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第6部

第六章 復讐の鬼①

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 木枯らしが吹きすさぶ冬の朝。
 白い息を吐き出しながら、リアナ=エーデルは走っていた。
 騎士学校の制服を身に纏い、長い髪を揺らす彼女の表情は真剣そのものだ。
 それも無理もない。
 リアナは現在、絶賛遅刻中なのだ。
 普段は優等生である彼女にしては珍しい失態だった。


「はあ、はあ」


 息が少し切れる。
 こんならしくもない寝坊をしたのも、が尾を引いているからだろう。


「……はあ、オトハさまぁ……」


 走りながらその時のことを思い出し、少し涙目になるリアナ。
 オトハ=タチバナ。
 今年の『六の月』から臨時講師として学校に赴任してきた外国の傭兵。
 尋常ではないほど厳しい教官だがその美しい容姿と圧倒的な実力から、わずか半年足らずで生徒に教官、男女さえ問わずに絶大な人気を持つようになった女性だ。
 もちろん、リアナも憧れていた。
 だからこそ、勇気を振り絞って建国祭に誘おうと思ったのだが……。


「ううゥ……あの反応はガチだ」


 リアナは絶望と言ってもいいような表情を浮かべた。
 あの時のオトハは本気で言っていた。憧れている人だからこそよく分かる。
 本当に建国祭をと回る気なのだ。
 結局、リアナは誘いの言葉さえ言えずに退散した。


「あうゥ……まさか、オトハさまに恋人がいたなんて」


 リアナはわずかに走る速度を落として嘆息した。
 そのことが、ずっと彼女を気落ちさせているのである。
 そうして寝付けない夜が続き、とうとう寝坊までしてしまったのだ。


「私の無遅刻無欠席がぁ……」


 そんな愚痴も零れるが、もう講習は始まっている時間だ。
 今はただ急ぐのみだった。
 リアナは走り続けた。そしてようやく騎士学校の校舎の姿が見えてくる。
 後は今走っている道の、壁沿いにある正門をくぐればいいだけだ。


(……遅刻は十分ぐらいかな。うう、教官大目にみてくれないかなあ)


 と、淡い願望を抱きつつ、速度を上げようとした時だった。
 不意にリアナの足が止まった。
 学校の敷地を覆う壁沿いの道。騎士学校の正門のすぐ近く。
 そこに、背を向けて佇む一人の少年がいたからだ。
 一瞬、彼女以外の遅刻者かと思ったが、服が制服ではない。市街区の住人が着るような目立たない一般的な物だ。しかし、その短く刈り込んだ赤い髪に、あまりにも既視感があったため、思わずリアナは足を止めたのだ。
 すると、リアナの荒い呼吸に気付いたのか、その赤毛の少年は振り向いた。
 リアナは大きく目を見開いた。


「あ、あなたは!? ジラール!?」

「……ほう。誰かと思えばエーデルか。久しぶりだな」


 と、赤毛の少年――アンディ=ジラールは皮肉気に笑った。


「ど、どうしてここに!?」


 リアナは驚愕を浮かべるが、すぐさま状況を察した。
 そして後方に跳び、腰の短剣に手を伸ばした。


「さてはサーシャを狙って来たのね……」


 かつての級友であり、脱獄犯であるこの男はサーシャを狙っている。
 そのことは、騎士学校の生徒ならば誰もが知っていた。
 そしてサーシャはリアナの友達だった。


「……そんな事させないわよ。あなたは今ここで捕える」


 リアナは面持ちを鋭くしてジラールを睨みつけた。
 現在、騎士学校には第三騎士団の騎士が数名待機している。ここで騒ぎを起こせばすぐにでも駆けつけてくれるだろう。
 リアナは自分の愛機を召喚する隙を窺っていた。
 が、それに対し、ジラールは侮蔑するような笑みを浮かべて。


