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エドアルドが輝きの森を訪れたのは、最初の来訪からふた月近く経ってからのことだった。
護衛の近衛を何人か連れた兄の眉間には、深い皺が刻まれていた。ソファにどっかりと座る姿は、威厳があるというよりも、疲弊していた。
「ずいぶんと遅かったですね」
気分が和らぐ作用のある香草茶を淹れて台所から戻ったユリウスは、彼の前にカップを置きながら、素直な感想を述べた。ちらりと目を向けられたことで、自分の言葉が嫌味に聞こえたのだと気がついた。
「申し訳ありません」
頭を下げ、ユリウスは一歩下がる。アルビオムの第一王子にそんな口を叩いたとなれば、例の侍従が自分の百倍は、嫌みったらしい説教をしてくるに違いない。
トレイを抱えて押し黙ったユリウスだが、いつまで経っても、真っ向からの悪口は聞こえてこない。
おや、とよくよく周囲を見てみれば、あの侍従はいなかった。
「あれは置いてきた」
過保護な侍従を「あれ」扱いするエドアルドは、やはり王族で、自分とはまるで違う人種なのだと思う。少なくともユリウスは、どれほど苦手な相手であっても、モノではなく人間として扱うべきだと思う。
カップに口をつけたエドアルドは、盛大な溜息とともに、眉間の縦皺を揉み込んだ。大して味もよくないだろうに、彼は一口、二口と茶を含み、その度に息を吐く。
「殿下」
「やめろ」
ぴしゃりと言われ、首を竦めた。強い言葉で諫められることに慣れていないため、反射だった。エドアルドはユリウスの反応を見て、気まずそうな顔をする。
「すまない」
「いえ……」
会話が続かない。ディオンやアンジェロがいてくれたら、と一瞬考えたものの、彼らが本当に同席していたとしたら、ユリウスは兄と、正面切って話すことはできないだろう。
国の事情は説明を受けたが、ユリウスは、エドアルドの気持ちを聞いていない。
「遅くなったのは」
言葉を発したのは、エドアルドが先だった。立ったままで、彼の話に耳を傾けようとしていたユリウスに、エドアルドは流し目を送り、指でテーブルをコツコツと叩いた。
何のことやら、瞬時には判断できなかったユリウスは、兄の目の動きを見て、ようやく理解した。向かい側に配置された椅子に、浅く腰をかける。すると、満足げに頷いたエドアルドが、話を再開した。
「遅くなったのは、石頭な連中を説得するのに、時間がかかったせいだ」
呪いを解くために帰国したエドアルドは、王宮の書庫に籠もった。三日三晩、他の政務の間を詰めてでも時間を確保して、書物に没頭したが、成果は得られなかった。
「そこで一度、お前の元を訪れるつもりでいた」
競い合う他の連中(とはいえ、エドアルドの眼中にあるのはディオンだけだろう)の敵情視察も兼ねて、輝きの森に再び足を踏み入れようとしたエドアルドを止めたのは、国の重鎮たちであった。
彼らは書庫に引きこもった王子を不審に思い、呼び出した。古老たる彼らにとって、王の第一子である青年すら、思うままに振り回すことのできる子どもにすぎなかった。
年の功とはよく言うもので、エドアルドは少々期待して、老人たちに投げかけた。
ユリウスを国に戻すために、呪いを制御する方法を探している。
しかし、思ったような反応は返ってこなかった。
「連中は、お前の呪いが解けたら意味がないと言った」
疲労の色が濃く刻まれた顔をこちらに向け、兄は静かに憤りを抱えている。
ユリウスは、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。
正直、なぜこうまでエドアルドが怒っているのか、理解できなかった。ユリウスは彼らにとっては、国の危機を救うかもしれない「道具」だ。アンジェロは怒り狂うだろうが、鉱山資源の枯渇に悩む彼の国にとっては、生き物を金
に変えることのできる自分は、紛れもなく道具でしかないのだ。
だからつい、「私の呪いは、便利な道具ですからね……」と、自虐してしまった。
すると、エドアルドはカッと目を見開いた。国の人間たちへの怒りが、一気にユリウスの全身に対して向けられて、にわかに緊張し、背筋を伸ばす。
