隣人の美少女は、オレの嫌いな俳優だった

百山緑風

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01.小山康平という男

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 天気が良すぎて、最悪の気分が増す。暑すぎず、寒くもなく、穏やかな昼下がり。大学生特有の長い夏休みが明けた、なんてことのない平日。太陽が眩しく、夏の名残を孕んだ青空が冴えた色をしていて、ゆっくりと雲が流れていく。ぽかぽかと音が聞こえてくる、まさに絵に描いたような良い天気だ。
 ソファに仰向けに寝転がった小山康平こやま こうへいは、その心地よい日差しを泣き腫らして厚ぼったい目で睨みつけた。
「なぁんでオレがこんな悲しんでんのに、晴天快晴が続いてんだよ! 天気の馬鹿やろう! 腹立つ!」
 理屈の通らない言いがかりを叫んでから、康平がソファからだらりと手足を投げ出す。女子ウケを期待したガラステーブルには空になったカップ麺とタッパー、乾いたコップと、転がるパック酒に空き缶が混沌と積まれている。カーペットには、まだ見る気になれなかったお気に入りの恋愛映画のブルーレイディスクが落ちている。
 大学もゴミ捨ても買い物もサボって、もうかれこれ一週間。康平は、自宅マンションに拗ねるようにして引き籠っていた。
 投げ出した手足を縮めて丸くなってから、康平があああーと気の抜けた声を吐き出しながら、ぐしゃぐしゃの顔を更にしわくちゃにする。
 一週間前のこと、康平は大学に入学した当初から片思いをしていた女子に、フラれた。講堂での講義を終えた直後。まだ教授すら残っているような状況で。

 『アンタのこと好みじゃないんだよね。それにアタシ、佐々原遊利ささはら ゆうりくんの追っかけしてて忙しいから』
 ちょっとした会話の弾みで、オレとかどう?なんて、冗談めかして言った康平に対して、学科のマドンナである巫咲耶かんなぎ さくやは、きっぱりそう言った。
 大学に入学してから三年間、康平はずっと巫に熱を上げていた。美人でスタイルが良くて、読モもしていて、色っぽくてフットワークが軽くて、おまけに金持ち。そんな“彼女が欲しい”と思う康平の理想を詰め込んだような巫のことを三年間追っかけて、最近ではなんとか名前を覚えて貰い、隣の席で声を掛けても避けられなくなった矢先だった。
 ざわざわとした講堂の中で、巫のハッキリした言葉はそれなりの範囲に響いたらしい。康平の隣にいた友人のみならず、周囲から憐れみの眼差しが突き刺さる。前の前の席に座って荷物を纏めていた、名前も知らない地味な同学年の男すら、康平をちらりと振り向いて目を逸らした。
『冗談で流せそうな言い方して逃げてんのもアタシの好みじゃないわ。悪いけど』
 うわ、と隣の友人が声を上げる。んん、と咳き込むような笑うような声が背後からする。
 ガラガラと三年間のアプローチが崩れ落ちた感覚で、康平は気が付けば大学ではなく一人暮らしのマンションで、布団の中に入ったまま落ち込んで。
 そうして、一週間が過ぎていた。

 現場で隣にいた友人の丹辺からは、『マドンナにフラれた男よ、大丈夫か?』とデリカシーの欠片もない連絡が来ているが、そんなもの大丈夫じゃないに決まっている。そもそも、康平が大学をサボっているのも、毎日必ず一コマは巫と同じ講義を取っていたからだ。大学へ出席すれば、顔を合わせるのは必然。今はそれすらも辛かった。
 それだけではなく、マドンナに正式な告白をするより前にフラれた男、とかそういう噂がお喋りの丹辺から出回っているに違いないのだ。友達と騒ぎながら、ドンマイ気にすんなあれは高嶺の花だって、飲んで忘れようぜ、明るく生きよう笑い話だ、なんて言われて飲み込めるほど、康平は鋼の心ではない。
 友達にも、巫にも、会いたくない。夏休みと同時にバイトを辞めたことを少し後悔すらしている。
 床に落として、もとい置いていたスマホがブーブーと振動する。どうせ丹辺だろう、と手を伸ばして拾い上げると、案の定丹辺からのメッセージだった。生存確認と今日もサボりかの確認。それにスタンプだけで返事をして、康平はブスくれた顔のまま、開きっぱなしのウェブサイトにもう一度目を落とした。
 サイトには、一人の若手俳優が気取った顔で載っている。
『今人気の若手俳優、佐々原遊利とは? 学歴や彼女、家族について調べました!』
 よくある定型文が躍る。
 フラれた翌日、康平が起きてから最初にしたことは、巫が夢中になっているという佐々原遊利について調べることだった。
 最近流行の若手俳優。整った鼻筋と、切れ長の目。生意気そうに尖った唇と、何故かちらりと覗く赤い舌。幾分か小柄なものの、すらりと伸びた手足。年齢は二十六歳。私立大学卒、恋人やスキャンダルの話はまだなし、父親は硬派な時代劇役者。最近放送した連続ドラマで新米教師役を演じて、SNSで話題。そして、その記事によれば今最も旬な女性人気の若手俳優。
「……ちょっと顔が良いだけだよなあ!」
 誰に聞かせるでもなくそう叫んでから、康平はスマホをカーペットに控え目な力で投げつけた。ぼすんと音を立てて軽く跳ねたスマホが、静かに毛足の長いカーペットに転がる。
 巫がこの俳優の追っかけでなければ、いやこの佐々原遊利がドラマの新米教師役で話題にならなければ、むしろ彼女がいる……のは悔しいからスキャンダルで炎上でもしていれば良かったのに。そうしたらオレにだってワンチャンあったのではないか。
「ちくしょう! 炎上しろ佐々原遊利!!」
 八つ当たり、もしくは責任転嫁にそう喚いてから、康平はソファクッションに顔を埋めて、苛立ち紛れにもう一度ちくしょうと叫んだ。
 彼女いない歴五年。高校時代に一度だけできた彼女との交際期間は一か月。その他、告白する度フラれ続けた男、小山康平。彼の夢は、可愛くて美人でセクシーな彼女を作ることだった。
「オレの彼女チャンスがぁ……」
 暫くクッションに顔を埋め、未練がましく叫び散らしていると、康平の腹がぐぅぐぅと悲鳴を上げた。怒りというものはエネルギーを使う。時間も丁度昼時であるのを確認して、康平はムクリとソファから起き上がる。
「いい加減、飯にすっかぁ」
 どんなに落ち込んでも飯は食え。そう育てられた康平は、食事に怒りを引き摺らないようにしている。
 切り替えるべく一人で声を上げて、康平はぺたぺたと足音を立てながら小ぢんまりしたキッチンへと向かった。
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