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オタク 荷物 多い なぜ②

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 バスに揺られて一時間弱で、南度山に到着した。さすが山だらけの街、登山のイメージを覆す近さだ。クラスメイトはみんな、「ダルいわ~」「なぁ、頂上まで競走しねぇ?」など、体調不良を訴える者もおらず、元気だ。呉井さんも、バス酔いとは無縁の上気した頬でもって、登山道を見つめている。

 教師の諸注意を受け、各々のペースで出発し始める。俺みたいな体力のない奴でも、二時間半あれば登頂できるだろう。呉井さんは、運動神経もいいらしいので、俺は俺の心配をする。俺が彼女を気にかけるのは、体力面というよりも、何かしでかさないか不安だからである。

 呉井さんが動こうとしないので、俺は黙って隣で待機した。担任は、「お前らはよ行け」と言うが、生徒全員が登り始めるまで、彼女は歩き出さなかった。

「それじゃあ、ゆっくり行きましょうか」

「ああ」

 ゆっくりなのはいいけど、ちゃんと弁当が食える時間に、無事に辿り着きますように。心から願う。

 登山道の最初のうちは、舗装された道路だ。黙々と呉井さんは歩く。速度はいつもより早く、上り坂だからという理由だけでなく、前のめりだ。息を切らすことなく、足を運ぶ。

 俺? 

 俺は彼女の歩くペースで登っていくと、早数分で限界を迎えた。

「大丈夫ですか? 明日川くん」

「う、うん……」

 大丈夫だと強がるのは、なけなしのプライドゆえに。休憩をするか尋ねられるが、さすがにまだ序盤で、休むわけにはいかない。一瞬だけ立ち止まり、首を横に振る。リュックからペットボトルを取り出し、水を口に含んだ。

「まだ先は長いから、頑張るよ」

「ええ。でも、無理はしないでくださいね」

 呉井さんは優しい。でも、その優しさが少しだけ、残酷だとも思う。

 髪をピンクにしても、ひょろひょろのオタクでしかない俺。女子が男に絡まれているのを、助けに行けずに見ているしかなかった俺。

 呉井さんは、そんな俺を認めてくれる。それでもいいと言ってくれる。何の他意もない、彼女らしい真っ白な気持ちだ。思わず甘えてしまいそうになる。でも、呉井さんの思いやりは、俺のすべてをくるむことができない。俺の不甲斐なさ、非力さは、より一層身に積まされる。

 見た目だけ変えたって、ダメなのだと思い知らされる。

 大きく息を整えて、俺は一歩一歩、歩みを進めた。

 十分くらい歩いたところで、道の様子が変わってきた。アスファルト舗装の道から、柔らかな土の道になる。スニーカー越しに足の裏に伝わってくる感触が、明確に違う。ふかふかしたクッションが、歩くのを楽しくしてくれる。

 俺が少しだけ元気になって、「さあ、先に進もう!」とやる気を出した反面、呉井さんの歩みは遅くなった。というか、立ち止まっている。

「呉井さん?」

 振り返ってそこにいたのは、性別こそ違うものの、二宮金次郎だった。

 薪の代わりに大きなザックを背負い、熱心に本を見つめている。まさかとは思うが、その荷物の中身は……。

「呉井さん、本を持ってきたの?」

 よくぞ聞いてくれました、と呉井さんはぱっと笑顔を浮かべて、表紙を俺に見せた。ふせんがたくさん貼られていて、彼女の勉強熱心さが伝わってくる。とはいえ、それは単語帳ではない。

「『食べられるキノコの見分け方』……?」

「キノコだけじゃありませんわ!」

 呉井さんは、背負っていたザックを、よっこらせ、と下ろした。中から出てくるのは、俺の予想どおり、本、本、本……。

「野草図鑑に、木の図鑑もあります」

 どうやら、彼女のザックの半分以上は、厚い図鑑(これでもポケットサイズ、らしい)で埋まっている。朝、仙川から手渡されたバッグをと、呉井さんの背負うザックを交互に見る。

 まさか、弁当までこっちの鞄に入ってるんじゃなかろうか。念のために、もっと丁寧に持ち歩くことにする。

「なんでそんなに、図鑑ばっかり」

 文武両道の呉井さんは、文理問わずに成績優秀だ。中間テストの結果は本人以外に開示されないが、同じクラスのガリ勉を擬人化したような奴が、「今回も一位は君なんだろう!?」と絡んできたのを、彼女は否定しなかった。

 俺が知らないだけで、呉井さんは植物に興味関心があったのだろうか。花と呉井さん……似合いすぎるな。俺の想像の中の花は、薔薇とか百合とか、そういうのだ。決してキノコではない。

