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第2部
幕間二 天使の仮面
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夜遅く。とある広い和室。
そこには今、重い静寂が訪れていた。
そこに呼び出された高間洋一は、だらだらと汗を流してた。
両手を床につき、ポタポタと畳に汗が零れ落ちる。
これも失態にならないかと、不安で押し潰されそうだった。
「か、重ねて、申し訳ありません……」
その言葉だけを、どうにか絞り出す。
天堂院家に従う家。
系譜術こそ会得しているが、天堂院家には遠く及ばない弱者の家系。
一応はその当主である高間は、ひたすら土下座をしていた。
相手は、上座に座る天堂院九紗。
そして、その傍らに控える天堂院壱羽である。
二人は、無言で高間を見据えていた。
「……父上」
視線を父に向けて、壱羽が口を開く。
「高間に、さほど落ち度はないと思われます」
「ああ、分かっておる」
肘を膝の上に突きつつ、九紗が言う。
その言葉に、高間はホッとした。
滝のような汗だけは、一向に収まらなかったが。
「高間。もう下がってもよいぞ。今回の件は不問だ。お前の班にも責は問わぬ」
九紗に命じられ、高間はガバッと顔を上げて「あ、ありがとうございます! で、では失礼いたします!」と答えた。
緊張で今にも崩れ落ちてしまいそうな体を奮い立たせて、高間は歩き出した。
和室を出る際に、一瞬だけ残ったもう一人の人物を見やる。
天使のような少年は、ニコニコと笑ってた。
「……それでは」
高間は膝を突いて頭を垂れると、部屋から退室した。
ここから先は天上の会話だ。自分ごときは関与できない。
そもそも関与すべきではない。そんな命知らずな真似は出来ない。
幸運にも、最悪の事態だけは避けれたのだ。
高間は命が覆される前に、その場から退散した。
残されたのは三人。
九紗と、壱羽と、八夜の三人だ。
「……八夜」
壱羽が嘆息して異母弟の名を呼んだ。
「お前は何を考えている。どうして今回に限って協力など申し出たのだ?」
「え、えっと……」
八夜は、ポリポリと頬をかいた。
「その……う~ん」
八夜は少し言葉を詰まらせるが、ここは正直に告げることにした。
「実はね、壱羽兄さんにお願いがあったんだ。お父さんにお願いがあってね。壱羽兄さんには事前にボクに味方になって欲しかったんだよ」
「……願いだと?」
九紗が呟く。八夜は「うん」と頷いた。
八夜は九紗を見つめた。壱羽も父に視線を向ける。
「あのね! 実は、お父さんにお願いがあるんだ!」
「……どんな願いだ?」
興味深そうに、九紗が尋ねる。
思い返せば、これは八夜の、初めての父への願いかも知れない。
壱羽も、耳を傾けていた。
「あのね!」
そして、八夜は笑顔を浮かべて父に願う。
「ボク、七奈ちゃんが欲しいんだ! 七奈ちゃんをボクのお嫁さんにしたいんだ!」
「…………は?」
微かに瞼を上げて、壱羽はそう呟いた。
九紗は無言だ。
「あのね! 七奈ちゃんをね! 引導師から解任して欲しいんだ! それで七奈ちゃんにはボクの赤ちゃんを産んで欲しいんだ!」
「……お前は」
その内容に、流石の壱羽も渋面を浮かべる。と、
「……ふむ、意外だったな」
初めて、九紗が八夜に対して口を開いた。
「お前が、そこまで七奈に執着していたとはな。どこが気に入ったのだ? あれは魂力がそこそこ高いだけの不出来な娘だぞ」
「何言っているのさ!」
父の言い草に、八夜はムッとした表情を見せた。
「七奈ちゃんは世界一可愛いんだよ! それだけで充分だよ!」
「……ああ、そうか。そういうことか。八夜」
壱羽が、八夜に顔を向けて問う。
「七奈に執着していたからこそ、あの娘を殺したのか? お前の苗床だと聞いたから」
「……うッ!」
異母兄の指摘に、八夜は少し頬を引きつらせた。
「それはさ、ちょっと考えたけど、実際の所はただ手がすべっただけだよ」
「……どうだかな」
壱羽は、腕を組んで嘆息した。
