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アンジェロとミランダを救って一件落着、とはいかなかった。
伝説の白き泉は、彼らの呪いや病、傷を治してはくれたけれど、その後の件については、一切役に立たなかったのである。
つまり、濡れ鼠のまま、気温の下がった真夜中に森を歩いたせいで、タビオも含めて全員がひどい風邪を引いた。
「まったく、もう少し考えてから行くべきだったな」
エドアルドは苦言を呈しつつも、役に立てることがあったと、どこか嬉しそうでもあった。留守番させられていた不満を解消すべく、甲斐甲斐しくユリウスの世話を焼こうとしては、周りに止められていた。
世間知らずの王子様による看病は、二度手間になってしまう。
若さおよび基礎体力のある男連中、それからミランダも回復する中、最後まで床についていたのはユリウスであった。アンジェロを金に変えてしまってから、精神的にも追い詰められていたせいもあるだろう。
全員が回復して、普通に過ごすことができるようになった頃、ディオンたちが帰国することになった。いつまでも森にいては、ディオンが騎士団を首になってしまう。
「まあ、俺ほどの騎士はいないから、ある程度無理はきくんだが」
などとうそぶいて、妹と甥っ子に窘められていた。
ユリウスは、ミランダ母子との別れを名残惜しく噛みしめた。特にタビオとは、長きにわたって二人暮らしだったから、殊更だ。
少年は、うっすらと涙を浮かべつつも、
「ちゃんとご飯食べて、寝るんだよ。僕がいなくなっても、ちゃんと生活しなきゃだめだよ」
と、笑った。
そんな三人を見送り、元気になったんだから帰れと兄を追い出したユリウスは、改めてアンジェロと向かい合った。二人きりになるのはずいぶんと久しぶりで、思い返せば、酒を飲んだ夜以来ではないかと思った。
ユリウスはアンジェロを誘い、森へと出かけた。
「病み上がりなんだから」
本格的に冬が近づき、寒い。アンジェロは、普段あまりすることのない襟巻きをユリウスの首に巻きつける。チクチクするから嫌いなのに、と言っても無視されたので、ユリウスは仕方なく、そのままにした。
先導するのはユリウスだった。最初はただの散歩だと思ってついてきたアンジェロだが、やがてこのまま行くと、あの場所に辿り着くのだと気づき、顔色を変えた。
「ユリウス」
行きたくないのだろう。けれど、あの日ろくにできなかった謝罪を、やり直したかった。懺悔をするには、この場所しか考えられなかった。自己満足なのはわかっていても、ユリウスは「行こう」と、進み続けた。
もう、道端には花は咲いていない。代わりに、赤い実だけが残る木の枝を折った。
ルイザが眠り続ける崖に辿り着いた。アンジェロの顔色が、心なしか青い。ユリウスは彼の背を撫でてから、崖に近づく。そして枝を放り、彼女に手向けた。
「どんな人間であっても、私が勝手に金に変えることは許されていない」
ルイザは醜悪な人間だったが、それでも、母親と子どもを生き別れにさせたのは、やり過ぎだった。ユリウスは頭を下げ、アンジェロに許しを請う。
「ルイザの話をしたあと、しばらくお前が来なくなったのも、当たり前だ。本当に、すまなかった。今は不可能だが、いずれ彼女を崖から引き上げて、元に戻さなければならないと思っている」
ディオンやエドアルドたちの知恵と力を借りれば、そう遠くない日、アンジェロと母の再会が望めるだろう。ミランダとタビオの再会を、彼が温かい目で見守っていたのを、ユリウスは知っている。
そこにうらやましい気持ちがないとは、言い切れないだろう。
記憶にほとんど残っていないとはいえ、やはり母親というものは特別なのだ。ユリウスだって、早く王妃を元に戻したいと思っている。アンジェロだけが、母と再会できないのは不公平だ。
「顔上げてよ、ユリウス」
その言葉に従って、ゆっくりと顔を上げると、アンジェロが至近距離から覗き込んでいた。
優しい、何もかもを許すような表情に、ユリウスは呆けて口を開けた。彼はその唇に人差し指をあてると、「ユリウスが気に病む必要は、まるでないんだ」と言う。
「おれ、確かにショックだったよ。母親の話を聞いたとき」
再び俯いたユリウスに、「だから違うんだって」と、アンジェロは慌てて言う。
「おれがショックを受けたのは、自分の薄情さに対してだ」
ユリウスの告白を受けても、自分の感情がちっとも怒りに向かわなかった。産みの母親の記憶なんてまるでなくて、デニスたちとの暮らしが楽しかったことしか覚えていない。
