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第13部

第四章 少女は輝く①

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 キシキシ、と。
 板張りの廊下に、静かな足音が響く。
 両手に食事を乗せたトレイを持ったジェシカの足音だ。
 彼女は続く階段で宿の二階にあがると、一つの部屋の前で立ち止まった。
 彼女の主人が宿泊している一室だ。
 ちなみに彼女の部屋は隣室だ。彼女の主人は同室でもいいと言ってくれたが、仕える者としてそれは断らせてもらった。
 ジェシカはトレイを片手で持ち直すと、コンコンとノックした。
 しかし、やはりというか返事はない。
 ジェシカは嘆息した。

「失礼します」

 そう言って、ドアを開ける。
 昼近くなのに暗い室内。カーテンが閉じられているからだ。
 ジェシカは、トレイを近くの机に置くと、窓際まで行ってカーテンを開いた。
 窓から日差しが差し込んでくる。室内が明るく照らされた。
 ジェシカは、再び室内に目をやった。
 真っ先に見たのはベッドの上だ。
 そして案の定、ベッドの上に主人はいた。

「……サクヤさま」

 今日の主人は、丸い物体ではなかった。
 ベッドの上で両足を左右に向けて座り込み、シーツを頭から被っている。
 その表情はどこか虚ろだ。
 普段の朗らか笑みは、完全に消えている。

(この上なく悪化している……)

 ジェシカは、冷や汗を流した。
 その圧倒的な美貌も合わさって、生気がなくなると、もはや幻影めいた幽鬼のようにも見える主人に少し腰が引ける。

「……サクヤさま」

 一応声をかけてみるが、返答はない。
 結局、主人は昨日から一度も部屋から出なかった。
 最初はもぞもぞとベッドの上を徘徊していたのだが、遂には立ち止まり、今のような幽鬼状態に陥ってしまったのだ。
 今はブツブツと、

「どうせ、私なんか……」「トウヤに嫌われた……」「女の子がいっぱい……」

 そんなことをひたすら呟き続けている。
 ジェシカは深々と嘆息した。
 ジェシカとて女だ。少し前まではともかく、今は主人の気持ちも分かる。
 何故なら、自分にもまた、想い人がいるからだ。
 もしも、自分も想い人に嫌われたとしたら、同じように世界の終わり状態になるかもしれない。まあ、あの優しい『彼』が誰かを嫌うなど想像しにくいが。

 ちなみに、血は争えないのか、ジェシカの想い人の傍にも女の影は多い。
 けれど、自分はその点は気にしない。自分は女である前に『彼』の刃だからだ。
 欲を言えば、時折自分も愛してくれればそれでいい。末席でも充分だった。

 身も蓋もなく言ってしまえば、自分はハーレムを肯定しているのである。その点をまだ完全には割り切れていない主人ほど悪化もしないだろう。

(まあ、そんなことを比較しても意味はないか)

 ジェシカは、かぶりを振った。
 まずは、主人の精神状態を少しでも回復させるのが先決だ。

「サクヤさま。お食事をとってください」

 そう告げるが、サクヤは何も答えない。
 ジェシカは眉をしかめた。

「このままでは体調を崩されてしまいます」

 と、進言するが、やはりサクヤに反応はない。
 ブツブツと呟き続けるだけ。本当に重症のようだ。
 ジェシカは、そんなサクヤを見つめて思案した。
 そして、

「サクヤさま」

 再び声をかける。

「サクヤさまは、昨日から一度も入浴をされていませんね」

 今までと違う問いかけに、サクヤの肩が少しだけ動いた。
 ジェシカは言葉を続ける。

「よろしいのですか?」

「……なに、が?」

 壊れたブリキ人形のように、ギギギ、とサクヤが顔だけ振り向かせた。
 その眼差しは、やはり虚ろだった。

「お食事も取られていないため、美しい御髪が少し乱れております。もういつ彼と鉢合わせになってもおかしくない。そう言われたのは、サクヤさまご自身です」

 ジェシカは淡々と告げた。

「もう一度お尋ねします。本当によろしいのですか? そのようなお姿でトウヤさんと再会することになっても」

 その台詞を告げた途端、シーツが宙に舞った。
 そしてシーツが落ちる前に、サクヤは部屋から飛び出していた。
 ジェシカは、顔だけをドアから出した。
 廊下を走るサクヤの後ろ姿が見える。まるで脱兎のような勢いだ。
 目的地は、恐らくこの宿の大浴場だろう。

「……少しは元気になられましたか」

 そう呟いてから、ジェシカはふと自分の黄色い髪に触れてみる。
 普段からあまり手入れをしないせいか、少しパサパサしている気がする。

「…………」

 少し考える。
 サクヤと彼女の想い人の再会が近づいている。
 それは、ジェシカにとっては『彼』と出会う可能性も高いということだ。
 深く考え込む。
 そして――。

「……私も入浴しておくか」

 そう言って、ジェシカも、サクヤの後に続くのであった。
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