金の右手は初恋に触れる

葉咲透織

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 灯りをつけても、地下室は完全には明るくならない。薄暗い中でも、横たえられた女性像は、ろうそくに照らされて、チラチラと輝く。

「ミランダ……」

 呆然と立ち尽くし、それから膝をついたディオンは、彼女に縋りついた。タビオが嫌がって、無言で背中を叩き続けるが、彼はびくともしなかった。

 どうもディオンは、懺悔をしているようだった。

 決して動くことのないミランダの手に触れて、うなだれている。ぶつぶつと零す言葉は、はっきりとは聞き取れないものの、「悪かった」「知らなかったんだ」と、謝罪と言い訳を繰り返している。

 大の男が泣き崩れるのを見て、タビオは戸惑い、手を止めた。一歩二歩と後ずさり、背後に立つユリウスにぶつかった。途方に暮れた目で見上げてくる彼の頭を撫でてやり、ユリウスはディオンの背に話しかける。

「あなたがたが私の力を求めてやってきたとき、これは大きな希望だと思ったんです」

 旅に出た両親の代わりに、ユリウスは森の番人として、薬師としての役割を果たさなければならない。この場所に留まったままでできることなど、たかが知れている。

 ミランダを早く元の姿に戻したいと願いつつ、何も出きずに焦れていたとき、彼らはやってきた。

 兄は当然として、ディオンも騎士として国では有名な存在らしい。彼らの知識や知恵、人脈を借りることができれば、解明に近づけるのではないか。

 ユリウスの言葉に、ディオンはゆっくりと振り返った。そして頭を下げる。

「すまなかった」
「いいえ。私が最初から、あなたとタビオを会わせていれば、もう少し穏便に、このことをお知らせできていたでしょう」

 人見知りのタビオを、ディオンと遭遇しないように図っていたのは自分だ。ちゃんと挨拶をさせて、伯父と甥の関係であることがわかっていれば、もっと早いうちに、自分にあらぬ疑いがかかるよりも前に、ミランダのことを打ち明けることができていただろう。

 ディオンは自身とミランダの生い立ちについて、簡単に語った。ユリウスたちに聞かせるためではない。タビオに対して、どうしてミランダの助けに応じなかったのかという理由を説明するためだ。

「俺たちは、貧しい家に生まれた。その日の食べるものにも苦労するくらいで、両親は自分の分を、俺たちに分けてくれたっけな」

 現在、立派な騎士として務めている彼とは思えない生活ぶりだ。驚いて、聞き返してしまいそうになるが、ユリウスは沈黙を守った。自分が茶々を入れていい話ではない。

 ディオンが騎士になることができたのは、剣術の才を見出されたからだった。

「近所に退役軍人の爺さんがいてな。俺たちみたいなガキに、剣を教えてくれてたんだ」

 才能をめきめきと発揮したディオンは、師の働きかけもあり、下級貴族の家に養子に出た。実の家族の負担を減らすため、一日でも早く、一人前に稼げるようになるためだった。

 実家と縁を切ったつもりはまったくなかった。貴族としての振る舞いについての教育や、剣や体術の鍛錬の合間を縫って、手紙を書いた。字が読めるのは妹だけだったので、難しい言葉は使わなかった。

 やがて妹が結婚し、子どもを産んだことまでは、連絡が来たので知っていた。帰って直接祝うことはできなかったが、祝いの品を送った。

 だが、彼が実の家族について知っているのは、そこまでだった。

「ある日を境に、返事が来なくなった。気づいたら、手紙のやりとりがなくなっていたんだ」

 ディオンは毎日忙しかった。妹も、慣れぬ子育てに手紙を書く暇もなかったのだろう。便りがないのがよい便り、
とばかりに、少し気にはかかるものの、ディオンはそこまで大変なことだとは思っていなかった。

 その間に、妹の夫は事故で死に、実の両親も相次いで病気で死んでしまったというのに。

 拳を握り、肩を震わせるディオンを、なんとも言えない気持ちで見つめる。

 ミランダとタビオが味わったのとは、また違う辛さを彼は味わったのだ。その悲しみや自身への不甲斐なさは、すべての真実を明かされた今こそ、身につまされていることだろう。

「お母さんは、手紙、何通も書いてた。誰にって聞いても、教えてくれなかったけど……」

 届かなかった手紙はすべて、ディオンが入った先の家が握りつぶしていた。騎士として大成しそうな養子の足枷にしかならない、貧しい実家の人間たちを切り捨てるべきだと判断したのである。

 ディオンは何も知らなかった。知らないということもまた、罪であるということを、彼は認識している。

 ゆっくりと立ち上がり、タビオに近づく。これまで見てきた人間の誰よりも大きな男に接近されて固まる子どもは、ぎゅっと抱き締められて、いよいよ身動きが取れなくなった。そんなのお構いなしに、ディオンはタビオの目をしっかりと見据える。