「実の親のことすら愛せない自分の気持ちがわからなくなったんだ。もしかしたら、ユリウスのことを好きだと思う気持ちさえ、偽物なのかもしれないと思ったら、怖くなって、顔を合わせることができなかった」
その後、アンジェロは実家に帰り、ルイザの話を聞いたことをヴァリーノ夫妻に告げた。二人は泣きながら事実であると肯定し、金に変わってしまったルイザを崖に突き落としたのはやり過ぎだったことを謝罪した。
それでも、二人の言い分からは自分に対する愛情を感じ取ることができたアンジェロは、じっくり悩んだ結果、結論を出した。
「おれの母は、アメリアだ。生きていくのに必要なことは全部、彼女が教えてくれた。だから、ルイザの今の状態は可哀想だとは思うけれど、ユリウスを恨む気持ちはない」
むしろ、あの女の毒牙から救ってくれて、ありがとう。
きっと、自分を犠牲にしてまでも、おれのことを助けようと思ったユリウスの優しさに、無自覚におれは、恋をしたんだ。
そんな風に言われて、ユリウスは困った。
誰も彼も、ユリウスが呪いを行使したことを責めないのだ。
アンジェロやタビオ、ディオンが許したとしても、自分のことを許すことができない、優しくなんてない、と吐き出したユリウスに、彼は優しく、けれどどこかいたずらっぽく言った。
「家族を奪ったことを負い目に感じているのなら、おれと、ちゃんとした家族になってよ」
「それって」
「結婚しよう、ユリウス」
どこの国であっても、同性同士で婚姻関係を結ぶことができる法律はないし、教会へ行って、神に誓うこともできない。
「輝きの森は、治外法権でしょう。どんな法律も関係ないよ。おれたちがお互いを愛し抜くと誓って、貫けば、それでいいんだ」
商人らしい押し出しの強さに、ユリウスは笑った。笑いながら、目の端からは涙がこぼれ落ちた。
「そう、だな……私もお前を、愛している。一生、お前だけを愛している。償いではなくて、最初から……」
何せ出会ったばかりの二歳の乳児の笑顔に絆され、唯一触りたいと思ったのだから。
告白の最後は掠れてしまい、アンジェロは「え? なに? なんて言ったの?」としつこく尋ねてきたが、ユリウスは彼の唇を奪うことによって、黙らせた。
伝説の白き泉は、彼らの呪いや病、傷を治してはくれたけれど、その後の件については、一切役に立たなかったのである。
つまり、濡れ鼠のまま、気温の下がった真夜中に森を歩いたせいで、タビオも含めて全員がひどい風邪を引いた。
「まったく、もう少し考えてから行くべきだったな」
エドアルドは苦言を呈しつつも、役に立てることがあったと、どこか嬉しそうでもあった。留守番させられていた不満を解消すべく、甲斐甲斐しくユリウスの世話を焼こうとしては、周りに止められていた。
世間知らずの王子様による看病は、二度手間になってしまう。
若さおよび基礎体力のある男連中、それからミランダも回復する中、最後まで床についていたのはユリウスであった。アンジェロを金に変えてしまってから、精神的にも追い詰められていたせいもあるだろう。
全員が回復して、普通に過ごすことができるようになった頃、ディオンたちが帰国することになった。いつまでも森にいては、ディオンが騎士団を首になってしまう。
「まあ、俺ほどの騎士はいないから、ある程度無理はきくんだが」
などとうそぶいて、妹と甥っ子に窘められていた。
ユリウスは、ミランダ母子との別れを名残惜しく噛みしめた。特にタビオとは、長きにわたって二人暮らしだったから、殊更だ。
少年は、うっすらと涙を浮かべつつも、
「ちゃんとご飯食べて、寝るんだよ。僕がいなくなっても、ちゃんと生活しなきゃだめだよ」
と、笑った。
そんな三人を見送り、元気になったんだから帰れと兄を追い出したユリウスは、改めてアンジェロと向かい合った。二人きりになるのはずいぶんと久しぶりで、思い返せば、酒を飲んだ夜以来ではないかと思った。
ユリウスはアンジェロを誘い、森へと出かけた。
「病み上がりなんだから」
本格的に冬が近づき、寒い。アンジェロは、普段あまりすることのない襟巻きをユリウスの首に巻きつける。チクチクするから嫌いなのに、と言っても無視されたので、ユリウスは仕方なく、そのままにした。
先導するのはユリウスだった。最初はただの散歩だと思ってついてきたアンジェロだが、やがてこのまま行くと、あの場所に辿り着くのだと気づき、顔色を変えた。
「ユリウス」
