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×訓練 〇かくれんぼ③

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 結局仙川は影も形も見つからず、俺たち三人はビルの入り口に出てきた。遅れて瑞樹先輩もやってきて、初対面の柏木に自己紹介をしている。最初は人見知りを発揮していた柏木だが、柔和な瑞樹先輩の雰囲気に絆されて、彼女は笑みを浮かべ、彼と話している。

 呉井さんは悔しそうな顔で、仙川に電話をしている。

「ええ、ええ。そうよ。うん、待ってるわ」

 スマホの通話を切って、呉井さんは俺たちの方に向き直る。

「恵美はもうすぐ来ます。そうしたら、お昼を食べに参りましょうか」

「そうだね。僕、お腹空いちゃったあ」

 たぷたぷの腹肉を左手で支え、右手で頭を掻く瑞樹先輩は、さっきまでパンケーキを食べていたんじゃないのか……?

「あ、俺その前に本屋行ってきていいかな? 欲しい漫画があったんだ。忘れないうちに買っときたい」

「僕も参考書を買いたいから、ついていくよ」

 となると、女子二人が留守番か。

 柏木は「じゃあこれで……」と帰ろうとしたが、呉井さんが止めた。

「せっかくお休みの日に会えたんですもの。お昼ご飯も一緒にいただきたいです」

 どうしても行っちゃうの?

 首をこてんと傾けて、うるうるきらきらした目で、彼女は柏木を見る。

「ウッ」

 柏木、美少年だけじゃなく、美少女もいけるオタクらしい。心臓を押さえて悶えている。

「あら? 柏木さん? どうしました?」

 呉井さんは狙っていない。天然が最強である。二人にしておいても大丈夫だろう。仲良くしてくれたらいいな。

 瑞樹先輩と本屋に向かい、俺は単行本をすぐに買い終わる。参考書売り場にいる瑞樹先輩に声をかけると、まだ時間がかかるとのこと。先に戻ってていいよ、とのことだったので、俺はエントランスへと戻る。

 その間、本当にわずかな時間だった。あの様子だと、何ら問題はなさそうだと判断していたのだが、別の問題が発生していた。

「いいじゃんいいじゃん。ほら、スマホで連絡ちゃちゃっとしてもらってさ。そしたら一緒に行けるっしょ?」

 前の学校にいた奴の、三倍はチャラい格好をした男たちに、二人はナンパされていた。性質の悪いのは、三人で女二人を取り囲み、逃げ場を潰している点だった。

 俺がピンクの髪に染めるきっかけになった奴だってチャラいし、ナンパもしまくってたらしいけど、こんな風に追いつめることはしてなかったと思うぞ。あいつの信条は、ナンパは恋愛だから一対一で! だったし。

 身を寄せ合い庇い合う二人だったが、意外なことに柏木の方が呉井さんの陰に隠れ、怯えた表情を見せている。根が陰キャでオタクだから、仕方がない。俺もたぶん、毅然とした態度が取れない。

 呉井さんは前を向いて、男たちを無表情に見ていた。ただでさえ整った清楚系美人の彼女は、そうしていると冷たさが際立つ。

「ほらほら。行こうよぉ」

「……これも、冒険者ギルドのテンプレとかいうものかしら」

 やれやれ、と呉井さんは首を横に振る。いや、その例えは目の前の男たちには通じない……ほらあ、柏木さんが噴き出しそうになるのを必死で堪えてるじゃん。

「消えなさい。私たちは、あなたがたのような卑しい男たちと一緒のパーティーは組みません」

 呉井さんはそう言い切った。本当にこれが、異世界の冒険者ギルドであれば、いさかいになってもギルドマスターが現れて、仲裁に入ってくれる。そこまで合わせてテンプレだ。

 だが、ここは悲しいくらい現実。呉井さんに馬鹿にされたと思った男たちは激昂して、「てめぇ!」と怒鳴り声を上げる。仲裁は入らない。巻き込まれるのが怖くて、誰もが足早に通り過ぎる。ビルの中に入ってくる人の中には、もしかしたら警備員に通報しに行ってくれたかもしれないが、到着には時間がかかるだろう。

「女に対して怒鳴りつければ、言うことを聞くとお思いではありませんか? 私は、そんなに弱くはありません」

 いや、どう見てもか弱い女の子だから! そんな風に煽るのはやめて! こいつら絶対単純だから、簡単に乗るよ!?

