悪竜の騎士とゴーレム姫【第12部まで公開】

雨宮ソウスケ

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第9部

第二章 白金の風①

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「う~ん……」


 青年は、両腕を上に大きく伸びをする。


「今日もいい天気だな」


 歳の頃は二十代前半か。黒い瞳に、毛先だけがわずかに黒い真っ白な髪。白いつなぎが印象的な青年だ。
 ――アッシュ=クライン。
 コウタの実の兄である。
 周囲は、点在する家屋と田畑が目立つ長閑な風景。
 彼の背には、一つの店舗がある。
 クライン工房。彼の店だ。


「あら。休憩ですか? クライン君」


 その時、彼に声をかける人間がいた。
 青年は振り向いた。
 そこにいたのは一人の女性だった。
 藍色の髪に蒼い瞳。整った鼻梁に、スタイルも申し分ない美女。
 ただ、彼女において一番印象に残るのはメイド服か。
 ――シャルロット=スコラ。
 リーゼのメイドである。
 本来ならば、常にリーゼと行動を共にする彼女だが、アティス王国に来てからは、むしろ彼の傍にいることが多い。
 青年自身は知らないが、これはリーゼの計らいだったりする。


「おう。シャル」


 青年は、ニカっと笑った。
 ただ、それだけでシャルロットがときめき、幸せを感じているとは知らずに。


「アイリ嬢ちゃんと、ジェイクは帰ったのか?」

「はい」


 シャルロットは頷く。


「二人とも王城に戻られました」

「そっか。シャルはまだ良かったのか?」

「はい。ただ、私も昼食をご用意してから失礼させていただきます」

「おう。悪いな。シャル」


 再び、青年が彼女の名を――愛称を呼んだ。


(ああ、何ということでしょうか……)


 表向きは平然を装いつつ、シャルロットの心情は有頂天になっていた。


(またクライン君が私を愛称で呼んでくれました)


 ただ、それだけで。
 シャルロットの豊かな胸の奥にある心臓が弾んだ。
 実は、シャルロットを『シャル』の愛称で呼ぶのは彼だけだった。
 昔、彼にお願いしてそう呼んでくれるようにしてもらったのだ。
 それを、彼は今も忘れず続けてくれているのである。


(ですが、もうこの程度で満足してはいけません)


 シャルロットは、静かに決意を固めた。
 シャルロットと、彼の出会いは五年前のことだった。
 ――越境都市『サザン』。
 その地でシャルロットと、当時傭兵だった彼は出会った。
 あの騒動は、本当に唐突だった。
 皇国で再会した、当時傭兵だったバルカスとの決闘。
 それに敗れ、貞操の危機だったところを、彼に助けてもらった。
 コウタ達にも語った内容だ。
 ――が、その後に、さらにもう一騒動があったのである。


(私も視野が狭かったものです)


 シャルロットは嘆息する。
 今思えば、とんでもない失態である。


「ん? どうかしたかシャル?」


 青年が尋ねてくる。
 シャルロットは「何でもありません」と返した。
 ――あの日。彼に身柄を保護してもらった後。
 とある宿にて、ようやく気絶から目を覚ましたシャルロットは、恩人である彼をバルカスの仲間と誤認して襲い掛かったのである。
 しかし、二人の力量差は歴然だった。
 短剣まで持ち出したのに、素手の彼に全く敵わない。
 シャルロットは、容易く動きを封じられ、彼の腕の中に囚われてしまった。
 彼女は必死に足掻いた。最悪は自害さえも考えた。
 だが――。


『お前は俺に負けたんだ。自害する権利なんてねえんだよ。いいか、よく聞け』


 彼は、言った。


。今さら足掻くな。黙って受け入れろ』


 コウタが聞けば、きっと絶句することだろう。
 彼をよく知る者にとっては、とても信じられない台詞である。
 けれど、彼は確かにそう宣言したのだ。
 そうしてそのまま彼の腕の中で、シャルロットは心を手折られていった。

 ――一つ一つ。
 矜持も、不安も呑み干されて。

 彼女の心は、完全に彼に掌握されてしまった。
 そして最後には自分の意志で、自分は彼の女であると宣言していたのである。
 まあ、後で事情を聞くと、それはやむを得ない芝居だったようだが、シャルロットの心がその時奪われたのは事実だ。


(そして、それは今も変わりません)


 シャルロットは微笑む。
 自分は彼の女だ。その事実は揺らがない。


「そろそろ工房に戻るか」

「はい。そうですね」


 工房に向かって歩き出す青年に、付き添うシャルロット。
 シャルロットは横目で彼の後姿を見つめた。


(けれど)


 シャルロットは一瞬だけ瞳を閉じる。


(私は、まだ完全には彼のモノになっていません)


 心はすでに彼のモノ。
 しかしながら、彼に貞操まで捧げる機会がなかった。
 それが当時からの心残りだった。
 だからこそ、名実ともに彼のモノとなる。
 それこそが、彼女の密かな来訪目的であった。
 そのための裏準備は、直実に進めていっている。
 頼りになる――生涯を共にする同志も、すでに得ていた。


(後は私と彼の気持ちだけ)


 シャルロットは、グッと拳を固めた。
 再び青年の背中を見つめる。


(ファイトです。私)


 ここにも一人。
 意志を固める女がいた。
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