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オタク 荷物 多い なぜ①

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 中間テストが終わり、五月の末。学校指定ジャージで登校した俺を待ち構えていたのは、妙に張り切った様子の呉井さんだった。

「おはようございます!」

 爛々と瞳が輝いている一方で、下の瞼はうっすら隈ができている。呉井さんの美貌に影ができたのを初めて見て、俺はぎょっとして、挨拶するのを忘れた。

「呉井さん。もしかして、昨日、あんまり寝てないんじゃないか?」

「えっ」

 呉井さんは俺の問いかけに、もにょもにょと「そんなことは……」と反論しかける。いつでもはっきりきっぱり物事を言う彼女にしては、歯切れが悪い。呉井さん、と再び呼びかけると、彼女は深く溜息をついた。

「どうしてわかりましたの?」

 一目瞭然だよ、と俺が答えるより先に、彼女は素晴らしい回転速度を誇る頭脳で、答えを弾き出した。

「はっ。もしや、わたくしの記憶を読み取る能力が明日川くんに芽生えたのでしょうか……」

 うん。てんで明後日の方向だったけどね。

「違うよ。目の下に隈できてるから。寝不足なんじゃないのって」

 とんとん、と自分の下瞼を叩いて場所を示すと、呉井さんは下げていたサコッシュから小さな鏡を取り出すと、自分の顔をまじまじと見つめた。

「あら、本当……」

 呉井さんは、化粧をする必要がないからしない。さらさらの髪には、ほとんど寝癖もつかない。朝の支度はごく短時間で終わり、鏡を見る時間が、他の女子に比べて極端に短いのかもしれない。全部俺の想像だけど、あんまり間違っていない気がする。

 だって、隈を気にすることなく、鏡をしまって、

「遠足、楽しみですわね!」

 と、にこにこしているんだから。

「楽しみで寝られなかったの? これから登山だから、寝不足だったら、ケーブルカー乗った方がいいんじゃ」

 初夏の陽光は、まさしく遠足日和である。そして山に囲まれた土地柄、市内の小中学校・高校において遠足といえば、イコールで登山だ。

 これからバスに乗って向かうのは、南度山なんどさんという、標高五〇〇メートル強の山である。「なんど登っても楽しい」を謳い、市民であれば幼稚園の頃から何度も登る機会のある場所だそうだ。

 呉井さんも、生まれも育ちもこの街だ。飽きるほど登っているはずなのに、何がそんなに楽しみなんだか。

 それに。

「ずいぶん荷物が大きいな……」

 彼女が背負ってきたのは、ショッキングピンクの巨大なザックだった。本格的な登山に使用するもので、このまま山小屋に宿泊できそうな装備である。学年ごとに決まったカラーのジャージ、俺たちはエメラルドグリーンなのだが、その色と相まって、絶妙にダサさを引き立て合っている。

 それでも呉井さん自身の美貌は少しも損なわれていないのが、いやはや。

 南度山には途中までケーブルカーも走っている。気軽に観光登山が楽しめる山として、人気があるのだ。なお、今回は麓から自分の足で登って下りてくるのだが、バス酔い等の理由で体調が優れない生徒のみ、ケーブルカー利用が許可される。

「何が入ってるんだ?」

 秘密です、と呉井さんはものすごく楽しそうだ。

「山に着いたら、お教えしますわ」

 その表情に、なんだか嫌な予感がした。いやいいです、一応聞いてみただけなんで……と慌てて言ってみたはいいものの、彼女の心はすでに、楽しい楽しい山登りに向かってしまったらしく、聞き入れちゃくれない。

 遠足だが、特にクラス単位での行動は義務づけられていない。登山ともなると、各人のペースが違いすぎるので、到着目標時間は決まっているが、軍隊の訓練のように集団行動はしない。

 誰と登ってもいいし、誰とも一緒に登らなくてもいい。俺は別に、呉井さんしか友達がいないわけじゃない。クラスメイトの紹介で、他のクラスにだって、そこそこ喋る奴がいる。そいつらと一緒に登ったっていいんだけれど、俺は呉井さんと一緒に登る。