すると、九紗が苦笑いを浮かべた。
「まあよい。そう攻めるな、壱羽。確かにあの娘は惜しかった。御影の……あやつの家系らしからぬ高き魂力。もしやあの娘は……と思っていたのだが、どうやら儂の見込み違いだったようだ。この程度で死ぬなど話にもならん。あの娘に関してはもう構わんでいい」
そこで、八夜を一瞥する。
「むしろ八夜。お前の心境の変化こそ興味深い。好ましく思うぞ。思えば、『あの男』も自分の女に執着しておった」
ゆえに、あの災厄が起きたのだからな。
九紗は自嘲する。
「お前が『あの男』に近づくことはよいことだ。よかろう。七奈はくれてやる。好きにするがいい。だが、苗床が七奈一人だけという訳にはいかんぞ」
「ええエ~」
八夜が嫌そうな顔をした。
「ボク、七奈ちゃんだけでいいよ。なんならもう隷者もいらないぐらいだし」
「それは許さん。隷者の解約も許さんからな。苗床に関しても新たな候補を見繕う。まあ、しばらく期間は空くが……」
そこで、九紗は壱羽に視線を向けた。
父の視線を受けて、壱羽は静かに頷いた。
「父上と私は、明日より一月ほど海外出張を予定しております。ようやく例のゲノム研究の成果が上がったそうです。そして――」
一呼吸入れて、
「三狼は北条家との会合のため、五日ほど留守にします。五蔵は例の探査で手一杯。六炉は未だ行方知らず。四我は……あれ以降、全く本邸に寄りつかなくなっております」
「……ふん」
九紗は鼻を鳴らす。
「四我め。六炉といい、遅めの反抗期か。まあ、それはよい。しばらくは誰もが忙しいな」
「はい。ですので、留守居役は二葉に任せようと思うのですが」
と、告げる壱羽に、九紗はかぶりを振った。
「それは却下だ。二葉は儂の傍に置く。先ほど、早速仕込んではみたが、流石にまだ数度程度では儂の子を孕んだ確証はない。しばらくは儂の夜伽に専念させるつもりだ」
「え? 何それ? 初耳なんだけど?」八夜が目を丸くした。
「お父さん。もしかして二葉姉さんに手を出したの? 確かに二葉姉さんは美人だけど、うわあ、お父さんって鬼畜だね」
「ふん。何を言うか」
九紗は、八夜を一瞥する。
「母体が違えど、姉を手籠めにしたお前に言われたくないな。そもそもお前に倣っただけだ。二葉は七奈と違って優秀だ。理外の『型』を生み出すことも期待しておる」
そこで、小さく嘆息する。
「だが、そうなると人手がないのも事実だな。七奈は……使えそうなのか?」
九紗としては、それは壱羽に聞いたつもりだったのだが、答えたのは八夜だった。
「もちろん、大丈夫だよ!」
ニコニコと八夜は笑って告げる。
「七奈ちゃんはもう元気だよ! こないだは一緒にお風呂も入ったんだ!」
「………なに?」
壱羽が眉をしかめた。
「八夜? お前、七奈に会っているのか?」
「え? あ……」
八夜は、慌てて口元を両手で押さえた。
険しい表情を見せる壱羽をよそに、九紗は興味深そうに八夜を見た。
「これも意外だったな。お前、七奈の心まで落としていたのか?」
「え、えっと……」
八夜は、少し気まずそうに頬をかいた。
「まあ、よい」
九紗はふんと鼻を鳴らして言う。
「ならば、留守居は七奈に一任しよう。八夜。お前は儂らが帰国するまで謹慎だ。その後、お前の新たな苗床の選出を行う」
「ええ~」
八夜が不満の声を上げた。
「ボク、本当に七奈ちゃん以外いらないんだけど。せめて隷者ってことじゃダメ?」
「駄目だ」九紗は無下もない。
「苗床だと言っておろう。これは、もはやお前の義務だ」
「ぶうう~」
八夜は頬を膨らませた。
が、すぐに、にぱっと笑い、
「けど、まあいいや! 七奈ちゃんをお嫁さんには出来るんだよね!」
「ああ、それは確約しよう」
「ありがとう! お父さん! 大好き!」
八夜は天使の笑みを見せた。
……相変わらず歪んでいるな。
末弟も、父も、そしてこの自分も。
そんなことを思いつつ、壱羽は弟に問うた。
「ところで、八夜。苗床の娘の死体を持ち去ったという男なのだが……」
「ん? ああ、多分、たまたま出くわした引導師じゃないかな?」
写真を両手で掲げながら、まじまじと眺めて八夜が答える。
