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第3部

第八章 妖しの《星》⑥

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 もはや、何度目の斬り合いだろうか。
 刀とレイピアを以て対峙する二機の鎧機兵。《鬼刃》と《羅刹》の剣舞は未だ終焉の兆しさえ見せていなかった。
  ――ギンッ!
  互いの刃を弾き、間合いを取り直す二機。

『――ハッ!』

 カテリーナが気勢を上げ、《羅刹》が《無光刃》の刺突を放つ!
 だが不可視の貫撃は《鬼刃》の《天架》による高速移動であっさりと躱される。
 それでも諦めず無数の刺突を繰り出すが音もしない《鬼刃》の高速移動は幽鬼にも等しい。すり抜けるように連撃は空を切り、周囲の木々のみが穴だらけになる。
 そしてお返しとばかりに、今度は《鬼刃》が不可視の刃――放出系闘技・《飛刃》を放つが、《羅刹》は《雷歩》を使って回避した。

『ちょこまかと!』 

『それはお互い様と思いますが?』

 呻くオトハの台詞に、微笑を浮かべて返すカテリーナ。
 実力ではオトハの方が上でも、カテリーナの方が、かなり余裕があった。
 だが、それも仕方がないことだろう。互いの勝利条件が違うのだ。
 オトハにとって勝利はカテリーナを倒す事だ。その上でアッシュに加勢に行く。
 しかし、カテリーナにとって勝利は時間を稼ぐ事だ。
 愛する男が少しでも長く遊んでいられる時間を稼ぐ。別にオトハを倒す必要はない。
 その勝利条件の違いが、今の戦況の拮抗状態を作り上げていた。
 ――ギィンッ!
 そして互いの袈裟斬りが交差し、幾度目かのつば迫り合いに入る。
 ギシギシと軋む《羅刹》の中でカテリーナは笑う。

『ふふ、どうしました? 《天架麗人》。随分と焦っているように見えますよ』

『……余計なお世話だ。お前は自分の命の心配をするんだな』

 同様に軋みを上げる《鬼刃》の中でオトハはそう吐き捨てる。
 言われずとも、自分が焦っているのは自覚していた。
 アッシュが負けるとは思っていない。しかし、不安なのはサーシャだ。
 こう言っては身も蓋もないだが、鎧機兵も持たない彼女は、現在明らかに足手まといになっているはず。アッシュとボルドが戦闘に入ったのは確信しているが、サーシャが戦況にどんな影響を与えているのかまでは分からない。
 その時、カテリーナが笑みを深めて言う。

『おやおや。《双金葬守》のことが心配で仕方がない……と言った様子ですね』

『……ふん。的外れな指摘だな。クラインが負けるはずがないだろう。心配する必要などないさ。お前こそ上司の心配はしないのか?』

 と、皮肉げな口調で返すオトハに、カテリーナはますます笑みを深めた。
 愛機・《羅刹》の両腕にも、グググッと力が込もる。

『それこそ心配する必要があるのですか。私のボルド様が負けるはずもありません』

『私の……ボルド様?』

 オトハは眉根を寄せた。上司に使うような言葉ではない。
 かと言って冗談でもなさそうだ。女の直感がそう告げている。

『なるほど。愛人関係という訳か。流石は犯罪組織。爛れているな』

 オトハが皮肉げに口角を上げた。すると、唐突に《羅刹》の膂力が上がった。オトハが少し目を剥くと、カテリーナがどすの利いた声で語り出す。

『……私とボルド様の間柄は愛人関係などではありません。そもそも私達は二人ともまだ独身です。ただの歳の差カップルなんです』

『……それが怒るポイントか? つくづくお前とは話が合わんな』

 ギシギシと互いの愛機の刃を軋ませ、オトハはふっと笑う。
 戯言もここまでだ。いずれにせよ、そろそろ決着をつけなければならない。

『……もう終わりにさせてもらうぞ。カテリーナ=ハリス』

『……いえ、あなたにはまだまだ付き合ってもらいます。《天架麗人》』

 機体同士の額がぶつかり合うほど接近する二機。
 そして《羅刹》は刀を弾いて、今度もまた間合いを広げようとする。
 まずはただの跳躍。もし《鬼刃》に追撃の動きがあれば《雷歩》で逃げる。

(さて、今回はどう出ます?)

