると、面食らう。今日は長旅の疲れを癒してもらうしかあるまいが、これは明日の朝にでも、早速「話し合い」の場を持たねば。
ところが。
我が愚息は、早速その夜、他所様のご子息に手を出した。しかもロクに同意も無かったらしい。朝の身支度を手伝った側近によれば、彼は泣き腫らした目で、乗合馬車の場所を尋ねて来たそうだ。私の怒りは頂点に達した。乙女の敵は人類の敵だ。次男を血祭りに上げて、何なら腹でもカッ捌いて詫びなければ。
私の怒りを予測してか否か、キースは朝食の場に彼を伴って現れると、
「ご紹介します。彼が僕の伴侶、ジャスパーです」
と高らかに宣言した。案の定、連れてこられた子息は、何も聞かされていなかったのか、目を白黒させていた。私は激昂してキースを問い詰めたが、
「ええと母上。僕はこれから愛を確かめ合って、同意を取り付けなければなりませんので。じゃあジャスパー、行こう」
奴はそう言い残し、風のように去っていった。
私は慌てて追いかけようとしたが、カイルに止められた。
「まずは彼らが話し合うのが先だろう。そしてジャスパー君の様子。彼もまんざらでもなさそうだし」
それもそうか。先ほどキースに口付けられ、腰が砕けた彼の瞳は、恋する乙女そのものだった。私が口を挟むのは、尚早かも知れない。彼らが再び本邸を訪れるのを、私は悶々と待った。
しかしそれから、彼らが本邸を訪れることはなかった。別邸の側近によれば、彼らはあれから延々と睦み合っているとのこと。危うく若い二人の愛を引き裂くところだった。しかし、騙し討ちのように彼を連れ込んで手を出し、侯爵夫妻に伴侶として紹介して、絶対に断れないように工作を行なってからプロポーズを行うなど、男の風上にも置けない。世間様が許しても、私は絶対に許さない。
翌朝、のこのこと朝の鍛錬に顔を出した息子を呼び止め、徹底的に根性を叩きのめす。我が息子ながら腕を上げたと思うが、まだまだだ。シバいて、シバいて、シバき倒す。
「ゴルァぁ!今日という今日は、お前の腐った性根を叩き直してくれる!!」
ヒュパアアン!
私の鞭は絶好調だ。しかし、当の息子は心ここにあらず。「愛の力です」だの「合意の上です」だの寝言をほざきながら、うっとりと血の海に沈んでいる。これはもう、ダメかも分からんな。
しかしそこに駆け込んで来たのは、他ならぬジャスパーだった。
「待ってください!ぼ、僕もキース様のこと、お慕いしてますからッ!!」
ジャスパーはそう言って、血まみれのキースを抱き起こし、眩いほどの魔力を込めて、完全回復を掛けた。
私からキースを守るように、しっかりと我が子を抱き抱えるジャスパー。その姿はまるで、私が長年夢想してきた王子様そのものだった。線の細い身体に、さらさらの亜麻色の髪を優雅にリボンで結わえ。長い睫毛に縁取られた大きな碧玉は、穏やかな煌めきを湛え。白皙の肌に、微かなそばかすが甘いアクセント。中性的な美貌の貴公子は、まさに乙女の夢…!
