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09.康平の春
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「ええ~、佐々原くんの友達なんだあ」
「佐々原くん、こういうパーティー来てもクールだけど、プライベートもそんな感じ?」
「キミ、歳はいくつ?」
「若い子じゃ、おばさんのことなんて知らないかしら?」
「う、うっす」
「あはは、さては緊張してるぅ?」
「へ、へへへ。いやー綺麗な人ばっかなもんで」
「え~そう? あはは、なんか遊利くんと随分違うねえ」
テレビや映画でよく見る元アイドル、最近売り出し中の猫目の女優、いつもCMで見るタレント、昔から顔の変わらない気がするベテランに囲まれて、康平は唾を飲みながらデレデレと頭を掻いた。
火曜日のお昼すぎ。買ったばかりのジャケットとインナーを着て、前日に急いで丹辺から借りたスラックスを履いた康平は、遊利と共に都内にある高級ホテルのティーラウンジにいた。
遊利は軽いお茶会みたいなものと言っていたが、実際は事務所が主催する小規模な立食パーティーだったらしい。貸し切りで三時間、タレントは自由参加、同行者は一人まで可。本格的なパーティーでも重要な集まりでもない単なる親睦会らしく、康平のように芸能関係者ではなさそうな人もちらほら見えた。
それでも思っていたような“お茶会”ではなくて、パーティーが始まる前、康平は遊利に文句半分助けを求めようとした。だが、遊利は『会場内では自力で、頑張って』と素っ気なく言い残して一人でさっさと挨拶周りへ向かってしまった。
「おお、珍しいじゃないか。佐々原遊利くん」
「牛窪さん。いつもお世話になっています。先日、ドラマ拝見しましたよ」
「ははは、ありがとう。お父上はお元気かな」
「お陰様でとても。先月、右藤さんとご一緒したとか」
「まあ、遊利くんも来てくれてたの。てっきりお休み中だから来ないかと思ってたわ」
「お騒がせしていて申し訳ありません」
「忙しくないから逆に来れたのよねえ。随分売れっ子だもの」
今も遊利は離れたテーブルで、年嵩のタレントや事務所の関係者に囲まれている。貼り付けたように硬い口元と澄ました目元、隙なく伸びた背筋に、どこかいけ好かない喋り方。いつもとまるで違う雰囲気といい、康平のことを殆ど見もしない姿は、まるで他人だ。
少しは親しくなったつもりだったし、そもそも協力するという約束だったではないか。康平は喉の奥に溜まる不快感を飲み込むよう、手にしたジンジャーエールを飲み干した。
「ねえ康平くん~」
遊利に気を取られていた康平は、猫目をした女優に甘ったるい声で呼ばれて、ハッと振り向く。いつの間にかテーブルにいる人は入れ代わっていて、残っているのは猫目の女優と元アイドルの女性だけだった。
「なあに~?」
当てにできない上に冷たい遊利のことなど、気にしても仕方ない。それよりも、今は折角のチャンスをものにする方が優先だ。
切り替えるように笑顔を浮かべた康平が返事をすると、元アイドルの女性は柔らかなラインを描くスタイルを惜しみなく晒して、ラメでキラキラとした愛らしい顔立ちを少し康平へ近付けた。嗅ぎなれない、少しスパイシーな香水がふわりと漂って来る。
「佐々原くんとはどこで会ったの~?」
猫目の女優も、手にしたシャンパングラスを軽く康平のグラスに合わせてから首を傾げた。二人とも康平とそう変わりない年に見えるが、メイクなのか髪型なのか服装なのか、大学にいる同級生や先輩よりもずっと貫禄がある。ゴールドに光る腕時計だとか、耳元の宝石が付いた大きなイヤリングのせいかもしれない。
「実はちょっと近所に住んでましてえ。なんか生活圏が重なって……っすね!」
「へえー、同級生とかじゃないんだ」
「あ、オレ今、現役バリバリ大学生です! 彼女いません!」
「あははっ、ヤダ本当に康平くん可愛い。じゃあ君のが年下なのね。そっかあ」
「良いなぁ大学生。楽しそう、色々遊んでるぅ?」
「いやぁ~それなりにっすかね」
二人の美女が目を合わせて、小さく話をする。
こういう時は何か話を振るべきだろうか。康平が考えている間に、二人は同じような赤い唇に笑みを浮かべてながらちらりと周囲を見て、そっと康平の手を左右から取った。赤い爪と黒い爪の手が、そのまま軽く康平を引っ張る。
「え、あ、えっと!」
「ね、ちょっと端っこ行きましょ」
「ひ、ひゃい……」
想像よりも柔らかくはない女性の手の感触、を堪能するよりも前にそう言われて、康平は裏返った声で返事をしながらゴクリと唾を飲んだ。人生で、二人の美女に手を引かれるなんて経験をした奴がどれだけいるだろう。優越感と初めての体験に、康平はただ二人に連れられるがままだった。
