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第9部
第二章 白金の風①
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「う~ん……」
青年は、両腕を上に大きく伸びをする。
「今日もいい天気だな」
歳の頃は二十代前半か。黒い瞳に、毛先だけがわずかに黒い真っ白な髪。白いつなぎが印象的な青年だ。
――アッシュ=クライン。
コウタの実の兄である。
周囲は、点在する家屋と田畑が目立つ長閑な風景。
彼の背には、一つの店舗がある。
クライン工房。彼の店だ。
「あら。休憩ですか? クライン君」
その時、彼に声をかける人間がいた。
青年は振り向いた。
そこにいたのは一人の女性だった。
藍色の髪に蒼い瞳。整った鼻梁に、スタイルも申し分ない美女。
ただ、彼女において一番印象に残るのはメイド服か。
――シャルロット=スコラ。
リーゼのメイドである。
本来ならば、常にリーゼと行動を共にする彼女だが、アティス王国に来てからは、むしろ彼の傍にいることが多い。
青年自身は知らないが、これはリーゼの計らいだったりする。
「おう。シャル」
青年は、ニカっと笑った。
ただ、それだけでシャルロットがときめき、幸せを感じているとは知らずに。
「アイリ嬢ちゃんと、ジェイクは帰ったのか?」
「はい」
シャルロットは頷く。
「二人とも王城に戻られました」
「そっか。シャルはまだ良かったのか?」
「はい。ただ、私も昼食をご用意してから失礼させていただきます」
「おう。悪いな。シャル」
再び、青年が彼女の名を――愛称を呼んだ。
(ああ、何ということでしょうか……)
表向きは平然を装いつつ、シャルロットの心情は有頂天になっていた。
(またクライン君が私を愛称で呼んでくれました)
ただ、それだけで。
シャルロットの豊かな胸の奥にある心臓が弾んだ。
実は、シャルロットを『シャル』の愛称で呼ぶのは彼だけだった。
昔、彼にお願いしてそう呼んでくれるようにしてもらったのだ。
それを、彼は今も忘れず続けてくれているのである。
(ですが、もうこの程度で満足してはいけません)
シャルロットは、静かに決意を固めた。
シャルロットと、彼の出会いは五年前のことだった。
――越境都市『サザン』。
その地でシャルロットと、当時傭兵だった彼は出会った。
あの騒動は、本当に唐突だった。
皇国で再会した、当時傭兵だったバルカスとの決闘。
それに敗れ、貞操の危機だったところを、彼に助けてもらった。
コウタ達にも語った内容だ。
――が、その後に、さらにもう一騒動があったのである。
(私も視野が狭かったものです)
シャルロットは嘆息する。
今思えば、とんでもない失態である。
「ん? どうかしたかシャル?」
青年が尋ねてくる。
シャルロットは「何でもありません」と返した。
――あの日。彼に身柄を保護してもらった後。
とある宿にて、ようやく気絶から目を覚ましたシャルロットは、恩人である彼をバルカスの仲間と誤認して襲い掛かったのである。
しかし、二人の力量差は歴然だった。
短剣まで持ち出したのに、素手の彼に全く敵わない。
シャルロットは、容易く動きを封じられ、彼の腕の中に囚われてしまった。
彼女は必死に足掻いた。最悪は自害さえも考えた。
だが――。
『お前は俺に負けたんだ。自害する権利なんてねえんだよ。いいか、よく聞け』
彼は、言った。
『お前はもう俺のモノなんだ。今さら足掻くな。黙って受け入れろ』
コウタが聞けば、きっと絶句することだろう。
彼をよく知る者にとっては、とても信じられない台詞である。
けれど、彼は確かにそう宣言したのだ。
そうしてそのまま彼の腕の中で、シャルロットは心を手折られていった。
――一つ一つ。
矜持も、不安も呑み干されて。
彼女の心は、完全に彼に掌握されてしまった。
そして最後には自分の意志で、自分は彼の女であると宣言していたのである。
まあ、後で事情を聞くと、それはやむを得ない芝居だったようだが、シャルロットの心がその時奪われたのは事実だ。
(そして、それは今も変わりません)
シャルロットは微笑む。
自分は彼の女だ。その事実は揺らがない。
「そろそろ工房に戻るか」
「はい。そうですね」
工房に向かって歩き出す青年に、付き添うシャルロット。
シャルロットは横目で彼の後姿を見つめた。
(けれど)
シャルロットは一瞬だけ瞳を閉じる。
(私は、まだ完全には彼のモノになっていません)
心はすでに彼のモノ。
しかしながら、彼に貞操まで捧げる機会がなかった。
それが当時からの心残りだった。
だからこそ、名実ともに彼のモノとなる。
それこそが、彼女の密かな来訪目的であった。
そのための裏準備は、直実に進めていっている。
頼りになる――生涯を共にする同志も、すでに得ていた。
(後は私と彼の気持ちだけ)
シャルロットは、グッと拳を固めた。
再び青年の背中を見つめる。
