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第九章 誕生の日・直人
第25話 後編
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ファンヒーターから送り出される温風が、狭い部屋を暖める。
コートを脱いだ晶に淹れたてのコーヒーを渡して、直人は紙袋に入っていた包みを開けてみた。出てきたのは白いフォトスタンド。直人の誕生花であるカトレアの花が浮き彫りになったフレームは、花びらの部分にパールのペイントがされている。直人は溜息をつくと、それを机の上に置いた。
「幼馴染って言ってたけど…」
ベッドに腰掛けた自分の横に座る直人に、コーヒーを啜りながら晶が訊いた。
「うん…。養護院で一緒に育ったんだ…」
灰色の瞳が宙を見ながら話し出す。
「――和彦は両親と死に別れてね。俺とほとんど同じ時期に院に来たんだ。物心がつく前から傍にいたし、同い年ってこともあって、一緒に育った兄弟達の中で一番の親友だった。小学校で、親がいないからって苛められた時に助けてくれたり、逆に、苦手な図工を手伝ってあげたり――」
過去の記憶を手繰る直人の顔には、薄く笑みが浮かんでいた。
「凄く明るい性格だったから、いろいろ面白い話で笑わせてくれたりして…楽しかったな。――このまま中学卒業まで一緒に暮らすんだと思ってたんだけど、小学校の卒業と同時に離れ離れになっちゃって……」
「なんで?」
「養子縁組だよ。院を見学に来た子供のいない夫婦が、和彦を気に入ってね。是非引き取りたいって言ってきたんだ。和彦は嫌がってた。院を出たくない、俺と遊べなくなるのは嫌だって。…俺も寂しかったけど、引き取ってくれる人達はとても優しそうだったし、何より家族が出来るんだから、本人にとっては嬉しい筈だろ? だから何も言わずに我慢してたよ。――先生達が説き伏せて、和彦はやっと承知したみたいだった。でも、それには一つだけ条件があったんだ」
言葉を切って、直人は息をつく。「飲むか?」と差し出された晶のマグカップを受け取って、飲み掛けのコーヒーに口を付けた。
「――条件て何?」
直人の喉が潤うのを待って、晶は尋ねる。
「俺と同じ中学に通わせてくれること。校区は随分離れてたのに、それだけは絶対譲らなくてね。結局、朝早くから一時間半近くも掛けて通学することになったっていうのに、本人は凄く嬉しそうでさ。中学の三年間、前と同じように親友として楽しく過ごしたよ。――俺が仕事するようになってからも、たまに会ったり電話で話したりしてたんだ。最近はほとんど会ってないけど、電話掛けて相談に乗って貰ったりしてた」
「相談って?」
「…好きな人が出来たんだけどって感じで…」
「へ? 俺のことかよ?」
「うん」
自分のことを相談していたと知って、何となく複雑な気分になる。
――己の知らない頃の直人。それを当たり前のようにずっと傍で見てきた男の話に、晶は僅かだが不快感を覚えた。彼のことを笑みながら語る直人の様子にも歯痒さを感じる。
(…俺は昔の直人のことなんて何にも知らねぇ…。もっと早く会えてりゃ、俺だって……)
直人の顔から目を逸らして、知らず識らずきつくなりそうな口調を抑えた。
「…ふーん。頼りになる奴だったわけだ。――で、今そいつ何やってんの?」
「大学に行ってる。高校もそうだったけど、ちょっと離れた所だからか滅多に帰ってこなくて、長期休みの頭からこっちにいたことなんてないんだけど…」
直人は立ち上がると、紙袋に入れたままテーブルに置いていたカードを手に取る。
「毎年、誕生日にはプレゼントを送ってくれてたんだ。宅配便で。直接持って来るなんて、今まで一度もなかったのに……」
ベッドの上に寝転んで、軽く息を吐きながら晶が言った。
「たまたま帰ってきてたからじゃねぇの? …っていうか、そいつお前の携帯番号登録してねぇのか? 連絡してから来りゃ、留守にかち合うこともねぇのにさ」