明るいパーティーの片隅にあるプティタルトのコーナーは、少し閑散としていた。置かれているトレーも殆ど空っぽだ。一通り甘いものを求める人はもう持って行ってしまい、丁度波が途絶えたところなのだろう。残っているのはイチゴが一つ、チョコが二つ、それ以外にも抹茶だのマンゴーだのみかんだの見たことのない果物だのが点々とあるばかり。甘いものは嫌いじゃないが、無いなら無いで困らない康平としては、プティタルトよりも出来ればローストビーフとか寿司とかお腹に溜まるものの方が嬉しい。あと、出来れば高級ホテルの美味しそうな高級品を食べておきたい。
食べ物に意識を引っ張られている康平に気付いたのか、右手を引っ張っていた元アイドルは、康平からパッと手を離して立ち止まると、未使用の真っ白な皿にひょいひょいとタルトを幾つか乗せてから康平へ突き出した。
「はい。これ」
「あ、えーっと、どもっす」
いらない、とも言えずに、空いた右手でそれを受取ろうとすると、左手を取ったままだった猫目の女優が康平の耳元で囁いた。
「お皿の、裏」
「へ?」
言われた通り、皿の底へ手をまわして受け取ると、底にはかさりと何か紙の感触がある。これは、と思って康平が猫目の女優に顔を向けると、彼女は康平の手から離れた指をにんまりと唇に浮かべた笑みへ添えた。
「内緒ね」
「ふふっ康平くんさ、良かったら今度私たちと遊ぼ?」
「えっ!?」
「しーっ。静かに」
「それ私たちの連絡先。勝手に渡したの知られると怒られちゃうから」
「あ゛……っぉぉ」
連絡先。それ。私たちの。
持たされた白いお皿の裏側に張られた紙の意図を察して、康平は歓喜の悲鳴をあげかけて必死にそれを飲み込んだ。
さっと周囲を確認した猫目の女優がもう、と軽く拗ねたように言う。
「す、すんません、驚いて」
「もう、仕方ないなあ」
慌てふためく康平に、元アイドルはくすくすとまた笑い、康平に渡したタルトのひとつをつまみ上げて康平の口へ押し込んだ。
「良かったら佐々原くんも呼んでさ、四人で……ね」
「絶対、連絡ちょうだいねえ」
康平がムグムグと甘すぎるタルトを租借する間に、二人の美女はそのままテーブルをあとにして去っていく。
揺れる髪と、魅惑的なヒップライン。
呆然とそれを見送りながら、康平は、ゆっくりと渡された白い取り皿から紙を剥がした。書いてあるのはメッセージアプリのIDとメールアドレスのみ。
つまり、これは、逆ナンというやつではないか。
「モテ、きた……」
噛み締めるようにそう呟いて、康平は、スパイシーな香水の残り香のするそれを、見つからないようにジャケットへ入れた。
遊利が康平の近くへ帰ってきたのは、浮かれきった康平があちこちのテーブルからかき集めた高級品をもりもりと食べているところだった。
パーティーも折り返しを過ぎて、早めに辞す人も出てきているし、食事のリザーブも止まっている。
足音も立てず滑るように隣へきた人物を確認し、康平は上機嫌のまま一口サイズのステーキサンドを飲み込んだ。
「おう、お帰り」
「ああ。うん」
もぐもぐと口を動かしながら声を掛けると、遊利は切れ長の目一瞬だけ康平を見下ろすように見てから、素っ気なく視線を逸らした。会場に着いてからの遊利は、そんな態度ばかりだ。
温度のない声色といい、面白くもなさそうな顔でそっけない態度に、浮かれていた康平の機嫌がガクンと急下降した。瞬間的な苛立ちが湧き上がる。
折角美女とお近づきになったところだというのに、気分が悪くなることこの上ない。
連れて来て貰ったということを一度脇に避けて、康平はわざと聞こえるくらい大きく溜息を吐いた。
「はぁー。お前さあ、パーティーでその態度はどうよ」
「……いつもは来てないからね。僕は」
「んじゃあたまに来た時くらい楽しめよ」
「難しいかな。それで、どう? 康平くんはもう満足した?」
「なぁんだその言い方。お前オレの手伝いも……」
壁際に寄った遊利が、軽い咳払いをしながらジャケットスーツの襟元を直す。その声がかさついていて、康平は言い返しかけた口を一度閉じて、もう一度小さく溜め息を吐いた。
「ま、いい感じよ。オレにかかりゃ」
「ああ、そう」
足先を見つめる遊利の目元には少しだけ疲労が滲んでいるように見える。真横に線を引いただけのような口元も、つまらないだけにしては力が入っているように見えて、康平は取り皿の端に置いたままだったイチゴのタルトを摘まんだ。
そのままずい、と遊利の方へ突き出す。
「イチゴタルト。ラスイチ」
「あ……いや、康平くん」
「うるせえなあ、お前が食ったら帰ってやるよ。早よ食え」
緩やかに首を振った遊利へもう一度タルトを突き出さすと、遊利は白い手で渋々受け取った。康平とイチゴタルトを黒い瞳で見比べてから、遊利は諦めたように細い喉を鳴らし、乾いた唇でいただきますと呟いた。
