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19.小山康平の恋人

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 今日に限って酷い雨なのだから、たまったもんじゃない。ちょっと前までは暖かい日が続いていたような気がするのに、急に寒くなるなんてどうかしてる。秋はどこへ行ったのか。あっという間に忍び寄ってきた冬は、寒さと布団から出られないくらいの気怠さを振りまいていた。
 ただでさえ寒いのに、その上ざざぶりの雨だ。ばらばらと傘を叩く音が響いて、暗く淀んだ灰色の空が頭上を覆って晴れそうにない。公園の木も、店の屋根も、アスファルトも、濡れて寒々しさを増していた。
「なぁんでこういう日に限って雨降るんだちくしょう! 折角オレが出掛けてるのに、空の馬鹿」
 ぶつくさと文句を言いながら、康平は雨に濡れてへにゃりとよれた前髪を整え、ビニール傘越しに空を睨む。事前に天気を確認しなかった自分のことは棚上げだ。
 折角おろしたてのブーツだったのに、と名残惜し気に足元を見てから、康平は渋々と舗道へ足を踏み出した。水溜りになりかけた雨の道が、ぴちょりと跳ねる。
「寒ぃし」
 軽く鼻を啜りながら、まだ行けると思った深いグレーの秋物ジャケットを着た背中をぎゅっと丸めると、隣で一部始終を聞いていた遊利がくすくすと小さく笑った。
「今日、雨だよって言ったのに」
「うるせーなー。着たかったんだよ、これを」
「秋物の気分だった?」
 遊利が軽く首を傾げると、申し訳程度の変装用に掛けている眼鏡が少しずれる。薄手の康平と違って、遊利はバッチリと白いハイネックのセーターを着こみ、シンプルなコートを羽織った冬の装いだ。それも、ごく普通の男性的な。
 一応普段のメディアで使われる『佐々原遊利』のような革ジャンだとかフライトジャケットだとか、ビンテージジーンズとは大分雰囲気が違うが、ファンが見ればすぐに分かるだろう。ファンじゃなくても、よく見れば分かる。
「別にぃ」
 つんと口を尖らせながら、康平は水溜りを進んで踏むように舗道を歩いた。そうすると、隣を歩く遊利の方は水溜りの少ない場所へと追いやられるので、遊利のスニーカーはずぶぬれにはならないだろう。
 ブランドのロゴが入った傘を差した遊利は、寒くて丸まった康平の背中をツンと突いて、涼しい造りの目を柔らかに緩ませてみせた。
「ふふふ、デートだからだ」
「そうだよ! 分かってんじゃねーか!」
 康平が叫ぶと、近くを歩いていたビジネスバッグを持った女性がギョッと二人を振り向いて、静かに目を逸らす。
 今日は、佐々原遊利が一般男性の恋人がいることを公表してから初めての『デート』だ。
 
 結局、遊利はあの後引っ越した。カメラマンもどきや記者もどきの所為ではなくて、俳優復帰のために。
 SNSにおける、佐々原遊利の不純異性交遊の噂は、あっという間に立ち消えた。なんでかって、それは康平が大学で思いっきり『佐々原遊利の自称恋人』を公言したから。
 一週間足らずで、康平は『マドンナに告白する前にフラれた男』から『佐々原遊利の恋人を自称しているやばいやつ』に格上げされて、それに伴いSNSの書き込みは少々大人しくなった。具体的には、佐々原遊利が休養に入ったのはストーカー男の所為なのでは、なんて憶測が増えたので。
 遠くもないが当たってもいないその発言を、康平は放っておくつもりだったのだが、今度は遊利の方が耐え難かったらしい。
 事務所と、家と、マネージャーやらなんやらと協議を重ねて、遊利は付き合っている相手がいることを公表すると決めた。それが大体、先月末のことになる。
 批判もあったし、雑誌やメディアは面白がったし、ネット上では件の不純異性交遊の話が風化するほど盛り上がった。荒れたと言ってもいい。けれど、予想に反して、駅前で遊利をじっと待っているような人は減った。

「……お買い物だけにしておく?」
 傘からひょこりと顔を出した遊利が、遠慮がちに半歩康平の方へ身体を寄せた。傾いた傘からぽたぽたと雨が落ちていって、遊利の横へ小さい水溜りを作る。
「なんで」
「だって寒そう」
「ヤダよ腹減ったし。パンケーキ屋近ぇって聞いたし」
 康平の周囲は、遊利が公表した恋人のことを、素直に康平だとは受け取らなかったらしい。唯一、巫だけがそうだと思ったと一言だけのメッセージをくれた。
 ちなみに今日のデート先は、巫から教わった一時期話題だったパンケーキの店だ。ホイップクリームがたっぷりの、とにかく甘ったるそうなやつ。
「たこ焼きじゃなくって、パンケーキ?」
「雨の日に公園でたこ焼きとかイヤだろーが」
 遊利が近付いた方に傘を傾けながら、康平はスマートフォンを開いた。今日の雨は止まないらしい。
「ね、それじゃ、買って帰るのは?」
「うるせえ甘党。それ、お前家誘ってんのか、えっち」
「えっ。あ、やだ、違うよ」
 目尻を赤くした遊利が、康平から離れて歩こうとする。腕を引っ張ってそれを引き留めてやると、分かりやすく視線を泳がせた遊利が康平を睨んだ。綺麗な顔だが、遊利に睨まれるのはちっとも怖くない。もよもよと言い訳するように動いている薄い唇が間抜けだし、小顔を強調するようになっている眼鏡がちょっと曇っているし、無意識なのか指先は耳元を弄っていて。
 触りたくなって近付くと、互いの傘がぼよんとぶつかって水滴が肩に落ちた。
「……パンケーキ食ったら、たこ焼き買って……帰っか」
「うん」
 雨じゃなくて、傘がなくて、もっと距離が近かったら、そのままキスしてこのまま帰ろうと誘っていた。
 往来の道端でそんなことをすれば、流石に火に油を注ぐことになりかねない。今日のデートに大雨を降らせた空へ一瞬の感謝を胸の中で唱えてから、康平は可愛い恋人のしなやかな指先をそっと握った。
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