(ファイトです。私)
ここにも一人。
意志を固める女がいた。
青年は、両腕を上に大きく伸びをする。
「今日もいい天気だな」
歳の頃は二十代前半か。黒い瞳に、毛先だけがわずかに黒い真っ白な髪。白いつなぎが印象的な青年だ。
――アッシュ=クライン。
コウタの実の兄である。
周囲は、点在する家屋と田畑が目立つ長閑な風景。
彼の背には、一つの店舗がある。
クライン工房。彼の店だ。
「あら。休憩ですか? クライン君」
その時、彼に声をかける人間がいた。
青年は振り向いた。
そこにいたのは一人の女性だった。
藍色の髪に蒼い瞳。整った鼻梁に、スタイルも申し分ない美女。
ただ、彼女において一番印象に残るのはメイド服か。
――シャルロット=スコラ。
リーゼのメイドである。
本来ならば、常にリーゼと行動を共にする彼女だが、アティス王国に来てからは、むしろ彼の傍にいることが多い。
青年自身は知らないが、これはリーゼの計らいだったりする。
「おう。シャル」
青年は、ニカっと笑った。
ただ、それだけでシャルロットがときめき、幸せを感じているとは知らずに。
「アイリ嬢ちゃんと、ジェイクは帰ったのか?」
「はい」
シャルロットは頷く。
「二人とも王城に戻られました」
「そっか。シャルはまだ良かったのか?」
「はい。ただ、私も昼食をご用意してから失礼させていただきます」
「おう。悪いな。シャル」
再び、青年が彼女の名を――愛称を呼んだ。
(ああ、何ということでしょうか……)
表向きは平然を装いつつ、シャルロットの心情は有頂天になっていた。
(またクライン君が私を愛称で呼んでくれました)
ただ、それだけで。
シャルロットの豊かな胸の奥にある心臓が弾んだ。
実は、シャルロットを『シャル』の愛称で呼ぶのは彼だけだった。
昔、彼にお願いしてそう呼んでくれるようにしてもらったのだ。
それを、彼は今も忘れず続けてくれているのである。
(ですが、もうこの程度で満足してはいけません)
シャルロットは、静かに決意を固めた。
シャルロットと、彼の出会いは五年前のことだった。
――越境都市『サザン』。
その地でシャルロットと、当時傭兵だった彼は出会った。
あの騒動は、本当に唐突だった。
皇国で再会した、当時傭兵だったバルカスとの決闘。
それに敗れ、貞操の危機だったところを、彼に助けてもらった。
コウタ達にも語った内容だ。
――が、その後に、さらにもう一騒動があったのである。
(私も視野が狭かったものです)
シャルロットは嘆息する。
今思えば、とんでもない失態である。
「ん? どうかしたかシャル?」
青年が尋ねてくる。
シャルロットは「何でもありません」と返した。
――あの日。彼に身柄を保護してもらった後。
とある宿にて、ようやく気絶から目を覚ましたシャルロットは、恩人である彼をバルカスの仲間と誤認して襲い掛かったのである。
しかし、二人の力量差は歴然だった。
短剣まで持ち出したのに、素手の彼に全く敵わない。
シャルロットは、容易く動きを封じられ、彼の腕の中に囚われてしまった。
彼女は必死に足掻いた。最悪は自害さえも考えた。
だが――。
『お前は俺に負けたんだ。自害する権利なんてねえんだよ。いいか、よく聞け』
彼は、言った。
『お前はもう俺のモノなんだ。今さら足掻くな。黙って受け入れろ』
コウタが聞けば、きっと絶句することだろう。
彼をよく知る者にとっては、とても信じられない台詞である。
けれど、彼は確かにそう宣言したのだ。
そうしてそのまま彼の腕の中で、シャルロットは心を手折られていった。
――一つ一つ。
矜持も、不安も呑み干されて。
彼女の心は、完全に彼に掌握されてしまった。
そして最後には自分の意志で、自分は彼の女であると宣言していたのである。
まあ、後で事情を聞くと、それはやむを得ない芝居だったようだが、シャルロットの心がその時奪われたのは事実だ。
(そして、それは今も変わりません)
シャルロットは微笑む。
自分は彼の女だ。その事実は揺らがない。
「そろそろ工房に戻るか」
「はい。そうですね」
工房に向かって歩き出す青年に、付き添うシャルロット。
シャルロットは横目で彼の後姿を見つめた。
(けれど)
シャルロットは一瞬だけ瞳を閉じる。
(私は、まだ完全には彼のモノになっていません)
心はすでに彼のモノ。
しかしながら、彼に貞操まで捧げる機会がなかった。
それが当時からの心残りだった。
だからこそ、名実ともに彼のモノとなる。
それこそが、彼女の密かな来訪目的であった。
そのための裏準備は、直実に進めていっている。
頼りになる――生涯を共にする同志も、すでに得ていた。
(後は私と彼の気持ちだけ)
シャルロットは、グッと拳を固めた。
再び青年の背中を見つめる。
(ファイトです。私)
ここにも一人。
意志を固める女がいた。
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