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第六章 幻想の襲来④

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 そこは逆薙市第六区にあるオフィス街――。
 巨竜オーロは、大きな翼を動かし、悠々と飛翔していた。
 しばし風を楽しんでいたオーロだったが、ふと眼下に視線を下ろす。
 そこに見えるのは、ビルに囲まれた公道を駆け抜ける双頭犬――オルトロスの群れだ。

『しかし、この短時間で一人もいなくなるとはな。害悪種め、逃げ脚だけは一流か』

 忌々しげにオーロは唸る。血も流れぬ無人の野など面白みもない。
 と、その時、オーロの双眸が鋭く細まる。
 オルトロス隊の進行先。
 そこには数十台の装甲車がバリケードのように停車していた。
 その前にいるのは、剣や槍、弓や弩などで武装した、黒服の上に白灰色の鎧を着込んだ人間達だ。すなわち、PGC神奈川支部に所属する迎撃士達である。
 ようやく待ち人と出会えたようだ。

『……ふむ。数は二百といったところか。――おおッ! あれは!』

 不意に見つけたその姿に、オーロは歓喜で身震いした。
 人間どもの群れの中にいる、槍を携えたひと際背の高い偉丈夫。
 あの剛槍で同種を悉く撃ち落とした憎き男を、自分が見間違えるはずもない。

『くくく、《鬼》め! やはり現れおったか!』

 今すぐあの男と雌雄を決したい衝動にかられるが、オーロはそこで気付いた。
 この戦闘の目的である《銀の魔女》が、この場にはいないことに。

(ふん。まさにガランの思惑通りということか……)

 オーロの脳裏に、金眼の紳士との会話が思い出される――。



「それでは《銀の魔女》抹殺計画の概要をお話します」

 そう告げると、ガランはどこからともなくステッキを取り出した。

「まず、砦に籠る《魔女》を誘き出すため、キマイラ、オルトロス、トロールの三部隊で逆薙市を襲撃します」

 トン、とステッキで地をつつく――と、地面から逆薙市のジオラマが浮かび上がった。

『……相も変わらず面妖な術を……』

「まあ、我が種族の嗜みですよ」

 続けてガランは、ジオラマの第二区、第六区、第八区をステッキで叩く。すると今度はジオラマの公道から、キマイラ、オルトロス、トロールの人形が浮き上がった。
 そこでオーロが尋ねる。

『ところで何故、三部隊をわざわざ種族ごとで分けるのだ?』

「それは人間達の心理を誘導し易くするためですよ」

『……誘導だと?』

「はい。私が見たところ、あの《魔女》はかなり非力なようでして、恐らくインターバルなしでは、長時間の戦闘が出来ないでしょう」

 ガランはステッキで、トロールの人形をコツンとつついた。

「この三種族で最もインターバルが取りやすいのは、動きの遅いトロールです」

『――ふむ。要するに、他の二隊は敵戦力を分散させるための囮……。本命はトロール隊で、そこに誘き出すということか』

 流石に理解がお早い、と賞賛を贈るガラン。

「さらに言えば、《魔女》にとって、トロールの巨体は格好の的でしょうからね」

『……まさに「餌」という訳か。だが、それでは逆にトロール隊が殲滅される恐れもあるだろう』

 と、オーロは指摘する。いかにC級とて意志は持っている。むざむざ犠牲にする策など承服できない。そう暗に告げたら、ガランはにこやかに笑い、

「ふふ、勿論、私もトロール隊を犠牲にするつもりなどありませんよ」

 そして、くるりとステッキを回し、とある大きな施設をコンと叩く。

「ここには訓練校とやらがあります。ひよこばかりですが、数は三千。相当な規模です」

『……三千か。ますますもって、トロール隊の負担が重くなるな』

「ええ。ですが、この規模の部隊があるのなら砦からの増援は最小限にするはず」

 ガランはステッキでPGC神奈川支部と、訓練校との中心当たりを指した。

「私の本命はここです。ここに百五十のワーウルフ隊を配置します」

『……ほう。ということは、ワーウルフの人化能力を使うのか?』

「はい。彼らには人化してもらい、ここに潜んで頂きます」

『……なるほど。伏兵、か……』

 囮により敵戦力を分散させ、さらに《魔女》が訓練校へ向かうよう誘導した上で、待ち伏せし奇襲する。それがガランの考案した作戦だった。

『トロール隊もまた囮という訳か。悪くはないが――この策、わしらはどう動く?』

 乗り気になった巨竜に、金眼の紳士はふふっと笑みを浮かべ、

「では、お話しましょう。まずはオーロ殿。あなたにはオルトロス隊を率いて頂きます」

『……トロール隊でなく、か?』

「はい。この作戦は《魔女》を仕留めるまでの速さが重要になります。ですので、《魔女》を守る戦力は確実に減らしておきたいのです」

 オーロが『どういう意味だ?』と鎌首を傾げる。

「……実はかの砦。どうも《魔女》だけでなく、《鬼》までいるようなんですよ」

『――ッ! なんだと! あの男がいるのか!』

 オーロは牙を剥き出し、咆哮を上げた。

「ええ。だからこそ《鬼》を誘い出すため、オーロ殿に出陣して頂きたいのですよ」

 と、ガランは告げる。それならば、オーロの答えは決まっていた。

『ふん! いいだろう! むしろ望むところよ!』

「ふふ、頼もしいお言葉です。ありがとうございます。オーロ殿」

 シルクハットを脱ぎ、ガランは仰々しく礼をした。
 やることなすこと一々大袈裟すぎる男に呆れながらも、オーロは再度問う。

『話を戻すぞ。わしの役割は理解したが、お前の方はどうするのだ?』

「私ですか? 私は《魔女》の襲撃に加わりますよ。ですが、その前に……」

 ガランはニヤリと笑い、

「昔の知り合いに会っておこうと思います。いやあ、凄く楽しみですよ」

 自らの喉をすりすりと触る彼は、本当に嬉しそうだった――。



(……結局、昔の知り合いとやらについては教えなかったな、あの男)

 回想を終え、再びオーロは眼下を睨みつける。
 どうやらオルトロス隊と人間どもの戦闘が始まったようだ。大量の矢がオルトロス隊に襲い掛かる。最前列の十数体が回避できず悲鳴を上げて倒れ込む――が、残りの者は矢を警戒しつつ、散開して走り抜けた。

 そして遂に接敵する人と魔獣。
 人間達は装甲車の周辺に陣取ってオルトロス隊を迎撃していた。
 装甲車の上では十数人の人間が弩や投網で援護している。見れば路地裏やビルの窓からも矢が降り注いでいた。

(ふん。やはり別動隊もいたか)

 オーロは皮肉気に笑う。
 常に絡め手を考え正面からは戦おうとしない姑息な戦法。そんな卑劣な小細工ばかりしているから神にも見捨てられるのだ。

(……だが)

 そんな中、明らかにあの男だけは違う。
 小細工は不要とばかりに、オルトロス隊を次から次へと槍の一突きで仕留めている。
 剛風を纏う神速の刺突。
 実は本物の鬼ではないのかと疑いたくなるほどの強さだ。

(……ふん。やはりオルトロスでは荷が勝ちすぎるか……ならば!)

 バサア、と大きく翼を羽ばたかせ、巨竜が怨敵に向かって飛翔する!

『――《鬼》よ! 七王の一角、幻獣王が眷属――このリンドブルムのオーロが、骨も残さず喰らってくれるわ!』
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