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『ユリウス。元気か? 今、私たちはラメールに来ている』
流麗だが線の細いデニスの文字は、すんなりと頭に入ってくる。
ラメールは南の海に浮かぶ島国で、当然、船に乗るしか辿り着く手段のない場所である。南方の国の港からだって、毎日定期便が出ているわけではない。
南国は、北に位置する森での暮らしとは違うし、植生も異なる。デニスの手紙からは、新たな薬草との出会いにはしゃいだ様子が伝わってきて、思わずユリウスは、口元を綻ばせた。
いつもは賑やかな妻の横で微笑んでいるデニスだが、こういうときは逆に、アメリアに諫められるほどに行動が危うくなる。言葉は速く、声は大きく、動作は大げさに。ユリウス自身も、より効果の高い処方を発見したときには、訳のわからないタビオに話して聞かせ、呆れられてしまう。
そう思うと、やはり自分は、アルビオム王家の一員ではなく、輝きの森の番人たる薬師の息子なのだと感じる。兄との関係は良好に保ちたいが、たとえ本当に呪いが解けたとしても、生国に帰還する気には、到底なれなかった。
論文に等しいデニスの長い手紙の最後には、アメリアからの伝言もあった。
『とにかく身体に気をつけること。以上』
雑で大きな文字の走り書きは、デニスに請われ、嫌々書いたものに違いない。彼女は自分の字が下手なのを自覚していて、あまり書き物をしたがらなかった。
勢いのある筆記に、脳裏にはアメリアの張りのある声が蘇る。小さな身体で俊敏な動き、まさしく彼女そのものだ。
小さく声を立てて笑ったユリウスに、「何か面白いことでも書いてあった?」と、アンジェロは持参した茶菓子を貪りながら尋ねてくる。該当箇所を見せると、「ぶは」と、彼も同じことを考えたのだろう、噴き出した。
「アメリアらしい」
「そうだな」
手紙を畳み直して封筒に戻したユリウスは、アンジェロと思い出話に興じる。幼児期にここで暮らした彼にとっても、デニスたちは親戚のようなものだった。
「普通は親父さんの方がおっかないもんだけどなあ」
「うちの場合は、両親の役割が逆だな」
厳しい父と、優しい母。外で稼いでくる父と、家の中で立ち働く母。
世間一般の夫婦像とは真逆なのが、この小屋での暮らしだった。アメリアは森に分け入り、獲物を狩ってくる。その腕は、「いつか竜でも狩ってきそうだよな」と、アンジェロに言わしめるほどであった。
彼女は、動物を肉にするのはお手の物だが、料理は大雑把な味つけで、食べると曖昧な笑顔になってしまう腕前であった。
「そうそう。おれがおねしょしたシーツをぐるぐるにして隠したら、すごく怒られてさ」
アメリアは、そういう人だった。ユリウスも、ここにやってきたばかりの頃、同じことをして、ものすごく怒られた。
「すぐ謝ればいいのに、恥ずかしくて言い出せなかったな」
汚れものは早く洗うべき。今なら判断できるけれど、幼い頃は、「怒られたらどうしよう」という不安が先走って、ついベッドの下に隠してしまう。
「おれ、あれ以来隠しごとできなくなったし、隠しごとをされるのも嫌いになったな」
アンジェロとしては、軽く放った一言だった。含みのない、ただの雑談だということは、彼の表情からもわかる。
隠しごと。
心臓が、嫌な音を立てる。決して知られてはいけない。アンジェロにだけは。
沈黙は怪しまれるとわかっていても、何も言えなかった。視線を不自然にならない程度に外し、ユリウスはアンジェロが一方的に話をするのを、ぼんやりと聞いていた。
とりとめない話題は、あちこちへ飛ぶ。養親の話から、いつの間にかユリウスとの出会いの話に移り変わっていることに、気がつくのが遅れた。
「初めて会ったときから、ユリウスはめちゃくちゃ美人だった!」
「何を言っているんだか……」
自分の容貌について過度に褒められるのはむず痒いが、今は話が変わったことに、肩の力が抜けた。呆れたユリウスに、アンジェロは熱弁を振るう。
「本当だよ! 一目見た瞬間に、好きだって思ったんだ!」
「初めて会ったのなんて、お前がいくつのときだと……」
ユリウスの脳裏には、二歳の頃のアンジェロが浮かぶ。ずっと立って歩くにはまだ体力がなく、椅子の上に転がされていることが多かった。
ユリウスと目が合うと、一生懸命にお喋りをして、きゃっきゃと笑って――……。
「あれ? おれがこの家に初めて来たのって、いつだっけ? なんか、物心ついたときには遊びに来てたと思うんだけど……ユリウスは、覚えてる?」
彼の子どもの頃の記憶は、混乱している。物心つく前だからなのか、それとも別の理由があるのかは判断がつかないが、ユリウスはアンジェロに、余計なことを思い出してほしくなかった。
