隣人の美少女は、オレの嫌いな俳優だった

百山緑風

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12.金曜日

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 隣に住んでいる筈の友人と、顔を合わせない生活というのは案外簡単に出来たらしい。道理であの日ユキとして知り合うまで見かけたこともなかったわけだ。
 あれから数日、康平は遊利と一度も会うことなく過ごしている。料理をしようしても、酒を飲もうとしても、遊びに行こうとしても、ほんの一か月にも満たない遊利とのやり取りばかり思い出す。そして最後には、あの熱のない目を思い出しています。
 そういう後ろめたくて息苦しい空気に襟首を捕まれたまま、康平は丹辺を含む友人たちに連れられるようにして洋風の居酒屋へ来ていた。金曜日、大学で声を掛けてきた女子四人との合コンの日だが、正直なところ気乗りはしない。しかし約束は約束だし、丹辺達がどうも康平を心配してくれているので、断るのも億劫だった。
「ほら康平、しっかりしろ」
「サポートしてあげますから」
「おー、まあ、なあ」
「小山、頑張ってアプローチしような! にっこり笑って自己紹介だぞ!」
 肩を押されながら先頭で店を歩かされても、康平の足取りは重い。合コンにテンションが上がらないなんて、初めての経験だった。足元がずっと沼に浸かっているように感じる。早く帰りたいけど、帰ったところでやることもない。遊利の部屋の扉を叩く勇気はない。
 考え事が止まらぬままだらだらと居酒屋の中を進まされて、なんとか切り替えようと康平は一度自分の頬を叩いた。ぱちんという乾いた音は、居酒屋の賑わいで消えていく。
「気合入ってんじゃん、よしいけ、康平」
 頑張れと肩を叩かれ、既に女子四人の待つ個室の前へ押し出される。
 半個室のように仕切りの中にあるテーブル席には、キラキラとしたラメや可愛い服装、少し胸元の開いた刺激的な服でめいめい着飾った四人の女子が一列に並んで座っていた。その四対が、ばっと康平へ集中する。
 好奇心と値踏みするような眼差し。重たい期待や熱望が康平に一度突き刺さって、そして康平を素通りしていく。見られているけれど、見られていない。突き刺さって過ぎ去っていく視線は、どうしようもなく康平を不安にさせた。
「どっ、うも……」
「こんばんはー」
「今日はこいつに誘われて来ました、田中太朗です」
「うす」
 康平を過ぎ去った女子達の視線が、康平の後ろの男子達を順に見ていく。康平と、丹辺と、あと二人の友人。
 それ以上誰もいないのを確認して、四人組の女子の内、一番目立っている巻き髪に白いニットワンピースを着た子が、細い眉を持ち上げてからぎゅっと寄せた。細められたラメの乗った目元が、緩く下がる。それに続いて、残りの三人も輝いていた瞳からすうっと色をなくして、赤く塗られた口を不満そうに突き出した。
「あー……どうもお」
 おざなりな返事をした女子に、康平はどっと冷や汗が吹き出しそうになる。失望と、無関心。期待外れだったときの、康平に脈なしの女子の反応だ。急にどんと打ち立てられた高い心の壁にぶつかった気持ちで、康平はちらりと丹辺達の方へ視線を送った。
 丹辺達も同じように感じたのだろう、少し困惑したようにそわついている。
 どうしたものかと一瞬場が固まると、ニットワンピースの子が張り付けたような笑みで空いている四席の方を指さした。
「取り合えず、座ったらあ?」
 そのまま手元に視線を落とした彼女は、スマホに何かを打ち込んでタイツを履いた足を組んだ。
「あ、はい……」
「じゃあ適当に飲み物決めてぇ」
 はい、と端に座る子が康平にメニューを差し出して、ワンピースの子と同じようにスマホを弄る。
 奥の席へ追いやられた康平は渋々それを受け取り、気の進まないままドリンクメニューを開いた。普段とは違う、飲み放題メニューではないドリンクメニューに、康平の目がより滑る。選ぶ余裕もなく、康平はメニューを閉じるとそのまま隣の田中に回した。
「オレ、生ビールでいいわ」
「あっそー? じゃ、うちらも全員それで良いから注文よろしくう」
 女子たちがそれに乗っかると、メニューを渡された田中も、遅れて細い声でじゃあ俺もと続く。田中は炭酸が苦手なはずだが、この場の空気が変に重すぎて、他のメニューを見て頼むには苦しいのだろう。
 選ぶ時間も、店員が去ってからの沈黙も辛い。
「えっと……取り合えず、自己紹介してもイイ? 俺は康平の友人の丹辺」
 注文を待つ間、丹辺がそう切り出したのは幸いだった。
 テーブルの上のサラダを取るわけでも、取り皿を分けるでもなく、お通しに箸をつけることもなくスマホで何かのやり取りを延々している女子達が、流石に少し顔を上げた。
 丹辺に続いて、田中達も名前や学部を名乗っていって、残された康平へ女子達の目線がまた集まる。最初の視線より、幾分か鋭く、微かな苛立ちすら感じた。
「あー、んで、オレが小山康平。えーっと、誘ってくれてサンキュー」
 康平が控え目に頭を下げると、例の白ニットワンピースの女子がじっと康平を見てから、ふんわり巻いた髪を揺らして首を傾げた。この子の名前は聞いた覚えがあるが、どうにも思い出せない。
「……そちらは、以上の四人って感じぃ?」
「え、お、うん。四対四って話じゃなかったっけ」
「まあねえ。ふうん……カホでぇす。国際学部コミュ学科、三年」
 ゆっくりと溜息を吐いた女子が、名乗りながら退屈そうにまたスマホを触る。続けてあとの三人も名前を名乗るが、女子の表情は明るくない。
 一通り名乗り終わると、カホと名乗った子が一度だけ康平をじっとりと重たい目で見てから、片肘をついて作り笑いに戻った。
「じゃあここ二時間制だからあ、適当に過ごしてね。よろしくう」
 何か気に障ることをしたのだろうか。
 女子達がぱきんと箸を割って静かにお通しをつつくのを見ながら、康平は気もそぞろに自分の分のサラダを取り分けた。
 