「ううん、してる筈だよ。でも…和彦からはあんまり掛けてこないんだ」
そこでまた溜息を落とす直人。何かが気に掛かっているようなその様子に、晶は起き上がってベッドを降りるとコートに手を掛けた。
「気になるんなら、電話してみりゃいいじゃん。俺、帰るからさ」
多少強張った声で投げたそのセリフに、直人はハッとして顔を上げる。
「帰っちゃうの? …何か気に障った?」
「別に怒ってるわけじゃねぇよ。元々、今夜は帰るつもりだったし」
「……和彦のことなら、いいんだ。明日来るって言ってるんだから…。ごめんね、気にさせちゃって……」
コートの袖に通し掛けた晶の腕を掴む。
「…帰っちゃやだよ、晶…」
そのまま肩口に顔を埋める。晶は、擦り寄る身体に腕を廻して抱き締めた。ぱさりとコートが足元に落ちる。
「どうしたんだよ、こんなに甘えて。…ヤりてぇのか?」
ふるふると首を振って否定する直人。
「そうじゃないよ。ただ…折角の誕生日だから……。一人でも、去年までは何ともなかった。それが当たり前だと思ってたから。…でも、今日は……」
縋る直人の左手首に銀のブレスが揺れる。その輝きを見て、晶は顔を緩めた。
(そうだった…。昔は昔だ。今、直人の傍にいんのは俺じゃねぇか。…やっぱ馬鹿だな、俺……)
黒髪を梳いて穏やかに笑む。包み込むような温かい声音で呟いた。
「…そうだな。新婚早々、奥さんほったらかしってのはねぇよな。んでも、今更初夜っつーのも変か……」
低い天井を見上げて思案した晶は、何事か思い付いて直人の面を覗き込む。
「じゃぁさ、今夜は添い寝、してやるよ」
「…添い寝?」
「ああ。横で一緒に寝るだけ。考えてみたら、今まで一回もしたことねぇんだよな」
確かに、これまで床を共にする時は必ず肌を合わせていた。ただ純粋に寄り添って眠るという行為は、ある意味、初夜と呼べるのかも知れない。
「…晶。ありがと…」
ふわりと綺麗に微笑んで、直人は晶の頬に口付けた。
★★★次回予告★★★
翌朝、直人の部屋へやって来た和彦。
初めて顔を合わせた晶は、彼の視線に何か感じるものが――。
コートを脱いだ晶に淹れたてのコーヒーを渡して、直人は紙袋に入っていた包みを開けてみた。出てきたのは白いフォトスタンド。直人の誕生花であるカトレアの花が浮き彫りになったフレームは、花びらの部分にパールのペイントがされている。直人は溜息をつくと、それを机の上に置いた。
「幼馴染って言ってたけど…」
ベッドに腰掛けた自分の横に座る直人に、コーヒーを啜りながら晶が訊いた。
「うん…。養護院で一緒に育ったんだ…」
灰色の瞳が宙を見ながら話し出す。
「――和彦は両親と死に別れてね。俺とほとんど同じ時期に院に来たんだ。物心がつく前から傍にいたし、同い年ってこともあって、一緒に育った兄弟達の中で一番の親友だった。小学校で、親がいないからって苛められた時に助けてくれたり、逆に、苦手な図工を手伝ってあげたり――」
過去の記憶を手繰る直人の顔には、薄く笑みが浮かんでいた。
「凄く明るい性格だったから、いろいろ面白い話で笑わせてくれたりして…楽しかったな。――このまま中学卒業まで一緒に暮らすんだと思ってたんだけど、小学校の卒業と同時に離れ離れになっちゃって……」
「なんで?」
「養子縁組だよ。院を見学に来た子供のいない夫婦が、和彦を気に入ってね。是非引き取りたいって言ってきたんだ。和彦は嫌がってた。院を出たくない、俺と遊べなくなるのは嫌だって。…俺も寂しかったけど、引き取ってくれる人達はとても優しそうだったし、何より家族が出来るんだから、本人にとっては嬉しい筈だろ? だから何も言わずに我慢してたよ。――先生達が説き伏せて、和彦はやっと承知したみたいだった。でも、それには一つだけ条件があったんだ」
言葉を切って、直人は息をつく。「飲むか?」と差し出された晶のマグカップを受け取って、飲み掛けのコーヒーに口を付けた。
「――条件て何?」
直人の喉が潤うのを待って、晶は尋ねる。