 男たちは思ったとおりの反応だ。凄みを増して睨みをきかせるだけじゃ済まず、強引に呉井さんの手首を掴もうとした。

 その段階になって、ようやく俺は動けるようになった。動かなければならなかった。呆然としている場合じゃない。不良に立ち向かった経験なんて一切ないけれど、呉井さんと柏木が傷つけられるようなことは、あってはならない。

「呉井さ……」

 俺が駆けつけ、声をかける前に、助けに入った人間がいた。

 ふわっと広がるフリルとレースで縁どられたスカートに、白いニーソックスの絶対領域が眩しい。厚底靴との合わせ技の高身長で、かくれんぼ中にぶつかった、ゴスロリファッションの女性だとすぐに気がついた。

 いくら俺と背が変わらないといっても、女性だ。今度は彼女が危ない。やっぱり俺が助けに入らなければ……と接近したのだが。

「あらぁやだ。いい男じゃないのぉ」

 野太い声に、動きを止めた。俺だけじゃなく、男たちも。背が高いのも、ちょっと肩幅が広いかな? と思ったのもオカマ……えっと、今はなんて言ったらいいんだ? とりあえず、女装した男だったからだ。

「こんな小娘たちじゃなくって、アタシとお出かけしない?」

 うふん、としなを作って誘惑のウィンクと投げキッスをしたゴスロリオネエさんに、ぞぞぞ、と怖気が走った男たちは、逃走した。

 ……俺、何もしてない。

 男たちが去って、不穏な空気が霧散した。明らかにほっとした様子で、他の客たちも流れを取り戻す。

 俺はようやく二人に駆け寄ることができた。

「呉井さん。柏木」

 大丈夫だった、と気軽に口にすることはできなかった。俺はヤンキーたちの剣幕にビビって、二人を助けに来ることができなかった。

「明日川くん」

「明日川」

 二人の声には、気遣うような響きが含まれている。助けるべき存在に、気遣われている。今俺は、どんな情けない顔をしているんだろう。思わず下を見て、唇を噛んでしまう。

「適材適所、ということですわ。明日川くん」

 呉井さんに声をかけられても、顔を上げられない。彼女は頬を両手で包み、無理矢理顔を上げさせた。初めて間近で凝視した呉井さんの目は、どこか青みがかった色をしている。

 彼女は顔を上げた俺に満足そうに微笑み、それから俺の腕を掴んだ。意外と力が強い。滑らかな肌の感触に、汗ばんだ自分の腕が恥ずかしい。

「明日川くんのこの腕じゃ、あの人たちには勝てなかったでしょう。ねぇ、恵美?」

 恵美?

 仙川がいつの間にか来ていたのか?

 辺りを見回すが、嫌味なくらいの美形は見当たらない。呉井さんも瑞樹先輩同様、目がとてもいいのだろうか。

「……ええ、そうですね! お嬢様、そのような者の腕をいつまでも掴んでいないでください!」

「ってえ!」

 掴んでいるのは呉井さんなのに、思い切り叩かれたのは俺の腕だった。そして叩いたのは、柏木と呉井さんを助けてくれた、ゴスロリオネエさん。聞き覚えのある声と、刺々しい言葉に、彼女(?)の顔をまじまじと見る。眼帯はなくなっている。化粧は濃いが、確かに見覚えがある。

「え? 仙川……先生?」

 恐る恐る指した指を振り払い、仙川は、ふん! と鼻で笑った。

「私とぶつかり、言葉も交わしたくせに気づかないとは、貴様の目は節穴か?」

 いや、気づかないだろ、普通。まさか女装しているとは思わないし。しかも本気のゴスロリとか。こんなのよく買ったよな……こういう衣装って、よく知らないけど、高いんだろ? これって呉井家の経費で落ちるのかな。お嬢様のご命令に伴う出費だもんな。

 現実逃避中の俺をよそに、呉井さんはさらなる爆弾を投下する。

「相変わらず恵美は、女装している男の人に変装するのが上手よね」

 女装している男の人に変装する、という複雑怪奇な言い回しに混乱したのは、俺だけではなかった。女装した仙川には驚きながらも、どこか納得した表情だった柏木も、大きく目を見開いている。勇気を出したのは、俺ではなく彼女だった。

「あのさ、呉井さん。それって、どういうこと?」

「どういうこと、とは?」

 呉井さんの中では自明の理だからか、さっぱりわからないという顔で首を傾げる。

「その、仙川先生の、性別についてなんだけど……」

「あら。柏木さん、気づいてらっしゃらなかったの? 明日川くんも?」

 まああ、と口元を手で押さえる。そして笑って、

「恵美は女性にしか見えないじゃありませんか」

 ……えっと、突っ込みたいところがいくつかあるんだけど。たぶん呉井さんに言っても無駄だな。俺はぎぎぎ、とぎこちなく首を動かして仙川を見る。

「男装して学校務めをしているのは、ひとつはお嬢様に変な男が寄りつかないように、牽制するため」

 確かに、やたらイケメンの年上の男が近くで目を光らせていたら、一般の高校生男子は怖くて寄りつけないだろう。女性の格好のままでも、迫力ある美人だから一定の効果はありそう。

「もうひとつは?」

「単純に、男装の方が楽だからな」

 軽い理由に、思わずずっこけそうになった。その肩を、珍しく艶やかな笑みを浮かべた仙川に掴まれる。

「こうやって、不埒な男を撃退するときも、制限なく動ける」

「あだだだだだだ!」

 肩関節に技を決められて、俺は悲鳴を上げた。

 涙目の視界の端に、呉井さんがにこにこ笑っていて、柏木が呆気にとられた様子が映る。助けて、と言うこともできないほど痛めつけられた俺が開放されたのは、瑞樹先輩がたくさんの参考書を抱えて、戻ってきてからだった。

