金の右手は初恋に触れる

葉咲透織

文字の大きさ
上 下
18 / 21

18

しおりを挟む
 アンジェロとミランダを救って一件落着、とはいかなかった。
 
 伝説の白き泉は、彼らの呪いや病、傷を治してはくれたけれど、その後の件については、一切役に立たなかったのである。

 つまり、濡れ鼠のまま、気温の下がった真夜中に森を歩いたせいで、タビオも含めて全員がひどい風邪を引いた。

「まったく、もう少し考えてから行くべきだったな」

 エドアルドは苦言を呈しつつも、役に立てることがあったと、どこか嬉しそうでもあった。留守番させられていた不満を解消すべく、甲斐甲斐しくユリウスの世話を焼こうとしては、周りに止められていた。

 世間知らずの王子様による看病は、二度手間になってしまう。

 若さおよび基礎体力のある男連中、それからミランダも回復する中、最後まで床についていたのはユリウスであった。アンジェロを金に変えてしまってから、精神的にも追い詰められていたせいもあるだろう。

 全員が回復して、普通に過ごすことができるようになった頃、ディオンたちが帰国することになった。いつまでも森にいては、ディオンが騎士団を首になってしまう。

「まあ、俺ほどの騎士はいないから、ある程度無理はきくんだが」

 などとうそぶいて、妹と甥っ子に窘められていた。

 ユリウスは、ミランダ母子との別れを名残惜しく噛みしめた。特にタビオとは、長きにわたって二人暮らしだったから、殊更だ。

 少年は、うっすらと涙を浮かべつつも、

「ちゃんとご飯食べて、寝るんだよ。僕がいなくなっても、ちゃんと生活しなきゃだめだよ」

 と、笑った。

 そんな三人を見送り、元気になったんだから帰れと兄を追い出したユリウスは、改めてアンジェロと向かい合った。二人きりになるのはずいぶんと久しぶりで、思い返せば、酒を飲んだ夜以来ではないかと思った。

 ユリウスはアンジェロを誘い、森へと出かけた。

「病み上がりなんだから」

 本格的に冬が近づき、寒い。アンジェロは、普段あまりすることのない襟巻きをユリウスの首に巻きつける。チクチクするから嫌いなのに、と言っても無視されたので、ユリウスは仕方なく、そのままにした。

 先導するのはユリウスだった。最初はただの散歩だと思ってついてきたアンジェロだが、やがてこのまま行くと、あの場所に辿り着くのだと気づき、顔色を変えた。

「ユリウス」

 行きたくないのだろう。けれど、あの日ろくにできなかった謝罪を、やり直したかった。懺悔をするには、この場所しか考えられなかった。自己満足なのはわかっていても、ユリウスは「行こう」と、進み続けた。

 もう、道端には花は咲いていない。代わりに、赤い実だけが残る木の枝を折った。

 ルイザが眠り続ける崖に辿り着いた。アンジェロの顔色が、心なしか青い。ユリウスは彼の背を撫でてから、崖に近づく。そして枝を放り、彼女に手向けた。

「どんな人間であっても、私が勝手に金に変えることは許されていない」

 ルイザは醜悪な人間だったが、それでも、母親と子どもを生き別れにさせたのは、やり過ぎだった。ユリウスは頭を下げ、アンジェロに許しを請う。

「ルイザの話をしたあと、しばらくお前が来なくなったのも、当たり前だ。本当に、すまなかった。今は不可能だが、いずれ彼女を崖から引き上げて、元に戻さなければならないと思っている」

 ディオンやエドアルドたちの知恵と力を借りれば、そう遠くない日、アンジェロと母の再会が望めるだろう。ミランダとタビオの再会を、彼が温かい目で見守っていたのを、ユリウスは知っている。

 そこにうらやましい気持ちがないとは、言い切れないだろう。

 記憶にほとんど残っていないとはいえ、やはり母親というものは特別なのだ。ユリウスだって、早く王妃を元に戻したいと思っている。アンジェロだけが、母と再会できないのは不公平だ。