私が呆気に取られている間に、朝の鍛錬は終了となった。皆そそくさと撤退していく。改めて、朝食に向けて支度をし直していて気付いた。最近気になっていた肌が、吸い付くような潤いと弾力を取り戻していたことを。「古傷が消えている」と、夫も驚いている。彼の強烈な完全回復は、周囲の我らにも恩恵をもたらしたようだ。しかも、古傷や身体を再生するほどの回復魔法など、聞いたことがない。もしかして彼は、外見が王子なだけでなく、高位神官を凌ぐヒーラーなのでは。
尊すぎる。
「逃すなよ、絶対逃すなよ」
次男には再三念を押しておいた。正直、うちの倅のやったことは褒められたものではないが、大した嫁を釣り上げてくれた。ケラハーの男共は、性癖に多大な問題があるが、基本的なスペックと、パートナーを選ぶ目は確かだ。長男も初恋を実らせ、10も年上の未亡人を娶ったが、彼女もよく出来た女性だ。そして自画自賛になるが、私とて一国の王女であり将軍。ジャスパーは、それを上回る逸材かも知れない。
その直後、私の人生を一変させる出来事に遭遇することになった。
朝食を終えて、ダイニングを後にする。先に出たキースに、何やら一言声を掛けようと思っていた気がする。通用口から別邸に向かう通路の曲がり角を曲がった途端。
我が愚息が、ジャスパーを壁際に追い詰め、強引に唇を奪っていた。
壁ドンだ。壁ドンである。
「———!!!」
私は叫びそうになった口を押さえ、急いで引っ込み…そして、再びそろりと曲がり角から覗き込んだ。
「んあ…ふ…」
ちゅくっ、ちゅくっといやらしい水音に、全神経を集中させる。角度を変えて何度も貪る不埒な息子に、次第に腰が砕けてトロトロに陥落していくジャスパー。自分の優れた視力に、これほど感謝したことはない。
息を殺して彼らの愛の営みを見守っていると、背後に馴染みのある気配が。祖国から連れて来た側近の一人が、私に向けて親指を立てていた。
その日私は、新しい扉を開いた。
恋愛小説を嗜む私であるが、側近の姫騎士たちも例外ではない。しかし彼女らには一定の派閥があり、尚且つケラハー家に根付いた我らの中には、新しい風が吹いていた。彼女らは、私の好きそうなオーソドックスな恋愛小説を蒐集しては、私の書庫にそっと加えていたものだが、この出来事を境に、斬新な小説が持ち込まれるようになった。
平たく言うと、BLである。
「キー×ジャス、新刊出ました!」
何と侍女の中には、本業の傍ら作家業に勤しむ者も現れた。いや、元から隠れて作家業を行っていたらしいが、尖ったジャンルのため内密にしていたらしい。ちなみにケラハー家に元から仕える使用人たちの間にも、執筆業に勤しむ者は多いらしく、私の知っている有名作家も混じっていた。彼ら曰く、
「実話をそのまま書けばいいだけなので、良い副業なのですよ」
だそうだ。当然、完全な創作もある。
「時代はジャス×キーですよ!俺様受け最強です」
モデルの片方が愚息なのが微妙だが、嫁(婿?)の痴態には非常に興味がある。庭師が優秀な絵師だったとは知らなかった。煽情的かつ美麗なイラストに彩られ、生々しいラブシーンを交えた、すれ違い胸キュンストーリー。ボイスは余裕で脳内再生だ。ああジャスパー、よくぞうちに嫁に来てくれた。まだ婚約だが。
その後、彼が拐かされる事件が起こり、私は全身の血液が沸騰するかと思った。しばらく前からちくちくと嫌がらせを受けていることを聞き、ケラハーのみならず祖国の影まで総動員して、彼の護衛や情報収集に当たっていたが、あまりに杜撰で行き当たりばったりな犯行に、却って遅れを取ってしまった。うちの嫁、兼王子を危険な目に遭わせたことを猛省し、持てる力の全てを賭けて犯人を叩きのめすと同時に、その後の顛末に家内が湧き立ったことは言うまでもない。
「ヤンデレ!ヤンデレですわね!」