「……ふぅ。ひどい目に遭ったぜ」

「明日川、大丈夫?」

 柏木が俺を心配してくれる。教室では目が合うと、妙な反応をする彼女だが、今日一日で、自然に会話ができるようになった。

「それにしても、仙川先生が女の人だったなんてねえ……」

「ほんとにな……」

 昼を摂るために、ファミレスに移動中だ。お嬢様・お坊ちゃま育ちの呉井さんと瑞樹先輩のことだから、もっと高級店に行くのかと、庶民の俺たちはガクブルだったんだけど、杞憂だった。

「そりゃ、高級な店にも行くけれど、そんなのは親と一緒のときだけでいいんだ。ファミレスで友達同士でだべるのって、若いうちにしかできないでしょ?」

 瑞樹先輩も呉井さんも、ファミレスのみならず、ファストフード店にも行った経験があると言う。二次元お嬢様あるあるの、ハンバーガーを見て「ナイフとフォークはありませんの?」は、やらなかったそうだ。

「しかし、本当に呉井さんって変な人だよね」

 柏木は「変」と言いつつ、そこに嫌な感情は込められていなかった。

「冒険者ギルド云々って言いだしたときは、ほんと、生きた心地がしなかったわ」

 仙川の耳に届いたら怒られることは柏木も理解して、小声で言った。俺は明確に返事をすることは避けて、ははは、と乾いた笑いを上げるに留めた。俺が呉井さんの陰口を言ったとすれば、柏木の三倍は怒られるからな。

 前を歩く呉井さんの両隣は、相も変わらず二人の騎士に独占されている。そこに俺が入る場所はなくて、やっぱりここにいなくてもいいのだと思う。

「やっぱりこの訓練は、最低でも月に一回はやるべきですわね。恵美の変装に気づけないなんて、主人失格だわ」

 そう言って呉井さんは振り向いた。

「今度は柏木さんも、最初から参加してくださいね?」

「えっ」

 俺への口止め料代わりに、今日だけの参加のつもりだった柏木は、ぎょっとした。どうにかしてよアレ、という顔で俺を見上げてくる。まぁ俺も、かくれんぼをしたいかと言われれば、したくない。見つけられなかったら、俺だけ散々に馬鹿にされる未来しか見えない。

 なので俺は、オタク知識を使って回避を狙った。

「異世界転生って、そもそも人間に生まれ変わるとは決まってないんだよな」

 人気のある転生モノの多くはモブだろうが攻略対象だろうが貴族・王族だろうが魔族だろうがエルフだろうが、人間(もしくは亜人)が多い。でも全部が全部、人間とは限らない。

 オタク知識の欠如した呉井さんは、「そうなんですか?」と食いついてきた。

「犬に生まれ変わってワンワンしか言えないパターンもあるし、もっとすごいのだとスライムになったり、剣になったりさ。そういうのに転生したとしたら、このかくれんぼは意味ないんじゃないか、な?」

 隣の柏木も、うんうん頷いて援護射撃をする。

「それに、こんな田舎街じゃあ人が多いと言っても、たかが知れてるし! 転生先で前世の知人に会うとしても、砂の中からごまを探すみたいな? そんくらい難しいんじゃないかなあ」

 呉井さんは黙った。これでかくれんぼをしてもしょうがないと思ってくれたらいい。ついでに、自分を否定した俺を嫌悪して、解放してくれたら最高。

 だがしかし、彼女はぱっと花が咲いたように笑った。

「そう。そうですのね! さすが明日川くんです! それに柏木さんも、異世界に興味がおありですのね?」

「へ? や、あ、あたしは別に……」

 呉井さんは話を聞かない。こういうところは、やはりクレイジー・マッドらしい。

「だとすれば、今後はもっと人が多いところでやりましょう! 人以外の変装は……恵美、できる?」

 できない。できないって言え!

「お嬢様がお望みとあれば」

「いやそれは無理だから!」

 俺のツッコミは、仙川にぎょろりと睨まれてしゅるしゅる萎む。

「明日川くんは、前の世界のことをあまり覚えていないとおっしゃいますが、異世界転生にさすが、詳しくいらっしゃる」

 これからも私に、異世界転生の知識をお与えくださいね。

 有無を言わさぬ呉井さんの笑顔に、俺は頷くしかなかった。

 隣の柏木は、「前の世界って何のこと。あとで教えなさいよ!」という目で俺を見上げてくる。

『スタ学』のファンである柏木に、同好会の中での俺の設定を教えるのは辛いけれど、たぶん話さない限り、柏木は俺を追求し続けるだろう。

 なんでこう、俺が親しくなった女の子って、強いんだろうな。
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