「お二人が先日、話してらっしゃったことを参考にしました」

 お二人……とは、言わずもがな、俺と柏木だ。俺たち三人と瑞樹先輩は、トークアプリの中でグループを作成して、そこで喋っている。柏木の強い主張によって、非公開になっている。オタクだとばれるリスクは少しでも減らした方がいいし、クラスで浮いている俺たちと親しくしていることなど、知られたくないだろう。柏木は、そうは言わなかったけれど、なんとなくわかる。

 ちなみに瑞樹先輩は、ほとんど既読スルーで、発言をしない。お目付け役というか、新しい友達との交流を、微笑ましく見守っているのだろうな。

 え? 仙川? 入れるわけない。あいつは大人だからな。高校生同士のコミュニティに、首を突っ込みにこなくていいんだよ。呉井さんも、特に「恵美は?」と提案しなかったことだし。

 で、そこで柏木が余計なことを言ってくれたんだな。

『異世界転生したヒロインって、なんでか知らないけど植物の知識豊富な設定多いよね』

 と。

 転生チートには二種類ある。異世界転生を司るその手の神様が、ギフトとして与えてくれる能力と、元々の世界の仕事や趣味で身に着けた知識や技術だ。サバイバル知識が豊富なキャラもいれば、現場の知識を生かして、異世界の建築をすっかりパラダイムシフトしてしまうキャラもいる。

 俺はあんまり、女性主人公の話は読まない。どうしても騎士とか王子様とかイケメンとの恋愛要素が入ってきて、「結局顔かよ」と僻み根性丸出しになってしまうからな。その点、ハーレムはいい。どんなに平凡な顔の主人公でも、可愛い女の子にちやほやされるんだからな……。

 閑話休題。とにかく、柏木がそう話を振ったんだ。そして、俺はあんま深く考えなかった。

『異世界じゃ食べられてなかったマツタケ見つけて、商売始めて成功したりとか、そういうのな』

 ああ、乗った。俺は柏木の話題に乗ってしまった。

「異世界転生をした先でも、美味しいキノコを見つけますわ!」

 呉井さんのスイッチを押してしまった。クレイジー・マッドらしく、大きな目はギラギラと輝いている。俺は自分のためにも、呉井さんの狂った知識欲を少しでも抑えなければならない。

 俺は彼女の手からキノコ図鑑を拝借して、ペラペラと捲る。

「でもさ、呉井さん。キノコの旬って、秋だよ」

 今は五月。春というには遅く、夏というには早い。この時期のキノコって、どういう状態なんだろうな。土の中にいるのかね。

 口を「あ」の形のままにして固まった彼女に、追いうちをかける。

「山菜のシーズンには遅いし」

「うっ」

 あれは春の早いうちだ。春山に入って遭難したり、冬眠から目覚めたクマに出会ってしまう不幸な事故は、たいてい三月頃にニュースになる気がする。せいぜいがタケノコくらいだろうが、残念ながらこの山の植生に、竹はない。

「だから、本は閉まって登ろう。転んだら危ない」

「むうう……」

 俺は図鑑を、彼女のザックに戻そうとして、やめた。ザックの中から図鑑の類をすべて出して、代わりに仙川から預かった荷物のうち、彼女が持っていた方がいいだろうグッズを詰める。着替えだとか、タオルの類だ。図鑑はスポーツバッグの中にしまう。

「気になる物を見つけたときに、立ち止まってから、改めて図鑑で調べればいいじゃないか」

 ザックをいちいち下ろして出すのも面倒だろう。呉井さんの引き起こすアレコレに、心の準備もなしに巻き込まれるのは困るが、このくらいの譲歩はする。というか、彼女はこれで意外と頑固なので、植物の観察はやめないだろう。

「あと、採集は禁止だからね?」

「そのくらいは、わきまえていますわ」

 そうは言うものの、彼女の白い頬にはほんのりと朱が混じっている。ああ、おそらくこれは、瑞樹先輩か仙川あたりに事前に注意されて、初めてルールを知ったってオチだろうな。深く突っ込んだらかわいそうだから、しないけれど。

「じゃあ、足元には気をつけてね」

 そう言って一歩踏み出した瞬間、大きな石を踏んでしまい、俺はふらついた。

「……」

 背後にいた呉井さんを見る俺の目は、たぶん雨でずぶ濡れの野良犬と同じだったと思う。

「……その言葉、そっくりそのまま返しますわね」

 俺に対しては基本的に優しい呉井さんが、呆れた声で言った。
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