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しおりを挟む誰も、何の手がかりも見つけられないまま、季節は過ぎていく。春の花の時期も、夏の太陽が眩しい時期も、今年のユリウスは、あまり記憶にない。
初秋。高い空を、鳥が群れをなして飛んでいく。
薬草畑の雑草も、夏ほど背が高くなることもなく、なんとなく落ち着いている。無心で根こそぎ引っこ抜いていたユリウスは、疲れが溜まった腰を、うーん、と伸ばす。
ふと目をやると、物々しい装備の男たちが、森の中を歩いている。暗い木陰に、簡素な鎧兜、帯剣している彼らは浮いている。
ディオンの配下の騎士たちである。彼の命令で森をあちこち探索しているらしいが、どうも様子がおかしい気がする。
こっそりとユリウスが窺っていると、視線がかち合う。こちらが会釈で挨拶をしても、向こうからは返ってこない。
最初は感じが悪い連中だと、ムッとした。ディオンに苦情を申し立てようか、迷うほどであった。
近頃気がついたのは、彼らはユリウスを監視しているということだ。しかも、見ていることを隠そうとしない。刺さるような視線を感じて振り返り、目が合っても、気まずい表情にならないのだ。
見張られる理由に、ユリウスは心当たりがない。呪いの力は先方もとっくに承知していることだし、それ以外は無害な薬師である。
いつまでも外に出ていると、彼らの目をずっと気にしていなければならない。
ユリウスはさっさと今日の作業を終え、小屋へと戻った。
「……ディオン殿」
小屋には鍵がなく、出入りは自由にできるが、アンジェロですら勝手には入ってこない。ユリウスが畑にいる間に、我が物顔で椅子にどっかりと座り込んだ男は、悪びれもせず、手を振った。
「ここはあなたのご実家ではありませんよ」
呆れて小言を言いつつも、ユリウスは手ずから、茶の準備をする。タビオも野菜の畑の世話をしたり、近くに薪にできそうな乾いた枝を拾いに行ったりで、在宅していなかったのだ。
とびきり苦い香草茶を淹れてやろうか、身体にはすごくいいものだし。
茶葉の瓶をとっかえひっかえ選んでいると、すぐ後ろに人の気配を感じた。当然、この場にはディオンしかいない。
振り返ると、思った以上に至近距離に彼の顔があった。驚きのあまりに声も出せず、腰を引くと、棚にぶつかった。
騎士という職業もあって、ディオンはアンジェロ以上に背が高く、下から見上げる彼の顔は、いつもの不思議な愛嬌のあるものとは違っていた。無表情で、感情が読めない。
怖い。
でも、怖がっているという事実さえ、彼に悟らせてはならないとユリウスはなぜだか直感した。
なんでもない顔で、唇には笑みを浮かべ、ユリウスはさりげなく、
「お湯が沸いたので、お茶を用意します」
と、ディオンの身体を押しのけた。
さしたる抵抗をされることもなく、ディオンは両手を上げ、いつもと変わらぬからかい顔で、「それはそれは、美味しいお茶を期待するよ」と、居間へと戻っていった。
いったい何だったのだろう。
心臓が早鐘を打っている。ユリウスはディオンのためではなく、自分のために、鎮静作用のある草を選んだ。
やはり彼は、何か重大なことを隠して、自分に近づいてきている。そんな気がしてならない。
二人分の茶をカップに淹れて持っていく。同時に、小屋の扉が開いた。
タビオが野菜を収穫して戻ってきた。他人がいるときには、地下室に籠もって出てこないタビオが、ディオンと顔を合わせたのは、これが初めてだった。
「あ……」
人見知りの子どもが、突然家の中に現れた大男に言葉を失うのは当たり前だ。タビオは立ち尽くし、逃げることもできずに固まっている。そんな彼を庇おうと、ユリウスがディオンの前に立ちはだかると、こちらもまた、妙な顔のまま固まっているではないか。
「ディオン殿?」
首を傾げ、名前を呼ぶと、ハッとしたディオンは、ユリウスの肩を掴んで押しのけて、ずいとタビオに接近する。見知らぬ男に突然詰められた彼は、びくりと震えて逃げ出そうとするも、ディオンの馬鹿力で阻止される。
「ちょっと!」
慌ててユリウスがディオンを引き離そうとするが、右手が使えないうえ、森歩きで足には自信があっても腕力には劣るため、どうしようもない。
ディオンはタビオに必死に呼びかける。
「君の母親の名前は!?」
答えるまで離さない、納得しないという剣幕のディオンに、尋常じゃないほど怯えたタビオは、震える声で答えた。
「ミランダ……」
その名を聞いたディオンは、放心状態に陥った。ユリウスが声をかける前に、ふらふらと小屋を出ていってしまう。
一瞬、その背中を不思議な気持ちで見つめてしまったユリウスだが、すぐに気を取り直して、タビオに駆け寄っ
た。
※※※
エドアルドの来訪時に、アンジェロもたまたま来てしまった。嫌な顔を隠そうともしない彼に、ユリウスは「突然来るお前が悪い」と呆れた。
兄との関係は、徐々に改善されていると思う。今日は無理を通して王宮の書庫から何冊か、伝承にまつわる本を持ち出してもらった。王家の人間しか読むことができないと止められたらしいが、「血の繋がった弟相手だ。何が悪い」と言い張って、小屋まで運んでくれた。
野生動物のようにガルガルとエドアルドに牙を剥くアンジェロに、ユリウスは本を渡した。エドアルドは苦虫を噛みつぶしたような顔で黙っている。
「これは?」
「兄上に頼んで持ってきてもらった。白き泉について、何かわかるかもしれないだろう」
当然エドアルドも目を通しているが、別の人間が見れば、新しい発見があるかもしれない。いわゆる禁書だが、兄は再会したばかりの弟に甘く、アンジェロのことは黙認してくれる。
「ユリウス。おれのために……!」
エドアルドでもなく、ディオンでもなく、自分に呪いを解いてもらいたいと思っているのだ!