「俺と同じ中学に通わせてくれること。校区は随分離れてたのに、それだけは絶対譲らなくてね。結局、朝早くから一時間半近くも掛けて通学することになったっていうのに、本人は凄く嬉しそうでさ。中学の三年間、前と同じように親友として楽しく過ごしたよ。――俺が仕事するようになってからも、たまに会ったり電話で話したりしてたんだ。最近はほとんど会ってないけど、電話掛けて相談に乗って貰ったりしてた」
「相談って?」
「…好きな人が出来たんだけどって感じで…」
「へ? 俺のことかよ?」
「うん」
自分のことを相談していたと知って、何となく複雑な気分になる。
――己の知らない頃の直人。それを当たり前のようにずっと傍で見てきた男の話に、晶は僅かだが不快感を覚えた。彼のことを笑みながら語る直人の様子にも歯痒さを感じる。
(…俺は昔の直人のことなんて何にも知らねぇ…。もっと早く会えてりゃ、俺だって……)
直人の顔から目を逸らして、知らず識らずきつくなりそうな口調を抑えた。
「…ふーん。頼りになる奴だったわけだ。――で、今そいつ何やってんの?」
「大学に行ってる。高校もそうだったけど、ちょっと離れた所だからか滅多に帰ってこなくて、長期休みの頭からこっちにいたことなんてないんだけど…」
直人は立ち上がると、紙袋に入れたままテーブルに置いていたカードを手に取る。
「毎年、誕生日にはプレゼントを送ってくれてたんだ。宅配便で。直接持って来るなんて、今まで一度もなかったのに……」
ベッドの上に寝転んで、軽く息を吐きながら晶が言った。
「たまたま帰ってきてたからじゃねぇの? …っていうか、そいつお前の携帯番号登録してねぇのか? 連絡してから来りゃ、留守にかち合うこともねぇのにさ」
「ううん、してる筈だよ。でも…和彦からはあんまり掛けてこないんだ」
そこでまた溜息を落とす直人。何かが気に掛かっているようなその様子に、晶は起き上がってベッドを降りるとコートに手を掛けた。
「気になるんなら、電話してみりゃいいじゃん。俺、帰るからさ」
多少強張った声で投げたそのセリフに、直人はハッとして顔を上げる。
「帰っちゃうの? …何か気に障った?」
「別に怒ってるわけじゃねぇよ。元々、今夜は帰るつもりだったし」
「……和彦のことなら、いいんだ。明日来るって言ってるんだから…。ごめんね、気にさせちゃって……」
コートの袖に通し掛けた晶の腕を掴む。
「…帰っちゃやだよ、晶…」
そのまま肩口に顔を埋める。晶は、擦り寄る身体に腕を廻して抱き締めた。ぱさりとコートが足元に落ちる。
「どうしたんだよ、こんなに甘えて。…ヤりてぇのか?」
ふるふると首を振って否定する直人。
「そうじゃないよ。ただ…折角の誕生日だから……。一人でも、去年までは何ともなかった。それが当たり前だと思ってたから。…でも、今日は……」
縋る直人の左手首に銀のブレスが揺れる。その輝きを見て、晶は顔を緩めた。
(そうだった…。昔は昔だ。今、直人の傍にいんのは俺じゃねぇか。…やっぱ馬鹿だな、俺……)
黒髪を梳いて穏やかに笑む。包み込むような温かい声音で呟いた。
「…そうだな。新婚早々、奥さんほったらかしってのはねぇよな。んでも、今更初夜っつーのも変か……」
低い天井を見上げて思案した晶は、何事か思い付いて直人の面を覗き込む。
「じゃぁさ、今夜は添い寝、してやるよ」
「…添い寝?」
「ああ。横で一緒に寝るだけ。考えてみたら、今まで一回もしたことねぇんだよな」
確かに、これまで床を共にする時は必ず肌を合わせていた。ただ純粋に寄り添って眠るという行為は、ある意味、初夜と呼べるのかも知れない。
「…晶。ありがと…」
ふわりと綺麗に微笑んで、直人は晶の頬に口付けた。
★★★次回予告★★★
翌朝、直人の部屋へやって来た和彦。
初めて顔を合わせた晶は、彼の視線に何か感じるものが――。
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