一口。白い歯でタルトを齧る。一口サイズをわざわざ齧るなよ、とは口にせず、康平は手持無沙汰に席を離れようとした。まあ、折角だから水のひとつでも取ってきてやれば、よく分からんが機嫌の悪い遊利もいつものように笑うだろうと思って。
「っ、康平くん」
その場を離れようとした康平のジャケットの裾を、遊利が空いた左手で掴んだ。
「……また捕まるから。行かないで。水は、いいから。食べたら帰るんだろ」
軽くジャケットの裾を引く仕草だけは、普段の通りだった。助けを求めるような弱々しい仕草に、康平の肩に入っていた力が少し抜ける。
「まわり」
「はぁ?」
小声でそう言われ、康平は少し周囲へ目を向けた。見回せば、少し前に康平と話をしていた女性やスタッフたちが、ちらちらと二人の方を見ている。タイミングを窺うような、声をかける機会を求めるような熱を孕んだ視線。康平としてはむしろ手を振ってお話したいくらいだ。
そう言おうとした康平は、もう一度小さく裾を引かれて諦めたように頭を掻いた。
「……ッあー!!! しょーがねえなあ……」
吠えるように康平が言うと、さっと周囲の視線が外れる。
「じゃ、ソレ早く食えよ」
ジャケットの裾から離れた白い手が、残った一口分にも満たないイチゴタルトをもう一度持ち上げる。
少しだけ躊躇った遊利が、それを口にパクリと入れてもごもごと口を動かす。基本的に遊利は食べるのが遅い。丁寧に咀嚼している姿を見ながら、康平は小さく笑って、空になった取り皿をボーイの方へ掲げた。よくできたボーイはすぐ引き取りに来てくれて、何も言わずにその場を離れていく。
「食った?」
「うん。……行こう」
頷いた遊利が、小さく息を吐いてから真っすぐに会場の出入り口の方へと歩いていく。
通りすがり、恐らく事務所の偉い人なのだろう割腹の良い男性と、派手なメイクをした女性に向けて、遊利が頭を下げる。つられて軽く頭を下げてから、康平は遊利の真っ直ぐな背を追った。
その日初めて。康平は遊利の部屋へ行くことを断られた。
翌日、康平は遊利と顔を合わせることなく朝から大学へ向かった。元々、用がなければ朝から顔を合わせるということはなかったので、それほど特別なわけでは勿論ない。ないのだが、昨日パーティーから帰って以来ずっと、遊利は『ちょっと疲れたからごめんね』などと言っているのが少しばかり気にはなる。それでも、鍵を掛けているしインターホンを鳴らしても出てこない以上、康平には何も出来ることはない。
昨日受け取った連絡先の話も出来ないまま、康平は何となくスッキリしない気持ちのまま大学の敷居を跨いだ。
「あ、いた!! ちょっと、ねえ、小山康平!」
「んぇ? なに、オレ? 誰?」
大欠伸をしながら、ゼミ室のある研究棟へ向かっていた康平は、知らない声に呼び止められ、康平はびくりと振り向いた。そこにいたのは、名前も顔も知らない四人組の女子で、きゃあきゃあと笑いながら康平の方へヒールの高い靴でもたもた歩いてきている。
昨日のタレント二人に比べればかなり一般的な、身近な大学生という空気だが、キラキラと着飾ったりふわふわと整えている四人組は、康平には刺激が強かった。
「お、オレにな……なんか用かよ?」
「連絡先、交換しなぁい?」
少し動揺しながら四人組の近付くのを待てば、四人の内一番長いピンクのスカートを履いた巻き毛の子が、ふわふわとした砂糖菓子のようなカバンからスマホを取り出して康平へ差し出した。ピンクの唇をきゅうっとアヒル口に持ち上げて康平のリアクションを待つ女子は、近くで見てもよく知らない子だ。
「ええ~オレと? 良いのお? キミら同じ学科だっけ?」
「学部は一緒ぉ。国際学部コミュ学科」
「カホは確か一般教養が小山君と一緒だよねえ」
「うん。カホのこと見憶えなぁい?」
「こーんな可愛い子近くにいたら絶対覚えてるんだけどなあ~!」
ピンクのスカートの子はカホというらしい。一般教養のなんの講義にいただろう。ちょっと考え込みながらも、康平はスマホを取り出して、カホのスマホに移るQRコードを読み取った。
学部が同じだというのなら、まあ講義が重なることもないわけではない。それに、折角女子から連絡先を聞かれたのに答えないという選択肢は、康平の中にはなかった。
「ありがとー! ね、折角だから今度、カホたちと康平くんと、親睦会とかしようよ」
「なんかさ、うちら四人と康平くんとその友達と、四対四で飲み会とかあ、どうかなあって」
「暇な日とか教えてもろてぇ」
「おお、やるやる! オレはもう、全然っ、いつでも!」
食い気味に康平が頷くと、一瞬だけ甘いメイクをしたカホがじっと康平を見た。それからパッとふんわりとした雰囲気で微笑むと、手早くスマホを弄る。ぴこん、と康平のスマホがメッセージの到着を知らせた。
「じゃあ~、早いけど金曜日とかぁ」
「オッケー!」
「お店カホたちが予約するから宜しくねぇ」
「よろしくう」
言うだけ言って、来た時と同じく、きゃあきゃあと騒がしく四人組が去っていく。
