クレイジー・マッドは転生しない

葉咲透織

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陰キャに夏は似合わない①

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「ねぇ、この部活って、夏休みなんかやらないの?」

 きっかけはだいたい、新参者からもたらされるものだ。瑞樹先輩がめっきり手をつけなくなったおやつを楽しみながら、柏木が疑問を呈する。

 もうすぐ夏休み。来年は受験生だから、思いっきり遊ぶなら今年だ。田舎から出てきて、東京に少し近づいた。去年は遠すぎたし、子供過ぎたから親にも言い出せなかったが、今年こそは夏の祭典に行くつもりだ。

 夏の祭り。すなわちコミケ……!

 オタクならば、誰しも一度は参加してみたいと思うもんだろう。俺だってご多聞に漏れない。もしかしたら柏木も行くのかもしれない。聞くつもりはないし、本当に参戦するとしても、日にちが違うだろう。だから大丈夫。

 大丈夫、といえば、テスト。

 山本のおかげでどうにか赤点は免れ、何なら中間テストよりもいい点が取れてハッピーである。教えるの上手いなお前! と褒めると、めちゃくちゃ照れまくっていた。

 閑話休題。夏休みの予定はすでに決まっている。前半でバイトして、コミケに行く。以上。コミケ後は、戦利品をじっくり眺めるので忙しいだろう。

「部活といえば夏合宿っしょ。あとは海? BBQとかもいいじゃん」

 はっはー、と棒付きキャンディーを口に銜えて笑う。やっぱりリア充の中で揉まれてきた奴は、夏の過ごし方が違うな。外で遊ぶ予定ばっかりだ。

「いやいや。夏合宿なんてやる意味ないよ。大会とか上達とか関係ない、ただの駄弁りサークルだし」

 ねぇ、呉井さん……と水を向けて固まった。彼女の目は雄弁だ。「合宿」という未知のイベントに興味津々という様子で、柏木の話を聞いている。

「いや、そんな暇ないですよねえ、瑞樹先輩!」

 仙川には聞かない。だって、最愛のお嬢様のやりたいことを否定するわけないもん、あいつ。

 その点、瑞樹先輩は高校三年生。受験生だ。受験勉強に集中して取り組める夏休みは、夏期講習の予定が詰まっている。そうに違いない。無理だと頷いてくれ。

「え? なんで?」

 俺の願いはむなしく散った。

 そうだった。瑞樹先輩は、呉井さんのいとこ。血が繋がっているんだった。呉井さんができることは、彼もさらっとできるに違いない。

「確かに塾には行く予定だけど、苦手教科だけだし。それに、基本的には推薦で決めようと思ってるしね」

 テストの順位を聞いたことはないけれど、上位にいるんだろうなあ、この口ぶりだと。

 何か。何か合宿を潰すネタを考えなければ。

「俺たち部活じゃなくて同好会でしょ?」

 学校施設に泊まって部活を行うことができるのは、正式な部活動だけだ。同好会では、宿泊場所の確保が難しく、金も余計にかかる。そうだよ、合宿には余計な出費がかかるんだよ! 俺のバイト代が! コミケ費用が!

「そんなのどうとでもなるよ。うちの別荘使えばいいだけだし」

 ぶ、ブルジョワめ。

「お金も食費と雑費くらい。この人数なら車出せるし」

 運転手付きなんでしょうね。

「瑞樹先輩、超お坊ちゃんじゃん!」

 柏木が拍手をしたのちに、瑞樹先輩を拝み始めた。先輩もまんざらではない表情である。柏木たちが日程やらやりたいことを話し始めたのに、ストップをかける。

「ちょっと、部長がその辺は決めるだろ? なぁ、呉井さん」

 どうせ行く気満々なんだろうけど!

 呉井さんはしかし、青い顔をしていた。焦点がいまいち合わない目で、ぶつぶつと何事かを言っている。

「呉井さん? 具合悪いの?」

 俺の言葉に、瑞樹先輩に合宿の案をべらべら喋っていた柏木が、口を閉ざす。振り向いてぎょっとすると、呉井さんに、「今ならまだ、保健室開いてると思うけど……」と声をかけた。

「あ、あの……いえ、なんでもありませんの」

 弱々しく微笑んだ呉井さんは、ついさっきまでと様子が違いすぎて、なんでもないようには見えない。

 こういうとき、真っ先に口と手を出して休むように言うのが仙川のはずなのだが……。ちらりと彼女を窺うと、痛ましい表情で、呉井さんを見つめている。その手を瑞樹先輩がぐっと掴んでいるから、本当は駆け寄りたい気持ちでいっぱいなのだろう。

 瑞樹先輩の行動は、よくわからない。過保護な仙川を止めて、呉井さんの自立を促しているのだろうか。それならもっと早くからそうすべきだと思うし、別に呉井さんは仙川べったりじゃないと、何もできない子ではない。

「合宿、嫌だった?」

 一人ではしゃいでいた柏木が、しゅーんと肩を落とした。呉井さんは、「違います」と即答する。

「合宿は楽しそうだから、ぜひやりたいと思います。けれど……」

「けれど?」

 呉井さんは瑞樹先輩を窺う。先輩は、何も言わない。表情ひとつ変えずに、ただ呉井さんを見ているだけだ。

「その、場所は瑞樹さんの別荘じゃなくて、わたくしの家の別荘を、使ってほしいのです」

 ちらちらと自信がなさそうに瑞樹先輩を見る呉井さんは、いつもの威風堂々とした様子がなく、ただの少女のようだった。

 日向家の別荘を使うのが嫌な理由については、踏み込めない。これだけの人数がいるところで、呉井さんを追いつめるわけにはいかない。

「呉井さんちの別荘にも、これだけの人数泊まれる?」

「ええ、それはもう」

「なんならうちよりも、まどちゃんちの方が広いよね」

 おお、さすがは本家。学校にまで配下の人間を押し込めるだけの財力は、伊達ではない。

「それなら俺たちはどっちでも。なぁ?」

 柏木に同意を求めると、彼女はうんうんと頷いて、

「じゃあ合宿は決まりってことだね!」

 と、日程やら何やらをすっ飛ばして、内容の取り決めを行おうとする。呉井さんも初めてのイベントに頬を紅潮させて、どうやら最低限のことはこちらで決めなければならないようだ。

 俺の希望は、お盆明けなんだけど……瑞樹先輩はどうだろう。

「お盆中は、まどちゃんも僕も、家の都合があるからね。それが終わってからの方が、思う存分楽しめると思う」

 やった! 戦利品を読む時間は短くなりそうだけれど、それでもコミケに参戦できるだけいいとしよう。当たり障りのない同人誌は、持って行ってこっそり読めばいいや。

「そうなんだ! じゃあ肝試しとかもできる?」

「ええ。やったことはありませんが……」

「昼はテニスもできるし、近くの美術館に遊びに行くのもいいよね」

 スマートフォンを覗き込み、呉井家の別荘近隣をチェックしている柏木の提案は、だいたい外に行くようなものである。

「え、テニス……?」

「そういえば、瑞樹さんはお上手でしたよね。久しぶりに恵美との対戦が見たいです」

 どうやら完全なるインドア派は、俺だけらしい。まずい。数の差で、のんびりすることは許されなくなるぞ。

「あ、あのさ」

 俺は挙手をして、きゃっきゃとはしゃいでいるみんなに発言の許可を求める。

「もう一人、誘ってもいいかな?」

 俺と一緒に、いや俺以上に、頑なに外に出たくないと頑張ってくれる奴を、召喚する。

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