金の右手は初恋に触れる

葉咲透織

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 地下室から出てきたタビオに茶を淹れてもらう。自分でやってもよかったのだが、危なっかしい手つきを見たアンジェロに、全力で止められてしまった。

 アンジェロが買いつけた茶葉は、庶民が普段使いするには高級な品だ。とっておきの来客があることがわかっているときにしか飲まないものだったが、これ以上の客人は来ないだろうから、悪くなる前に飲みきってしまうことにした。

 買ってきた本人ですら、出すことはあっても自分で思う存分飲むことはないという。

 香りを吸い込んだアンジェロは、持参した砂糖菓子を、主にタビオに振る舞う。

「ほら。好きなだけお食べ」
「タビオ。遠慮することはない。アンジェロはこう見えて、私などよりもずっと金持ちだ」

 唇を尖らせたタビオは、砂糖菓子を手に取り、ちびちびと囓り始めた。あまり贅沢をさせてやれない小屋暮らしだ。人工の甘いものを食べる機会は少なく、タビオは嬉しそうに味わって食べている。

「アンジェロにお礼は?」

 家事はやってもらっていても、教育やしつけを行うのは、大人である自分の責任である。ユリウスが促すと、タビオはやや引きつった笑顔ではあったものの、「ありがとう」と、小さく頭を下げた。

「また今度、買ってくるよ」

 約束をしたアンジェロに、タビオは少しだけ笑った。照れくさくなったのか、彼はすぐに走り出して、地下室へと行ってしまう。

「食べ物で懐柔する作戦も、上手くいかない気がする……」

 将を射るにはまず馬を云々と、訳のわからないことを言いつつ、結局逃げられた形になったアンジェロは、名残惜しそうにいじけて、砂糖菓子をカリカリと囓る。

 その様子が、幼い頃、この小屋で同居していたときとそっくりそのままだったので、ユリウスは目を細めた。

 急に大人びた顔をして口説いてきたり、立場を超えてディオンやエドアルドに食ってかかり、ユリウスを守ろうとするアンジェロだが、根っこの部分は変わらないのだと実感すると、安心する。

「別に、アンジェロのことを嫌っているわけじゃないさ。あの子は戸惑っているんだ。私とあまりにも違うから」

 タビオは母ひとり、子ひとりで育った。そのため、大人の男に不慣れである。現在の保護者であるユリウスは、上背こそあれど細身だし、デニスも小柄な方だ。背も高く、逞しいアンジェロには、圧迫感を覚えるのだろう。

「それに、私たちと一緒に食べるよりも、地下室の方が落ち着くんだろう」

 タビオが消えていった地下室へ続く階段は仄暗い。子どもの冒険心や好奇心をくすぐるよりも、恐怖心を煽る暗がりなのだが、タビオは嬉々として階段を駆け下りていった。

 アンジェロは不思議そうな顔をしている。

「おれは子どもの頃、罰としてアメリアに閉じ込められて怖かったけどなあ。何が面白いんだろうな」

 ひやりとする。純然たる疑問で済んでいるうちはいいが、「じゃあ行ってみようか」という話になるのは、まずい。

 ユリウスは咄嗟に話題を変える。

「そういえば、あの二人に、私が道具じゃないって怒ってくれたの、すごく嬉しかった」

 案の定、アンジェロは表情を一変させ、タビオと地下室のことは頭の中からかき消えた様子である。

 ユリウスとしても、別にその場しのぎの話題で出したわけではなかった。エドアルドとディオンは、結局自分の呪いの力が目当てであり、アンジェロ曰くの「道具」というのが、しっくりきた。彼らはユリウス自身を見ていない。