カホから届いていたのは、女の子らしい何かのゆるキャラのスタンプだった。ヨロシクと書いてあるそれに、女子ウケを狙って買っておいたスタンプで返事して、康平はスキップしながら研究棟のエレベーターへ乗り込んだ。
「というわけで合コンお前来い」
ゼミ室で待ち合わせていた丹辺に会うなり、康平は先ほどのことを丸っと報告し力強くそう言った。
「はぁ? あのなお前、俺は彼女がいるんだが」
「だからに決まってるだろ。お前彼女持ち、オレ彼女いない。つまりオレの勝率が上がる、オレの勝ち」
一応彼女たちは合コンとは言わなかったが、四対四でとわざわざ言い加えたということはそう言うことだ。少なくとも康平の中ではそう決まっている。鼻息荒く力説すると、丹辺が呆れたように肩を竦めてみせた。
部屋ではガーガーと、康平が休んでいた火曜日とその前の講義のコピーが生み出されている。
「んじゃ巫はもういいわけ?」
「いや? まだ合コンで付き合うって決まってねーし。ちょっとお姉様方とのおデートもあるし。誰かと付き合うってなったらそれはもうそれ一筋だけど、まだフリーだもーん」
「お前ねそういうところが……」
呆れた調子でコピーを続ける丹辺の声は聞こえないふりをして、康平はさっき買ったばかりの缶コーヒーを丹辺へ手渡した。
「はいコピー代」
「コピー代には少ないから伝言代として受け取ってやる。巫が、お前に話があるからって言ってたぞ」
「あ?! いつどこで?!」
カコと蓋を開けながら丹辺に言われて、康平は座ろうとしていた椅子からガタガタと立ち上がった。立て付けの悪いパイプ椅子が、派手な金属音を響かせる。
「さっき。カフェテリアで」
「マジ? え、ちょ、ちょちょちょっといってくる」
スタミナ弁当買ってきて、と要求する丹辺の声もそこそこに、康平は部屋を飛び出した。
エレベーターから鉄砲玉のように飛び出して、カフェテリアへ向かうと、幸いにもまだ巫はそこにいた。いつもの友人たちと一緒にノートとテキストを広げている姿は、良く目立つ。
どたどたと走ってきた康平に気付いたのは巫ではなく隣に座っていた友人の方で、カフェテリアの窓に張り付くように探していた康平を見て、一瞬眉を顰めてみせた。
その子に肩を叩かれて振り返った巫が、康平を見ると一度スマホを確認し、そのまま席を立つ。コツコツと靴音を立てながら早歩きにカフェテリアを出る巫の表情は、いつもよりも少し緊張しているようだった。
「おはよう」
「オハヨ。オレに話……って聞いて、さ」
告白だろうか。告白だったら合コンは断ろう。
さっさっと髪を直しながら、康平は期待を込めて巫の様子を伺う。今日の巫は、少し可愛い。頬がいつもより薄ピンクだったり、緩いウェーブのヘアを可愛くまとめていたり、落ち着かなそうに視線をさ迷わせていたり、考え事をするように口元へ指をあてていたり。
これは本当に告白なのではないか。
ごくりと唾を飲んだ康平に、野次馬を目で威圧した巫が一歩近付いた。おお、と歓声が沸き上がる。
「あの、小山……その、ちょっと聞きたいことがあるのよ」
「う、うんっ」
「でもここだと、その、マズイでしょ。だから、今度二人きりで会えない……? できれば密室で」
「……い、イイヨォ?!」
なんて大胆なお誘いなのか。裏返ったどころじゃすまない甲高い声で返答をして、康平はぎゅうっと胸を押さえた。バクバクと高鳴る胸の音が外まで聞こえる気がしてしまう。ごきゅうっと野次馬にも聞こえそうな音で唾を飲むと、康平はそのままよろよろとよろめいてふっと魂が抜け出たように安らかな顔をした。
これは勝った。念願の彼女が出来るに違いない。
「え、ちょっと大丈夫アンタ……」
「オレはいつでもオールオッケーです。巫ちゃん、それじゃあ……今日の講義後とか、駅前……いやオレの家……どう?」
「い、良いけど」
ドッ。勢いよく膝を着いた康平が拳を挙げる。びくりと巫はそれに一歩退いて、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「……アタシ四限までだから。その後ここに、いるわ」
「お迎えに……あがります……」
「あのさ……。ま、まあいいわ。じゃあ、後で」
ざわざわと野次馬が増えていく。怪訝そうなその視線の山を感じたのか、何か訂正しようとしていた口を閉ざして、巫は逃げるようにカフェテリアの中へ戻っていってしまった。カフェテリアの中がざわつく。外の野次馬もざわつく。
野次馬達の中心で取り残された康平は、そのままぬるりと立ち上がると、ポケットから取り出したスマホを満面の笑みで捜査した。『本格的にモテ期が来た。我が世の春すごいやばい』そう入力したメッセージを遊利へ送り、康平はその笑みで野次馬を見詰めてから、ふわふわとした足取りで研究棟へと踵を返す。
遊利にはお礼をしてやらねばならない。きっとアイツも喜ぶだろう。機嫌も直るだろう。
