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第5部

第三章 帰ってきた幼馴染②

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 夜遅く。 
 黒い紳士服スーツを着こんだ久遠真刃は、恒例である一人仕事を行っていた。
 いつものように、傍らには、宙に浮かぶ骨翼を持つ透明な猿――猿忌の姿もある。
 ただ、今夜の同行者は、猿忌だけではなかった。
 真刃が一人で仕事を受けていたのは、こないだまでのことだ。
 一人でなくなったのは、これで三度目だった。

「……ふむ」

 解体前の廃ビル。
 ビジネス用のフロアだった広い室内の入り口に立ち、真刃は様子を窺う。
 彼の視線の先には、二頭の獣がいた。
 一頭は、醜い獣だ。
 獅子に似た鬣の中に老人の顔を持つ、巨大な四足獣。いや、前脚が四本、後ろ脚が二本あるので六足獣と呼ぶべきか。歯の欠けた口元からは涎を滝のように零している。

 対するもう一頭は、美しい獣だった。
 手には赤く輝く熱閃の刃。
 片手をそっと床に着け、ゆさりと大きな胸を揺らして、低重心に身構えている。
 その美しい肢体には、白い胴当てコルセットが一体となった漆黒のライダースーツを纏っていた。
 耐刃、耐火の術式などをふんだんに付与した特殊な布と、合成樹脂を用いて造られた彼女専用の戦闘服ドレスである。左腕には『参』の腕章を着けている。

 ――参妃。御影刀歌である。
 今夜の同行者だった。
 彼女は今、獣の笑みを見せていた。

『……刀歌は、御影に似ていると思っていたが……』

 猿忌が呟く。真刃は「ああ。そうだな」と返した。

(……確かに顔立ちはよく似ているが)

 真刃は、双眸を細めて思う。

(やはり、刀歌は御影とは違うのだな)

 現在、刀歌が対峙しているのは危険度カテゴリーCの我霊だ。
 今の刀歌では、少々手に余る相手である。
 しかし、彼女の成長を促すために、真刃はあえてこのランクを選んだ。
 先に挑んだエルナ、かなたと同じく。
 刀歌もまた、この夜を超えられると思ったからだ。

『……ここまでは想定内か』

「ああ。ここからが重要だ」

 猿忌の呟き、真刃が答える。
 戦闘は、やはり刀歌の方が押され気味だった。
 けれど、その苦境こそが、彼女のスイッチなのだろう。
 刀歌は追い込まれると、まるで獣のような笑みを浮かべることがあった。
 そうして、その笑みを零すと、戦闘スタイルまでが大きく変化するのである。

 剣士の構えから、獣の低重心へと。
 そうなると、彼女の戦い方は完全に別物だった。
 地形など意にも介さず縦横無尽に跳躍し、隙あらば、いかなる体勢であっても、斬撃を繰り出してくる。それは、もはや剣と呼ぶよりも獣の爪牙だった。
 あれこそが、恐らく刀歌の本来の戦い方なのだろう。

(御影には、あのような気性はなかったな)

 真刃のかつての同僚は、純粋なる剣士だった。
 窮地において、さらに技が研ぎ澄まされることはあったが、戦闘スタイル自体が変わるようなことはなかった。どこまでも洗練された剣士だった。

(御影の剣は、確かに見事だった。だが、あいつの子孫だからといって、刀歌にまでそれを押し付けるのは間違っているのだろうな)

 遠い日を。
 かつての同僚のことを思い出す。
 ただ、脳裏に浮かぶのは、最もよく目にした軍服姿ではなく、一時期だけ見ることになった着物姿の御影刀一郎だった。桜色の着物を纏う艶姿である。
 これは、やはり、御影が本当は女性だったと知ってしまったからだろうか。

(これもまた詮なき事だな)

 真刃は嘆息しつつ、刀歌に目をやる。
 刀歌に襲い掛かる六足獣の我霊。
 口元が一気に裂け、不並びの不気味な歯を剥き出しにする。
 その突進を、刀歌はすれ違うように跳躍して回避するが、着地先は床ではなく壁だ。そのまま壁を足場に大きく屈伸、天井へと跳ぶ。宙空で身を捩じって回転すると、天井を蹴りつけ、逆手に構えた炎の刃を、六足獣の背中に突き立てた!