 カテリーナは目を細めて《鬼刃》を見据えた。
 わずかに《鬼刃》が重心を前に傾ける。追撃のブラフか――いや、違う!

(――《天架》が来る!)

 《鬼刃》の動きを見極めたカテリーナは《羅刹》に《雷歩》を使わせた。
 勢いよく後方に加速する真紅の機体。これで《天架》を使われても間合いから外れるはずだ。
 再び、ただ時間だけを浪費する剣戟が始まる――そう思った瞬間だった。
 ――ガッ!

「ッ!?」

 突如バランスを大きく崩す《羅刹》。カテリーナは目を瞠った。そして真紅の機体は縦に一回転し、叩きつけられるように地面に倒れ伏した。

「い、一体何が……」

 目を回して困惑するカテリーナ。
 まさか障害物に足を取られたのか? そんな初歩的なミスを……?
 カテリーナは、転倒の衝撃でふらつく頭を押さえながら前を見やった。
 そして唖然とする。

「な、なんですって!」

 カテリーナの前方。両手両膝をつく《羅刹》の視線の先。土色の地面の上に同色の鋼線が引かれていた。これに足を取られたのだ。
 はっきり言って、子供ぐらいしか引っかからないような簡単すぎる罠だ。

「だ、誰がこんなものを……」

 と、カテリーナが呆然とした表情で呟いた時、

「しゃあああ! ババアが引っかったぜ!」

「ああ、大成功だ!」

 右側の森からそんな声が聞こえてくる。
 さらに左側の森からは――。

『あらら。足元がおぼついてないわよ、おばさん。もう歳なんじゃないの?』

『……まさか、ここまで見事に引っかかるなんて思わなかった』

 聞き覚えのある少女達の声が届いてくる。
 見ると、菫色の鎧機兵が鋼線を両手で握りしめていた。
 それだけで状況を把握したカテリーナは、ギリと歯を軋ませる。
 ――これが、アリシア達の作戦だった。
 まずユーリィが保護色つきの鋼線を創り、エドワードとロックが森を迂回してその先端を向かい側の木に括りつける。後はアリシアの《ユニコス》が戦況を見極めて一気に引くだけだ。まさに子供騙しの罠。しかしだからこそ盲点となっていた。

『くッ! こんなくだらない罠で!』

 カテリーナは屈辱の声を上げつつ、《羅刹》の右足を立たせるが――。

『ふん。遅いぞ、カテリーナ=ハリス』

 唐突に語りかけられた声に青ざめる。
 すぐ目の前に刀を携えた《鬼刃》が佇んでいたのだ。
 そして紫紺の機体は流れるような動きで《羅刹》の右足を切断した。

『――ッ!』

 唖然とした声を上げる前に右膝から下を失った《羅刹》はガクンと体を落とす。
 さらに斬撃は続く。両手を用いて今度は袈裟斬りだ。《羅刹》の機体内でカテリーナは咄嗟に身を屈めた。直後、《羅刹》の胸部装甲に銀閃が走る!
 そして少し遅れてから、ズズズと機体の上半身が斜めにズレた。
 カテリーナの頬に冷たい汗が伝う。
 あと一歩反応が遅れていたら、カテリーナの首も飛んでいただろう。
 命は助かった。だがしかし――。