「束縛監禁待ったなし!」
「捕えられた恋人を、颯爽と救う赤髪の騎士!」
「濃厚仲直りエッチktkr!」
正直、私の嗜好の範囲外の勢力も混ざっているが、傷付いた恋人を付きっきりで癒すシチュエーション(ただし愚息に似たキラキライケメン)に、私のトキメキは止まらない。その後様々な新刊が大量に刊行されたが、それらは裏の大ベストセラーとして出版界を席巻した。当然、どこの家の物語かは伏せられているが、誰しも見当は付いている。ジャスパーの誘拐を発端とした今回の大粛清は、彼の名誉を回復するばかりか、陰でファンクラブが結成され、主に貴腐人の間で人気沸騰することとなった。
その後も彼らの間には、縁談に横槍が入ったり、引き抜きが入ったりしてすれ違いが起こるのであるが、その度に我らは火消しに奔走し、新刊が刊行され、ケラハー家の恋愛事情、特にキースとジャスパーの一次創作二次創作は爆発的に売れに売れ、やがてロングセラーとなって行ったのだが、それはまた別の話。
二人が早く学園を卒業し、ジャスパーが別邸に嫁入りするのが待ち遠しい、私なのだった。
今回はキースの母、カトリーナ視点です。
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私はカトリーナ・ノルト=ケラハー。ケラハー侯爵夫人と呼ばれている。夫はカイル・ケラハー。このキースリー王国の軍部大臣を務める侯爵だ。
出身は北のノルト王国。私は第三王女として生を受け、将来は国防を背負って立つ将軍として祖国に貢献しようとしていた。ところが、我が国を訪問していたカイルに見初められ、力で勝負することとなった。
私は姫将軍と呼ばれる武将であるが、女でもある。私より弱い男に嫁するなど、話にならん。ノルト王国は大陸の北に位置していて、国民は皆体格に恵まれ、、国内には筋骨隆々な屈強な男が溢れているが、揃いも揃って皆、私の剣の前に屈するのだ。その筋肉は飾りか。時折「ご褒美」などと呻き声が聞こえるが、聞かなかったことにする。
カイルは燃えるような赤髪の、細身の青年だった。細身とは言っても、この国の男と比べれば、だが。我が国を訪問していた彼は、多くの男たち同様、私に惚れ込み、決闘を申し出て来た。私に挑む前には、まず私の側近の姫騎士軍団を倒さなければならないが、彼はその難関を、辛くも突破した。何しろ「乙女に剣は向けられない」として、彼女らを傷付けないように立ち回ったのが良い。私は彼と直接対決することにした。
結果から言うと、初めて敗北を喫した。流石キースリー王国の武の要を司る、ケラハーの嫡男だ。だが私は納得していない。あろうことか彼は、対戦中に剣を放り投げ、私の背後を取って振り向かせ、唇を奪ったのだ。
もちろん、戦いの最中に「不意打ちは卑怯だ」などと温い言い訳をするつもりはない。勝負も、私の最も得意な細剣を選んだ。私は完全に、剣技と策略で敗北した。だが、未だに納得が行かない。男なら、正々堂々と勝負するべきだと思う。彼に嫁すことに決めたのは、姫騎士や私をレディとして扱った、その一点のみだ。そこで妥協した。最後まで正々堂々剣術で勝負したら、勝てた戦いだ。今でも悔しさを覚える。
そんなこんなで嫁いで来た私だが、まあ、結婚生活は悪くない。男児二人に恵まれ、香水臭い社交の場に追い立てられることもなく、実質第三騎士団の団長として、姫騎士軍団と共にナイトリー領に君臨する。ここは王国の南東に位置して、魔の森と敵対的隣国に相対する国防の要。相手にとって不足はない。祖国で培った手腕を、存分に発揮してくれよう。私の毎日は充実していた。