「気にする必要はないんじゃないかな? すぐに逃げ出したぐらいだし」
「……そうか」
少し腑に落ちないが、壱羽は頷いた。
「まあ、死体を処分できなかったのは痛いが、そこから足がつくこともないだろう。気に掛けることでもないか」
「うん。そう。気にしない、気にしない」
八夜は、ケラケラと笑った。
「それより、ボク、もう七奈ちゃんの所に行ってもいいよね? もう別に隠れてこっそり会う必要もないよね?」
「七奈が、お前を拒絶していないのなら構わんが……」
壱羽がそう言うと、八夜はにぱっと笑った。
「もちろん大丈夫だよ! むしろラブラブだから! じゃあ、ボク行くね!」
言って、八夜は浮足立った様子で退室していった。
七奈との面会を解禁されたこと。
何より七奈を手に入れたことが、よほど嬉しいのだろう。
壱羽は、異母妹の歪な運命に少しだけ同情する。
一方、九紗は、
「……ふむ」
あごを手に、少し考えていた。
「……父上?」
壱羽は、父に視線を向けた。
「どうかされましたか?」
「……いや」
九紗はかぶりを振った。
「八夜の最後の様子が少しばかり気になったが、気のせいだろう。それよりも、明日の出立予定だが、その前に――」
そう切り出して、九紗と、壱羽は明日についての打ち合わせを始めた。
一方、八夜は庭園が見える長い渡り廊下を、早足で走っていた。
向かう場所は、もちろん七奈の部屋だ。
この結果に、きっと彼女も喜んでくれるはずだ。
「えへへ。やった! これで七奈ちゃんはボクのお嫁さんか。それと――」
そこで、ふと足を止めた。
夜空を見上げて、双眸を細める。
もう一人だけいる独占したい相手。
あの夜に遭った、黒髪の青年のことを思い浮かべる。
「……お兄さん」
一目見て分かった。
あれは自分の同類であると。
果たして、あの青年は今、どこにいるのだろうか?
「……ふふ」
八夜は笑みを零した。
天使の顔ではない。人間味あふれる笑みだ。
父にも、兄弟たちにも。
愛しい七奈にさえ見せたことのない顔だった。
そして、初めて天使の仮面を外した少年は、ポツリと呟いた。
「お兄さん。また遭える日を楽しみにしているからね」
そこには今、重い静寂が訪れていた。
そこに呼び出された高間洋一は、だらだらと汗を流してた。
両手を床につき、ポタポタと畳に汗が零れ落ちる。
これも失態にならないかと、不安で押し潰されそうだった。
「か、重ねて、申し訳ありません……」
その言葉だけを、どうにか絞り出す。
天堂院家に従う家。
系譜術こそ会得しているが、天堂院家には遠く及ばない弱者の家系。
一応はその当主である高間は、ひたすら土下座をしていた。
相手は、上座に座る天堂院九紗。
そして、その傍らに控える天堂院壱羽である。
二人は、無言で高間を見据えていた。
「……父上」
視線を父に向けて、壱羽が口を開く。
「高間に、さほど落ち度はないと思われます」
「ああ、分かっておる」
肘を膝の上に突きつつ、九紗が言う。
その言葉に、高間はホッとした。
滝のような汗だけは、一向に収まらなかったが。
「高間。もう下がってもよいぞ。今回の件は不問だ。お前の班にも責は問わぬ」
九紗に命じられ、高間はガバッと顔を上げて「あ、ありがとうございます! で、では失礼いたします!」と答えた。
緊張で今にも崩れ落ちてしまいそうな体を奮い立たせて、高間は歩き出した。
和室を出る際に、一瞬だけ残ったもう一人の人物を見やる。
天使のような少年は、ニコニコと笑ってた。
「……それでは」
高間は膝を突いて頭を垂れると、部屋から退室した。
ここから先は天上の会話だ。自分ごときは関与できない。
そもそも関与すべきではない。そんな命知らずな真似は出来ない。
幸運にも、最悪の事態だけは避けれたのだ。
高間は命が覆される前に、その場から退散した。
残されたのは三人。
九紗と、壱羽と、八夜の三人だ。
「……八夜」
壱羽が嘆息して異母弟の名を呼んだ。
「お前は何を考えている。どうして今回に限って協力など申し出たのだ?」
「え、えっと……」
八夜は、ポリポリと頬をかいた。