『終わりだな。カテリーナ=ハリス』

 オトハが淡々と告げる。確かにその通りだった。《羅刹》は右足、右肩から左胴にかけ切り落とされている。もはや完全に戦闘不能状態である。

「…………」

 カテリーナは無言のまま、瞳を一瞬だけ閉じた。
 そして、ゆっくりと開いた後、覚悟を決めた眼差しを《鬼刃》に向ける。

「……確かにここまでですね。しかし!」

『ッ! 貴様! この期に及んでまだ何かする気か!』

 カテリーナの放つ覚悟を感じ取り、オトハは表情を険しくする。
 最後までこの女は油断ならない。咄嗟に《鬼刃》を身構えさせた瞬間、オトハは目を瞠る。突如《羅刹》が無造作に飛びかかって来たのだ。
 しかし、それは到底《鬼刃》を倒せるような攻撃ではない。それどころか腹部に《鬼刃》の刀身を深々と突き刺すだけの結果に終わった。

『……どういうつもりだ。カテリーナ=ハリス』

 オトハが眉をしかめて問い質す。これではまるで自害のようだ。
 すると、カテリーナは妖艶な笑みを浮かべた。

「ふふ、いえ。こういうことですよ。《天架麗人》!」

 そう叫ぶなり、彼女の愛機・《羅刹》は右手で《鬼刃》の左肩を掴んだ。続けて全身を密着させて強引にしがみつく。尾までもが《鬼刃》の足に絡みついた。
 オトハの背筋に、ゾッと悪寒が走る。

『何の真似だ! 貴様!』

「ふふ、一つ良いことを教えて上げます。《天架麗人》」

 半壊した愛機の中でカテリーナは笑みを深めた。

「我が社の上級機体は全機、機密保持のために爆薬を積んでいるんですよ。いざという時のための自爆用です。強力ですよ。半径十セージルぐらいは粉々です」

 この台詞に息を呑んだのは、周囲にいるアリシア達だった。

「お、おい! 待てやババア! てめえ、姐さんを巻き込んで自爆する気か!」

『待ちなさい! あなた正気なの!』

 エドワード、アリシアが驚愕の声を上げた。
 対し、カテリーナは笑みを崩さない。

「ええ、そうですよ。《天架麗人》には私と共に逝ってもらいます」

 あっさりとそう答えるカテリーナに、アリシア達は絶句した。
 オトハは眼前の女を見据えて問う。

『……そこまでしてボルド=グレッグに尽くすのか?』

 カテリーナは《鬼刃》を見つめて、クスクスと笑った。
 何ともくだらない質問だ。考えるまでもない。

「当然ですよ。あの方に喜んでもらうのが、私の何よりの『欲望』なのですから」

 しかし、そう言ってから、カテリーナはわずかに眉根を寄せた。
 それから、彼女は少し困ったような口調でこう告げる。

「まあ、相打ちでもあなたを殺せるのなら破格の戦果ですし、ボルド様も喜んでくださるでしょう。ただ、そのお顔を拝見できないことだけは残念ですわね」

 
       ◆


 ボルド=グレッグは深い溜息をついた。
 いきなり起動した機能。これは彼の部下・カテリーナの機体《羅刹》が自爆準備に入った証だった。減数する数字はカウントダウンだ。
 もう止めることは出来ない。あと五分もしない内に《羅刹》は自爆するだろう。

(……カテリーナさん)

 状況から鑑みるに恐らく彼女は《七星》の一人、オトハ=タチバナと死合っている可能性が高い。そしてその戦況下で自爆を選ぶということは……。

(まったく。困った子です)

 ボルドは再び溜息をついた。
 カテリーナ=ハリス。ボルドが全幅の信頼を寄せる部下の一人。
 とても優秀な人間ではあるのだが、どうも欠点がある。仕事に忠実すぎるというか、何かにつけてボルドに献身的すぎるのだ。時に自分の身を省みないほどに。
 ボルドは常々それを心配していた。
 そのため、密かに組み込んでいたのが、この自爆を知らせる機能であった。

「……仕方がありませんね。今回は」

 と口にするのは、罪なき少女を殺すと決めた時と同じ台詞。
 ボルドは迷わず結論を出した。

「カテリーナさんを迎えに行きますか」

 アッシュ=クラインとの戦いは、少女の命より優先する。
 しかし、カテリーナの命はそれよりもさらに優先するのだ。
 ボルドは身構える宿敵の姿に目をやり、気まずげに語りかける。