「知らなかったことは言い訳にならない。本当にすまなかった。これからは俺に、罪滅ぼしをさせてくれないか?」

 困惑しきりの表情で見つめてくるタビオに、ユリウスは大きく頷くだけに留めおいた。

 自分の思うとおりにすればいい。

 許したくないのなら、許さなくていい。

 けれどタビオは、ミランダの血を引く優しい子どもだ。きっと、彼の父親も、善良な人物だったのだろう。

 おずおずとディオンの背に腕を回す。体格が違いすぎて回りきらず、背中の途中をポンポンと叩く小さな手に、ディオンは驚いた顔をする。

「お母さんが元に戻ったら、ちゃんと謝って。ぼくより、お母さんの方が大変だったんだから……ね、伯父さん?」

 ディオンは先ほどとはまた違う気持ちから込み上げてくる涙に目を濡らし、何度も、「ああ、ああ!」と、深く頷いている。タビオを抱き締める手にも、つい力が籠もってしまうようで、「苦しいよ、伯父さん」と、苦笑しきりのタビオである。

 母親以外との親族との距離感に戸惑う少年を見て、ユリウスはアンジェロと目を合わせた。微笑ましい光景に、彼の表情も緩んでいる。こういうとき、幼馴染みとは便利なもので、言葉にしなくとも、お互いに感じていることが、なんとなく通じる。

 ディオンが輝きの森にやってきたのは、王命ではあったが、祖国ではそれなりの地位を築いた彼が直接出向くような任務ではなかった。ディオンは最初から、ユリウスを疑い、無理矢理その任についたのだ。

「本当に、すまなかった」

 実の両親や妹の夫の死を知らされたディオンは、残されたミランダとタビオを探していた。最後の目撃証言が、輝きの森に入っていく姿だったため、森の番人が何か関係しているのでは、と考えた末、探るようなことばかりしていたのだと言った。

 ユリウスは首を横に振る。疑われるのは当たり前だし、実際、彼女を黄金に変えたのは自分である。謝罪すべきはこちらだ。

 頭の下げ合いになりかけたのを、制止したのはアンジェロだった。

「でもこれで、ディオンも当事者だ」

 これまではユリウスの監視に注力していたが、これからは、ミランダを元に戻すために、本気で呪いについて考えるべきだと、アンジェロは言葉にする。

「アンジェロ」

 はっきりと言うものではない。結局のところ、他の人間の助けを借りなくては自分の力すらままならない、ユリウスが悪いのだ。タビオは文句ひとつ直接は言ってこないが、地下室でひとり、物言わぬ母と対峙するときには、彼は何を想っているのか。

 窘めたユリウスに、アンジェロは肩を竦めた。

「だって、一人じゃどうにもならないだろ。早くユリウスの呪いをなんとかしたいと思っているのは、ここにいるみんなが同じだ」

 言葉の端々に、アンジェロの恋心は漏れてしまっている。同じだと言うが、兄やディオンとは違い、アンジェロが呪いを解きたいのは、もっと個人的な感情。

 触れたい。触れられたい。恐る恐るではなくて、思いきり抱き締めたい。

 愛情に基づく欲求は、ユリウスの中にも存在するもので、だからこそアンジェロの言い分に同意してはいけない。

 何と言って諭せばいいのか考えているユリウスだったが、ディオンが当たり前のように、「ああ。もちろんだ。早くミランダにも謝りたいからな」と請け負うものだから、口を噤んでしまった。

 傍から見れば、じゅうぶん大団円と言える結末だ。これから全員で、ミランダを元の姿に戻す方法を追い求めることになる。

「ユリウス。ひとつ、聞いてもよいだろうか」

 それまで黙って成り行きを見守っていたエドアルドが、不意に水を差した。

「兄上、なんでしょう」

 アンジェロほどではないが、ユリウス自身も誤解が解けて気が緩んでいた。いや、狡猾にも、このまま和気藹々とした雰囲気で流れてしまえばいいと思っていたのだ。

 だが、エドアルドは引き戻す。彼の真面目な性分が、中途半端な結末を許さなかった。

「ディオン殿の妹御がここにいるということは、崖下にはいったい誰が?」

 ああ、流されてはくれない。

 強ばったままの表情で黙る自分を、三者三様の視線で見つめてくる。

 兄はとにかく真実を知らなければならないと追及し、ディオンはすっかり頭から抜け落ちていたと、目を丸くしている。隣に立つタビオも、そっくりな表情をしていた。

 そしてアンジェロは。

 ユリウスは深呼吸をして、彼を見つめ返す。

「場所を変えよう。アンジェロ……」

 罪は裁かれなければならない。

 他ならぬ、彼の手によって。

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