「あの、殿下」
「殿下じゃない」
何をそんなに苛立っているのか、心の底からわからない。これ以上彼の機嫌を損ねるのが恐ろしく、ユリウスは黙りこくってしまう。
しばらくして、ようやく落ち着いたらしいエドアルドが、細く長い溜息交じりに謝罪をしてくる。
「すまない……だが、殿下ではなく、できれば兄と呼んではもらえないか」
「でも」
「でも、ではない。ヨハネスも今日はいない。いや、いたとしても関係ない。お前は、私の弟だ。道具などではない」
聞けば、アンジェロに糾弾されたときには、そんな風に捉えられたのが衝撃的すぎて、何も反論できなかったという。
「私は顔が怖いらしい。王太子にも、よく言われる」
ディオンがいれば、思いきり噴き出しているところだろう。しかしここにいるのは、感情を表に出すことが苦手な兄弟が、二人きりだった。ユリウスは慰めるべきかどうか悩み、結局いい言葉は浮かばなかった。
エドアルドは、背もたれにゆったりと寄りかかり、幾分か気楽な調子で、茶を飲み干した。
その様は、国や民を憂える国王のようだ。もちろん、幼い頃に王宮を追い出されたユリウスは、父王が玉座にある姿を見たことはない。だから、想像の中の王だ。
泰然とした為政者にしか見えないが、エドアルドが王位に就くことは、まずない。彼の王位継承順位は低い。アルビオム王家では、生まれ順よりも、生母の家の位によって順位が決まる。
ユリウスが呪い子でなければ、間違いなく次期国王として立つことになっていたし、相応の教育を受けただろう。
今の王太子は、まだ十歳。国王も年を重ねており、最近は病気がちだと風の噂で聞く。いつ代替わりがあってもおかしくない。エドアルドは、王太子の後見人として、幼い彼の代わりに実務に就いている。
「兄上」
頬を緩め、エドアルドは言う。
「王宮では一度も顔を合わせることはなかったが、お前は私にとって、初めての兄弟だ」
ユリウスは息を吞む。
「お前には、兄として何もしてやることができなかった。だから、下に生まれた弟妹たちにはいろいろ尽くしているのだが、上手くいかないな。怖がられてばかりいる」
王には妃が何人もいて、姫も王子も多い。ひとりひとりに、エドアルドは不器用な優しさで、接しているのだろう。
国の中には、彼をよく思わない者もいる。王太子を廃して、自分が立とうとしているのだと疑う者もいる。ユリウスも、実際はそうなのかと思っていた。
だが、エドアルドの目の奥にあるのは、家族への愛情だ。半分しか血が繋がっていなくとも、彼の中では兄弟愛が深く根づいていて、自分に対しても、等しく注がれている。子どもの頃から、一度も同じ時を過ごしたことがないにもかかわらず。
「お前の力に頼ろうというのは、国の決定だ。しかし私は、他に国を救う手段を探し、お前を呪いから解放してやりたい。その上で、兄弟としての契りをしっかりと交わしたいと思っている」
家族とは、兄弟とは、いったい何なのだろう。絆なんてないと思っていたのに、兄は存在すると信じて、自分のために動いてくれている。
ユリウスはエドアルドの話を聞き、呆然とする。
どんな言葉を講じたとして、すべてが薄いものになってしまいそうな気がして、口を噤んだ。
本当に、呪いを解くことができるのならば。
ユリウスは、最初から諦めていた。生まれ落ちたときから、この身は親殺しにも等しい罪を抱え込んでいる。愛しい相手に無防備に甘え、触れることができないのは、その罰なのだ。
金に変えてしまった生き物を元に戻す方法は見つけたい、見つけなければならないと思うが、自分の呪い自体は、このままでいいと思っていた。
養親が長い旅に出たのも、自分の呪いをどうにかするためだった。勘当されているとはいえ、曲がりなりにも一国の元王子という身分のユリウスを連れて、万が一のことがあってはならないと、置いていった。
ユリウスは、二人のことも信じていない自分に気づかされた。
旅の無事を祈り、人々を元に戻す方法が見つかることを期待する一方で、自分自身は呪いから解放されたいという気持ちは、ひとかけらもなかった。
それでいいのか?