「本当? 格好よかった? 惚れた?」

 褒められたい、格好いいと言われたいという気持ちを押し出したにやにや顔でこちらを窺ってくるアンジェロに、ユリウスは本音を隠した状態で、微笑んだ。

 格好いいだとか惚れ直しただとか、彼を喜ばせる、耳に心地よく響く言葉を投げかけることはできない。

「ずっと子どもだとばかり思っていたから、私のことを庇って、守ろうとしてくれて、驚いたし嬉しかった」

 五歳年下の彼を、まだほんの赤ん坊、物心つく前から知っているからこその、感慨であった。可愛い弟分は今でも、小屋に訪れるときは仕事半分、遊び半分の気持ちだ。

 それを咎めつつも、ユリウスは彼の来訪を嬉しく思っていた。一緒に住んでいるタビオとは、また違う。

 ユリウスの言葉に、アンジェロは一瞬、不満そうに唇を尖らせた。だが、そんな仕草が子ども扱いを助長するのだとすぐに気づき、不意に真顔になった。

 あどけない、年下らしい笑みを消すと、アンジェロは精悍なひとりの青年になる。彼の顔を形づくる部品のひとつひとつが、くっきりと陰を落としている。輪郭はきりりと引き締まり、よく日に焼けていて、彼が自分の足を使って仕事を――ユリウスが丹精した薬を、必要な人に届けているのだと、想像がつく。

 思わず、ユリウスは見惚れた。大人ぶった微笑はかき消えて、真剣な表情で見つめ合う形になる。

 アンジェロの琥珀の目が揺れて、鈍い輝きを湛えた。

「ユリウスが、おれのことをまだまだ子どもだと思っているのならそれは、あなたがおれを、子どものままにしておきたいからだよ」

 虚を突かれ、目を見開いたものの、ユリウスは反論しなかった。そんな反応を肯定だと受け取ったらしいアンジェロは、ユリウスの左手を取る。

 薬草摘みで引っかけた小さな傷を、少し眉を顰めては撫でる。人差し指が擦るうちに、ほのかに熱を帯び始めた気がして、ユリウスは手を引っ込めようとするも、アンジェロがそうはさせなかった。

 指同士を組んで、絡め合う。それはまるで、恋人同士の甘い睦み合いにも似ていた。

 おそらく彼は、ユリウスの気持ちをすべて、わかっている。

 アンジェロが告白めいたことを言い始めたのは、彼が十歳になるかならないかの頃だ。

 もうすでに、実家に帰っていたアンジェロは、商売にやってきた父親や商会の従業員にくっついては、小屋に遊びに来ていた。

 帰りたくないと駄々をこねる末っ子に、ヴァリーノの一族は非常に甘かった。特に、アンジェロをこの世に生み出した責任の一端である、父親は。

 結局そのまま泊まっていくことが多く、一緒のベッドで眠ったものである。

 いつまで経っても眠ろうとしないアンジェロを宥めていると、「あのね」と、彼はとっておきの内緒話を聞かせるように、ユリウスを口説いた。

 ユリウス、好きだよ。いつかぼくと、けっこんしてね。

 あいにく、同性同士で婚姻関係を結ぶ法はないのだが……などと、当時の自分は、子どもの夢を壊すことは言えなかった。

 あの頃から変わらず、否、より一層強く、アンジェロはユリウスを想ってくれている。

 そして、ユリウスも。

「おれはもう、子どもじゃないんだ。森の夜の音が怖くて、あなたにすがりついて泣いていたおれは、もういない」

 そんなの、わかっている。

 目の前にいるのは、ユリウスが理不尽な目に遭わされそうになれば怒ってくれるし、守ってくれる、立派な男だ。

 それでも、この手を握り返すわけにはいかない。自分には、資格がない。

 俯くユリウスの沈黙を、アンジェロは受け止める。最後に一度、強くぎゅっと握ると、寂しげに笑う。

「でもやっぱり、ユリウスの中では、まだまだおれは子どもなんだよな。なあ、どうしたら立派な大人の男だって、認めてくれる?」

 手の温もりが離れていっても、ユリウスは黙って首を横に振るだけだった。

 本当はユリウスも、彼と同じ気持ちなのだ。小屋にやってきては、自分に素直に愛情を示す男に、絆されずにいられようか。

 ユリウスには無理だった。想いは蓄積し、確かな形になる。そしてそれは、胸の奥につかえていて、今にも言葉として、口から飛び出しそうになるのだ。

 もしかすると、最初に好きになったのはユリウスの方だったのかもしれない。

 その後のアンジェロは、普通に商談をしていった。どんな薬をいくつ、どこへ売りにいくのか。そしてユリウスも普通に、不足していて森で採取できない薬草の依頼をする。

 視線が彼の手に集中してしまうのを、どうにか抑えながら、自分なりに平静を保った。


※※※


 煎じ薬に使う薬草の多くは、天日干しにしてから保存する。混ざらないように種類別に瓶に入れて、薬棚に保管している。

 季節に関係なく、腹下しの薬や痛み止めはよく売れる。その二種類に使う薬草は切らさないように心がけていたのだが、自分を巡る争いの過熱にかまけていたら、もうすぐなくなりそうだった。