「があああああああッッ!」

 老人の顔が、絶叫を上げる。
 刀歌はそれに構わず、数倍の出力で熱閃を噴出した。それは六足獣の胴体を貫き、床にまで突き刺さる。そして――。
 ギュルン、と。
 炎の刃を突き刺したまま、刀歌は全身を捩じり、横に回転した。
 熱閃は、見事に六足獣を両断した。
 火の粉と共に鮮血も飛ぶ。刀歌は六足獣の背中から大きく跳躍して着地。
 両断した六足獣の前側・・が、未だビクンビクンッと動く様を見やり、
 ……ふうゥうゥ!
 熱い吐息を零して、さらに駆け出した!
 手に持つ炎の刃が荒れ狂い、巨大な翼のようになる。
 彼女の瞳には、恍惚の光があった。
 その姿を見やり、

『主よ』

「ああ。ここまでだな」

 真刃は、そう判断する。
 そして次の瞬間、真刃の姿がかき消えた。

「―――ッ!?」

 刀歌は、双眸を見開いた。
 獲物を目の前にして、突如、背後から腰を掴まれたのだ。

「く、あっ!」

 炎の刃を振るおうとするが、その手首も強く抑えられた。
 刀歌は表情を険しくし、さらに暴れようとする。が、

「もう終わりだ。落ち着け。刀歌」

 背後から告げられる声。刀歌の中の獣が一気に委縮する。

(………あ………)

 圧倒的な力の差。
 途方もなく格上の、巨大なる獣に捕えられた。
 それを、彼女の中の獣が察したのだ。

「……しゅ、主君……」

 炎の刃が、瞬く間に縮小していく。
 そして遂には消えて、ガシャン、と手に持っていた刀の柄を落とす。
 刀歌の瞳には、冷静さが戻っていた。

「……うゥ」

 が、すぐに羞恥の光も宿り、耳まで赤くして俯いた。
 やってしまった。またやってしまった。
 思いっきり、心の裡の獣性を解放してしまった。
 最後の方など、高揚しすぎて自分でも訳が分からなくなった有様である。
 曽祖父が見れば、叱責は免れない。とても剣士とは呼べないような醜態だった。
 けれど、真刃は、

「戦闘方法とは、人それぞれだ」

 彼女の手首から、手を離してそう告げる。

「お前にはお前の戦い方がある。何も御影刀一郎を模倣する必要はない」

「………主君」

 刀歌の頬に微かに朱が差し、鼓動が大きく高鳴った。
 自分の中の獣も『くゥん、くゥん』と、甘えた声を出すのを感じた。
 もし、刀歌に狼のような尾があれば、ブンブンと振っていたことだろう。

「とはいえ、課題は多いな」

 一方で、真刃は、ようやく息絶えた六足獣に目をやって言う。

「感覚は研ぎ澄まされるようだが、冷静さに欠ける。術式に関しても出力ばかりが大きく、あまりにも雑な精度だ」

『うむ。確かにそうだな』

 真刃の傍にまで移動した猿忌も言う。

『あれでは、もはや魂力オドの垂れ流しだ』

「……ううゥ」

「野生の獣は強い。だが、お前は人だぞ。何も人の技や理性まで捨てなくても良かろう」

「はうっ!」

 容赦ない指摘に身を悶えさせる刀歌。
 そんな少女に苦笑を零しつつ、真刃は、彼女の頭にポンと手を置いた。

「ともあれだ。オレはお前の獣性は否定せぬ。それもまた得難い才だ。今後はその獣性と、剣士の技を共存させる方針で鍛え上げていくぞ」

「……は、はい」

 刀歌は腰の前で指先を組み、こくんと頷いた。

「だが、今は褒め称えよう」

 真刃は刀歌から離れると、息絶えた我霊の傍に立った。

「見事だったぞ。刀歌」

 双眸を細める。

「師としては感無量だな。これでお前も、エルナ、かなたに続き、単独で危険度カテゴリーCを倒したことになったのだから」
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