充実していたことがもう一つ。何を隠そう、武道と共に私が嗜むのは、恋愛小説。一国の王女として、色恋に現を抜かす訳には行かず、必要とあらば政略として望まない婚姻も覚悟していた。しかし私とて乙女だ。苦難を乗り越え、いつか王子様が迎えに来て結ばれる夢くらい、見ても良いではないか。祖国ノルト王国は、筋肉ばかりで頼りにならない大柄な男ばかり。そういう意味では、カイルはかなり理想に近い男と言えた。細身で王子然とした彼は、実に紳士的。情熱的に愛を囁き、剣の腕も申し分ない。あの勝負だけはどうにも納得が行かないが、彼をおいて他に夫となる男は見つからなかっただろう、とも思う。
だがしかし、現実は厳しい。嫁いで来て分かった。ケラハー家の男共は、皆イカれている。何せ屋敷にはもれなく監禁部屋があり、家宝はミスリルの首輪なのだ。幸いカイルはそれらに手を付けることはなかったが、彼の叔父は、そこに伴侶と二年ほど過ごしたらしい。犯罪だ。今はお二人とも幸せそうだから、無粋な口は挟まないが。
私は二子に恵まれたが、彼らには絶対に同じ轍は踏ませまいと心に誓い、厳しく育てた。
つもりだった。
転機が訪れたのは、次男のキースが伴侶を見つけたという知らせ。何やらこそこそと工作を働いているなと思っていたら、紹介したいから連れ帰る、とのこと。
元から次男は要領が良く、いけ好かない。いや、我が子としての愛はある。だが、夫や兄を手本にして、私の教育的指導を狡賢く回避する狡猾さがある。お相手の子息も、奴に良いように言い包められているのではないか。我が子ながら恐々としつつ出迎えた。
しかし、夕刻の到着だったので良く見えなかったが、キースが連れて来たのは、地味な男子生徒だった。男子。いや、前もってジュール子爵家の三男だとは聞いていた。そして、ケラハーの男は、これと決めたら男でも女でも関係ないのは知っている。現に、例のカイルの叔父のパートナーは男性だった。しかし実際に目の当たりにすると、面食らう。今日は長旅の疲れを癒してもらうしかあるまいが、これは明日の朝にでも、早速「話し合い」の場を持たねば。
ところが。
我が愚息は、早速その夜、他所様のご子息に手を出した。しかもロクに同意も無かったらしい。朝の身支度を手伝った側近によれば、彼は泣き腫らした目で、乗合馬車の場所を尋ねて来たそうだ。私の怒りは頂点に達した。乙女の敵は人類の敵だ。次男を血祭りに上げて、何なら腹でもカッ捌いて詫びなければ。
私の怒りを予測してか否か、キースは朝食の場に彼を伴って現れると、
「ご紹介します。彼が僕の伴侶、ジャスパーです」
と高らかに宣言した。案の定、連れてこられた子息は、何も聞かされていなかったのか、目を白黒させていた。私は激昂してキースを問い詰めたが、
「ええと母上。僕はこれから愛を確かめ合って、同意を取り付けなければなりませんので。じゃあジャスパー、行こう」
奴はそう言い残し、風のように去っていった。
私は慌てて追いかけようとしたが、カイルに止められた。
「まずは彼らが話し合うのが先だろう。そしてジャスパー君の様子。彼もまんざらでもなさそうだし」
それもそうか。先ほどキースに口付けられ、腰が砕けた彼の瞳は、恋する乙女そのものだった。私が口を挟むのは、尚早かも知れない。彼らが再び本邸を訪れるのを、私は悶々と待った。
しかしそれから、彼らが本邸を訪れることはなかった。別邸の側近によれば、彼らはあれから延々と睦み合っているとのこと。危うく若い二人の愛を引き裂くところだった。しかし、騙し討ちのように彼を連れ込んで手を出し、侯爵夫妻に伴侶として紹介して、絶対に断れないように工作を行なってからプロポーズを行うなど、男の風上にも置けない。世間様が許しても、私は絶対に許さない。
翌朝、のこのこと朝の鍛錬に顔を出した息子を呼び止め、徹底的に根性を叩きのめす。我が息子ながら腕を上げたと思うが、まだまだだ。シバいて、シバいて、シバき倒す。
「ゴルァぁ!今日という今日は、お前の腐った性根を叩き直してくれる!!」
ヒュパアアン!