行きたくないのだろう。けれど、あの日ろくにできなかった謝罪を、やり直したかった。懺悔をするには、この場所しか考えられなかった。自己満足なのはわかっていても、ユリウスは「行こう」と、進み続けた。
もう、道端には花は咲いていない。代わりに、赤い実だけが残る木の枝を折った。
ルイザが眠り続ける崖に辿り着いた。アンジェロの顔色が、心なしか青い。ユリウスは彼の背を撫でてから、崖に近づく。そして枝を放り、彼女に手向けた。
「どんな人間であっても、私が勝手に金に変えることは許されていない」
ルイザは醜悪な人間だったが、それでも、母親と子どもを生き別れにさせたのは、やり過ぎだった。ユリウスは頭を下げ、アンジェロに許しを請う。
「ルイザの話をしたあと、しばらくお前が来なくなったのも、当たり前だ。本当に、すまなかった。今は不可能だが、いずれ彼女を崖から引き上げて、元に戻さなければならないと思っている」
ディオンやエドアルドたちの知恵と力を借りれば、そう遠くない日、アンジェロと母の再会が望めるだろう。ミランダとタビオの再会を、彼が温かい目で見守っていたのを、ユリウスは知っている。
そこにうらやましい気持ちがないとは、言い切れないだろう。
記憶にほとんど残っていないとはいえ、やはり母親というものは特別なのだ。ユリウスだって、早く王妃を元に戻したいと思っている。アンジェロだけが、母と再会できないのは不公平だ。
「顔上げてよ、ユリウス」
その言葉に従って、ゆっくりと顔を上げると、アンジェロが至近距離から覗き込んでいた。
優しい、何もかもを許すような表情に、ユリウスは呆けて口を開けた。彼はその唇に人差し指をあてると、「ユリウスが気に病む必要は、まるでないんだ」と言う。
「おれ、確かにショックだったよ。母親の話を聞いたとき」
再び俯いたユリウスに、「だから違うんだって」と、アンジェロは慌てて言う。
「おれがショックを受けたのは、自分の薄情さに対してだ」
ユリウスの告白を受けても、自分の感情がちっとも怒りに向かわなかった。産みの母親の記憶なんてまるでなくて、デニスたちとの暮らしが楽しかったことしか覚えていない。
「実の親のことすら愛せない自分の気持ちがわからなくなったんだ。もしかしたら、ユリウスのことを好きだと思う気持ちさえ、偽物なのかもしれないと思ったら、怖くなって、顔を合わせることができなかった」
その後、アンジェロは実家に帰り、ルイザの話を聞いたことをヴァリーノ夫妻に告げた。二人は泣きながら事実であると肯定し、金に変わってしまったルイザを崖に突き落としたのはやり過ぎだったことを謝罪した。
それでも、二人の言い分からは自分に対する愛情を感じ取ることができたアンジェロは、じっくり悩んだ結果、結論を出した。
「おれの母は、アメリアだ。生きていくのに必要なことは全部、彼女が教えてくれた。だから、ルイザの今の状態は可哀想だとは思うけれど、ユリウスを恨む気持ちはない」
むしろ、あの女の毒牙から救ってくれて、ありがとう。
きっと、自分を犠牲にしてまでも、おれのことを助けようと思ったユリウスの優しさに、無自覚におれは、恋をしたんだ。
そんな風に言われて、ユリウスは困った。
誰も彼も、ユリウスが呪いを行使したことを責めないのだ。
アンジェロやタビオ、ディオンが許したとしても、自分のことを許すことができない、優しくなんてない、と吐き出したユリウスに、彼は優しく、けれどどこかいたずらっぽく言った。
「家族を奪ったことを負い目に感じているのなら、おれと、ちゃんとした家族になってよ」
「それって」
「結婚しよう、ユリウス」
どこの国であっても、同性同士で婚姻関係を結ぶことができる法律はないし、教会へ行って、神に誓うこともできない。
「輝きの森は、治外法権でしょう。どんな法律も関係ないよ。おれたちがお互いを愛し抜くと誓って、貫けば、それでいいんだ」
商人らしい押し出しの強さに、ユリウスは笑った。笑いながら、目の端からは涙がこぼれ落ちた。
「そう、だな……私もお前を、愛している。一生、お前だけを愛している。償いではなくて、最初から……」
何せ出会ったばかりの二歳の乳児の笑顔に絆され、唯一触りたいと思ったのだから。
告白の最後は掠れてしまい、アンジェロは「え? なに? なんて言ったの?」としつこく尋ねてきたが、ユリウスは彼の唇を奪うことによって、黙らせた。
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