「ふん。大して優秀でもないお前が僕を捕まえるとは大きく出たな。けど、残念だがそれは無理だ。むしろ、ここでお前と会えたのは都合良かったよ」

「……どういう意味よ」


 リアナが眉をしかめる。
 すると、ジラールは大仰に肩をすくめた。


「いや、僕といえど騎士団が待ち構える場所に乗り込むのは少々骨が折れる。だから誰かを通行証代わりにしようと思っていたんだ」

「……要は人質を探していたってこと? 相変わらず腐った性格だわ」


 リアナはそう吐き捨て、間合いを少しずつ外していく。
 この男に利用されるなど真っ平ごめんだった。


「ふん。警戒しようが無駄だ。そいつに決めたよ。


 ジラールの最後の台詞は、リアナに向けられたものではなかった。
 リアナはハッとして後ろを振り向くが、すでに遅かった。
 直後、首筋に鋭い痛みが走り、リアナの意識はそこで途絶えた。
 そして崩れ落ちる少女を、彼女の後ろに忍び寄っていた男が抱きとめる。
 それを見届けたジラールは、ふんと鼻を鳴らした。


「さあ、これで必要なものは揃ったな」


 そして赤毛の少年は、凄惨な笑みを見せて宣言する。


「待っていろよ、僕のサーシャ。今迎えに行くよ」



       ◆



「……随分と遅いわねぇ」


 と、長机に頬杖をつき、アリシアがポツリと呟く。


「うん。そうだね」


 隣に座るサーシャは苦笑を浮かべつつ、相槌を打った。
 その日、珍しく講習が遅れていた。
 普段だったらすでに講習が始まっている時間なのだが未だ教官はやってこない。
 恐らく朝の教官達の会議が遅れているのだ。これまでも稀にあったことだ。
 従来ならばこういう時、生徒達は教官が来るまで、各自自由におしゃべりにでも興じるのだが、今日はそうもいかない。
 何故なら、講堂の後ろに二人の騎士が待機しているからだ。
 第三騎士団に所属する彼らはサーシャの護衛。二人とも二十代前半とかなり若く、一人は女性であり、この騎士学校の卒業生でもあった。
 流石に先輩達の前では、生徒達も黙って席に座って待つしかなかった。


(あはは……みんな、ごめん)


 サーシャは頬を引きつらせて少し申し訳ない気分になる。
 生徒達はみんな暇を弄ばせていた。
 と、そんな時だった。
 ――ゴォンッッ!
 突如、グラウンドから鳴り響いた轟音に講堂にいた全員が息を呑んだ。


「――ッ! 何事だッ!」


 その異常に真っ先に反応したのは二人の騎士だ。
 彼らはすぐさま窓際に寄り、音のした方面を確認する。


「ッ! あれはッ!」


 そして再び息を呑んだ。
 一階の窓から見えるグラウンドには、三機の鎧機兵が対峙していた。
 その内二機は、剣と楯を持つ騎士型の機体。
 校舎内で学校の正門付近を警護していた第三騎士団の騎士達の鎧機兵だ。
 そしてその二機に対峙するのが――。


「……何だ? あの機体は……?」


 と呟き、女性騎士の一人が呻く。
 その鎧機兵は、あまりにも不気味な姿をしていた。
 全高は四セージルほど。二本角を生やした頭蓋骨のような頭部に、東方の異国の鎧を思わせる濁ったような深い紫色の外装。
 長い前腕部を持つ腕を四本も持つのが特徴的な、異様な機体だ。
 しかもその腕の一つ。左上側の腕には、一人の少女を握りしめていた。
 明らかに人質だ。そのため、騎士達も動けずにいるようだ。


「な、何あれ……」「鎧機兵だよな、あれ?」「お、おい! あの手に掴まってんのエーデルじゃねえか!?」


 騎士達に続き、サーシャ、アリシアも含めて生徒達が窓際に集まった。
 そして級友が捕まっていることを確認し、ざわつき始める。
 恐らく他のクラスもこの異常に気付き、グラウンドに注目していることだろう。
 と、その時、四本腕の機体が語り出した。