私の鞭は絶好調だ。しかし、当の息子は心ここにあらず。「愛の力です」だの「合意の上です」だの寝言をほざきながら、うっとりと血の海に沈んでいる。これはもう、ダメかも分からんな。
しかしそこに駆け込んで来たのは、他ならぬジャスパーだった。
「待ってください!ぼ、僕もキース様のこと、お慕いしてますからッ!!」
ジャスパーはそう言って、血まみれのキースを抱き起こし、眩いほどの魔力を込めて、完全回復を掛けた。
私からキースを守るように、しっかりと我が子を抱き抱えるジャスパー。その姿はまるで、私が長年夢想してきた王子様そのものだった。線の細い身体に、さらさらの亜麻色の髪を優雅にリボンで結わえ。長い睫毛に縁取られた大きな碧玉は、穏やかな煌めきを湛え。白皙の肌に、微かなそばかすが甘いアクセント。中性的な美貌の貴公子は、まさに乙女の夢…!
私が呆気に取られている間に、朝の鍛錬は終了となった。皆そそくさと撤退していく。改めて、朝食に向けて支度をし直していて気付いた。最近気になっていた肌が、吸い付くような潤いと弾力を取り戻していたことを。「古傷が消えている」と、夫も驚いている。彼の強烈な完全回復は、周囲の我らにも恩恵をもたらしたようだ。しかも、古傷や身体を再生するほどの回復魔法など、聞いたことがない。もしかして彼は、外見が王子なだけでなく、高位神官を凌ぐヒーラーなのでは。
尊すぎる。
「逃すなよ、絶対逃すなよ」
次男には再三念を押しておいた。正直、うちの倅のやったことは褒められたものではないが、大した嫁を釣り上げてくれた。ケラハーの男共は、性癖に多大な問題があるが、基本的なスペックと、パートナーを選ぶ目は確かだ。長男も初恋を実らせ、10も年上の未亡人を娶ったが、彼女もよく出来た女性だ。そして自画自賛になるが、私とて一国の王女であり将軍。ジャスパーは、それを上回る逸材かも知れない。
その直後、私の人生を一変させる出来事に遭遇することになった。
朝食を終えて、ダイニングを後にする。先に出たキースに、何やら一言声を掛けようと思っていた気がする。通用口から別邸に向かう通路の曲がり角を曲がった途端。
我が愚息が、ジャスパーを壁際に追い詰め、強引に唇を奪っていた。
壁ドンだ。壁ドンである。
「———!!!」
私は叫びそうになった口を押さえ、急いで引っ込み…そして、再びそろりと曲がり角から覗き込んだ。
「んあ…ふ…」
ちゅくっ、ちゅくっといやらしい水音に、全神経を集中させる。角度を変えて何度も貪る不埒な息子に、次第に腰が砕けてトロトロに陥落していくジャスパー。自分の優れた視力に、これほど感謝したことはない。
息を殺して彼らの愛の営みを見守っていると、背後に馴染みのある気配が。祖国から連れて来た側近の一人が、私に向けて親指を立てていた。
その日私は、新しい扉を開いた。
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「ヤンデレ!ヤンデレですわね!」
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その後も彼らの間には、縁談に横槍が入ったり、引き抜きが入ったりしてすれ違いが起こるのであるが、その度に我らは火消しに奔走し、新刊が刊行され、ケラハー家の恋愛事情、特にキースとジャスパーの一次創作二次創作は爆発的に売れに売れ、やがてロングセラーとなって行ったのだが、それはまた別の話。
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冤罪で婚約破棄された俺の中身は、異世界転生した農学専攻の大学生!
庶民になって好きなだけ農業に勤しんでいたら、いつの間にか「畑の賢者」と呼ばれていた。
そこに皇子からの迎えが来て復縁を求められる。
皇子の魔の手から逃げ回ってると、幼馴染みの神官が‥。
(ムーンライトノベルズ様、fujossy様にも掲載中)
(第四回fujossy小説大賞エントリー中)
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