自問自答するときは、じっとしているよりも、動き回った方がいい。ひとり、森を散策するユリウスは、ふと目についた百合の花を手折った。
死者への手向けによく使われるのは白い花弁のものだが、野に咲く花は荒々しい鬼百合だ。濃い橙色の花びらは、毒を持つのではないかと錯覚するほど。
行き先は、例の崖だった。
呪いのことを強く意識するとき、ユリウスは必ずここへ、引き寄せられる。けれどやっぱり、近づくことはできなかった。一定の距離を保ったまま、ぼんやりとユリウスは中空を眺め続ける。
この場所を禁忌と感じるのならば、やはり自分は、呪いから逃れようなどと望んではいけないのだ。
持っていた百合の花を手放した。風が崖下まで運んでくれまいかと思ったが、ぽとりとその場に落ちた。
いつか、この花も朽ちていく。それでも自分の中の罪は、消えやしない。
「おーい、ユリウス!」
森は静寂に包まれていて、呼び声はよく響く。近くにいるように聞こえて、実際はまだ遠い。待っていると、しばらくしてからアンジェロが姿を現した。
「タビオに聞いたら、森にいるって言われたからさ」
のんきに笑っているが、彼はあくまでも素人だ。地図のない森に足を踏み入れて、遭難してしまう可能性もあった。
「迷子になったらどうするんだ」
ユリウスは語気を多少荒げて叱るが、アンジェロには効き目がない。どころか、にやにやと笑って、「大丈夫。おれがユリウスを見失うはずがないでしょ」と、何の根拠があってか、言ってのける。
言葉を変え、何度言い聞かせてもアンジェロは「大丈夫だ」と譲らないので、結局根負けするのはいつだって、ユリウスの方だ。
深々と溜息をついて、かぶりを振る。
「それで、アンジェロ。何か用か?」
子どもの頃ならいざ知らず、アンジェロも、もはやいい大人である。仕事以外で立ち寄る暇はないし、わざわざ森に分け入ってまで、自分を探すほどの用事があるのなら、早急に聞いておきたい。
彼は忘れていたというように、ポケットから封筒を取り出した。
「デニスたちから手紙が届いた!」
輝きの森はどこの国にも所属していないから、郵便も届かない。だから養父たちは、アンジェロのところに手紙を送る。今はどこにいるのかわからないが、場所によっては、数ヶ月かかることもある。
ユリウスは「それを早く言え」と小言を告げ、足早に小屋に戻る。こんな場所では、ゆっくりと読んでいられない。
夏用のローブを翻して歩くユリウスの後ろを、アンジェロはのんびりと着いてくる。
「ん?」
立ち止まった気配に、ユリウスは振り向く。
「どうした? 早く帰ろう」
辺りを見渡しているアンジェロに声をかけると、彼は少しだけ眉根を寄せ、「ああ」と頷き、ユリウスの隣にぴったりとくっついて歩き始めた。
護衛の近衛を何人か連れた兄の眉間には、深い皺が刻まれていた。ソファにどっかりと座る姿は、威厳があるというよりも、疲弊していた。
「ずいぶんと遅かったですね」
気分が和らぐ作用のある香草茶を淹れて台所から戻ったユリウスは、彼の前にカップを置きながら、素直な感想を述べた。ちらりと目を向けられたことで、自分の言葉が嫌味に聞こえたのだと気がついた。
「申し訳ありません」
頭を下げ、ユリウスは一歩下がる。アルビオムの第一王子にそんな口を叩いたとなれば、例の侍従が自分の百倍は、嫌みったらしい説教をしてくるに違いない。
トレイを抱えて押し黙ったユリウスだが、いつまで経っても、真っ向からの悪口は聞こえてこない。
おや、とよくよく周囲を見てみれば、あの侍従はいなかった。
「あれは置いてきた」
過保護な侍従を「あれ」扱いするエドアルドは、やはり王族で、自分とはまるで違う人種なのだと思う。少なくともユリウスは、どれほど苦手な相手であっても、モノではなく人間として扱うべきだと思う。
カップに口をつけたエドアルドは、盛大な溜息とともに、眉間の縦皺を揉み込んだ。大して味もよくないだろうに、彼は一口、二口と茶を含み、その度に息を吐く。
「殿下」
「やめろ」
ぴしゃりと言われ、首を竦めた。強い言葉で諫められることに慣れていないため、反射だった。エドアルドはユリウスの反応を見て、気まずそうな顔をする。
「すまない」
「いえ……」
会話が続かない。ディオンやアンジェロがいてくれたら、と一瞬考えたものの、彼らが本当に同席していたとしたら、ユリウスは兄と、正面切って話すことはできないだろう。
国の事情は説明を受けたが、ユリウスは、エドアルドの気持ちを聞いていない。
「遅くなったのは」