何気なくそう考えた康平は、研究棟までの道で漫画のように一度びょんと跳ねた。
「佐々原くん、こういうパーティー来てもクールだけど、プライベートもそんな感じ?」
「キミ、歳はいくつ?」
「若い子じゃ、おばさんのことなんて知らないかしら?」
「う、うっす」
「あはは、さては緊張してるぅ?」
「へ、へへへ。いやー綺麗な人ばっかなもんで」
「え~そう? あはは、なんか遊利くんと随分違うねえ」
テレビや映画でよく見る元アイドル、最近売り出し中の猫目の女優、いつもCMで見るタレント、昔から顔の変わらない気がするベテランに囲まれて、康平は唾を飲みながらデレデレと頭を掻いた。
火曜日のお昼すぎ。買ったばかりのジャケットとインナーを着て、前日に急いで丹辺から借りたスラックスを履いた康平は、遊利と共に都内にある高級ホテルのティーラウンジにいた。
遊利は軽いお茶会みたいなものと言っていたが、実際は事務所が主催する小規模な立食パーティーだったらしい。貸し切りで三時間、タレントは自由参加、同行者は一人まで可。本格的なパーティーでも重要な集まりでもない単なる親睦会らしく、康平のように芸能関係者ではなさそうな人もちらほら見えた。
それでも思っていたような“お茶会”ではなくて、パーティーが始まる前、康平は遊利に文句半分助けを求めようとした。だが、遊利は『会場内では自力で、頑張って』と素っ気なく言い残して一人でさっさと挨拶周りへ向かってしまった。
「おお、珍しいじゃないか。佐々原遊利くん」
「牛窪さん。いつもお世話になっています。先日、ドラマ拝見しましたよ」
「ははは、ありがとう。お父上はお元気かな」
「お陰様でとても。先月、右藤さんとご一緒したとか」
「まあ、遊利くんも来てくれてたの。てっきりお休み中だから来ないかと思ってたわ」
「お騒がせしていて申し訳ありません」
「忙しくないから逆に来れたのよねえ。随分売れっ子だもの」
今も遊利は離れたテーブルで、年嵩のタレントや事務所の関係者に囲まれている。貼り付けたように硬い口元と澄ました目元、隙なく伸びた背筋に、どこかいけ好かない喋り方。いつもとまるで違う雰囲気といい、康平のことを殆ど見もしない姿は、まるで他人だ。
少しは親しくなったつもりだったし、そもそも協力するという約束だったではないか。康平は喉の奥に溜まる不快感を飲み込むよう、手にしたジンジャーエールを飲み干した。
「ねえ康平くん~」
遊利に気を取られていた康平は、猫目をした女優に甘ったるい声で呼ばれて、ハッと振り向く。いつの間にかテーブルにいる人は入れ代わっていて、残っているのは猫目の女優と元アイドルの女性だけだった。
「なあに~?」
当てにできない上に冷たい遊利のことなど、気にしても仕方ない。それよりも、今は折角のチャンスをものにする方が優先だ。
切り替えるように笑顔を浮かべた康平が返事をすると、元アイドルの女性は柔らかなラインを描くスタイルを惜しみなく晒して、ラメでキラキラとした愛らしい顔立ちを少し康平へ近付けた。嗅ぎなれない、少しスパイシーな香水がふわりと漂って来る。
「佐々原くんとはどこで会ったの~?」
猫目の女優も、手にしたシャンパングラスを軽く康平のグラスに合わせてから首を傾げた。二人とも康平とそう変わりない年に見えるが、メイクなのか髪型なのか服装なのか、大学にいる同級生や先輩よりもずっと貫禄がある。ゴールドに光る腕時計だとか、耳元の宝石が付いた大きなイヤリングのせいかもしれない。
「実はちょっと近所に住んでましてえ。なんか生活圏が重なって……っすね!」
「へえー、同級生とかじゃないんだ」
「あ、オレ今、現役バリバリ大学生です! 彼女いません!」
「あははっ、ヤダ本当に康平くん可愛い。じゃあ君のが年下なのね。そっかあ」
「良いなぁ大学生。楽しそう、色々遊んでるぅ?」
「いやぁ~それなりにっすかね」
二人の美女が目を合わせて、小さく話をする。
こういう時は何か話を振るべきだろうか。康平が考えている間に、二人は同じような赤い唇に笑みを浮かべてながらちらりと周囲を見て、そっと康平の手を左右から取った。赤い爪と黒い爪の手が、そのまま軽く康平を引っ張る。
「え、あ、えっと!」
「ね、ちょっと端っこ行きましょ」
「ひ、ひゃい……」
想像よりも柔らかくはない女性の手の感触、を堪能するよりも前にそう言われて、康平は裏返った声で返事をしながらゴクリと唾を飲んだ。人生で、二人の美女に手を引かれるなんて経験をした奴がどれだけいるだろう。優越感と初めての体験に、康平はただ二人に連れられるがままだった。