「いや、実はあんまり覚えていないんだ。子どものときの話だし」
覚えていないのも無理はない、当たり前のことだ。そう話を合わせたユリウスは、今思い出したとばかりに、アンジェロに尋ねる。
「そういえば、アンジェロ。私の呪いを解く方法は見つかったのか? 兄上は国の書庫を漁っているし、ディオン殿は森の中を探索しているが」
二人の名前を出すと、アンジェロは鼻をひくりと動かして、不機嫌になる。
本当に気に入らないのだな、とユリウスは苦笑する。ディオンはともかくとして、エドアルドのことは許してもらいたいものだ。
ディオンは相変わらず、ユリウスの元をちょくちょく訪れては、意味のない対話をする。それからひとりで森の奥へと入っていく。最近は小屋に顔を出さず、自身の部下とともに森林内を探索しているようで、ユリウスはもとより、タビオがその空気を感じ取って、ピリピリしていた。
「本当に、呪いを解く方法が見つかったら、あいつらのところに行くのか?」
目は嫉妬にぎらついている。しかし、怖いという気持ちよりも、嬉しい気持ちが勝る。
「まあ、条件を出したのは私だから。一度は出向く必要があるだろう」
ユリウスの能力目当てであれば、そのときには無用になっているかもしれないが。
「定住するつもりはない。私の家は、ここだから」
親の温もりを知らぬ子どもに、愛情をかけてくれた家族の居場所を、ユリウスは守りたいと思う。
「もし……」
アンジェロは何か言いたそうにしていたけれど、最終的には小さく息を吐いて、いつも通りの笑顔を浮かべた。淫靡に蕩けた誘惑の微笑とは違う、快活な弟分にふさわしい表情だ。
「まあ、おれの愛の力でどうにかなるでしょ!」
脳天気な物言いに、ユリウスは呆れかえる。
「お前ね」
彼が言いかけていた言葉の続きを、ユリウスは容易に想像できた。
もしもおれが、呪いを解く方法を見つけたのならば、一緒に暮らさないか。
求婚に等しい台詞を、アンジェロは飲み込んだのだ。ユリウスが決してここから離れないと宣言したことに、一方
で安堵し、一方で絶望した。
四男とはいえ、アンジェロはヴァリーノ家の一員。商売を理由に輝きの森に頻繁に訪れるが、定住するとなると、話は別だ。商人は街にいなければ、仕事にならない。
「大丈夫だから」
力強く肩を二度叩かれ、ユリウスはそれ以上、何も言えなかった。
「今日は泊まっていくといい」
「ほんと? やった!」
最近は滅多に出さない宿泊許可に、アンジェロは心の底から嬉しげに、声を上げ、拳を握った。
流麗だが線の細いデニスの文字は、すんなりと頭に入ってくる。
ラメールは南の海に浮かぶ島国で、当然、船に乗るしか辿り着く手段のない場所である。南方の国の港からだって、毎日定期便が出ているわけではない。
南国は、北に位置する森での暮らしとは違うし、植生も異なる。デニスの手紙からは、新たな薬草との出会いにはしゃいだ様子が伝わってきて、思わずユリウスは、口元を綻ばせた。
いつもは賑やかな妻の横で微笑んでいるデニスだが、こういうときは逆に、アメリアに諫められるほどに行動が危うくなる。言葉は速く、声は大きく、動作は大げさに。ユリウス自身も、より効果の高い処方を発見したときには、訳のわからないタビオに話して聞かせ、呆れられてしまう。
そう思うと、やはり自分は、アルビオム王家の一員ではなく、輝きの森の番人たる薬師の息子なのだと感じる。兄との関係は良好に保ちたいが、たとえ本当に呪いが解けたとしても、生国に帰還する気には、到底なれなかった。
論文に等しいデニスの長い手紙の最後には、アメリアからの伝言もあった。
『とにかく身体に気をつけること。以上』
雑で大きな文字の走り書きは、デニスに請われ、嫌々書いたものに違いない。彼女は自分の字が下手なのを自覚していて、あまり書き物をしたがらなかった。
勢いのある筆記に、脳裏にはアメリアの張りのある声が蘇る。小さな身体で俊敏な動き、まさしく彼女そのものだ。
小さく声を立てて笑ったユリウスに、「何か面白いことでも書いてあった?」と、アンジェロは持参した茶菓子を貪りながら尋ねてくる。該当箇所を見せると、「ぶは」と、彼も同じことを考えたのだろう、噴き出した。
「アメリアらしい」
「そうだな」
手紙を畳み直して封筒に戻したユリウスは、アンジェロと思い出話に興じる。幼児期にここで暮らした彼にとっても、デニスたちは親戚のようなものだった。
「普通は親父さんの方がおっかないもんだけどなあ」
「うちの場合は、両親の役割が逆だな」
厳しい父と、優しい母。外で稼いでくる父と、家の中で立ち働く母。
世間一般の夫婦像とは真逆なのが、この小屋での暮らしだった。アメリアは森に分け入り、獲物を狩ってくる。その腕は、「いつか竜でも狩ってきそうだよな」と、アンジェロに言わしめるほどであった。