そんな、幸せなことを考えているのが丸わかりの、うるうるした目でユリウスを見つめてくる。
あながち間違いでもないので強く否定するわけにもいかず、無言で本を押しつけるユリウスに、「嘆かわしい!」とばかりにエドアルドは額を抑えて天を仰いだ。
「私はお前にそんな顔をさせるために、お願いを聞いたのではないんだが……」
ぶつぶつ言っている兄のことは放っておいて、ユリウスは早速本を開いたアンジェロに、先に仕事を済ませてからにしようと説得し、エドアルドに断りを入れてから、ふたりで調合室へと向かった。
「タビオは?」
懲りずに土産を持参して懐柔作戦を決行するつもりだったアンジェロは、室内を見渡しつつ尋ねてくる。エドアルドが来ている時点で、地下室に避難している。
今日のは相当自信があったらしく、しょんぼりしているアンジェロに対して、
「兄上は用事が終わったら帰るだろう。お前は泊まっていけばいい」
と、提案すると、アンジェロは驚きに目を瞬かせたあと、声ならぬ歓喜の声を上げ、両の拳を握りしめた。
連続でのお泊まりの誘いがさぞ嬉しかったのであろう、彼はその後の商談の最中も、にやにやしていて、ユリウスは嘆息した。
「お前は何をしに来たんだ」
「え? そりゃお仕事だよ、お仕事! さっさと終わらせて、兄殿下にはお帰りいただきましょうね!」
最初はふざけていたアンジェロだが、そこは彼も商売人らしく、真面目に売れ行きの報告や、次の仕入れの相談を行った。
すべてが終わり、居間に戻ろうとしたときだった。
バン、という音が聞こえ、エドアルドの「なんだ、貴様らは!」という怒号が上がった。ユリウスとアンジェロは一瞬顔を見合わせたのち、慌てて戻る。
「兄上!」
出入り口の扉は、破壊されていた。揃いの鎧兜を身につけたグローヴィルの騎士たちが何人も、居間に入り込んでこちらを剣で威嚇してくる。
王太子である弟を政治面で支える、言わば文官の長であるエドアルドは、荒事に慣れてしない。青い顔をして呆然と立ち尽くしている。
もしも彼が目当てであれば、戦争を仕掛けられたのと同義だが、狼藉者たちは、エドアルドには目もくれなかった。
「なんなんだ、あんたたち」
体格だけなら負けていないアンジェロに、背後に庇われたユリウスは、視線が自身に集中するのを感じた。
目的は、私か。
しかし、なぜ?