明るいパーティーの片隅にあるプティタルトのコーナーは、少し閑散としていた。置かれているトレーも殆ど空っぽだ。一通り甘いものを求める人はもう持って行ってしまい、丁度波が途絶えたところなのだろう。残っているのはイチゴが一つ、チョコが二つ、それ以外にも抹茶だのマンゴーだのみかんだの見たことのない果物だのが点々とあるばかり。甘いものは嫌いじゃないが、無いなら無いで困らない康平としては、プティタルトよりも出来ればローストビーフとか寿司とかお腹に溜まるものの方が嬉しい。あと、出来れば高級ホテルの美味しそうな高級品を食べておきたい。
食べ物に意識を引っ張られている康平に気付いたのか、右手を引っ張っていた元アイドルは、康平からパッと手を離して立ち止まると、未使用の真っ白な皿にひょいひょいとタルトを幾つか乗せてから康平へ突き出した。
「はい。これ」
「あ、えーっと、どもっす」
いらない、とも言えずに、空いた右手でそれを受取ろうとすると、左手を取ったままだった猫目の女優が康平の耳元で囁いた。
「お皿の、裏」
「へ?」
言われた通り、皿の底へ手をまわして受け取ると、底にはかさりと何か紙の感触がある。これは、と思って康平が猫目の女優に顔を向けると、彼女は康平の手から離れた指をにんまりと唇に浮かべた笑みへ添えた。
「内緒ね」
「ふふっ康平くんさ、良かったら今度私たちと遊ぼ?」
「えっ!?」
「しーっ。静かに」
「それ私たちの連絡先。勝手に渡したの知られると怒られちゃうから」
「あ゛……っぉぉ」
連絡先。それ。私たちの。
持たされた白いお皿の裏側に張られた紙の意図を察して、康平は歓喜の悲鳴をあげかけて必死にそれを飲み込んだ。
さっと周囲を確認した猫目の女優がもう、と軽く拗ねたように言う。
「す、すんません、驚いて」
「もう、仕方ないなあ」
慌てふためく康平に、元アイドルはくすくすとまた笑い、康平に渡したタルトのひとつをつまみ上げて康平の口へ押し込んだ。
「良かったら佐々原くんも呼んでさ、四人で……ね」
「絶対、連絡ちょうだいねえ」
康平がムグムグと甘すぎるタルトを租借する間に、二人の美女はそのままテーブルをあとにして去っていく。
揺れる髪と、魅惑的なヒップライン。
呆然とそれを見送りながら、康平は、ゆっくりと渡された白い取り皿から紙を剥がした。書いてあるのはメッセージアプリのIDとメールアドレスのみ。
つまり、これは、逆ナンというやつではないか。
「モテ、きた……」
噛み締めるようにそう呟いて、康平は、スパイシーな香水の残り香のするそれを、見つからないようにジャケットへ入れた。
遊利が康平の近くへ帰ってきたのは、浮かれきった康平があちこちのテーブルからかき集めた高級品をもりもりと食べているところだった。
パーティーも折り返しを過ぎて、早めに辞す人も出てきているし、食事のリザーブも止まっている。
足音も立てず滑るように隣へきた人物を確認し、康平は上機嫌のまま一口サイズのステーキサンドを飲み込んだ。
「おう、お帰り」
「ああ。うん」
もぐもぐと口を動かしながら声を掛けると、遊利は切れ長の目一瞬だけ康平を見下ろすように見てから、素っ気なく視線を逸らした。会場に着いてからの遊利は、そんな態度ばかりだ。
温度のない声色といい、面白くもなさそうな顔でそっけない態度に、浮かれていた康平の機嫌がガクンと急下降した。瞬間的な苛立ちが湧き上がる。
折角美女とお近づきになったところだというのに、気分が悪くなることこの上ない。
連れて来て貰ったということを一度脇に避けて、康平はわざと聞こえるくらい大きく溜息を吐いた。
「はぁー。お前さあ、パーティーでその態度はどうよ」
「……いつもは来てないからね。僕は」
「んじゃあたまに来た時くらい楽しめよ」
「難しいかな。それで、どう? 康平くんはもう満足した?」
「なぁんだその言い方。お前オレの手伝いも……」
壁際に寄った遊利が、軽い咳払いをしながらジャケットスーツの襟元を直す。その声がかさついていて、康平は言い返しかけた口を一度閉じて、もう一度小さく溜め息を吐いた。
「ま、いい感じよ。オレにかかりゃ」
「ああ、そう」
足先を見つめる遊利の目元には少しだけ疲労が滲んでいるように見える。真横に線を引いただけのような口元も、つまらないだけにしては力が入っているように見えて、康平は取り皿の端に置いたままだったイチゴのタルトを摘まんだ。
そのままずい、と遊利の方へ突き出す。
「イチゴタルト。ラスイチ」
「あ……いや、康平くん」
「うるせえなあ、お前が食ったら帰ってやるよ。早よ食え」
緩やかに首を振った遊利へもう一度タルトを突き出さすと、遊利は白い手で渋々受け取った。康平とイチゴタルトを黒い瞳で見比べてから、遊利は諦めたように細い喉を鳴らし、乾いた唇でいただきますと呟いた。
一口。白い歯でタルトを齧る。一口サイズをわざわざ齧るなよ、とは口にせず、康平は手持無沙汰に席を離れようとした。まあ、折角だから水のひとつでも取ってきてやれば、よく分からんが機嫌の悪い遊利もいつものように笑うだろうと思って。
「っ、康平くん」
その場を離れようとした康平のジャケットの裾を、遊利が空いた左手で掴んだ。