「その……う~ん」
八夜は少し言葉を詰まらせるが、ここは正直に告げることにした。
「実はね、壱羽兄さんにお願いがあったんだ。お父さんにお願いがあってね。壱羽兄さんには事前にボクに味方になって欲しかったんだよ」
「……願いだと?」
九紗が呟く。八夜は「うん」と頷いた。
八夜は九紗を見つめた。壱羽も父に視線を向ける。
「あのね! 実は、お父さんにお願いがあるんだ!」
「……どんな願いだ?」
興味深そうに、九紗が尋ねる。
思い返せば、これは八夜の、初めての父への願いかも知れない。
壱羽も、耳を傾けていた。
「あのね!」
そして、八夜は笑顔を浮かべて父に願う。
「ボク、七奈ちゃんが欲しいんだ! 七奈ちゃんをボクのお嫁さんにしたいんだ!」
「…………は?」
微かに瞼を上げて、壱羽はそう呟いた。
九紗は無言だ。
「あのね! 七奈ちゃんをね! 引導師から解任して欲しいんだ! それで七奈ちゃんにはボクの赤ちゃんを産んで欲しいんだ!」
「……お前は」
その内容に、流石の壱羽も渋面を浮かべる。と、
「……ふむ、意外だったな」
初めて、九紗が八夜に対して口を開いた。
「お前が、そこまで七奈に執着していたとはな。どこが気に入ったのだ? あれは魂力がそこそこ高いだけの不出来な娘だぞ」
「何言っているのさ!」
父の言い草に、八夜はムッとした表情を見せた。
「七奈ちゃんは世界一可愛いんだよ! それだけで充分だよ!」
「……ああ、そうか。そういうことか。八夜」
壱羽が、八夜に顔を向けて問う。
「七奈に執着していたからこそ、あの娘を殺したのか? お前の苗床だと聞いたから」
「……うッ!」
異母兄の指摘に、八夜は少し頬を引きつらせた。
「それはさ、ちょっと考えたけど、実際の所はただ手がすべっただけだよ」
「……どうだかな」
壱羽は、腕を組んで嘆息した。
すると、九紗が苦笑いを浮かべた。
「まあよい。そう攻めるな、壱羽。確かにあの娘は惜しかった。御影の……あやつの家系らしからぬ高き魂力。もしやあの娘は……と思っていたのだが、どうやら儂の見込み違いだったようだ。この程度で死ぬなど話にもならん。あの娘に関してはもう構わんでいい」
そこで、八夜を一瞥する。
「むしろ八夜。お前の心境の変化こそ興味深い。好ましく思うぞ。思えば、『あの男』も自分の女に執着しておった」
ゆえに、あの災厄が起きたのだからな。
九紗は自嘲する。
「お前が『あの男』に近づくことはよいことだ。よかろう。七奈はくれてやる。好きにするがいい。だが、苗床が七奈一人だけという訳にはいかんぞ」
「ええエ~」
八夜が嫌そうな顔をした。
「ボク、七奈ちゃんだけでいいよ。なんならもう隷者もいらないぐらいだし」
「それは許さん。隷者の解約も許さんからな。苗床に関しても新たな候補を見繕う。まあ、しばらく期間は空くが……」
そこで、九紗は壱羽に視線を向けた。
父の視線を受けて、壱羽は静かに頷いた。
「父上と私は、明日より一月ほど海外出張を予定しております。ようやく例のゲノム研究の成果が上がったそうです。そして――」
一呼吸入れて、
「三狼は北条家との会合のため、五日ほど留守にします。五蔵は例の探査で手一杯。六炉は未だ行方知らず。四我は……あれ以降、全く本邸に寄りつかなくなっております」
「……ふん」
九紗は鼻を鳴らす。
「四我め。六炉といい、遅めの反抗期か。まあ、それはよい。しばらくは誰もが忙しいな」
「はい。ですので、留守居役は二葉に任せようと思うのですが」
と、告げる壱羽に、九紗はかぶりを振った。
「それは却下だ。二葉は儂の傍に置く。先ほど、早速仕込んではみたが、流石にまだ数度程度では儂の子を孕んだ確証はない。しばらくは儂の夜伽に専念させるつもりだ」
「え? 何それ? 初耳なんだけど?」八夜が目を丸くした。
「お父さん。もしかして二葉姉さんに手を出したの? 確かに二葉姉さんは美人だけど、うわあ、お父さんって鬼畜だね」
「ふん。何を言うか」
九紗は、八夜を一瞥する。
「母体が違えど、姉を手籠めにしたお前に言われたくないな。そもそもお前に倣っただけだ。二葉は七奈と違って優秀だ。理外の『型』を生み出すことも期待しておる」