『ふん。邪魔をしないでもらおうか。第三騎士団』

「「「「―――ッ!」」」」


 その声を聞き、生徒達は凍りついた。
 この講堂にいるクラスの全員が知っている声だった。
 生徒全員が言葉もなく異形の機体を見つめた。


「ま、まさか……」


 そしてサーシャが、ごくりと喉を鳴らした時、


「ジラァ――――ルッ!!」


 エドワードが窓を開け、絶叫する。


「てめえッ! そこで待ってろッ! 俺と戦えッ!」

「ま、待て! エドッ! エーデルが捕まっているんだぞ!」


 慌ててロックが止めに入る。
 しかし、エドワードは完全に頭に血が上っており、体格で勝るロックを振り払いかねない勢いだった。周囲の男子生徒も慌ててエドワードを抑えにかかった。


「おい、エドワード! 落ち着けよ!」

「うっせえ! 離せよグレイ! ロック! お前らも離しやがれ!」


 男子生徒数人がかりで床に抑えつけられ、呻くエドワード。
 すると、その様子に気付いたジラールが目を細めた。


『……何だ? 今の声はオニキスか。相変わらず威勢だけはいいな』

「うっせえェ! てめえは俺がぶちのめす!」


 と、気炎を吐くエドワードを、ジラールは鼻で笑った。


『ふん。お前なんかにつきあうほど僕は暇じゃないんだ。それよりも』


 そこでジラールは、かつて自分がいた一階の講堂を見やり、


『サーシャ。そこにいるんだろう。出てこい。さもなければ――』


 ジラールの声に合わせ四本腕の鎧機兵が見せつけるようにリアナを前に出した。
 わずかに力を込めたのか、少女は「うう」と呻いた。


『殺さない程度にこの女の骨を折る。十分以内にここに来い』

「――くッ! リアナ!」


 反射的にサーシャは窓から飛び出そうとした。
 が、それを隣にいた女生徒が、サーシャの腕を掴んで止める。
 サーシャと仲の良いアザリン=ワイラーという名の少女だ。


「ダ、ダメだよ!? サーシャ! 挑発に乗っちゃダメ!」

「だ、だけど、リアナが!」


 アザリンの制止に、サーシャは泣き出しそうな顔を見せた。
 すると、そこにサーシャの幼馴染も止めに入った。


「アザリンの言う通りよ。冷静になってサーシャ」


 と、アリシアが言う。しかし、冷静になれと口にしながらも彼女の表情はかつてないほど強張っている。無理やり激情を抑えつけている顔だ。


「迂闊に動いてはダメよ。一旦落ち着いて作戦を考えましょう」


 自身の心も落ち着かせながら、アリシアはそう提案する。
 そして具合的な相談をしようとした時だった。


『教官及び、騎士どもに告げる。僕の邪魔をするなよ』


 ジラールが再び語り出した。


『いま僕の愛機、《四腕餓者》は《万天図》を起動させてある。新たに一機でも鎧機兵を召喚した場合、この女がただで済むと思うなよ』

「……が、あァ!?」


 リアナが激しく呻く。骨を折る寸前まで力を込められたのだ。


『な、何しやがる! てめえッ!』

『待てッ! 動くなッ! あの子が殺される!』


 激昂して跳びかかりかけた騎士の機体を、もう一機の騎士が止めた。
 口調と声からして、そこそこ年配と若い騎士のコンビのようだ。
 ジラールはその様子を一瞥して、ふんと鼻を鳴らす。
 それから再び一階の講堂の方へと目を向け、そこにいるはずの少女に告げる。


『サーシャよ』


 赤毛の少年は、ニタリと笑みを深めた。


『十分以内にここに来なければ、この女の骨を折ると僕は言った。だがな……』


 一拍置いて、《四腕餓者》は少女を高々と掲げた。
 気絶しているのか、リアナはぐったりとしている。
 そして、ジラールはおもちゃを自慢するように言い放つ。


『もし十五分経っても現れないようなら、この女を殺すからな』


 唐突に現れた敵の非情な宣告。
 アティス王国騎士学校は、静寂に包まれた――。
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