「……また捕まるから。行かないで。水は、いいから。食べたら帰るんだろ」
軽くジャケットの裾を引く仕草だけは、普段の通りだった。助けを求めるような弱々しい仕草に、康平の肩に入っていた力が少し抜ける。
「まわり」
「はぁ?」
小声でそう言われ、康平は少し周囲へ目を向けた。見回せば、少し前に康平と話をしていた女性やスタッフたちが、ちらちらと二人の方を見ている。タイミングを窺うような、声をかける機会を求めるような熱を孕んだ視線。康平としてはむしろ手を振ってお話したいくらいだ。
そう言おうとした康平は、もう一度小さく裾を引かれて諦めたように頭を掻いた。
「……ッあー!!! しょーがねえなあ……」
吠えるように康平が言うと、さっと周囲の視線が外れる。
「じゃ、ソレ早く食えよ」
ジャケットの裾から離れた白い手が、残った一口分にも満たないイチゴタルトをもう一度持ち上げる。
少しだけ躊躇った遊利が、それを口にパクリと入れてもごもごと口を動かす。基本的に遊利は食べるのが遅い。丁寧に咀嚼している姿を見ながら、康平は小さく笑って、空になった取り皿をボーイの方へ掲げた。よくできたボーイはすぐ引き取りに来てくれて、何も言わずにその場を離れていく。
「食った?」
「うん。……行こう」
頷いた遊利が、小さく息を吐いてから真っすぐに会場の出入り口の方へと歩いていく。
通りすがり、恐らく事務所の偉い人なのだろう割腹の良い男性と、派手なメイクをした女性に向けて、遊利が頭を下げる。つられて軽く頭を下げてから、康平は遊利の真っ直ぐな背を追った。
その日初めて。康平は遊利の部屋へ行くことを断られた。
翌日、康平は遊利と顔を合わせることなく朝から大学へ向かった。元々、用がなければ朝から顔を合わせるということはなかったので、それほど特別なわけでは勿論ない。ないのだが、昨日パーティーから帰って以来ずっと、遊利は『ちょっと疲れたからごめんね』などと言っているのが少しばかり気にはなる。それでも、鍵を掛けているしインターホンを鳴らしても出てこない以上、康平には何も出来ることはない。
昨日受け取った連絡先の話も出来ないまま、康平は何となくスッキリしない気持ちのまま大学の敷居を跨いだ。
「あ、いた!! ちょっと、ねえ、小山康平!」
「んぇ? なに、オレ? 誰?」
大欠伸をしながら、ゼミ室のある研究棟へ向かっていた康平は、知らない声に呼び止められ、康平はびくりと振り向いた。そこにいたのは、名前も顔も知らない四人組の女子で、きゃあきゃあと笑いながら康平の方へヒールの高い靴でもたもた歩いてきている。
昨日のタレント二人に比べればかなり一般的な、身近な大学生という空気だが、キラキラと着飾ったりふわふわと整えている四人組は、康平には刺激が強かった。
「お、オレにな……なんか用かよ?」
「連絡先、交換しなぁい?」
少し動揺しながら四人組の近付くのを待てば、四人の内一番長いピンクのスカートを履いた巻き毛の子が、ふわふわとした砂糖菓子のようなカバンからスマホを取り出して康平へ差し出した。ピンクの唇をきゅうっとアヒル口に持ち上げて康平のリアクションを待つ女子は、近くで見てもよく知らない子だ。
「ええ~オレと? 良いのお? キミら同じ学科だっけ?」
「学部は一緒ぉ。国際学部コミュ学科」
「カホは確か一般教養が小山君と一緒だよねえ」
「うん。カホのこと見憶えなぁい?」
「こーんな可愛い子近くにいたら絶対覚えてるんだけどなあ~!」
ピンクのスカートの子はカホというらしい。一般教養のなんの講義にいただろう。ちょっと考え込みながらも、康平はスマホを取り出して、カホのスマホに移るQRコードを読み取った。
学部が同じだというのなら、まあ講義が重なることもないわけではない。それに、折角女子から連絡先を聞かれたのに答えないという選択肢は、康平の中にはなかった。
「ありがとー! ね、折角だから今度、カホたちと康平くんと、親睦会とかしようよ」
「なんかさ、うちら四人と康平くんとその友達と、四対四で飲み会とかあ、どうかなあって」
「暇な日とか教えてもろてぇ」
「おお、やるやる! オレはもう、全然っ、いつでも!」
食い気味に康平が頷くと、一瞬だけ甘いメイクをしたカホがじっと康平を見た。それからパッとふんわりとした雰囲気で微笑むと、手早くスマホを弄る。ぴこん、と康平のスマホがメッセージの到着を知らせた。
「じゃあ~、早いけど金曜日とかぁ」
「オッケー!」
「お店カホたちが予約するから宜しくねぇ」
「よろしくう」
言うだけ言って、来た時と同じく、きゃあきゃあと騒がしく四人組が去っていく。
カホから届いていたのは、女の子らしい何かのゆるキャラのスタンプだった。ヨロシクと書いてあるそれに、女子ウケを狙って買っておいたスタンプで返事して、康平はスキップしながら研究棟のエレベーターへ乗り込んだ。