 摘んだらすぐに干さなければならないため、ユリウスはその日の調合を中止した。

「ユリウス。出かけるの?」

 山歩きの装備を整えて部屋を出たユリウスに、熱心に掃除をしていたタビオは、一度手を止めた。

 最近はアンジェロ以外にも突然の来客が増えたため、地下室に籠もって出てこない時間が長くなっている彼は、思うように自分の仕事ができずに、恐縮していた。

 ユリウスは彼の頭を撫でる。

「誰かが来たときは、出直すようにだけ伝えてくれる?」

 緊張した面持ちで頷いたタビオに留守を任せ、ユリウスはひとり、森の深い場所へと入っていく。

 生まれ故郷を追放されたユリウスにとって、最初は魔女の森としか思えなかった恐ろしい場所も、今となっては憩いの場所だ。

 最初は遊び場として通っていた。アメリアは猟犬を連れて森の奥で狩りを行っていたが、ユリウスは太陽が当たる浅い場所で、デニスと一緒に花を摘んだ。

 植物の名前を教えてくれる優しい横顔に、てっきり養父は妻と違い、森の獣に対処する術を持たないと思っていた。

 だが、長じて薬師の修行を積むに当たって、その考えは間違いだとわかった。父であり師匠でもあるデニスは、薬の知識だけではなく、動物の知識も豊富だった。弓や剣の腕はアメリアには敵わないものの、その分、罠や最初から遭遇しない方法を知っていたし、万一のときに備えて、猛毒をしみこませた小刀を携帯していた。

 庭として育った森の中は、道なき道が続いている。動物たちは夜行性のものが多いため、昼のこの時間は、少し安心して歩くことができる。

 頭の中の地図には、目当ての薬草の群生地が入っている。真っ直ぐにそちらに向かう途中、ふと思い当たって、ユリウスは右の獣道を選ぶ。

 草むらを抜けて、少し開けたところに出たユリウスを迎えたのは、崖であった。吹きすさぶ風に髪をなびかせ、立ち尽くす。

 来たのはいいが、近づく勇気はなかった。この崖は、落ちたら決して這い上がってこられない。そのくらい、深い谷になっているのだ。

 くるりと踵を返し、もともとの目的である薬草摘みに戻ろうとしたユリウスだったが、背後に気配もなく立っていた男に気づき、息が止まるほど驚いた。

「っ」
「どうした、そんなに驚いて?」

 いったい、いつから尾行してきたのだろう。静かな環境で、野生動物に気を配りながら歩いていたのに、まったく気がつかなかった。

 ディオンはユリウスの驚愕を、笑顔ひとつで受け流す。

「あんたが知らない薬草で、呪いが解けるかもしれないと思って」

 そんなものがあるのなら、とっくに自分や養父が見つけている。

 唇を噛みしめたユリウスは、ディオンの次の言動に慌てた。

「例えば、ああいう崖下とかに珍しい薬草があるんじゃないかって」

 言葉と同時に、彼は崖へと近づこうとする。彼の袖を握り、制止した。振り払われなかったのは、ディオンが本気ではないという証左だ。

 彼はじっとユリウスを見下ろした。緑色の瞳は透明で透き通っている。濁りひとつない眼に、試されていると感じた。

 おかしな反応をすれば、この男はおそらく、意地でも崖へ向かおうとするに違いない。

「危険です。あの崖は険しく、土も脆くて、崩れやすい。落ちたらたとえ、歴戦の騎士であっても、這い上がることはできません」
「絶対に?」
「絶対に」

 真摯な目で見上げ、しばし。ユリウスに根負けしたディオンの方が、視線を逸らした。力なくユリウスの手から逃れると、のしのしと崖から離れていく。

「べっぴんさんに言われちゃ、仕方ないな」

 軽口とともに頭を掻いた男の後ろ姿を、ユリウスは息を詰めて見守る。遠ざかっていく彼の背に、ようやく安堵の息を吐き出した。



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