74 / 77
番外編 清 暮 ―Holy night―
前編2
しおりを挟む――葉擦れの音が少し大きくなる。
頬を撫でる風が纏う氷のような冷たさに気付いた武井は、小さく身を竦めた。
「冷えてきたな……」
師走の夜とは思えないほど暖かかった気温が、夜半になって急激に下がってきたらしい。置きっ放しにしていたハーフコートを着ようと、ベンチの方を振り返ろうとした時だった。
不意に感じる、ふわりと自分の背を包み込む感覚。
己の肩に目を遣ると、艶やかな黒のトレンチコートがその身を覆っていた。
「――これ……」
ひと言発したまま固まっている武井。
いつの間にか自分に歩み寄っていた想い人が、そのすぐ後ろに佇んでいた。着せ掛けたコートの背を整えながら、秀一は静かに言う。
「…なかなか時間が取れなくて、イブの日の休憩中にやっと買いに行ったんだ。でも帰れずに結局クリスマスには渡せずじまい。仕方がないから、年の晩にでも渡そうかと――。まさか今必要になるとは思ってなかったけど、持って来てて良かった……」
目線を斜め後方のベンチに投げると、大きめのペーパーバッグと空になったギフトボックスが見えた。鞄と一緒に秀一が提げていた物だ。
「お前のコート、もうだいぶくたびれてたみたいだったから……。これなら似合うんじゃないかと思って……」
この長身を覆う、まるで誂えたように身体に合った濡羽色のロングコート。探すだけでも手間が掛かったのではないかと思えるそれに、暫し言葉を奪われた。
武井は身体ごと背後を振り返る。正面から彼を見た秀一が、柔らかく微笑んだ。
「……やっぱり、良く似合ってる」
「秀一……」
優しく見上げてくる秀一の瞳をじっと見返す。
仄かな灯りの中でもはっきりと判る、綺麗なセピア色の輝き。深い想いを湛えたその眼差しが、ふっと翳った。
「……すまない……」
唐突に告げられた謝罪の言葉に、武井は少々面喰らう。
「なんで謝る…?」
問われて顔を伏せた彼の口から、思いも寄らぬ返事が返ってきた。
「――忙しくて…あまり傍にいられないから……」
「……お前……」
白面の上、伏せ気味の目縁に薄っすらと朱が差している。胸の前で握り締めた己の両手に目を落としながら、秀一は小さく溜息をついた。
「……母さんも、今年はクリスマスからサークルの旅行に行ってるし――。年末は出来るだけ一緒に過ごしたいなと…思っていたんだけど……」
言った彼の身体がふるりと震える。
秀一が羽織るアイボリーのチェスターコート。細身の彼にぴったりのそれは多少薄手で、迫る深夜の寒さは凌げそうに無かった。自分の二の腕を抱くその指先が冷たく悴んでいる。夜気に放たれ溶けていく呼気は、先刻よりその白さを増していた。
俯いたままの秀一。
ふと気付いた気配に顔を上げようとした時、凍える身体が温かい腕と布地に包まれる。
「あ……っ」
懐の深いダブルの前身が、秀一の背中まですっぽりとその内に包み込んでいた。
艶めいて見えるほど美しく整えられたカシミヤの生地は柔らかく、恋人の温もりを増幅させるようにその身に伝えてくる。思わず手をついた厚い胸板からも直に体温が流れ込み、冷気から護られた秀一の唇から小さな吐息が零れ落ちた。
「……雅也……」
抱き寄せた想い人の髪に頬を擦り付けて、武井が低い声で呟く。
「なんでお前はそう…可愛いことばっか……」
師走に入って忙殺される毎日の隙間を衝き、僅かな休憩時間を削ってまでクリスマスプレゼントを用意してくれた秀一。しかし当日に渡すどころか、同じ院内にいながら顔を合わせることさえ出来なかった。自分も自宅に贈り物を準備していたが、彼は自らが予期していたより立て込んでしまった業務に追われ、数日間職場を出ることすら叶わなかったのだ。
退勤後のひと時でも恋人と過ごしたい。そう願っていた己以上に、秀一は取り得る時間の全てを愛する人に捧げたいと思っていてくれた。
いつでも自分を大切に想ってくれる廉潔の人。普段なら滅多に言わないセリフを、顔を紅く染めながら口にした彼。それは、この俺の為――そしてきっと、彼自身の望むことでもあるのだろう。
こちらを見上げる秀一の唇にそっと口付ける。冷えた表面を温めるように啄んで、ゆるりと顔を離した。
微かに潤んだセピアが、戸惑い気味に逸らされる。
「……こんな所で――」
小さく聞こえる数人の話し声。自分達と同じく夜の散歩を楽しんでいるらしい人達の気配が、林向こうの遠い場所から感じられる。
「いいじゃねぇか。たまにはそんなもん気にしねぇで、素直に甘えろよ……」