言葉を発したのは、エドアルドが先だった。立ったままで、彼の話に耳を傾けようとしていたユリウスに、エドアルドは流し目を送り、指でテーブルをコツコツと叩いた。
何のことやら、瞬時には判断できなかったユリウスは、兄の目の動きを見て、ようやく理解した。向かい側に配置された椅子に、浅く腰をかける。すると、満足げに頷いたエドアルドが、話を再開した。
「遅くなったのは、石頭な連中を説得するのに、時間がかかったせいだ」
呪いを解くために帰国したエドアルドは、王宮の書庫に籠もった。三日三晩、他の政務の間を詰めてでも時間を確保して、書物に没頭したが、成果は得られなかった。
「そこで一度、お前の元を訪れるつもりでいた」
競い合う他の連中(とはいえ、エドアルドの眼中にあるのはディオンだけだろう)の敵情視察も兼ねて、輝きの森に再び足を踏み入れようとしたエドアルドを止めたのは、国の重鎮たちであった。
彼らは書庫に引きこもった王子を不審に思い、呼び出した。古老たる彼らにとって、王の第一子である青年すら、思うままに振り回すことのできる子どもにすぎなかった。
年の功とはよく言うもので、エドアルドは少々期待して、老人たちに投げかけた。
ユリウスを国に戻すために、呪いを制御する方法を探している。
しかし、思ったような反応は返ってこなかった。
「連中は、お前の呪いが解けたら意味がないと言った」
疲労の色が濃く刻まれた顔をこちらに向け、兄は静かに憤りを抱えている。
ユリウスは、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。
正直、なぜこうまでエドアルドが怒っているのか、理解できなかった。ユリウスは彼らにとっては、国の危機を救うかもしれない「道具」だ。アンジェロは怒り狂うだろうが、鉱山資源の枯渇に悩む彼の国にとっては、生き物を金
に変えることのできる自分は、紛れもなく道具でしかないのだ。
だからつい、「私の呪いは、便利な道具ですからね……」と、自虐してしまった。
すると、エドアルドはカッと目を見開いた。国の人間たちへの怒りが、一気にユリウスの全身に対して向けられて、にわかに緊張し、背筋を伸ばす。
「あの、殿下」
「殿下じゃない」
何をそんなに苛立っているのか、心の底からわからない。これ以上彼の機嫌を損ねるのが恐ろしく、ユリウスは黙りこくってしまう。
しばらくして、ようやく落ち着いたらしいエドアルドが、細く長い溜息交じりに謝罪をしてくる。
「すまない……だが、殿下ではなく、できれば兄と呼んではもらえないか」
「でも」
「でも、ではない。ヨハネスも今日はいない。いや、いたとしても関係ない。お前は、私の弟だ。道具などではない」
聞けば、アンジェロに糾弾されたときには、そんな風に捉えられたのが衝撃的すぎて、何も反論できなかったという。
「私は顔が怖いらしい。王太子にも、よく言われる」
ディオンがいれば、思いきり噴き出しているところだろう。しかしここにいるのは、感情を表に出すことが苦手な兄弟が、二人きりだった。ユリウスは慰めるべきかどうか悩み、結局いい言葉は浮かばなかった。
エドアルドは、背もたれにゆったりと寄りかかり、幾分か気楽な調子で、茶を飲み干した。
その様は、国や民を憂える国王のようだ。もちろん、幼い頃に王宮を追い出されたユリウスは、父王が玉座にある姿を見たことはない。だから、想像の中の王だ。
泰然とした為政者にしか見えないが、エドアルドが王位に就くことは、まずない。彼の王位継承順位は低い。アルビオム王家では、生まれ順よりも、生母の家の位によって順位が決まる。
ユリウスが呪い子でなければ、間違いなく次期国王として立つことになっていたし、相応の教育を受けただろう。
今の王太子は、まだ十歳。国王も年を重ねており、最近は病気がちだと風の噂で聞く。いつ代替わりがあってもおかしくない。エドアルドは、王太子の後見人として、幼い彼の代わりに実務に就いている。
「兄上」
頬を緩め、エドアルドは言う。
「王宮では一度も顔を合わせることはなかったが、お前は私にとって、初めての兄弟だ」
ユリウスは息を吞む。
「お前には、兄として何もしてやることができなかった。だから、下に生まれた弟妹たちにはいろいろ尽くしているのだが、上手くいかないな。怖がられてばかりいる」
王には妃が何人もいて、姫も王子も多い。ひとりひとりに、エドアルドは不器用な優しさで、接しているのだろう。
国の中には、彼をよく思わない者もいる。王太子を廃して、自分が立とうとしているのだと疑う者もいる。ユリウスも、実際はそうなのかと思っていた。
