隣人の美少女は、オレの嫌いな俳優だった

百山緑風

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13.火花のあるところに立つ煙

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「あの、なにしてんすか」
 気が付けば、康平は通りにたむろしている青いウインドブレーカーを羽織った男に、威嚇半分で声を掛けていた。
 スマホを見ながら何かを打ち込んでいた男が、強張っている康平の顔を見てから、上から下までをじっくり眼鏡越しに眺める。じっとりとした視線と、値踏みしてくる態度は、見覚えがあった。さっきまでの合コンと、前のパーティーの時に誰かからか向けられていた気がする。今更知ったその視線の不快感に、焦る康平の頭が冷やされていく。
「なにって仕事だよ。キミこそなに?」
 ふん、と馬鹿にしたように康平を見て来る男は、髭の伸びてきている顔に薄い笑いを浮かべて康平を高圧的に見つめた。
 舐められているのはよく分かる。瞬間的に今までとは違う苛立ちが湧いてきて、康平はムッと眉間に皴を寄せた。くい、と親指で後ろにあるグランメゾン四ツ河を指さし、男に張り合って見下ろすように顎を上げる。
「オレ、ここに住んでんすけど。不審者の通報してもいーんだぞ」
 それこそ、雑誌に見えた遊利を真似るように。不遜に、生意気に。半分本気で言ってやれば、男が驚いたように目を丸くして、急にへらへらと媚びるように頭を下げた。
「え、ええ。やぁそれは、ちょっと勘弁して欲しいな。キミ、このマンションに住んでるんだ? ホント?」
「そうだよ。だから聞いてんじゃねーか」
「いやーそっかそっか、いやおじさんちょっとここでさ、調べることがあってね? それが分かったら退散するし……良かったらキミにも聞いて良いかな」
 急に下手に出やがって。少し冷静になってきた康平は、舌打ちしかけたのを誤魔化すように大きく鼻息を吐いた。
「なんだよ」
「佐々原遊利知ってる? 俳優の。ここらへんで見たことないかなあ。キミと同じマンションにさ、住んでるはずなんだよねえ」
 遊利の名前に、康平の肩が軽く跳ねる。
 知らない筈がない。だが、このマンションに住んでいるのは、人目に晒され疲れたのか何なのかいつも変装に女性服を着ていて、ボーっとしていて外で買い食いをしたこともなくて、へらへらと笑っている奴だ。俳優の遊利のことは、正直まだよく知らない。ネットで知ったような気になっているだけだ。
 反応した康平を勘違いしたのか、男は満足そうに頷いて伸びてきた顔のヒゲを撫でる。
「驚いた? 見付けたらおじさんに教えてくれよ。写真撮って記事にしてぇからさあ」
「……俳優とか見たことねーよ」
 嘘ではない。ここで見たことがあるのは、俳優ではない佐々原遊利だ。
 庇うようにそう言って、康平はマンションを振り向き見上げた。今日は、五階の廊下に人影はない。きちんと部屋にいるのだろう。それに酷く安堵した康平は、目の前の男と話すのに急に嫌気が差してきて、切り上げようと、じゃあと言いかけた。
 どうやらまだここに住んでいるという確証は得ていないようだし、その内諦める気がする。それを早いところ遊利に報告してやらねば。
 だが、歩き出そうとした康平を引き留めるように、男は無遠慮に康平の肩を掴んで呼び止めた。
「待って待って。キミ大学生でしょ? じゃあさ、噂の真偽知らない?」
「んだよ。噂って?」
「知らないの? 今SNSで出回ってる佐々原遊利に関するプチ炎上中のあれ」
「はぁ?!」
 うるせえ、と少し離れたところでカメラを設置した男が小さな声で呟くのが聞こえてきて、康平は口内を軽く噛んだ。うるさいもなにも、マンションの前でこそこそと動いているやつらに文句を言われる筋合いはない。
「なんだ知らないのか……ま、調べたら。どうせすぐ出るよ」
「あっそ」
 怪訝に顔を顰めた康平に、また調子付いたらしい男がにやにやと笑いながらスマホをちらつかせる。きちんと話す気もないのだろう。
 康平が知らないことを笑った男は、懐から何の変哲もない白い名刺を取り出して康平の方へ差し出してきた。名前と、知らないニュースサイトか何かの名前と、メールアドレスの書かれた名刺は、角が汚れて折れている。
「まあ一応名刺渡してあげるよ。なんか情報あったら連絡頂戴。内容に応じて小遣いやるよ」
 ウェブライターと気取った文字で書かれたそれを軽く払いのけて、康平はマンションの方へまた向き直った。
「いらねーよ怪しいおっさんの名刺とか」
「あン? 失礼なガキだな」
 ち、と舌打ちをする音を後ろに、康平は車の途絶えた道路をそのまま走って渡り、マンションへ駆け込んだ。
 後ろに集まっていた他の大人たちも、流石に開いたマンションへついてくるようなことはなく、自動ドアは康平一人を通して静かに閉じた。

