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番外編 清 暮 ―Holy night―
後編1
しおりを挟む戯れるような鳥達のさえずりが聞こえる。
鼻腔に抜ける微かな吐息を漏らして、秀一は寝返りを打った。薄っすらと目を開く。カーテンが引かれたままの寝室に、明るい外の気配が入り込んでいた。
素肌に触れる毛布の感触と肩口に感じる僅かな冷気に小さく息をついて、上体を覆う毛布を胸元に手繰り寄せる。
「……漸くお目覚めか? お姫様」
穏やかな低音に目を向けると、窓際に立ってこちらを見ている彼の姿があった。
「……お姫様って……」
「じゃぁ、王子様か」
浅く笑みながらカーテンを開ける武井。悪戯なその言葉は、けれど零れそうなほどの愛情を含んでいた。
枕に頭を預けたまま微笑んだ秀一は、窓から差し込んだ白い陽光に思わず目を閉じる。
「あれから結構降ったみたいでな。今は晴れてるが、外は真っ白だ」
「……今、何時なんだ?」
秀一の問いに、武井は軽く吹き出すように息を吐いた。
「もう昼だ。……けど、今んとこ呼び出しもねぇし、ゆっくり休んでて構わねぇぜ。俺は明日当直だけど、お前も出勤なんだろ? 徒でさえ缶詰めで疲れてんだから、今日のうちに出来るだけ体休めとけよ。――それに、昨夜も遅かったしな」
明け方近くまで愛してくれた恋人の熱い肌を思い出し、秀一はほんのり熱を持った自分の頬に左の掌を押し当てる。
――と、その時。
己の指と頬に何かの硬い質感を覚える。小さなそれは、馴染むように自分の体温と同じ温もりを持っていた。
(……?)
顔から手を離し、質感の正体を確かめようと指の付け根を見た彼の目が、そこに在る筈の無いものを認めて静止する。綺麗なセピアの瞳が大きく見開かれた。
「……え……?」
薬指に煌めく深い黄金の輝き。3ミリほどの幅を持つその表面には、白金の細かい細工が丁寧に施されている。
違和感無くそこに納まった皇色の麗輪が、秀一の口からあらゆる言葉を浚っていった。
「……気付いたか……」
自分の左手を見詰めたまま固まっている秀一の傍に、武井が静かに歩み寄る。細められた黒の双眸が、優しく想い人を見守っていた。
金縛りにあったように囚われていた目線を漸く外した秀一は、ほんの数秒彷徨わせたそれを徐に武井へと向ける。信じられないと呟くかのような眼差しを、目先の彼が受け止めた。
「俺からのクリスマスプレゼントだ」
それを聴いて身を起こす秀一。纏う毛布が肩から滑り落ちる。晒された素肌に、武井はヘッドボードに掛けてあった彼のガウンを羽織らせた。
「結構前から用意してたんだが、昨夜お前も言ったように当日は渡せなかったんでな」
ベッドの縁に腰掛け、宙に留まっている秀一の左手を取る。細い指に輝くそれに目を落としながら、自分のセーターの襟元を探った。
「業務に差し障るから職場で嵌めとくわけにゃぁいかねぇが、オペや検査室以外でなら、こうして身に着けられるだろ?」
そう言ってハイネックの中から引っ張り出したものに、秀一の目が再び釘付けになった。
「……雅也…、それ――」
レザーの紐に通され、首に提げられた指輪。同じデザインだが少し大きいサイズのそれは、秀一のものと違わぬ光輝を戴いていた。
「ちょっと変わった造りでな。内側に誕生石が入ってる。俺のはペリドットで、お前のはエメラルドだ」
提げた指輪を掌に載せて、内側を秀一に見せる。リングの正面の真裏に、浅緑色の綺麗な結晶が嵌め込まれていた。
眠っている間に滑り込ませておいた恋人のそれをそっと抜き取る。その内にも、やはり美しい翠の輝晶があった。
「濃さは違うが、色合いも似てるだろう? 五月と八月で離れてるのにな。石の意味まで説明してくれたんで一応聴いてきたが、そっちまで似てて思わず笑っちまったぜ」
日頃、ほとんど行くことなど無いであろう宝飾品店。そこで贈り物を購入した時のことを語る武井を、秀一はじっと見詰める。
口から出掛かっている言葉が、まだ喉の奥で躊躇うように貼り付いていた。
「エメラルドは『幸福』や『幸運』を表すんだそうだ。こっちも似たような意味合いなんだが、俺が考えてたことにピッタリ嵌まってたんで、正直驚いた」
そこで一旦話を切った武井は、怪訝そうに視線を向けている秀一の瞳を覗き込む。深いセピアと黒の眸子が、溶け合うように交わった。
「――ペリドットの意味は、『夫婦の幸福』なんだ」
武井を見るその顔が動きを失う。瞠った目は、瞬きを忘れたようにその瞼を開き続けていた。
己の誕生石が象徴するもの。それを知って驚いたと言う彼の意図するところに気付いて、秀一の半開きになった唇から、引っ掛かっていた言葉が漸く転がり出る。
「……同じ、指輪――。夫婦って……」
「……引いたか?」
片眉を上げて薄く笑う武井。激しく動揺する自分を半分からかうようなその言い草に、気を躱された秀一が腹を立てる。
「…馬鹿っ、茶化すな!」
怒る秀一にスッと顔を寄せて、武井は恋人の唇を己のそれで塞ぐ。
「…っ…」
触れ合うように数度口付けてから離れると、幾分剥れたその顔の中で、揺れる瞳が切なげにこちらを見返していた。
「……悪りぃ。…でも――」
外していた指輪を、改めて秀一の薬指に嵌める。長い手指で彼の左手を包むように握り込んだ。
「――俺は、本気だぜ……」
秀一を見詰める真剣な眼差し。熱情を孕んで注がれるそれに赤らめた頬を、武井の手がやんわりと撫でる。
「……お前のくれたコート、俺にぴったりで…、ホントに嬉しかったんだぜ。――指輪を何て言って渡したらいいのか迷ってたんだが、最終的には、お前の贈り物が俺を後押ししてくれた――」
指の腹に触れる温かいリング。それに籠めた想いを、真っ直ぐに伝えた。
「お前と……一生添い遂げたい――」
「……雅也……」
自分を包み込む深い海のような武井の愛。その大きさに、秀一の胸がいっぱいになる。納まり切れずに溢れ出すそれを受け止め兼ねて、小さく溜息をつき顔を俯けた。
――と、その頬に触れていた手がするりと離れ、沈んでいたマットレスの縁が浮き上がる。
ベッドから立ち上がった武井が、窓辺に寄って外の景色に視線を飛ばしていた。
「……? 雅也…?」
急に離れた温もりに僅かばかり不安になる。気配を窺うように呼び掛けたその耳に、多少気を抜いた穏やかな声が返ってきた。
「――別に、気負うことはねぇんだ。俺ん中でのケジメっつーか、そんなもんだから……。法的にどうこう出来るわけでもねぇし、コレでお前を縛り付けるつもりは――」
こと秀一に関しては人一倍強い独占欲を持つ自覚がある。本当は、目に見える形で彼との繋がりの証が欲しいのだ。見端を繕うような自分の言葉に武井は小さく苦笑した。
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