騎士たちの目には、感情らしい感情が見えない。自分の職業に、粛々と従っているだけのようだ。
彼らを従わせることのできる人間といえば……。
「金の賢者、ユリウス」
騎士たちの後ろから、声を朗々と響かせる。よく訓練された部下たちは、ざっと一斉に左右に割れて、その人物を迎える。
「ディオン殿……」
そこにいたのは、気のいい大男ではなかった。緑色の目を、周りの騎士とは正反対にギラつかせている。垣間見えるのは、怒りと憎しみの炎で、ユリウスは思わず後ずさる。
「貴様を捕縛する」
「なっ」
言葉を失ったユリウスの代わりに、アンジェロがすかさず反論をする。
「輝きの森は、治外法権だ。どこの国にも属さない場所に住むユリウスを、捕まえるだと? 馬鹿も休み休み言え!」
国をまたいで商売をすることも多い彼は、各国の法律にも通じている。どこの国も輝きの森を領土と定めていないため、法の適用範囲外だ。これまで何も起こらなかったし、代々の番人を務める人間も、勤勉で穏やかな人物ばかりだったので、問題が起きようもなかった。
ディオンはアンジェロには目もくれない。
「確かに、グローヴィルの法では裁けない。だがそれは、自国の人間が関わっていない場合、だ」
彼はユリウスをまっすぐに指さした。
「貴様は我が国の民を、殺した」
「殺した……?」
身に覚えがない。
と、言い切ることができなかった。
神妙な顔でディオンによる裁きの言葉を聞いていると、アンジェロは不安そうな目で、名前を呼んだ。彼の後ろから出て、ユリウスはディオンと対峙する。
森の中をうろうろと歩いていた騎士たちは、ユリウスを監視するとともに、「証拠」を探していた。
ユリウスの罪の証を。
「あの崖の下を、部下に調べさせた」
急峻な場所で、たとえ下りることができたとしても、戻ってくることはできない。さすがのディオンも、部下を使い捨てにすることはできなかったとみえ、調べるといっても、目のいい騎士を使い、崖下を覗き込ませたとのこと。
そこまで聞いて、ユリウスは、「ああ」と息を吐き出した。
ある意味では、安堵のものだったのかもしれない。隠し通すことができるとは、到底思えなかった。ここですべてを明らかにすることで、呪縛から逃れられるだろうか。
おろおろと自分を案じてくるアンジェロ。これから自分が告白する内容を受け止めきれず、もう二度と、好きだと言ってくれなくなるかもしれない。
それでも、償わなければならない。
「崖の下には、人の形をした金塊が転がっていた」
息が苦しい。
吸っても吸っても、身体に穴が開いたみたいに、空気が漏れていっている気がする。
「それって……」
アンジェロの顔をまともに見ることができない。
驚愕? 疑念?
いずれにしても、好意や愛情は、もはやそこにはないだろう。
「私は、あなたの国の人を殺した覚えはありません」
それでも、本当に断罪されるのならば、相手はディオンではない。ユリウスは震え声で、けれど淡々と反論する。
激昂したディオンは、剣を抜く一歩手前の勢いでユリウスに迫る。それこそ、うっかり右手に触れてしまってもおかしくないほどだ。
「しらばっくれるな! あれはミランダだろう!?」
タビオの母の名前を出して、ディオンはユリウスの肩を掴み、揺り動かす。
「違います!」
揺さぶられながらも否定するユリウスに、ディオンはさらに怒りを露わにして、怒号を浴びせる。彼の部下たちは、不用意なことをして上司が金になってしまう事故を警戒して、動けないでいる。アンジェロもエドアルドも、修羅場を収めることができない。
「ユリウス!」
一階の喧噪に、何事かと地下室から戻ってきたタビオは、掴みかかられて、今にも暴行を受けそうになっているユリウスを見て、悲鳴を上げた。
その声に、ディオンの手が襟首から離れた。その隙に、アンジェロがユリウスを再び背後に庇う。
「タビオ。俺はお前の伯父だ! ずっと探していたんだぞ!」
血縁関係にあると言われれば、確かに面影のある二人だ。赤い巻き毛も、緑の目も同じ。ミランダも同様だったから、タビオには母方の血が相当濃く出たのだろう。
伯父だと言われても、タビオはピンときていない様子だった。ディオンとユリウスの顔を交互に見比べる。ディオンは甥の情に訴えようとするが、最終的にタビオは、ユリウスの隣に立った。
「タビオ」
異口同音に名前を呼ばれたタビオは、ディオンに激しい感情をぶつけた。
「伯父さんなんか、知らない! お母さんが病気になってから、一回も会いに来なかったくせに! いまさら何の用だよ!」
ものすごい剣幕だった。悲鳴に近い甲高い絶叫に、ディオンは絶句する。タビオに伸ばしかけた腕は、宙にさまよった。
「僕とお母さんを助けてくれたのは、ユリウスだ! 何も知らないくせに!」
ユリウスの左手をぎゅっと握りしめてくれる。タビオの手は、自分のものよりもだいぶ小さい。なのに、こんなにも力強く、頼もしい。
逃げられない。いや、逃げてはいけない。
ユリウスは決意を籠めた目で、ディオンを見つめる。
「……地下室へ、行きましょう」
「ユリウス!」
大切なものがそこにあるタビオは、弾かれたように顔を上げた。彼の頭を撫でて、
「きちんと話をしないと、伯父さんの気持ちも、タビオの気持ちも、お母さんの気持ちもお互いにわからないだろう」
と説得をすると、目にうっすらと涙を浮かべて、タビオは小さく頷いた。唇を噛みしめている彼の横顔は、またひとつ、大人になろうとしている。
「アンジェロと兄上も」
昼間でも薄暗い地下室への階段を、ユリウスは燭台に灯りを灯して、ディオンの部下以外の全員を連れて、下っていった。
真実を明るみにするために。
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