クレイジー・マッドは転生しない

葉咲透織

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法律は守るものです

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 九月になって、学校が再開された。変わったことといえば、俺は髪の毛を染め直すのを辞めた。ピンクをきれいに出すためにブリーチしていたので、色が抜けてもやや赤みが残っている状態だ。

 新学期、教室に入ってきた呉井さんは、俺の頭を見るなり、「おはようございます」の言葉を引っ込めた。嘘をついていたことを謝るつもりは、毛頭ない。ピンクの髪が地毛だなんて、どう聞いても冗談でしかない。信じ込む方がおかしい。

 実際呉井さんも、俺の髪の毛について言及しなかった。何なら柏木の方が、「なんでピンクにし続けないのよ!」と怒ったくらいだった。

 もうひとつ変わったのは。

「去年は同好会を立ち上げたのが、文化祭後でしたので、わたくしたち『生活科学研究会』としては初めての文化祭への参加ですね」

「この同好会、名前あったんだな……」

 俺の心とシンクロしたツッコミをしてくれるのは、山本だった。彼もなし崩しに同好会……生活科学研究会に入部することになった。

 表向きは成り行きで。しかし、山本は俺のフォローをするために入ってくれた。ほんと、付き合ってみるといい奴。五月の遠足のときは、なんか悪いもんでも食ってたんだろう。

 呉井さんは、山本に対してにっこりと笑ってみせた。

「例年、物品販売を手がける部活動は合同でスペースを取っていますので、わたくしたちもそこにお邪魔させていただくことにしました」

「へぇ。何か作って売るの?」

 呉井さんは俺からの質問は、まるっと無視をした。聞こえなかったわけではあるまい。合宿からこっち、ずっとこうだ。俺が話しかけても、せいぜい挨拶を返す程度で、会話が成り立たない。やっぱり悪い方へと変化してしまったけれど、仕方がない。

 さすがに呉井さんの態度がおかしいことに、柏木も気づいている。俺と呉井さんの顔を交互に見るけれど、両者ともに表情が変わらないのを見て、彼女は真相を掴もうとすることを、諦めた。