 なんでかって、そりゃ。

「明日川匡!」

 ガラガラ、と勢い任せに扉が開いた。噂をすればなんとやら、ではないが、仙川がものすごい剣幕でこちらを呼びつけていた。クラスの女子たちが、きゃあ、と黄色い声を上げる。

 おかしいな。柏木が女子たちに、「仙川先生、女の人だったよ」と説明していたはずなのだが、彼……違った、彼女の人気は衰えることを知らない。どころか、ますます過熱している気がする。柏木の話を信じなかったのか、男装の麗人なのがいいのか。どっちだ。

「なんですか、仙川先生」

 用事はわかっているが、お義理で聞いてやる。

 仙川はくわっと充血した目をかっ開いた。女子たちのざわめきが、別の色を帯びる。興奮したものではなくて、ドン引きというやつだ。

 彼女は持っていたスポーツバッグを、ぐいと俺に突き出した。持って行けと? と、自分を指さすことで問うと、顎をしゃくって早く受け取れと促す。何が入っているのかわからない鞄を受け取った瞬間、がくんと膝から崩れ落ちそうになる。

「ちょ、わ、おっも!」

 何が入ってんだコレ。ゆっくり地面に下ろして、ファスナーを開ける。タオルに虫よけスプレー、予備の水のペットボトルに果ては替えのTシャツに靴まで。俺も最低限は持っているけれど、まさか救急箱がそのまま入っているとは思わないじゃないか。

 仙川はしゃがみこんだ俺を見下ろす。腕を組んでいるのが、威圧感を増している。

「いいか、明日川。貴様は私の代わりに、今日は円香様をお守りするのだ」

 本当は私がともに行きたいのだが……と歯噛みしている仙川は、非常勤のスクールカウンセラーだ。常勤の養護教師とは異なり、学校行事へ参加することはない。先日も同好会の集まりのときに、何度も言われたのだが、当日も休みのくせに、わざわざ登校したのか。

「もしもお嬢様に何かあったら……」

 バキバキと指の骨を鳴らす仙川に、ガクガクと俺は首を縦に振った。

 それから仙川は、呉井さんに山での注意事項を滔々と語った。いい子の呉井さんは、真面目にうんうん頷きながら聞いている。

「わかったわ、恵美。帰りにお土産を買って帰るわね」

 そこで担任がやってきたので、仙川は泣く泣く呉井さんに手を振った。振り替えしていた呉井さんは、「よろしくお願いいたしますね」と俺に微笑んでから、席に戻った。

 実際、俺は仙川に頼まれなくたって、呉井さんと行動を共にするつもりだった。

 彼女は相変わらず、クラスで浮いている。連休中に柏木と多少打ち解けたが、やり取りはスマートフォンのトークアプリを通じてばかりだった。今日も、いつものグループの女子と行動を共にするのだろう。

 山を一人で登るのは、素人には難易度が高いように思う。そこに山があるから登る、というような登山家なら、自然と一体になるための単独行動もアリだろうけれど、俺たちは普通の高校生だ。

 友達同士でわいわい励まし合いながら登るのが、遠足の楽しい思い出になる。一人で苦しい登山は大変だ。

 誰も一緒に登る相手がいないなら、目下一番親しいだろう俺が一緒に登るのが、当然だと思った。また付き合ってるのかって噂が広がりそうだったけれど、仙川のあの姿を見れば、大丈夫だろう。俺は彼女に脅されて、呉井さんと行動を共にしているだけなのだと、クラスの連中はそう思ったはずだ。

 朝のホームルームは、いつもより手短だった。これからすぐ、バスに乗って登山口に直行する。

 俺は、スポーツバッグを持って立ち上がった。いや、本当に重いなこれ……。呉井さんのためのグッズが詰め込まれているのは先程見たが、じゃあ、呉井さんが背負っているあの大きな登山用リュックの中には、いったい何が入っているんだろうか。

 なんだか嫌な予感しかしなかった。
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