「というわけで合コンお前来い」
ゼミ室で待ち合わせていた丹辺に会うなり、康平は先ほどのことを丸っと報告し力強くそう言った。
「はぁ? あのなお前、俺は彼女がいるんだが」
「だからに決まってるだろ。お前彼女持ち、オレ彼女いない。つまりオレの勝率が上がる、オレの勝ち」
一応彼女たちは合コンとは言わなかったが、四対四でとわざわざ言い加えたということはそう言うことだ。少なくとも康平の中ではそう決まっている。鼻息荒く力説すると、丹辺が呆れたように肩を竦めてみせた。
部屋ではガーガーと、康平が休んでいた火曜日とその前の講義のコピーが生み出されている。
「んじゃ巫はもういいわけ?」
「いや? まだ合コンで付き合うって決まってねーし。ちょっとお姉様方とのおデートもあるし。誰かと付き合うってなったらそれはもうそれ一筋だけど、まだフリーだもーん」
「お前ねそういうところが……」
呆れた調子でコピーを続ける丹辺の声は聞こえないふりをして、康平はさっき買ったばかりの缶コーヒーを丹辺へ手渡した。
「はいコピー代」
「コピー代には少ないから伝言代として受け取ってやる。巫が、お前に話があるからって言ってたぞ」
「あ?! いつどこで?!」
カコと蓋を開けながら丹辺に言われて、康平は座ろうとしていた椅子からガタガタと立ち上がった。立て付けの悪いパイプ椅子が、派手な金属音を響かせる。
「さっき。カフェテリアで」
「マジ? え、ちょ、ちょちょちょっといってくる」
スタミナ弁当買ってきて、と要求する丹辺の声もそこそこに、康平は部屋を飛び出した。
エレベーターから鉄砲玉のように飛び出して、カフェテリアへ向かうと、幸いにもまだ巫はそこにいた。いつもの友人たちと一緒にノートとテキストを広げている姿は、良く目立つ。
どたどたと走ってきた康平に気付いたのは巫ではなく隣に座っていた友人の方で、カフェテリアの窓に張り付くように探していた康平を見て、一瞬眉を顰めてみせた。
その子に肩を叩かれて振り返った巫が、康平を見ると一度スマホを確認し、そのまま席を立つ。コツコツと靴音を立てながら早歩きにカフェテリアを出る巫の表情は、いつもよりも少し緊張しているようだった。
「おはよう」
「オハヨ。オレに話……って聞いて、さ」
告白だろうか。告白だったら合コンは断ろう。
さっさっと髪を直しながら、康平は期待を込めて巫の様子を伺う。今日の巫は、少し可愛い。頬がいつもより薄ピンクだったり、緩いウェーブのヘアを可愛くまとめていたり、落ち着かなそうに視線をさ迷わせていたり、考え事をするように口元へ指をあてていたり。
これは本当に告白なのではないか。
ごくりと唾を飲んだ康平に、野次馬を目で威圧した巫が一歩近付いた。おお、と歓声が沸き上がる。
「あの、小山……その、ちょっと聞きたいことがあるのよ」
「う、うんっ」
「でもここだと、その、マズイでしょ。だから、今度二人きりで会えない……? できれば密室で」
「……い、イイヨォ?!」
なんて大胆なお誘いなのか。裏返ったどころじゃすまない甲高い声で返答をして、康平はぎゅうっと胸を押さえた。バクバクと高鳴る胸の音が外まで聞こえる気がしてしまう。ごきゅうっと野次馬にも聞こえそうな音で唾を飲むと、康平はそのままよろよろとよろめいてふっと魂が抜け出たように安らかな顔をした。
これは勝った。念願の彼女が出来るに違いない。
「え、ちょっと大丈夫アンタ……」
「オレはいつでもオールオッケーです。巫ちゃん、それじゃあ……今日の講義後とか、駅前……いやオレの家……どう?」
「い、良いけど」
ドッ。勢いよく膝を着いた康平が拳を挙げる。びくりと巫はそれに一歩退いて、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「……アタシ四限までだから。その後ここに、いるわ」
「お迎えに……あがります……」
「あのさ……。ま、まあいいわ。じゃあ、後で」
ざわざわと野次馬が増えていく。怪訝そうなその視線の山を感じたのか、何か訂正しようとしていた口を閉ざして、巫は逃げるようにカフェテリアの中へ戻っていってしまった。カフェテリアの中がざわつく。外の野次馬もざわつく。
野次馬達の中心で取り残された康平は、そのままぬるりと立ち上がると、ポケットから取り出したスマホを満面の笑みで捜査した。『本格的にモテ期が来た。我が世の春すごいやばい』そう入力したメッセージを遊利へ送り、康平はその笑みで野次馬を見詰めてから、ふわふわとした足取りで研究棟へと踵を返す。
遊利にはお礼をしてやらねばならない。きっとアイツも喜ぶだろう。機嫌も直るだろう。
何気なくそう考えた康平は、研究棟までの道で漫画のように一度びょんと跳ねた。
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