「それで? まどちゃん。何を作る予定なのかな?」

 まったく同じ問いが、瑞樹先輩の口から放たれる。呉井さんは、待っていました! とばかりに持っていた企画書を俺たちに配布する。

「石けん、ですわ!」

 なるほど石けんね。

 転生先の異世界は、衛生事情が劣っていることが多い。そしてなぜか転生者は、石鹸の作り方を知っているのがお決まりのパターンだ。

 さらに生活科学研究会という表向きの名称との相性もばっちりだ。

「さすがに石灰から……というわけにはいきませんので、薬品を購入して作成する予定です」

 特に問題はなさそうだ。じゃあそれで、と思ったとき、反対したのは山本である。

「ちょっと待って。石けんの販売って、法律で決まってるんじゃないか?」

 彼は素早くスマートフォンで「手作り石鹸 販売」と検索をかける。一通り目を通したあとで、俺たちに説明する。

「やっぱりだめだ。一般的な石けんは化粧石けんっていうんだけど、これは登録が必要。僕たちが販売できる可能性があるのは、雑貨扱いってところか」

 薬機法がどうとか。薬剤師を置かなきゃいけないとか。都道府県のなんちゃらってところに申請しなければならないだとか。とにかく面倒くさいということはわかった。

「雑貨扱いでも、原材料とか成分とか明記しなければならないし。僕たちができそうなのは……」

 山本は再度、スマートフォンを弄る。

「こういうのかな」

 彼が示したのは、石けんの彫刻だった。ソープカービング、というらしい。繊細なレースに似た薔薇の花は、とてもじゃないが素人にはできそうもない。

 っていうか。

「それだと趣旨に反するじゃん」

 柏木の言う通りだ。ソープカービングは、市販の石けんを使う。石けんを手作りするのとは話が違うのである。

「でもこれ以外だと、販売できない」

「えー? 学校のバザーだよ? そんくらい平気じゃない?」

「だめに決まってるだろ。いいか? 何か問題が起きたらどうするんだ? 僕たちじゃ対処できない」

 山本は正しい。正しいけれど、逃げ道がないんだ。それじゃ、石けんづくりをしたい柏木は納得しない。

 俺はこっそり、瑞樹先輩に目配せをする。こういうときに、何かいいアイディアを出してくれるのはやっぱり、先輩なのだ。

 彼は、やれやれと言う表情で、提案した。

「石けんは作ればいいよ。非売品で」

「でも」

「見本にすればいいんだよ」

 先輩の言葉を聞いて、俺も納得する。

「そっか。レシピを配布するのはどうだろう?」

 工夫して作った石けんを展示して、そのレシピを配布する。家で自分で作る分には自己責任の範疇だろう。その辺の文面は、工夫してもらうとして。

 どうかな、という目で山本を見ると、彼は頷いた。

「間違って販売しないように徹底すれば、大丈夫だろう」

 ということで、法律遵守派(あたりまえだけど)の山本も、石けんを作りたいったら作りたい派の柏木もそこそこ納得できる折衷案ができたところで、話は進んでいく。呉井さんが部長のはずなのだが、話し合いの主導権はすでに、山本に手渡してしまったようだ。彼女に文句がないのなら、俺が何か言う筋合いはない。

 山本はいくつかの手作り石けんレシピを比較検討して、材料が入手しやすい物、初心者でも作りやすい物をピックアップしてくれるという。

 石けんには乾燥させる時間が必要なので、製作するのも早い方がいい。販売するわけではないが、それでも最低二週間はかかる。

「ところで、どこで作る?」

 同好会の一番のデメリットはこれだ。合宿のときもそうだったが、学校の設備を使うのに、優先順位が部活に比べて低いのである。しかも文化祭は部活動だけでなく、クラスの出し物も関わってくる。調理室も理科室も、満員御礼だろう。

「心配はいりません。場所は、我が家を提供いたしますわ」

「えっ。呉井さんの家? マジで? めっちゃ行きたい!」

 柏木は無邪気に喜んでいる。地元の名士・呉井家の家だ。庶民の俺たちの想像を超えたお屋敷に決まっている。別荘であれなら、本宅はいったいどんな広さなんだろう。俺も興味はあるが、それ以上に彼女の家に行くことは、ヒントとなるはずだ。

「期待はずれかもしれませんよ?」

「いやいや、そんなわけないって。ねえ、明日川」

 呉井さんがどう育ってきたのか、いつ異世界転生を知って、死ぬ機会をうかがうようになったのか。その片鱗がわかれば、彼女の命のカウントが今いくつなのか、わかるかもしれない……。

 などと考えていたら、柏木の話を聞いていなかった。

「え? ごめん、なに?」

「もう! ちゃんと聞いてなさいよ!」

 ぷん、と膨らんだ柏木。お前、呉井さんみたいなすべてを超越した美少女ではないから、そんな顔するとちょっと不細工に見えるぞ、どうしても。言ったら怒られるのが手に取るようにわかるから、口を噤んでごめんなさいするけど。

「ああ、呉井さんちで石けん作りの話ね……うん、俺も楽しみだ」

 ちらりと彼女を窺うと、唇をわずかに開け、その隙間から細く溜息を吐き出した。おそらく、俺にだけは来てほしくなかったのだろうな。

 呉井さんは、「日にちに関しては、両親に尋ねてみないと……」と言った。帰ったら話を通してくれるそうだ。

「じゃあ俺、本屋でカービングの本探してみる」

 山本調べによると、カービングナイフが必要らしいが、いくらぐらいするんだろう。同好会にも助成金は出るが、どの出し物も一律一万円と決まっている。彫刻刀でできないかな? 教本も、新刊じゃなくて古本屋で探した方がいいかも。

「頼んだ。俺は石けんの原材料をなるべく安く揃える」

「あたしの仕事は?」

 うーん。柏木の仕事かぁ……。

「柏木は手先が器用だろ。服作りも上手かったし。だから俺が本買って来たら、一緒に練習しようぜ。な?」

 俺は不器用でも器用でもない。こんなところでも普通だ。きっと呉井さんは、彫刻でも華麗な手さばきを見せるんだろうな、と想像した。



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