 結局合コンは殆ど盛り上がることはなく、二時間きっかりでお開きの流れになった。
 幸いにも会計は半々で、康平たちは『女の子は支度があるから先に出て』とテーブルにお金を置いたまま追い出されるように店を出ようとしていた。生ビールとウーロンハイを飲んだだけで酔いも回っていないのに、最後尾を歩く康平の足は重い。
 前の方を歩く丹辺はまだしも、田中達はすっかりお通夜ムードで、これから三人は二次会として大学近くの居酒屋にハシゴする話が上がっている。お前も行くよな、と誘われはしたが康平はまだ少し迷っていた。
「金ないん?」
「まぁ金はいつもねーけど。あ、いや今いつにもましてねーわ、服買ったし……」
「へー。着てこなかったん」
「あー……まー……ちょっと」
 こういうところに着て来たら、匂いが付くんじゃないかと思うとどうにも惜しかった。あのジャケットとインナーは、丁寧にクローゼットの中に仕舞ったままだ。
 汚したくないあの服のことを思い返すと、すぐに遊利に繋がっていく。買いに行った時は、もっとうまくいくと思っていたのに。
 はぁ、と思い出した遊利のことに溜息を吐くと、丹辺が心配そうに康平を振り向いた。
「お前マジで元気ないな」
「なぁんか、気乗りしねぇんだよ」
「愚痴なら聞きますよ」
「えー、いや、あー……」
 田中の言葉に、康平は少し考えるようにして時間を確認する。まだ時間は二十一時を過ぎたくらいで、普段だったら喜んでついて行っただろう。行くか、止めるか。もっとも、行ったところで相談する内容は康平の中でもはっきりとしていない。遊利のことは伝えられないし、ただ友達と喧嘩したというわけでもない。康平にだって、このぐちゃぐちゃとした頭の整理はついていないのだ。
 悩みながらごそごそと定期を取り出そうとして、康平はいつもの尻ポケットが少し寂しいことに気が付いた。
「あ。定期落としちまったっぽいから、見て来るわ」
 ここへ来るまではあったはずだから、座った時に落ちたのかもしれない。さっきまでいた席の方へ引き返そうとして、康平はトイレの方から聞こえたカホの声にふと足を止めた。
「もー、普通の奴ばっか連れて来てんじゃねーよあいつ!」
「ねえ噂ってアテになんのお?」
「マジだよ、聞いたもん。アイツ佐々原様と友達だって言ってた」
「連れて来いって、察して欲しいわー」
「マジ今回ハズレ」
「遊利様と運命の出会いしたかったなあ」
「まあどっちにしろ学校の近くに住んでるって噂じゃん? 会えるかもよ~」
 きゃあきゃあと笑う声に、康平の背筋がすうっと冷たくなっていく。
 どうして遊利のことを知られているんだろう。
 遊利のことを話したのは巫だけだ。それ以外には話していない。じゃあ巫がもしかして漏らしてしまったのか。だが、巫に写真を渡したのは講義室だ。他の人の目もあった。もしくは、ホテルに行く時に見られていたのか。そもそも、巫に渡した写真を誰も見ていない保証はない。誰かが偶然それを見てしまうこともあるだろうし、家族の誰かもいるかもしれない。勿論、引っ越してきたときに見られてただけの可能性はあるが、康平が友人だというのは康平からしか漏れることはない。
 自分の所為で、隠れるように暮らしていた遊利のことが暴かれつつあったのだろう。そして、彼女たちが康平を誘ったのは、遊利と会うためだ。薄々察していたことを突き付けられると同時に、康平は何か嫌な予感を覚えた。
 どれだけ噂が広まっているのか、分からない。
 遊利が言っていた不安が急に実態を持ったようで、康平はどすんと腹の中に何かが落ちてきたような衝撃に襲われた。
 定期を取りに行くのも惜しい。考えるよりも先に、康平は勢いよく店の入り口へと走っていた。
「オレ帰るわ!」
 店の前で待っていた丹辺達へそう声を掛け、そのまま駅の方へ走っていく。
 不安と焦りとよく分からない焦りで、足が止まらなかった。謝るとか、どうするとかは何も考えず、ただ遊利が無事なのかを確かめたい。それだけの気持ちが、康平を突き動かしていた。
 

 脱兎の勢いで駅へ向かい、混雑する電車の中でもそわそわと脚を動かして、構内を転がるように走り、マンションへ帰る。定期を置いてきた所為で切符を買うのが面倒で、適当に一番金額の高いものを雑に購入して改札を抜けた。
 それほど運動が得意なわけでもない康平は、コンビニの辺りに来た頃にはもうぜえはあと息が上がっていて、歩くのとそう変わらない速度になっていた。それでも、気持ちが急いて足が動く。
 大型の白いバンが止まるコンビニは今日も少し人が多そうで、それすら嫌な予感に繋がった。あれは一般人なのか、それとも遊利の言う業界人なのか。区別が付かなくて疑心暗鬼に駆られて仕方ない。
 マンションの手前にある交差点に辿り着いたとき、康平は、すうっと顔から血の気が引く音を聞いた。
 住人には見えない、カメラを持った大人たちが、通りを挟んでマンションの前にたむろっている。マンションの撮影とは思えないその姿に、康平は焦りを超えた怒りすら覚えて、冷え切ったスマホを握り締めた。
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