 閉じたエントランスの自動ドア越しに外を見て、康平は冷え切った手でスマホの画面を付けた。
 画面の上部に出ているのは、丹辺達からの連絡と巫からの連絡だけだ。遊利からのメッセージはない。そもそも、遊利からの連絡が来たことは殆どなかった。
 ざわざわとまた不安が湧き上がってきて、康平は唾を飲み検索バーに遊利の名前と噂、炎上と少しためらいながら入力していく。
 ぱ、と出てきたのはどこの誰のものかも分からない匿名のSNSへの書き込みだった。
『佐々原遊利が大学生とか読モを選んで喰ってる』
『紹介役の大学生がいるらしい』
『多分ココ』
『佐々原遊利は女を家に連れ込んでる』
『繋ぎ役の大学生の情報募集』
『うちの大学生らしい』
 火のないところに煙は立たない。
 仲介役、つなぎ役、紹介役、品定め役。名前こそ出ていないものの、康平の後ろ姿もアップロードされている隠し撮りの中には含まれていた。それと、隣を歩くユキの姿をした遊利。
 いつどこで隠し撮りされたのか、どうしてこれが遊利の部屋へ向かっていると判断されたのか、何も分からない。勿論この書き込みが単なる悪意なのか、それとも興味本位なのかも。それとも遊利に会いたいという人の暴走なのかも。
「嘘だろ……」
 散った火花の欠片を感じて、康平はひゅっと乾いた息を吸った。
 エレベーターに乗り込みながら、康平は遊利の名前を呼ぶことも出来ず、頭を抱えてうずくまる。
 こういう目がずっと遊利を見ていたのだということを、本当ならもっと早く知るべきだったのかもしれない。
 チン、と静かなエレベーターの音が鳴って、扉が開く。一分にも満たない上昇する時間が、長かった。
 ゆっくり開く隙間から転がるように飛び出た康平は、そのまま転がるように廊下を走った。窓の外、対岸の道にいるマスコミを睨んでも、きっとあちらから康平は見えていない。
 ターゲットは康平ではなくて、女の子を紹介している仲介人か、遊利なのだから。
 康平の正面からの写真がなかったことだけは幸いだ。微かに感じるその安堵にも、どこか苛立ちが走る。保身が先に来る自分を殴ってやりたくなる。
 自分の部屋ではなくて、その隣の扉まで走って、康平はインターホンを何度も鳴らした。扉をノックして、名前を呼ぼうとして、口を閉ざす。今更気をつけても仕方ないが、部屋まで確定させるわけにはいかない。
 三度目のインターホンで、扉の向こうで微かに人が動いた気配を感じ、康平は扉ののぞき穴の前に立った。他に誰もいないことを示すように周囲を見て、指でオーケーサインを作ってみせる。
 ガチャリ、と鍵の開く音がして、康平は開くのも待てずに扉を開き、滑り込むように中へ入り込んだ。
 どん、と扉のすぐ前に立っていた遊利とぶつかる。
「わ」
「おっ、わり」
 すぐに扉を閉めなくては。家の中へ遊利の身体ごと自分を押し込むように進んで、康平はがちゃんと部屋の扉を閉じた。片腕でよろめいた遊利をなんとか支えて、後ろ手に鍵を探る。自分の家と同じ扉の同じ位置にあるというのは便利で、あっさりと鍵がかかった。
 ひとまずはこれで安全だろう。ほっと息を吐いた康平は、勢いで押し入るために抱えていた遊利から力を抜いた。
 思っていたより、というよりも、自分よりは細く感じる身体は決して柔らかくない。むしろ骨と引き締めた筋肉の硬さを感じるばかりで、布団でも抱きしめた方が抱き心地は良いだろう。代わりに人の身体の温かさがあり、帰ったばかりの康平にはその生きた熱が気持ち良かった。
 間近にある遊利の顔色は良くないし、目元はぐったりと疲れているようだが、ぽかんとしているそれは、いつもの見知った遊利の表情だ。いつものちょっとぼんやりとしていて、困ったような表情をした顔が良いだけで平凡そうな遊利。それを確認して、康平の中で焦りが少しだけ融解していく。少なくとも、あの冷ややかな瞳ではない。他人を見るような厳しい視線もない。
 緊張していた背中の力が抜けて、康平はようやく足元に目を落とした。玄関に二人立ち尽くした形で、廊下に土足で上がり込む形にはギリギリなっていない。掃除の手間は掛からないだろう。
「あの、康平くん……」
「んだよ」
 声を掛けられて、康平はふと自分が、招かれる前に入り込んだことを思い出した。何でか酷く焦って、拒否されるのも嫌だったせいだ。不法侵入とか言われて、またあの目で見られてないか。僅かに不安になって、康平は恐る恐る遊利の顔を確認した。
 唇を甘く噛んでいて寄った皴。細められた瞼の間にある、大きな瞳孔。化粧をしていた時のように色の乗った目元。鼻先が赤いのは、康平が入り込んだ時にぶつかったのだろうか。意外と姿勢は崩れていなくて、康平に引き寄せられながらも、遊利は器用に自分で立っていた。
「……転ばないから、だいじょぶ」
「お、う」
 困惑して、追い詰められていたような気持ちでいたはずなのに、その顔を見た康平の頭に急に血が巡っていく。赤い表情につられたようにぎこちなく手を離すと、頬を擦った遊利が疲労の見える顔で緩やかに笑った。
「おかえり」
「た、だいま」
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