そこで、小さく嘆息する。
「だが、そうなると人手がないのも事実だな。七奈は……使えそうなのか?」
九紗としては、それは壱羽に聞いたつもりだったのだが、答えたのは八夜だった。
「もちろん、大丈夫だよ!」
ニコニコと八夜は笑って告げる。
「七奈ちゃんはもう元気だよ! こないだは一緒にお風呂も入ったんだ!」
「………なに?」
壱羽が眉をしかめた。
「八夜? お前、七奈に会っているのか?」
「え? あ……」
八夜は、慌てて口元を両手で押さえた。
険しい表情を見せる壱羽をよそに、九紗は興味深そうに八夜を見た。
「これも意外だったな。お前、七奈の心まで落としていたのか?」
「え、えっと……」
八夜は、少し気まずそうに頬をかいた。
「まあ、よい」
九紗はふんと鼻を鳴らして言う。
「ならば、留守居は七奈に一任しよう。八夜。お前は儂らが帰国するまで謹慎だ。その後、お前の新たな苗床の選出を行う」
「ええ~」
八夜が不満の声を上げた。
「ボク、本当に七奈ちゃん以外いらないんだけど。せめて隷者ってことじゃダメ?」
「駄目だ」九紗は無下もない。
「苗床だと言っておろう。これは、もはやお前の義務だ」
「ぶうう~」
八夜は頬を膨らませた。
が、すぐに、にぱっと笑い、
「けど、まあいいや! 七奈ちゃんをお嫁さんには出来るんだよね!」
「ああ、それは確約しよう」
「ありがとう! お父さん! 大好き!」
八夜は天使の笑みを見せた。
……相変わらず歪んでいるな。
末弟も、父も、そしてこの自分も。
そんなことを思いつつ、壱羽は弟に問うた。
「ところで、八夜。苗床の娘の死体を持ち去ったという男なのだが……」
「ん? ああ、多分、たまたま出くわした引導師じゃないかな?」
写真を両手で掲げながら、まじまじと眺めて八夜が答える。
「気にする必要はないんじゃないかな? すぐに逃げ出したぐらいだし」
「……そうか」
少し腑に落ちないが、壱羽は頷いた。
「まあ、死体を処分できなかったのは痛いが、そこから足がつくこともないだろう。気に掛けることでもないか」
「うん。そう。気にしない、気にしない」
八夜は、ケラケラと笑った。
「それより、ボク、もう七奈ちゃんの所に行ってもいいよね? もう別に隠れてこっそり会う必要もないよね?」
「七奈が、お前を拒絶していないのなら構わんが……」
壱羽がそう言うと、八夜はにぱっと笑った。
「もちろん大丈夫だよ! むしろラブラブだから! じゃあ、ボク行くね!」
言って、八夜は浮足立った様子で退室していった。
七奈との面会を解禁されたこと。
何より七奈を手に入れたことが、よほど嬉しいのだろう。
壱羽は、異母妹の歪な運命に少しだけ同情する。
一方、九紗は、
「……ふむ」
あごを手に、少し考えていた。
「……父上?」
壱羽は、父に視線を向けた。
「どうかされましたか?」
「……いや」
九紗はかぶりを振った。
「八夜の最後の様子が少しばかり気になったが、気のせいだろう。それよりも、明日の出立予定だが、その前に――」
そう切り出して、九紗と、壱羽は明日についての打ち合わせを始めた。
一方、八夜は庭園が見える長い渡り廊下を、早足で走っていた。
向かう場所は、もちろん七奈の部屋だ。
この結果に、きっと彼女も喜んでくれるはずだ。
「えへへ。やった! これで七奈ちゃんはボクのお嫁さんか。それと――」
そこで、ふと足を止めた。
夜空を見上げて、双眸を細める。
もう一人だけいる独占したい相手。
あの夜に遭った、黒髪の青年のことを思い浮かべる。
「……お兄さん」
一目見て分かった。
あれは自分の同類であると。
果たして、あの青年は今、どこにいるのだろうか?
「……ふふ」
八夜は笑みを零した。
天使の顔ではない。人間味あふれる笑みだ。
父にも、兄弟たちにも。
愛しい七奈にさえ見せたことのない顔だった。
そして、初めて天使の仮面を外した少年は、ポツリと呟いた。
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