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第十一章 白い部屋
第34話 後編1
しおりを挟む「なぁ、秀兄ぃ。頼むよ~、この通り!」
顔の前で手を合わせて、晶が何事か秀一に懇願している。頼まれている秀一は困ったような表情で腕を組んでいた。
――入院三日目の朝。病室にやって来た秀一に、晶はいきなり頼み事をしてきた。余程手に負えないことでなければ滅多に人を頼ったりしない彼の意外な言動を不思議に思い、「何故か」と問う。すると「直人に謝る為だ」という答えが返ってきた。
「昨日の昼、直人が来てくれたんだけど、俺ドジってあいつを怒らせちまってさ。どうやって謝ろうかって考えてたら、急にアレのこと思い出して――。空いてるんだろ? 今。だったらいいじゃんか。ケチケチしねぇでさぁ」
「だけど…それなら、却って逆効果じゃないのかい?」
事の顛末を聞いた秀一が意見を言う。それを、願いを聞き届けて貰おうと必死の少年はさらりと流した。
「そんなのは、俺がちゃんと勘違いしねぇように言うからいいって。幾ら俺だって、今回は他に含むモンが有るわけじゃない。ただあいつに機嫌直して欲しいだけなんだ、マジで。――秀兄ぃ~、頼む! な? いいだろ?」
縋るように乞われて、秀一は一つ大きな溜息をつくと頷いて見せる。
「…仕方がないな。晶君には負けたよ。――変更の手続きや伝達はやっておくから、好きにするといい」
「やった! マジ? サンキュー♪ さすが秀兄ぃだぜ」
「褒めても、もう何も出ないよ」
無邪気に喜ぶ晶の様子に顔を緩めて、さて事務課とナースステーションに行こうかと白衣を翻した。
秀一が晶の頼みを聞き入れた翌々日――。
午後4時頃の病棟の廊下に直人がいた。ある病室の前で首を捻っている。そこは、先日訪れた晶の病室だった。
――晶の茶化し切った態度に怒って病院を飛び出した直人は、アパートに帰ってから晶の真意に気付いた。
しかし、分かっていたこととはいえ、いざ恋人の入院という現実を目の前にして不安定な精神状態にあった彼は、すぐに晶の元へ取って返すことは出来なかった。何となく顔を合わせるのが怖くて、丸三日以上ここへ来れなかったのだ。
それでも不安を抱えたまま独りで過ごす時間は苦痛以外の何ものでもなく、次第に大きくなる気持ちを抑える術は無かった。
――晶に、会いたい――
その衝動が不安を凌駕し、今日になって漸く病院へと足を運んだのだが――。
晶がいる筈の病室には人の気配が無い。ドア横のネームボードにも、誰の名も記入されていなかった。この前は、確かに『香月 晶』と記されていた筈なのに。
「なんで…?」
考えてみたが、さっぱり状況が呑み込めない。周りをぐるりと見回した直人は、取り敢えず訊いてみようとナースステーションに向かった。
「あの…すみません」
「はい?」
カウンター越しに呼び掛けると、30前後の小柄な女性看護師が対応に出てきた。
「702号室に入っていた人は…」
「702? …ああ、ひょっとして貴方、和泉さん?」
「え? あ、はい。そうですけど…?」
初めて顔を合わせた看護師に自分の名を口にされ、直人は少なからず驚く。それに気付いた彼女は、にっこりと笑みながら言った。
「貴方が来たら伝えて欲しいと頼まれていたんです、梶原先生と香月さんに。彼、部屋を移ったんですよ。この上の階のB-1号室なんだけど…、ちょっと入り組んだ所にあるから分からないでしょうね。簡単な見取り図を書いてあげますから」
手近のメモ用紙にさらさらと略図を書いて、「裏のエレベーターから昇って下さいね」と直人に渡す。それに礼を述べて、職員用エレベーターに足を向けた。
――晶があの部屋にいなかった訳は分かった。だが、部屋を移ったその理由が分からない。
エレベーターから降りて廊下を歩きながら、直人は考えた。略図を見ると、なるほど一般病室とはかなり離れた位置にある。廊下の壁に案内板も無いので、この図が無ければ何処にあるのか全く分からないだろうと思われた。こんな特別な病室に移るなんて、まさか容体が急変したのでは、と不安が脳裏を掠める。メモ用紙をぎゅっと握り締めて直人は目的の部屋へと急いだ。
「――ここだ」
大きなスライドドアの真ん中に『B-1』の文字。ネームプレートなどは無い。長い廊下を幾度か曲がって辿り着いたその部屋のドアを、恐る恐るノックした。
――コン、コン――
「はーい、誰ー?」
間の抜けたような応答に、幾分緊張していた直人は気を緩めた。どうやら容体が悪化したわけではないらしい。
返事は返さずに、ドアをそろりと開ける。頭一つ分の隙間から中を覗くと、ベッドの向こう側に座って肩越しにこちらを見た晶と目が合った。
「…! 直人っ」
晶は待ち焦がれた人物の来訪に気付くと、飛ぶように傍へと駆け寄った。サッとドアを全開にして、そこに立つ想い人を抱き竦める。
「良かった…。やっと来てくれたんだな。…もう…来ねぇんじゃねぇかと思った……」
肩口に顔を埋めて呟かれた切なげな声に、直人は戸惑った。
「あ…の、……晶…」
困惑気味の声音に気付いたのか、晶はすぐに身体を離す。
「…悪りー。駄目だな、俺って。見境なくて…。とにかく入れよ。それとも…時間ない?」
「ううん、今日は大丈夫……」
晶に招じ入れられて部屋の中へ入る。ベッドの横に立って、室内を見回した直人は呆然となった。
――設備そのものは前の個室と大差無い。ベッドやテレビ、小型冷蔵庫付きのキャビネット(床頭台)などが置かれた主室と、車椅子でも使えるように設計されたバリアフリー仕様の洗面浴室。ただ変わっていたのは、その部屋全体の色合いだった。
白い壁、白い天井、白いドア。そして壁に作り付けの私物棚までもが白。床と、ベッドのフレーム部分だけがクリーム色で、それ以外は全てが真っ白な純白の世界。
意外と病院内装で使われることの少ない純白色がこれだけ集成された部屋を見て、暫し言葉を失っていた。
★★★次回予告★★★
晶が移った白い部屋。その本来の役割とは?
そして窓の外を指し示す晶の指の先にあったものは――。
病室エロ、入ります。
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