だが、エドアルドの目の奥にあるのは、家族への愛情だ。半分しか血が繋がっていなくとも、彼の中では兄弟愛が深く根づいていて、自分に対しても、等しく注がれている。子どもの頃から、一度も同じ時を過ごしたことがないにもかかわらず。
「お前の力に頼ろうというのは、国の決定だ。しかし私は、他に国を救う手段を探し、お前を呪いから解放してやりたい。その上で、兄弟としての契りをしっかりと交わしたいと思っている」
家族とは、兄弟とは、いったい何なのだろう。絆なんてないと思っていたのに、兄は存在すると信じて、自分のために動いてくれている。
ユリウスはエドアルドの話を聞き、呆然とする。
どんな言葉を講じたとして、すべてが薄いものになってしまいそうな気がして、口を噤んだ。
本当に、呪いを解くことができるのならば。
ユリウスは、最初から諦めていた。生まれ落ちたときから、この身は親殺しにも等しい罪を抱え込んでいる。愛しい相手に無防備に甘え、触れることができないのは、その罰なのだ。
金に変えてしまった生き物を元に戻す方法は見つけたい、見つけなければならないと思うが、自分の呪い自体は、このままでいいと思っていた。
養親が長い旅に出たのも、自分の呪いをどうにかするためだった。勘当されているとはいえ、曲がりなりにも一国の元王子という身分のユリウスを連れて、万が一のことがあってはならないと、置いていった。
ユリウスは、二人のことも信じていない自分に気づかされた。
旅の無事を祈り、人々を元に戻す方法が見つかることを期待する一方で、自分自身は呪いから解放されたいという気持ちは、ひとかけらもなかった。
それでいいのか?
自問自答するときは、じっとしているよりも、動き回った方がいい。ひとり、森を散策するユリウスは、ふと目についた百合の花を手折った。
死者への手向けによく使われるのは白い花弁のものだが、野に咲く花は荒々しい鬼百合だ。濃い橙色の花びらは、毒を持つのではないかと錯覚するほど。
行き先は、例の崖だった。
呪いのことを強く意識するとき、ユリウスは必ずここへ、引き寄せられる。けれどやっぱり、近づくことはできなかった。一定の距離を保ったまま、ぼんやりとユリウスは中空を眺め続ける。
この場所を禁忌と感じるのならば、やはり自分は、呪いから逃れようなどと望んではいけないのだ。
持っていた百合の花を手放した。風が崖下まで運んでくれまいかと思ったが、ぽとりとその場に落ちた。
いつか、この花も朽ちていく。それでも自分の中の罪は、消えやしない。
「おーい、ユリウス!」
森は静寂に包まれていて、呼び声はよく響く。近くにいるように聞こえて、実際はまだ遠い。待っていると、しばらくしてからアンジェロが姿を現した。
「タビオに聞いたら、森にいるって言われたからさ」
のんきに笑っているが、彼はあくまでも素人だ。地図のない森に足を踏み入れて、遭難してしまう可能性もあった。
「迷子になったらどうするんだ」
ユリウスは語気を多少荒げて叱るが、アンジェロには効き目がない。どころか、にやにやと笑って、「大丈夫。おれがユリウスを見失うはずがないでしょ」と、何の根拠があってか、言ってのける。
言葉を変え、何度言い聞かせてもアンジェロは「大丈夫だ」と譲らないので、結局根負けするのはいつだって、ユリウスの方だ。
深々と溜息をついて、かぶりを振る。
「それで、アンジェロ。何か用か?」
子どもの頃ならいざ知らず、アンジェロも、もはやいい大人である。仕事以外で立ち寄る暇はないし、わざわざ森に分け入ってまで、自分を探すほどの用事があるのなら、早急に聞いておきたい。
彼は忘れていたというように、ポケットから封筒を取り出した。
「デニスたちから手紙が届いた!」
輝きの森はどこの国にも所属していないから、郵便も届かない。だから養父たちは、アンジェロのところに手紙を送る。今はどこにいるのかわからないが、場所によっては、数ヶ月かかることもある。
ユリウスは「それを早く言え」と小言を告げ、足早に小屋に戻る。こんな場所では、ゆっくりと読んでいられない。
夏用のローブを翻して歩くユリウスの後ろを、アンジェロはのんびりと着いてくる。
「ん?」
立ち止まった気配に、ユリウスは振り向く。
「どうした? 早く帰ろう」
辺りを見渡しているアンジェロに声をかけると、彼は少しだけ眉根を寄せ、「ああ」と頷き、ユリウスの隣にぴったりとくっついて歩き始めた。
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