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Heart 三年詩 ―MITOSEUTA―
第7話 第二章 和彦 (後編1)
しおりを挟む「は~っ、疲れたー!」
ガラッと勢いよく開けられた引き戸の向こうから拓実が顔を覗かせる。レクルームで相当おもちゃにされていたらしい彼は、ゲンナリと気力を削がれていた。
気付けば、その後ろに幾つもの小さな影が見える。拓実に遊んで貰っていた子供達は、そろそろ消灯時間が近付いてきた為、和彦お兄ちゃんに就寝の挨拶をしようと食堂前に集まったようだった。
「もー、皆容赦ねぇんだもん。悪役やれば一斉にアンパンチが飛んでくるし、電車ごっこは部屋ん中何周したか分かんねー」
椅子に座ってバッタリと食卓に突っ伏す拓実。園長は、ニコニコと笑いながら自分と和彦のカップを持って立ち上がる。
「ちょっと待ってて。拓くんにもココア淹れてあげるから」
「――じゃ、俺は皆に『おやすみ』を言ってくるか」
開けたままにされていた戸を潜り、和彦は廊下に集まっている幼子達の真ん中に立つ。見上げてくる面は皆、遊楽の余韻にまだ若干興奮気味だった。
「拓といっぱい遊んだみたいだな。楽しかったか?」
目をキラキラさせて「うん!」と答えるその肩に優しく手を載せる。
「今日は一緒に遊べなかったけど、明日また来るからな。夜更かししないで早く寝るんだぞ」
全員に「おやすみ」と声を掛ける兄に元気良く「おやすみなさーい!」と返して、彼等は手を振りながら部屋へと帰っていった。
やおら食堂内に戻ると、ココアを受け取って一口啜った拓実が、ホッと息をついたところだった。
「やっぱ園長先生のココア飲むと落ち着くなー。美味いし温まるし、疲れも吹っ飛んで最高♪」
甘さに癒される彼に、和彦は尋ねる。
「拓、お前は今夜どうするんだ? 勤め先に戻るには距離もあるし、今からだとかなり遅くなるだろ」
「ああ、園に泊めて貰えることになってんだ。明日、こっちの建具屋で朝から打ち合わせでさ。真っ直ぐ行く許可貰ってるから」
猫舌の拓実に合わせ少々温めに淹れてあったココアは、あっと言う間に彼の腹の中へと納まった。「ごちそーさま」と園長にカップを返して、拓実が和彦を振り返る。
「和兄ぃはもう帰んの? 折角会えたし、もうちょっと話したかったんだけどなー」
軽く口を尖らせた顔は少し残念そうだ。横の窓に近寄って夜空を見上げる和彦。
「結構星が出てるな。――久々に、裏山の遊歩道でも歩いてみるか?」
温もりを含んだそのひと言を聴いた瞬間、沈んでいた表情がパッと明るくなる。
「いいの?」
「ただし、風邪引かないように着込んでからだ。夜は急に冷えることもあるからな。防寒になりそうなものは持って来てるか?」
「うん! 上着は薄手だけど、パジャマ代わりに持って来たスウェットがあるから重ね着してくるっ」
嬉しそうに食堂を飛び出し階段を駆け上がっていく拓実。彼が出て行った戸の方を見て薄く笑んだ和彦に、園長も溜息混じりの微笑を零す。
「私は退散して構わないから、ここで話したらいいのに。こんなに暗くなってから外へ行かなくても――」
わざわざ夜に出ることは無いだろうにと言う幾分心配げな声。和彦は椅子の背に掛けていた作業上着を手に取りながら、彼女を安心させるように微笑んだ。
「あの遊歩道なら外灯もあるし、ここの敷地と目と鼻の先ですから大丈夫ですよ。――それにあいつ、あの道から見る街の灯りが好きなんです。小さい時も、よく寝床から抜け出して眺めに行っては、夜勤の先生に怒られてたでしょう?」
途端、くすりと笑みを漏らす園長。
「そうだったわね。――でも、時々貴方や直くんも一緒だったような気がするんだけど」
「……その辺はスルーしてやって下さい、先生」
和彦がしれっと明後日の方へ視線を飛ばすと、彼女は声を立てて笑った。
「ふふふっ、過去の古傷ね。私達職員にとっては、その思い出の全部が大切な宝物だわ。――拓くんは、ぐずりが酷くて利かん坊だったから大変だったけれど……あんなに大きくなって、しかも今夜は頼りになるお兄ちゃんが付いてるんだもの。私が要らない心配をするのは野暮ね。気を付けて行ってらっしゃい」
ブルゾンを羽織り玄関へ行こうと足を踏み出す。引き戸の所で、和彦は見送る視線に顔を振り向けた。
「それじゃ、ちょっとだけ行ってきます」
ホールへ出て靴を履く。土間に立ったまま、拓実が来るのを待った。
「――お兄ちゃん、か……」
園長の言葉を反芻する。
晶が兄と慕う二人の姿が脳裏に浮かんだ。
愛しい彼を思わせる柔らかな面差しの人。己の寧静と引き換えに直人の望みを叶えた医師は、混乱する自分をも温かく包んでくれた。
そして、七年の間主治医として直人を支えてくれた雄偉の彼。その背に向けた複雑に入り組んだ感情を、今も忘れることは出来ない。
――園長も言っていた通り、直人が入院してから病院に入り浸っていた自分。最初の主治医と入れ替わりで担当になった武井とは、中学の時から顔見知りだった。
受診する直人と付添いの紗智子先生にくっついて診察室へ顔を出すと、毎回口辺を緩めながら迎え入れてくれた彼。その男らしい風貌に憧憬すら抱いていた。まだ経験も浅いであろう年齢だったが、周囲に慕われる兄貴肌の性分と、一見粗野な言動の中に垣間見える医師としての情熱に感じた、強い頼り甲斐。
しかし、その彼にも望む答えを貰えないと知った時、期待への裏切りに悔しさを越えて一時期憎しみを覚えたことさえあったのだ。どいつもこいつもその白衣はお飾りなのかと、勢いに任せ悪態が口を衝いて出そうになったこともある。――今思えば、自分は相当子供だったのだろう。
だが、定期検査での数値変動や今後の経過について説明する彼の目は、言葉では言い表せないような苦患の色を載せていた。話に聞き入る直人が浮かべた愁色の笑みを見て、見当違いの怒りに囚われた自身を心から恥じたのだった。
――事件の年、直人の誕生日に夕暮れの墓地へ花を供えに来た自分を待っていた武井。「必ず来ると思っていた」と言った彼は、突然深く頭を垂れた。手術直後に病院の通路で問い詰めた際、秀一にも謝罪されたことを思い出す。互いに「自分の力不足だ」と詫びた声が、頭の中でシンクロするように響いていた。
自分達も謝られたと晶から聞いたのは随分後のことだ。
墓碑の前に佇んだまま、その時の自分は正直どうしていいか分からなかった。
――出所後ひと月ほど経った頃、電話で話した晶が武井と秀一のことを教えてくれた。
直人が最期に頼ったその人の苦悩を武井が和らげてくれる。それは、自分としても救いだった――。
抉り取られた己の中の空洞は、この先も他の何かで埋められることは決して無い。
ただ、晶と真っ直ぐに向き合い互いをぶつけながら生きることで、彼の人との繋がりを感じその心に触れることが出来る。
『二人の気持ちを分かってくれとは言わないよ。何も、無理をすることはない――』
『自分に嘘つく必要はねぇんだ。憎いなら殴りゃぁいいし、悲しい時には泣けばいい』
謝ってきた時、彼等がそれぞれ自分にくれたセリフ。違う筈の言辞が同じ意味を形作っていた。
大切なものを失う前と何一つ変わらず、滔滔と流れ行く日々。心の整理が追い付かず苦しむ自身に寄り添ってくれた二人は、恩人であると同時に己にとっても既に兄のような存在なのだ。
彼等がいるから、自分も晶もそれに直人も、前へと進んでいけるのだろう。
(――俺は、あの人達みたいに良い兄貴になれるかな……)
ガラス戸越しの夜陰に目を遣る和彦の背後で、下りてきた拓実が「お待たせ、和兄ぃ」と土間隅のスニーカーを突っ掛けた。
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