コートの中で優しく抱き締められ、秀一の身体に武井の確かな心悸が伝わってくる。全身を包み込む温かさに背を押されるように、秀一はおずおずと武井の胸に身を預けた。短い逡巡の後、広い肩に頬を押し当て首元に顔を埋める。
細めた漆黒に淡く笑みを浮かべた武井が、彼の前髪に唇を寄せた。
「今夜は…離さねぇからな……」
顎に手を掛け、上向かせた朱唇の輪郭を親指でなぞる。ゆっくりと重ねた唇でその柔らかさを味わって、熱い吐息と共に口腔へ侵入した。絡め取るように吸い上げた愛しい人の舌を甘く咬む。
「…っんん…」
小さく漏れる声が口内に響く。
日付の替わった深夜の公園で、一着のコートに包まり熱い想いを交わし続ける二人。その姿を見守るようにそびえ立つ樫の梢に、チラチラと落ち始めた白銀の冷輝が静かに舞い降りていた。
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】
彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。
「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」
身の程なら死ぬ程弁えてますのでどうぞご心配なく
かかし
BL
イジメが原因で卑屈になり過ぎて逆に失礼な平凡顔男子が、そんな平凡顔男子を好き過ぎて溺愛している美形とイチャイチャしたり、幼馴染の執着美形にストーカー(見守り)されたりしながら前向きになっていく話
※イジメや暴力の描写があります
※主人公の性格が、人によっては不快に思われるかもしれません
※少しでも嫌だなと思われましたら直ぐに画面をもどり見なかったことにしてください
pixivにて連載し完結した作品です
2022/08/20よりBOOTHにて加筆修正したものをDL販売行います。
お気に入りや感想、本当にありがとうございます!
感謝してもし尽くせません………!
乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました
西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて…
ほのほのです。
※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。
嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい
りまり
BL
僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。
この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。
僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。
本当に僕にはもったいない人なんだ。
どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。
彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。
答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。
後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。
白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。
上司と雨宿りしたら、蕩けるほど溺愛されました
藍沢真啓/庚あき
BL
恋人から仕事の残業があるとドタキャンをされた槻宮柚希は、帰宅途中、残業中である筈の恋人が、自分とは違う男性と一緒にラブホテルに入っていくのを目撃してしまう。
愛ではなかったものの好意があった恋人からの裏切りに、強がって別れのメッセージを送ったら、なぜか現れたのは会社の上司でもある嵯峨零一。
すったもんだの末、降り出した雨が勢いを増し、雨宿りの為に入ったのは、恋人が他の男とくぐったラブホテル!?
上司はノンケの筈だし、大丈夫…だよね?
ヤンデレ執着心強い上司×失恋したばかりの部下
甘イチャラブコメです。
上司と雨宿りしたら恋人になりました、のBLバージョンとなりますが、キャラクターの名前、性格、展開等が違います。
そちらも楽しんでいただければ幸いでございます。
また、Fujossyさんのコンテストの参加作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる