Heart ~比翼の鳥~

いっぺい

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番外編  清 暮 ―Holy night―

前編2

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 ――葉擦れの音が少し大きくなる。
 頬を撫でる風が纏う氷のような冷たさに気付いた武井は、小さく身を竦めた。

「冷えてきたな……」

 師走の夜とは思えないほど暖かかった気温が、夜半になって急激に下がってきたらしい。置きっ放しにしていたハーフコートを着ようと、ベンチの方を振り返ろうとした時だった。


 不意に感じる、ふわりと自分の背を包み込む感覚。
 己の肩に目を遣ると、つややかな黒のトレンチコートがその身を覆っていた。


「――これ……」

 ひと言発したまま固まっている武井。
 いつの間にか自分に歩み寄っていた想い人が、そのすぐ後ろに佇んでいた。着せ掛けたコートの背を整えながら、秀一は静かに言う。

「…なかなか時間が取れなくて、イブの日の休憩中にやっと買いに行ったんだ。でも帰れずに結局クリスマスには渡せずじまい。仕方がないから、年の晩にでも渡そうかと――。まさか今必要になるとは思ってなかったけど、持って来てて良かった……」

 目線を斜め後方のベンチに投げると、大きめのペーパーバッグと空になったギフトボックスが見えた。鞄と一緒に秀一が提げていた物だ。

「お前のコート、もうだいぶくたびれてたみたいだったから……。これなら似合うんじゃないかと思って……」


 この長身を覆う、まるであつらえたように身体に合った濡羽ぬれば色のロングコート。探すだけでも手間が掛かったのではないかと思えるそれに、暫し言葉を奪われた。

 武井は身体ごと背後を振り返る。正面から彼を見た秀一が、柔らかく微笑んだ。

「……やっぱり、良く似合ってる」

「秀一……」

 優しく見上げてくる秀一の瞳をじっと見返す。
 仄かな灯りの中でもはっきりと判る、綺麗なセピア色の輝き。深い想いを湛えたその眼差しが、ふっと翳った。


「……すまない……」


 唐突に告げられた謝罪の言葉に、武井は少々面喰らう。

「なんで謝る…?」

 問われて顔を伏せた彼の口から、思いも寄らぬ返事が返ってきた。

「――忙しくて…あまり傍にいられないから……」

「……お前……」

 白面の上、伏せ気味の目縁に薄っすらと朱が差している。胸の前で握り締めた己の両手に目を落としながら、秀一は小さく溜息をついた。

「……母さんも、今年はクリスマスからサークルの旅行に行ってるし――。年末は出来るだけ一緒に過ごしたいなと…思っていたんだけど……」

 言った彼の身体がふるりと震える。


 秀一が羽織るアイボリーのチェスターコート。細身の彼にぴったりのそれは多少薄手で、迫る深夜の寒さは凌げそうに無かった。自分の二の腕を抱くその指先が冷たくかじかんでいる。夜気に放たれ溶けていく呼気は、先刻よりその白さを増していた。


 俯いたままの秀一。
 ふと気付いた気配に顔を上げようとした時、凍える身体が温かい腕と布地にくるまれる。


「あ……っ」


 懐の深いダブルの前身まえみが、秀一の背中まですっぽりとその内に包み込んでいた。
 艶めいて見えるほど美しく整えられたカシミヤの生地は柔らかく、恋人の温もりを増幅させるようにその身に伝えてくる。思わず手をついた厚い胸板からも直に体温が流れ込み、冷気から護られた秀一の唇から小さな吐息が零れ落ちた。

「……雅也……」

 抱き寄せた想い人の髪に頬をり付けて、武井が低い声で呟く。

「なんでお前はそう…可愛いことばっか……」




 師走に入って忙殺される毎日の隙間を衝き、僅かな休憩時間を削ってまでクリスマスプレゼントを用意してくれた秀一。しかし当日に渡すどころか、同じ院内にいながら顔を合わせることさえ出来なかった。自分も自宅に贈り物を準備していたが、彼は自らが予期していたより立て込んでしまった業務スケジュールに追われ、数日間職場を出ることすら叶わなかったのだ。


 退勤後のひと時でも恋人と過ごしたい。そう願っていた己以上に、秀一は取り得る時間の全てを愛する人に捧げたいと思っていてくれた。
 いつでも自分を大切に想ってくれる廉潔の人。普段なら滅多に言わないセリフを、顔を紅く染めながら口にした彼。それは、このじぶんの為――そしてきっと、彼自身の望むことでもあるのだろう。



 こちらを見上げる秀一の唇にそっと口付ける。冷えた表面おもてを温めるように啄んで、ゆるりと顔を離した。
 微かに潤んだセピアが、戸惑い気味に逸らされる。

「……こんな所で――」


 小さく聞こえる数人の話し声。自分達と同じく夜の散歩を楽しんでいるらしい人達の気配が、林向こうの遠い場所から感じられる。


「いいじゃねぇか。たまにはそんなもん気にしねぇで、素直に甘えろよ……」

 コートの中で優しく抱き締められ、秀一の身体に武井の確かな心悸が伝わってくる。全身を包み込む温かさに背を押されるように、秀一はおずおずと武井の胸に身を預けた。短い逡巡の後、広い肩に頬を押し当て首元に顔をうずめる。
 細めた漆黒に淡く笑みを浮かべた武井が、彼の前髪に唇を寄せた。

「今夜は…離さねぇからな……」

 顎に手を掛け、上向かせた朱唇の輪郭を親指でなぞる。ゆっくりと重ねた唇でその柔らかさを味わって、熱い吐息と共に口腔へ侵入した。絡め取るように吸い上げた愛しい人の舌を甘く咬む。

「…っんん…」

 小さく漏れる声が口内に響く。



 日付の替わった深夜の公園で、一着のコートに包まり熱い想いを交わし続ける二人。その姿を見守るようにそびえ立つ樫の梢に、チラチラと落ち始めた白銀の冷輝が静かに舞い降りていた。


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