彼女は、動物を肉にするのはお手の物だが、料理は大雑把な味つけで、食べると曖昧な笑顔になってしまう腕前であった。
「そうそう。おれがおねしょしたシーツをぐるぐるにして隠したら、すごく怒られてさ」
アメリアは、そういう人だった。ユリウスも、ここにやってきたばかりの頃、同じことをして、ものすごく怒られた。
「すぐ謝ればいいのに、恥ずかしくて言い出せなかったな」
汚れものは早く洗うべき。今なら判断できるけれど、幼い頃は、「怒られたらどうしよう」という不安が先走って、ついベッドの下に隠してしまう。
「おれ、あれ以来隠しごとできなくなったし、隠しごとをされるのも嫌いになったな」
アンジェロとしては、軽く放った一言だった。含みのない、ただの雑談だということは、彼の表情からもわかる。
隠しごと。
心臓が、嫌な音を立てる。決して知られてはいけない。アンジェロにだけは。
沈黙は怪しまれるとわかっていても、何も言えなかった。視線を不自然にならない程度に外し、ユリウスはアンジェロが一方的に話をするのを、ぼんやりと聞いていた。
とりとめない話題は、あちこちへ飛ぶ。養親の話から、いつの間にかユリウスとの出会いの話に移り変わっていることに、気がつくのが遅れた。
「初めて会ったときから、ユリウスはめちゃくちゃ美人だった!」
「何を言っているんだか……」
自分の容貌について過度に褒められるのはむず痒いが、今は話が変わったことに、肩の力が抜けた。呆れたユリウスに、アンジェロは熱弁を振るう。
「本当だよ! 一目見た瞬間に、好きだって思ったんだ!」
「初めて会ったのなんて、お前がいくつのときだと……」
ユリウスの脳裏には、二歳の頃のアンジェロが浮かぶ。ずっと立って歩くにはまだ体力がなく、椅子の上に転がされていることが多かった。
ユリウスと目が合うと、一生懸命にお喋りをして、きゃっきゃと笑って――……。
「あれ? おれがこの家に初めて来たのって、いつだっけ? なんか、物心ついたときには遊びに来てたと思うんだけど……ユリウスは、覚えてる?」
彼の子どもの頃の記憶は、混乱している。物心つく前だからなのか、それとも別の理由があるのかは判断がつかないが、ユリウスはアンジェロに、余計なことを思い出してほしくなかった。
「いや、実はあんまり覚えていないんだ。子どものときの話だし」
覚えていないのも無理はない、当たり前のことだ。そう話を合わせたユリウスは、今思い出したとばかりに、アンジェロに尋ねる。
「そういえば、アンジェロ。私の呪いを解く方法は見つかったのか? 兄上は国の書庫を漁っているし、ディオン殿は森の中を探索しているが」
二人の名前を出すと、アンジェロは鼻をひくりと動かして、不機嫌になる。
本当に気に入らないのだな、とユリウスは苦笑する。ディオンはともかくとして、エドアルドのことは許してもらいたいものだ。
ディオンは相変わらず、ユリウスの元をちょくちょく訪れては、意味のない対話をする。それからひとりで森の奥へと入っていく。最近は小屋に顔を出さず、自身の部下とともに森林内を探索しているようで、ユリウスはもとより、タビオがその空気を感じ取って、ピリピリしていた。
「本当に、呪いを解く方法が見つかったら、あいつらのところに行くのか?」
目は嫉妬にぎらついている。しかし、怖いという気持ちよりも、嬉しい気持ちが勝る。
「まあ、条件を出したのは私だから。一度は出向く必要があるだろう」
ユリウスの能力目当てであれば、そのときには無用になっているかもしれないが。
「定住するつもりはない。私の家は、ここだから」
親の温もりを知らぬ子どもに、愛情をかけてくれた家族の居場所を、ユリウスは守りたいと思う。
「もし……」
アンジェロは何か言いたそうにしていたけれど、最終的には小さく息を吐いて、いつも通りの笑顔を浮かべた。淫靡に蕩けた誘惑の微笑とは違う、快活な弟分にふさわしい表情だ。
「まあ、おれの愛の力でどうにかなるでしょ!」
脳天気な物言いに、ユリウスは呆れかえる。
「お前ね」
彼が言いかけていた言葉の続きを、ユリウスは容易に想像できた。
もしもおれが、呪いを解く方法を見つけたのならば、一緒に暮らさないか。
求婚に等しい台詞を、アンジェロは飲み込んだのだ。ユリウスが決してここから離れないと宣言したことに、一方
で安堵し、一方で絶望した。
四男とはいえ、アンジェロはヴァリーノ家の一員。商売を理由に輝きの森に頻繁に訪れるが、定住するとなると、話は別だ。商人は街にいなければ、仕事にならない。
「大丈夫だから」
力強く肩を二度叩かれ、ユリウスはそれ以上、何も言えなかった。
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