「顔上げてよ、ユリウス」

 その言葉に従って、ゆっくりと顔を上げると、アンジェロが至近距離から覗き込んでいた。

 優しい、何もかもを許すような表情に、ユリウスは呆けて口を開けた。彼はその唇に人差し指をあてると、「ユリウスが気に病む必要は、まるでないんだ」と言う。

「おれ、確かにショックだったよ。母親の話を聞いたとき」

 再び俯いたユリウスに、「だから違うんだって」と、アンジェロは慌てて言う。

「おれがショックを受けたのは、自分の薄情さに対してだ」

 ユリウスの告白を受けても、自分の感情がちっとも怒りに向かわなかった。産みの母親の記憶なんてまるでなくて、デニスたちとの暮らしが楽しかったことしか覚えていない。

「実の親のことすら愛せない自分の気持ちがわからなくなったんだ。もしかしたら、ユリウスのことを好きだと思う気持ちさえ、偽物なのかもしれないと思ったら、怖くなって、顔を合わせることができなかった」

 その後、アンジェロは実家に帰り、ルイザの話を聞いたことをヴァリーノ夫妻に告げた。二人は泣きながら事実であると肯定し、金に変わってしまったルイザを崖に突き落としたのはやり過ぎだったことを謝罪した。

 それでも、二人の言い分からは自分に対する愛情を感じ取ることができたアンジェロは、じっくり悩んだ結果、結論を出した。

「おれの母は、アメリアだ。生きていくのに必要なことは全部、彼女が教えてくれた。だから、ルイザの今の状態は可哀想だとは思うけれど、ユリウスを恨む気持ちはない」

 むしろ、あの女の毒牙から救ってくれて、ありがとう。

 きっと、自分を犠牲にしてまでも、おれのことを助けようと思ったユリウスの優しさに、無自覚におれは、恋をしたんだ。

 そんな風に言われて、ユリウスは困った。

 誰も彼も、ユリウスが呪いを行使したことを責めないのだ。

 アンジェロやタビオ、ディオンが許したとしても、自分のことを許すことができない、優しくなんてない、と吐き出したユリウスに、彼は優しく、けれどどこかいたずらっぽく言った。

「家族を奪ったことを負い目に感じているのなら、おれと、ちゃんとした家族になってよ」
「それって」
「結婚しよう、ユリウス」

 どこの国であっても、同性同士で婚姻関係を結ぶことができる法律はないし、教会へ行って、神に誓うこともできない。

「輝きの森は、治外法権でしょう。どんな法律も関係ないよ。おれたちがお互いを愛し抜くと誓って、貫けば、それでいいんだ」

 商人らしい押し出しの強さに、ユリウスは笑った。笑いながら、目の端からは涙がこぼれ落ちた。

「そう、だな……私もお前を、愛している。一生、お前だけを愛している。償いではなくて、最初から……」

 何せ出会ったばかりの二歳の乳児の笑顔に絆され、唯一触りたいと思ったのだから。

 告白の最後は掠れてしまい、アンジェロは「え? なに? なんて言ったの?」としつこく尋ねてきたが、ユリウスは彼の唇を奪うことによって、黙らせた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司と俺のSM関係

雫@3日更新予定あり
BL
タイトルの通りです。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

愛玩人形

誠奈
BL
そろそろ季節も春を迎えようとしていたある夜、僕の前に突然天使が現れた。 父様はその子を僕の妹だと言った。 僕は妹を……智子をとても可愛がり、智子も僕に懐いてくれた。 僕は智子に「兄ちゃま」と呼ばれることが、むず痒くもあり、また嬉しくもあった。 智子は僕の宝物だった。 でも思春期を迎える頃、智子に対する僕の感情は変化を始め…… やがて智子の身体と、そして両親の秘密を知ることになる。 ※この作品は、過去に他サイトにて公開したものを、加筆修正及び、作者名を変更して公開しております。

「優秀で美青年な友人の精液を飲むと頭が良くなってイケメンになれるらしい」ので、友人にお願いしてみた。

和泉奏
BL
頭も良くて美青年な完璧男な友人から液を搾取する話。

うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

みづき
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。 そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。 けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。 始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――

市川先生の大人の補習授業

夢咲まゆ
BL
笹野夏樹は運動全般が大嫌い。ついでに、体育教師の市川慶喜のことも嫌いだった。 ある日、体育の成績がふるわないからと、市川に放課後の補習に出るよう言われてしまう。 「苦手なことから逃げるな」と挑発された夏樹は、嫌いな教師のマンツーマンレッスンを受ける羽目になるのだが……。 ◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC) ※「*」がついている回は性描写が含まれております。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

処理中です...