『あー……クラインさん』

『……何だ?』

 アッシュが訝しげな声音で尋ね返す。すると、ボルドの愛機・《地妖星》はまるで人間のように頬をかくような仕種をした。

『すみません。急用が出来ました。今回はこれでお暇することにします。完全に撤退しますのでご安心ください』

『……はあ?』

 アッシュは唖然とした。一体この男は何を言っているのか。
 しかし、そんな青年をよそに、ボルドは言葉を続ける。

『では、失礼しますね。あっ、それと一緒にいるお嬢さんには早く酔い止めを飲ませてあげた方がいいですよ。かなり危険な状態みたいですし』

 そう告げると《地妖星》は『それではまた』と言い捨て、後方に跳んだ。
 そして森の中に姿をくらますと、猛烈な速度で走り去っていた――。
 そこでようやくアッシュは正気に戻る。

『ま、待て! ボルド=グレッグ!』

 急ぎ《朱天》で後を追おうとしたが、ふと立ち止まる。
 サーシャのことを思い出したのだ。忌わしいが、あの男の言う通りサーシャは今すぐにでも救護しなければ危険な状態だった。

「――くッ!」

 アッシュは呻いた。正直に言えばボルドの行方は気になる。もしや標的をオトハか、またはユーリィに変えたのかもしれない。
 だが、それでも今はサーシャの方が優先だ。無茶は出来ない。
 アッシュは《朱天》を停止させると、後ろへ振り向いた。
 すでにサーシャはアッシュの腰を掴んでいない。蒼い顔で気絶していた。

「……サーシャ」

 呼びかけてみるが返事はない。
 アッシュは《朱天》の胸部装甲を開くと、サーシャを丁重に抱きかかえた。
 そして港に降りて、ぐったりした少女を《朱天》の足に寄りかからせる。続いて自分は愛機の工具箱から荷物を取り出した。即効性の酔い止めの錠剤と、水の入ったボトルだ。
 鎧機兵は最も乗り心地の悪い乗り物としても有名だった。これらの薬は鎧機兵乗りならば必需品だ。この薬を飲めばずっと楽になるはず。
 アッシュは錠剤を一つ取り出し、サーシャの口の中に入れた。そしてボトルをくわえさせて水を飲ませようとするが、口元から零れ落ちるだけ飲むことまで出来ない。それどころか錠剤まで口から零れ落ちる始末だ。完全に脱力している。

「……仕方がねえか」

 アッシュは力なく肩を落とした。常識人の彼としては意識のない少女にこんな事をするのは甚だ不本意であるのだが、今は非常時。人命救助が最優先だ。

「……ごめんな。サーシャ」

 少女にそう謝ってからアッシュは自分の口に錠剤を放り込み、水も一口含んだ。
 そして少女の頭を右手で支え、その柔らかな唇に自分の唇を重ねる。
 一瞬だけ少女の眉がピクリと動いた。そのまま数秒が経ち、ようやくサーシャの喉は嚥下する。
 アッシュはホッとしつつ唇を離した。

「……サーシャ」

 再び呼びかけ、アッシュはサーシャを抱き上げた。
 心なしか呼吸が落ち着いてきている。これで彼女は大丈夫だろう。
 アッシュはボルドが去っていった森の方を見据えた。
 サーシャの件で安堵した途端、無性に腹が立ってきた。全くもってここまで虚仮にされたのは久しぶりだ。もはや殺意さえも湧いてくる。
 ギリシと歯を軋ませるアッシュの顔は、どんどん凶悪な形相に変わっていった。
 絶対にただでは済ませない。一矢は必ず報いる。
 そう誓い、白髪の青年はぼそりと呟く。

「……このまま簡単に帰れるとは思うなよ。ボルド=グレッグ」
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